2017-11

『機動戦士ガンダム』第19話の感想

『機動戦士ガンダム』第19話の感想


 第19話のサブタイトルは『ランバ・ラル特攻!』であるが、この回のランバ・ラルの戦いは特攻と呼ぶべきものではない。『ランバ・ラル特攻!』というサブタイトルは、むしろ次回の第20話に付けるべきであろう。当時、何か手違いでもあったのだろうか?
 ちなみに、第18話の予告ナレーションでも
「駆けつけるガンダムのビームライフルがグフを撃破したとき…」
と、明らかに間違った内容が語られている。

 さて、この回の冒頭ナレーションでは、珍しくアムロの心情が語られている。

「空中ドッキングを完成させるために、仲間と訓練を重ねた日々。あのようなときは、ホワイトベースを離れたアムロには、もう二度と帰ってこないのか…
戦場を彷徨うアムロに、後悔に似た思いがはしるのだった」

 本編と余り関係のない空中換装(装備を交換しているわけではないので、正確にはナレーションの言う通り「空中ドッキング」)のシーンを流すための苦肉の策とも取れるが、見ている側がこのナレーションを聞くことで、スッとアムロに感情移入することが出来るのもまた確かである。『機動戦士ガンダム』において、冒頭ナレーションの果たしている役割は大きい。

                第19話 ランバ・ラル特攻!

 アムロは結構長い期間ホワイトベースを脱走していたように思っていたのだが、第17話の終わりに脱走して、第19話の終わりに独房入りになっているから、完全に脱走していたのは第18話のみ。足掛けでも3話、実質的には約2話分しか脱走していない。今回見直してみて、かなり意外だった点である。

 何かこれ、
「幼少の頃の“大冒険”が、実は単に“隣の町まで一人で行っただけ”だった」
という記憶と重なるものがあって、興味深い。
 もちろん、仮に2泊3日の脱走であってもアムロにとって“大脱走”であることに変わりはないし、ブライト達ホワイトベース側にとっても一大事であったことは間違いないのだが。

 今回、アムロのガンダムとランバ・ラルのグフとの戦いには決着が付く。しかし、それでホワイトベースとランバ・ラルの部隊の決着が付いたわけではない。グフはこの時点では1機しか登場しておらず、ランバ・ラルと彼の部隊を象徴する存在だったにも関わらず、それが喪われても戦いは終わらないのだ。何故なら、グフと言えども、部隊における単なる兵器の一つに過ぎないからである。

 これをホワイトベース側に適用すれば、1機しか存在せずホワイトベースの象徴する存在であるガンダムが撃破されても、戦いは終わらないということになる。リアルに考えればそうであるし、ガンダム無しでもどうにか戦い続けるホワイトベースの姿は、ごく自然に想像できる。
 当時、ガンダムの玩具を主力商品とする商業作品としての『機動戦士ガンダム』では、そういった展開にすることは不可能であった。その代わりに、ランバ・ラルの部隊において、同様の展開を作ったのではないかとも思える。
 少し斜に構えた見方ではあるが、後に富野監督が『戦闘メカ ザブングル』を手掛けた際、主役メカのザブングルが破壊され、主役メカとして全く別のメカが登場するという“パターン破り”の展開が作り出されている。本作『機動戦士ガンダム』でも、最終的にはガンダムは大破し、放棄されるが、アムロの戦いは継続される。

 戦争は、メカが起こしているものではなく、人間が起こしているものである。だから、グフが喪われようがガンダムが喪われようが、ランバ・ラルやアムロに戦う意思がある限り、戦いは続く。戦争とは、兵器と兵器の戦いではなく、人間同士の戦いなのだ。

 だから、アムロはグフを撃破した後も、ランバ・ラルに対して
「あの人に…勝ちたい」という欲求を抱き続けた。爆発寸前のグフから脱出する際にランバ・ラルが放った台詞、
「見事だな! しかし小僧、自分の力で勝ったのではないぞ。そのモビルスーツの性能のお陰だということを、忘れるな!」
に対し、その場で「負け惜しみを…」と言い返していたにも関わらず、である。

 これをアムロの精神的成長と取ることも出来るが、それは“危険な成長”と言うことも出来る。
 ただ「我が身を守る」・「仲間を守る」ためだったアムロの戦いが、いつの間にか「ガンダムで戦うこと=自分自身の存在意義」となり、更には「ランバ・ラルという特定の存在に勝つための戦い」へと変貌している。自分の意思に反して戦いに巻き込まれた筈のアムロが今、ある意味、自分から戦いを欲しているのだ。
 民間人であるアムロが、なし崩しに戦争に取り込まれていく姿は、やはりどこか狂気を感じさせる。

 今回のメカの描写で印象的なのは、大型トレーラーに搭載されていたグフとザクを起動させるシーンである。荷台の覆い布の固定フックを人手で外し、数人がかりで大きな覆い布を捲っていくことでグフやザクの巨体が露になっていく映像からは、戦場のリアルな雰囲気が漂ってくる。
 起動したグフが、
脚のスリットからガスをプシュッとテスト噴射(近くにいた兵士がそれを避ける)→モノアイを点灯→ヒートロッドを腕から少しだけ伸ばしてテスト
…という一連の動作を行い、乗り込んでいるランバ・ラルが
「調子は良い」と言う映像からは、兵器としてのモビルスーツの存在感が伝わってくる。

 母艦のカタパルトから勢い良く発進するだけが、モビルスーツの発進ではないのだ。むしろ、こういう地味な発進こそ、深い味わいがあると言える。
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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。