2009-11

やる予定のコスプレ

やる予定のコスプレ

 ずっとやり残し状態になっているのが、激獣拳士コスのノースリーブバージョン。
 ただし、半袖焼けが未だに完全には抜けていない。筋肉も、筋トレを最近再開したばかりでまだまだ戻ってきていないから、やるのは早くても来年の1月だ。

 イヤ、どうせやるなら…。ノースリーブ系のコスなのだから、もう少し上半身の筋肉の見栄えが良くなった後の方が良い。イベントに出すのは、気温と日差しのことも考えると、来年の5月が適当。その事前チェックを兼ねた自宅コスが、4月末となる。

 昔から寒いのは苦手だし、寒いと腰痛が悪化しやすい。よって、イベントに関しては、11月から3月まではシーズンオフとする。暖房の効いている屋内イベントなら真冬でも参加しようと思っていた時期もあったけど、寒い中、イベント会場まで大きな荷物を持って行くだけでも腰痛を悪化させるということが分かったので、屋内イベントも原則参加禁止とする。

 ただし、『しゅごキャラ!』の星名専務コスはごく一般的な背広姿なので、寒い時期は上からコートを着た状態で問題なく開場入りすることが出来る。こういう場合は荷物が小さくて済み、腰への負担も少ないので、寒い時期でも例外的に参加可とする(ただし、暖房の効いた屋内イベントのみ)。
 でも、『しゅごキャラ!』合わせでもない限り、専務コス(背広)でイベントに行こうとは思わないなぁ。だって、ホントに只の背広なんだもん。おまけに新シーズンに入ってからは、専務の出番もなくなっちゃったし…。

 とは言うものの、専務コスは2010年の2大コスのうち1つとなる予定である。
 ダーク専務(ダイヤと専務のキャラなり)を、自宅コス4月末、イベント出し5月上旬からやりたい。
 4月半ばの納品とすると、1月半ばには注決しておきたいところだ。

 2大コスの残りの1つは、『ガンダムUC』のカーディアス・ビストである。
 現在、小説版を読んでいる最中であり、年内には10巻まで読み終えるつもりだ。
 アニメ版(DVD)の発売予定日が2010年3月12日(金)となっているので、その直後の3月13日(土)には、とりあえず自宅コスしてSNSに画像をupしておきたい。
 3月10日頃納品とすると、12月10日には注決して…って、もうすぐやんか?!

 うわ、カーディアス・ビストの資料、揃えないとイカンわ。
 しかも最低3社の合い見積りにするから、資料切り抜き用の雑誌も3冊買わんとイカン。
 明日、買って帰ろうっと。
 あー、今日この記事書いて良かったわ。
 もっとも、来週早々に見積り依頼を出しても、12月10日に注決というのは難しいだろう。いずれにせよ、急ぐしかない。

 購入済みだが未だ写真を撮っていないのが、ジオン一般兵のノーマルスーツ。
 最初から自宅コス専用として買った衣装なので、イベントに出す予定は無し。
 Mサイズを選んだのだが、着てみるとかなり余裕がある。少しでも身体を太くした状態で着た方が似合うので、写真を撮ってupするのは6月以降まで待った方が良さそう。

 11月から3月の間に関しては、消去法で残るのは「厚着系の自宅コス」となる。
 手持ちの変身ベルト玩具を使ったネタ系のコスを幾つか考えているので、それをやりたいと思う。
 激獣拳士コスも長袖バージョンなら現時点でも可能なので、ゲキトンファーを使ったコスをやっておきたい。
 あと、ジオン一般兵の制服衣装の改造。これは、自分の手でやり遂げなければならない。

 以上、まとめて時系列で列挙すると…


 2009年12月6日(日) 変身ベルトを使ったネタ系の自宅コス(Wネタと龍騎ネタ)
 2010年1月某日     変身ベルトを使ったネタ系の自宅コス(クウガネタ)
       2月某日    ジオン兵制服の改造版の自宅コス
       3月某日    激獣拳士長袖バージョンでゲキトンファー使用の自宅コス
      3月13日(土) カーディアス・ビストの自宅コス
      4月〜5月   カーディアス・ビストを、イベントで2回程度
      4月末     激獣拳士ノースリーブバージョンの自宅コス
      4月末     ダーク専務の自宅コス
      5月〜9月   激獣拳士ノースリーブバージョンを、イベントで3回程度(6月以降は
                日焼け防止のため屋内のみ)
      5月〜9月   ダーク専務を、イベントで3回程度(露出系のため、屋内のみ)
      6月某日     ジオン兵ノーマルスーツの自宅コス
      10月      カーディアス・ビストを、イベントで1回程度


 上記以外では、『ガンダム00』の劇場版を観た後で、イアンのコスを1度やっておきたい。自宅コスになるかイベント参加になるかは、その時期に拠る。もっとも、イアンの衣装が1期でも2期でもなくて、かつ市販品で再現不能なものになっていたら、やらないかも知れない。

床の間は、メカゴジラの秘密基地

床の間は、メカゴジラの秘密基地

 ここだけの話ですが、実家の床の間は、メカゴジラの秘密基地になっています。
床の間のメカゴジラ
 
 このアングルだと、より秘密基地っぽく見えます(写真をクリックして画面一杯に拡大しましょう!)
床の間はメカゴジラの秘密基地
メカゴジラ横姿

 もちろん、たまには出動してフィンガーミサイルを撃ったり、
フィンガーミサイル発射

全砲門を開いたりしています。
全武器発射

 …というのは冗談で、勿論このメカゴジラはラジコンです。
箱から出してみた

 こんなふうに箱の中に入っていました。
箱を開けたところ

 箱から出したところです。
フラッシュ焚くとイメージ変わる

 バリアー展開の連続写真です。
バリアー展開1
バリアー展開2
バリアー展開3

 ちょっとマニアックな話をすると、メカゴジラというキャラクターは、ゴジラファンの中でも、位置付けが非常に特殊なキャラクターなのです。
 メカゴジラは大まかに言えば、全く別物として3体(3種類)が存在しています。

 1つめが、昭和版のメカゴジラで、言わば初代メカゴジラ。この記事のメカゴジラです。初登場は1974年に公開された『ゴジラ対メカゴジラ』。
 2つめが、平成シリーズ(VSシリーズ)のメカゴジラ。登場したのは、1993年に公開された『ゴジラvsメカゴジラ』。
 3つめが、機龍メカゴジラ。初登場は2002年に公開された『ゴジラ×メカゴジラ』。

 私は現在44才のオッサンでありながら、未だにゴジラファンを自認していますが、私より更に3つ4つ年上のオッサンの中にも、ゴジラファンの方がおられます。
 さて、そんな現在40代後半のゴジラファンにとって、デフォルトのメカゴジラ、即ち“初めて劇場で観たメカゴジラ”は、3つのうちどのメカゴジラでなのしょうか?

 『ゴジラ対メカゴジラ』(1974年3月21日公開)…昭和版
 『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年12月11日公開)…VSシリーズ版
 『ゴジラ×メカゴジラ』(2002年12月14日公開)…機龍

 こうやって並べると、現在40代後半のゴジラファンの“デフォルトのメカゴジラ”は、昭和版のメカゴジラだと思うでしょ?
 それが違うんです。
 現在かろうじて40代前半の私は、昭和版メカゴジラが“メカゴジラのデフォルト“となっています。けれども、私より3つ4つ年上のゴジラファンは、VSシリーズのメカゴジラが“メカゴジラのデフォルト“となっているのです。

 それは何故か?
 私より3つ4つ年上のゴジラファンは、『ゴジラ対メカゴジラ』の前年に公開された『ゴジラ対メガロ』を観たことでゴジラ映画を卒業してしまい、『ゴジラ対メカゴジラ』をリアルタイムで観ていないからなのです。当然ながら彼らは、『ゴジラ対メカゴジラ』の翌年に公開され、昭和シリーズの最終作となった『メカゴジラの逆襲』もまた、公開当時の劇場では観ていません。

 1973年3月公開の『ゴジラ対メガロ』を映画館で観たとき、その人が小学何年生であったかが、結果的にその人の“デフォルトのメカゴジラ”を決定付けたと言えます。
 私は『ゴジラ対メガロ』を、小学2年生の最後の月に映画館で観ています。ですから、ギリギリのところでゴジラ映画に愛想を尽かさずに済みました。しかし、当時小学6年生だった人は、『ゴジラ対メガロ』を観たことで、「来年、中学生になってもゴジラ映画を観に映画館に足を運ぶぞ」という情熱を失ってしまったのです(本当にごく一部の特殊な例外を除く)。

 私は、運が良かったのだと思います。
 “チャンピオン祭り”世代として、当時の劇場で、昭和最後のゴジラの後姿を見届けることが出来たのですから。
 『ゴジラ対メカゴジラ』をリアルタイムで映画館で観て、翌年の『メカゴジラの逆襲』もリアルタイムで映画館で観て、それで昭和ゴジラシリーズが終焉することによって、私は自然にゴジラ映画を卒業しました。そこには、憤りも悲しみもなく、ただ自然な時の移り変わりだけがありました。

 今、ゴジラ映画は休眠期に入っています。
 ゴジラファンとしての私も、基本的にはお休み中です。
 だから…
 我が床の間のメカゴジラよ、今は、私の古き良き時代の記憶と共に、眠れ…

床の間で眠るメカゴジラ

仮面ライダーW(ダブルユー)が観たかった…

仮面ライダーW(ダブルユー)が観たかった…

 今更だけど、あいぼんがあんなことになっていなかったら、今でもW(タブルユー)は存在していて、『仮面ライダーW』とのコラボが実現していたんだろうなぁ。しかも、後浦なつみと『デカレンジャー』のような表面的なコラボじゃなくて、もっと作品に関わった形で。

 何しろ、W(ダブルユー)の2人で『Missラブ探偵』とか歌っていたんだから。
 『仮面ライダーW』の元ネタは、W(ダブルユー)の『Missラブ探偵』なんだから(この部分のツッコミ禁止)

仮面ライダーダブルユー
 ↑さて、フィリップ君のモデルになったのは、どっちのお嬢さんでしょうか?

 だから例えば、W(ダブルユー)が、探偵の衣装を着て『仮面ライダーW』の劇場版のテーマソングを歌うとか。
 更に、劇場版の宣伝に、ののとあいぼんがダブルドライバーを装着して出演するとか。
 ダブルドライバーを装着したののとあいぼんが、ユニゾンで
「さぁ、お前の罪を数えろ!」
と言ってポーズを決めるとか、見たかったなぁ…

『機動戦士ガンダム』を映画化することが出来たのは、どの層の人気のお陰なのか?(その2) 〜 30年前、リアルタイムで視聴していたファンの記憶を辿る 〜

『機動戦士ガンダム』を映画化することが出来たのは、どの層の人気のお陰なのか?(その2)
〜 30年前、リアルタイムで視聴していたファンの記憶を辿る 〜

※この記事は、「『機動戦士ガンダム』(ファーストガンダム)を1979年から1981年頃まで(再放送を含む)の期間に視聴していた人(リアルタイム視聴者)に限定して、コメントやトラックバックを求めています。
 ちょっとしたことでも結構ですので「当時のガンダムに関することで、割とハッキリ覚えていること」がありましたら、気軽にコメントやトラックバックをお寄せ下さい。その際、「1979年4月の時点で中学○年生でした」等の学年表記をして頂けると幸いです※


 『機動戦士ガンダム』を映画化することが出来たのは、どの層の人気のお陰なのか? の続きなのだ。

 「放送当時」のガンダムの人気に関して、私は結構ハッキリと記憶している件がある。
 私が中学二年生または中学三年生のとき(1979年4月〜1981年3月の間のどこか)、私のクラス(男子約20人、女子約20人)に関しては、
 ・男子生徒は、17人か18人がガンダムを観ていた
 ・女子生徒は、3人か4人がガンダムを観ていた
ということだ。

 何故こんな具体的な数字を挙げることが出来るかと言うと、私自身が実際にクラス内でパパパッと訊いて回ったからである(男子に関して)。何故そんなことをしたかと言うと、休み時間の会話の流れの中で「この人はガンダムを観ていないだろうな」と思っていた男子生徒から「ガンダム観てるよ」と言われ、驚いたからである。

 私はその当時から「ガンダムはマニアックなアニメ」だと思っていたので、クラス内でガンダムを観ているのは少数派だと思っていた。それが、観ていなさそうな人(クラスメート)から普通に「観ているよ」と言われたので、「これは、もしや…」と思って、その場でパパパッと男子生徒全員に「ガンダム観てる?」と訊いて回ったのだ。確か、2人か3人「観ていない」と答えたクラスメートがいたものの、他は全員「観ている」との返答だった。
 当時「ガンダムって、こんなに人気があるのか!」と驚き、そして嬉しくなったことを覚えている。今になって思えば、私の世代は小学生のときに『マジンガーZ』の洗礼を受けているので、中学生になってもロボットアニメを観ることに抵抗がなかったのだろう。もっとも、私のように夢中になって観ている生徒は、やはり少数派だったように思う。

 ちなみに、女子生徒に関しては全員にパパパッと訊いて回ったわけではなく、何かのついでにポツポツと訊いているうちに「クラス内でガンダムを観ている女子生徒は(3人か4人)だな」という認識を得た記憶がある(2人だけという記憶はないし、5人以上という記憶もない)。なお、私のように夢中になって観ている生徒は、女子生徒に関しては1人もいなかったと思う。
 当時日記をつけていた訳ではないけれど、この記憶には結構自信がある。
 大まかに言って、男女合わせて「クラス内の、約半数の生徒がガンダムを観ていた」のだ。これは、かなりの人気である。

 私の通っていた中学校は、名古屋テレビ受信圏内にあるごく普通の学校だ。私のクラスで起こっていたことが、名古屋テレビ受信圏内における特殊な1例だったとは到底思えない。同時期、名古屋テレビ受信圏内の中学校では、どこも似たような状態だったと考えるのが自然だ。
 このことから、その時期「ガンダムは、名古屋テレビ受信圏内において、中学生に対する人気がかなり高かった」と考えられる。

 問題は、それが1979年4月〜1980年1月までの本放送の時期だったのか、その後の再放送の時期だったかである。既に書いたように、私が中2から中3の間の出来事であることは確かなので、「1979年4月〜1981年3月の間のどこか」であることは間違いない。また、本放送であるにしろ再放送であるにしろ、放送開始後少なくとも1ヶ月は経過していたと思うので、「1979年5月〜1981年3月の間のどこか」ということになる。

 男子生徒全員にパパパッと「ガンダム観てる?」と訊いて回っていたとき、自分やクラスメートが夏服を着ていたか冬服を着ていたかまでは、残念ながら覚えていないんだよな〜。
 教室で、T君がシャーペンをガンダムの操縦桿に見立てて「コクピット内のアムロの真似」をして見せたことや、Y君と『ガルマ 散る』の回の話をしたこと自体は、鮮明に覚えているのだが。
 ちなみに、K君は私と同じくらいガンダムを熱心に観ており、帰り際に「勝利の栄光を君に!」と敬礼をかましてくることもあった。そういうガンパロ(ガンダムパロディの略)遊びを、当時は中学校で割と普通にやっていたのだ。

 ここで、ガンダムに関する事柄を、時系列で列挙してみる。()内は、そのときの私の学年である。


TV『機動戦士ガンダム』
 本放送期間 1979年4月7日(中学2年生)〜 1980年1月26日(中学2年生)

バンダイ模型がガンプラの商品化権を取得 1979年12月(中学2年生)

TV『機動戦士ガンダム』
 再放送期間 1980年4月頃?(中学3年生)〜 1981年1月頃?(中学3年生)

映画『機動戦士ガンダム』 製作検討開始 1980年7月頃?(中学3年生)

ガンプラ「1/144 ガンダム」 発売開始 1980年7月(中学3年生)

映画『機動戦士ガンダム』 製作発表 1980年10月(中学3年生)

映画『機動戦士ガンダム』 公開日 1981年3月14日(中学3年生※卒業目前)

映画『機動戦士ガンダムII 哀・戦士』 公開日 1981年7月11(高校1年生)

 ※映画『機動戦士ガンダム』と映画『機動戦士ガンダムII 哀・戦士』の合計動員数340万人

書籍(ガンプラ本)「HOW TO BUILD GUNDAM」 発売 1981年7月(高校1年生)

映画『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙』 公開日 1982年3月13日(高校1年生※卒業目前)

 ※映画『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙』 配給収入 12.9億円

書籍(ガンプラ本)「HOW TO BUILD GUNDAM2」 発売 1982年5月(高校2年生)


 前記事で書いた通り、「ガンダムは、ガンプラの発売によって一気に人気が出た」というのは誤解を招く表現であり、使うべきではない。
 時系列が示すとおり、ガンプラが発売される以前に、ガンダムの人気は既にある程度まで高まっていたのだ。そうでなければ、1980年7月以前に、松竹がガンダム映画化の交渉のテーブルに着くワケがない。「再放送の視聴率が一定以上の数字を出し続けている」等の人気実績が、ガンプラが発売される以前に既に出ていたということだ。

 (4)「ガンダムは放送当時、女性ファンが多かった」かどうか等に関しては、また別記事にて。

『機動戦士ガンダム』を映画化することが出来たのは、どの層の人気のお陰なのか? 〜 30年前、リアルタイムで視聴していたファンの記憶を辿る 〜

『機動戦士ガンダム』を映画化することが出来たのは、どの層の人気のお陰なのか?
〜 30年前、リアルタイムで視聴していたファンの記憶を辿る 〜

※この記事は、「『機動戦士ガンダム』(ファーストガンダム)を1979年から1981年頃まで(再放送を含む)の期間に視聴していた人(リアルタイム視聴者)に限定して、コメントやトラックバックを求めています。
 ちょっとしたことでも結構ですので「当時のガンダムに関することで、割とハッキリ覚えていること」がありましたら、気軽にコメントやトラックバックをお寄せ下さい。その際、「1979年4月の時点で中学○年生でした」等の学年表記をして頂けると幸いです※


 30年前のことともなると、誤った情報を流す人や、それを信じてしまう人も出てくる。
 当時を知っている人間にとっては、実に嘆かわしい。
 『機動戦士ガンダム』(ファーストガンダム)に関しては、以下のような誤情報をネットで見かけたことがある。

(1)「ガンダムが“打ち切り”になったというのは嘘」
(2)「ガンダムはスポンサーが倒産したので“打ち切り”になった」
(3)「ガンダムは放送当時は全く人気がなかったが、ガンプラの発売によって一気に人気が出た」
(4)「ガンダムは放送当時、女性ファンが多かった」

 (1)と(2)は誤りである。
 (3)と(4)は、総体としては誤解を招く記述である。正か誤かのどちらかに振り分けるとすれば、私は“誤”に振り分ける。
 その根拠を、私の記憶と推測を中心にして、少し詳しく語ってみよう。


(1)「ガンダムが“打ち切り”になったというのは嘘」
(2)「ガンダムはスポンサーが倒産したので“打ち切り”になった」
 数年前までは、こうした相反する2つの誤情報をときどき見かけたものだ。30周年が近付くにつれ、どちらも見かけなくなった。

 (2)の「スポンサー」に関しては、メインスポンサーであったクローバーを指していると看做すのが自然。クローバーはガンダムの本放送中には倒産していないので、(2)は完全な誤りである。
 (1)に関しては、近年発行されているガンダム雑誌には「ガンダムは“打ち切り”になった」ことが記事になっているものが多い。放送当時の複数(3名以上?)の関係者が「ガンダムは“打ち切り”になった」と語っているので、(1)は誤りであるとするのが適当だ。

 ちなみに、最初に“打ち切り”の件を明記したのは、放送当時に発行された『アニメック』か『OUT』だと思う。私はリアルタイムで両方の読者だったので、放送当時から「ガンダム“打ち切り”」は周知の事実だった。私が“打ち切り”という言葉を初めて知ったのは、このとき(ガンダム放送当時、中学生のとき)なのだ。


(3)「ガンダムは放送当時は全く人気がなかったが、ガンプラの発売によって一気に人気が出た」
(4)「ガンダムは放送当時、女性ファンが多かった」
 (3)は、
  (3−1)「ガンダムは放送当時は全く人気がなかった」
  (3−2)「ガンダムは、ガンプラの発売によって一気に人気が出た」
の二つに分けて考えなければならないことに加え、
  (A)「放送当時」を「何年何月の時点」と定義するか
  (B)「全く人気がなかった」および「人気が出た」の定量的定義
の二点の定義によって、解釈が異なってくる。
(4)も、(A)および
  (C)「多かった」の定量的定義
  (D)「ファン」の定義
の三点の定義によって、解釈が異なってくる。

 さて、「ガンダムは放送当時は全く人気がなかった」のか?
 これは、視聴率と玩具の売り上げから検証できる。ガンダムの人気の低さの根拠としてよく引き合いに出される数字は「初回放送時の視聴率は名古屋地区で9.1%、関東地区で5.3%」であるが、これは現時点でガンダム最新作である『ガンダム00』のファーストシーズン平均視聴率の4.85%を上回っている。
 「視聴率5.3%」を以って「全く人気がなかった」とすると、『ガンダム00』も「全く人気がない」ことになる。しかし、『ガンダム00』はアニメ雑誌でも一般メディアでも、むしろ「人気作品」扱いされているのが実情ではないか。
 もちろん、1979年当時と現在では、例え同じような放送枠(時間帯)であっても「視聴率5.3%」の価値は微妙に違うだろう。しかし、大幅に違うというわけでもないだろう。

 よって、「ガンダムは放送当時は全く人気がなかった」というのは誤りである。
 適切な表現は、
 「ガンダムは放送当時は前作『無敵鋼人ダイターン3』よりも人気が低かった」
だと思う。
 あるいは、
「『機動戦士ガンダム』は放送当時は『機動戦士ガンダム00』と同程度の人気しかなかった」
「『機動戦士ガンダム』は放送当時から『機動戦士ガンダム00』と同程度の人気はあった」
でも良いだろう。

 「ガンダムは放送当時、同時期の他のアニメ作品と比較すると人気が低かった」
とまで言うには、同時期に放送されていた他の全アニメ作品の視聴率や玩具の売り上げと比較しなければならない。そういうデータを見たことは、私はない。


 「ガンダムは、ガンプラの発売によって一気に人気が出た」のだろうか?
 映画『機動戦士ガンダム』の製作発表(対外発表)は、1980年10月に行われている。
 内部における製作検討が、その3ヶ月前に始まっていたとすると、1980年7月。
 この時期に、既にガンダムにある程度の人気がなければ、松竹からは門前払いの扱いを受けていた筈である。

 ガンプラが発売開始となったのも1980年7月である。
 しかし私の記憶では、ガンプラがブームになったのは、私が中学校を卒業した(1981年3月)後のことである。再放送のCMにガンプラが入っていた記憶はあるが、私が中学在学中は雑誌展開も含め、ガンプラはそれほど話題になっていなかったように思う。
 つまり、私の世代の多くは、ガンプラブームの立役者ではないのだ。私よりも、1学年から5学年ぐらい下の世代が、ガンプラブームの中心となっているのだと思う。彼らは本放送時は中学1年生から小学三年生であった。おそらく彼らは本放送を観てガンダムのファンになったのではなく、再放送または再々放送を観てファンになったのではないだろうか。

 話を戻すと、「ガンプラは発売開始直後から爆発的な売り上げを記録し、それによってガンダムの人気が一気に上昇した」という事実はなかったと思う。もちろん、バンダイがスポンサーになっており、ガンプラの発売が決定していたことを松竹が評価した可能性は十分にある。しかし、まだ発売されていない(または発売間もない)ガンプラの存在が、ガンダム映画化の決め手になったとは考え難い。
 つまり、ガンプラとはほぼ無関係なガンダム人気が、1980年7月以前の時点で、松竹を映画化検討の机に着かせるほどの高まりを見せていたということだ。そしてその人気とは、「再放送の視聴率」と「ガンプラ以外のガンダム関連商品の売り上げ実績」以外に考えられない。

 よって、「ガンダムは、ガンプラの発売によって一気に人気が出た」というのは誤解を招く表現であり、避けるべきである。
 それに代わる適切な表現は、
「ガンダムは再放送された頃から人気が上昇し、映画化とガンプラの発売によって更に人気が上昇した」
だと思う。

 長くなってきたので、続きは別記事にて。

『侍戦隊シンケンジャー』メモ

『侍戦隊シンケンジャー』メモ

 第三十七幕が収録されたDVDを買うこと。ブルーとグリーンのアクションシーンが面白かったから。
 「刑事2人が互いに誤って手錠を掛け合って両手とも繋がってしまう」というシチュエーションは小説で読んだことがあるし、そういう状態での立ち回りアクションも、サモハン・キンポー辺りが若い頃にやっていそうな気がするが、そういう元ネタ的なことは気にならないくらい新鮮だった。

 これは、フィリップの台詞じゃないけれど、派手な色のコンビネーションは見栄えがするということなのだろう。
 新体操団体やシンクロも、ユニフォームを同色で揃えるのではなく、パーソナルカラーあるいは何色かで色分けした方がイイんじゃないのか? タイマン格闘技の柔道でさえ、2色にしているんだから。

 『シンケンジャー』の話に戻す。
 等身大戦が「ハンディ付きの2対1(普通に考えると怪人側が有利)」でヒーロー側が快勝して爽快だっただけに、巨大戦が「ヒーロー側ロボット3体、怪人1体のみ」という不公平な状況であったことが「ヒーロー側、ハンディも無しに3人がかりとはズルイぞ」と映った。
 あそこは流れというものを考慮して、猛牛1体でタイマンを張って欲しかった。
 まぁ、それでも最初に書いた通り、DVDは買うよ。
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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。