2017-10

『機動戦士ガンダム』第14話の感想 ~ ついでに『ガンダムOO』も ~

『機動戦士ガンダム』第14話の感想
 ~ ついでに『ガンダム00』も ~


 スポンサーから要請でもあったのか、11話から「悪のジオン、それを受けて立つ連邦」というニュアンスのナレーションが入るようになっている。
 11話では、番組冒頭ではないものの、
「月の向こう、地球から最も離れた宇宙空間に、数十の宇宙都市が浮かぶ。これこそ、地球を自らの独裁によって治めようとするザビ家の支配する宇宙都市国家・ジオンである」
というナレーションが使われた。

 12話からは、番組冒頭のナレーションでも、
「人類の全てを、自らの独裁の手に治めようとするザビ家のジオン公国は、月の向こうに浮かぶ巨大な宇宙都市国家である」
と語らせ、今回の14話では
「全ての人類を、自らの独裁の手に治めようとするザビ家のジオン公国は、月の向こうに浮かぶ宇宙都市国家である。ザビ家の総帥ギレン・ザビは、人類を己の前に跪かせるべく、地球連邦に戦いを挑んできた」
と、ギレンを名指しで悪玉呼ばわり。まるで、『マジンガーZ』におけるドクター・ヘル並みの扱いである。最初の頃の
「…宇宙都市サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦政府に独立戦争を挑んできた」
というナレーションと比べると、随分ニュアンスが変わってきている。

 とは言うものの、ナレーションにこういう変化があったことは、今回約30年振りに観直して新たに気付いたことである。30年前に中学生だった当時の私は、この件を全く意識していなかったのだ。
 逆に、当時の私が強く意識していたのは、
「ガルマ大佐はまだお若い…俺達みたいな者の気持ちは分からんよ」
と言った後、地球連邦の避難民親子に対して独自の判断で救援物資を投下するジオン偵察機の中年パイロットであったり、
「よぉ! 爆弾を外した奴って、どんなバカかな?」
と言った後、民間人を装ってわざわざアムロの顔を見に来た若いジオンの兵たちの姿である。
 そう、その後者こそが今回のエピソードの主役なのだ。

                第14話 時間よ、とまれ…

 旧態依然の勧善懲悪路線を語るようなナレーションとは裏腹に、ジオン軍の若い兵士たちのヒューマンドラマが展開される。
 ファーストガンダムには、見方を変えることにより数多くのベストエピソードが存在するが、“戦争ドラマとしてのベストエピソード”としては、私はこの回を選ぶ。ちなみに次点作は、前回の『再会、母よ…』および第8話『戦場は荒野』である。

 第8話『戦場は荒野』と今回の共通点は、物語の主な視点が脇役のものだということである。矛盾した表現になるが、どちらも脇役が主役の回なのだ。今回の主役は、ジオンの若き兵士達である。

 この回は、とにかく戦争ドラマとしてのリアリティに溢れている。
 30年振りに観直しても、その点は全く色褪せていない。
 短編の戦争映画を観たような、そんな気分にさせられるのだ。
 まず、作品の“空気感”が良い。

 男ばかりの地方基地に、男ばかりの慰問(レクリエーション)部隊がやって来て、ありきたりの芸を見せている。集まっていた兵達から、一斉に
「面白くねぇんだよ!」
という野次が飛び交う、そんな場面。

 朝早く、クワラン達が出撃していくときの、慌しくも統制の取れた様子。
 名も無き一兵士が空を見上げ、
「朝っぱらから、うるせぇなぁ~」
と、出撃していくクワラン達に対してボヤけば、傍にいた別の名も無き一兵士が
「クワランの野郎は、いつもアレよ!」
と、歯を磨きながら応じる、そんな場面。

 泥臭い戦場の雰囲気が伝わってくる。
 大きな戦争をしている大きな世界が存在しており、今はその小さな一部分を切り取って見ているのだ…。そんなリアルな感覚に痺れてしまう。

 時系列は前後するが、夜、電灯に虫がたかる基地の片隅で、若きジオン兵達が仲間内だけのささやかな作戦会議を開いている場面も雰囲気があって良い。
「…うまくいきゃあ本国に帰れるぞ。こんな虫のいない、清潔なジオンの本国へよ」
 彼らは、地球に派遣されたことを「僻地にとばされた」と受け止めており、ジオン本国すなわちスペースコロニーでの生活こそエリートの生き方であると考えている。
 これは、前回「地球に家があるだけでもエリートさ」と吐き捨てたカイの考え方とは正反対である。世代が近いにも関わらず、価値観が全く逆転している両陣営を、見事に点描している。

 また、ホワイトベースに対して補給と修理を行いに来たマチルダは、
「…現実に実戦に耐えているあなた方に、余分な兵を回せるほど、連邦軍は楽ではないのです」
「…ジオンも似たようなものです」
とブライトに語っている。
 その後で、ガンダムに爆弾を仕掛けることに成功し、高みの見物を決め込むクワランたちは、
「…リモコンがありゃあなぁ、今頃は“ドカーン!”よ」
「ホント、俺達パトロール隊にはロクな物ねぇんだもんな」
と語っている。

 ここでも、立場の異なる者が、同じ事象について結果的に語り合っている。
 これが、フィクションにおける論理的閉鎖性。
 つまり物語が、ちゃんと閉じた構造になっており、矛盾要素という綻びが無い。
 同時に、一つの事象が別の陣営から描かれることで立体的な構造を持ち、世界観が築かれる。
 単に設定書を延々と棒読みしているような平面的な描き方では、こうしたリアリティのある世界観を構築することは出来ないのだ。

 今回のエピソードを観るということは、ガンダムに爆弾を仕掛けるクワラン曹長たちの視点から、ガンダムを所有するホワイトベースのアムロたちを視るということである。
 そうすることにより、クワラン曹長たちがジオン側の小さな一部分であるのと同様、ガンダムを所有するホワイトベースのアムロたちもまた、連邦側の小さな一部分に過ぎないという事実が浮き彫りになる。
 結果的に、彼らを包み込む大きな世界が存在することが、自然に感じられる。
 小さな世界同士の重なり合いをキチンと描くことで、大きな世界が見えてくるのだ。

 前述した通り、本エピソードの若いジオン兵達や、第8話『戦場は荒野』で避難民親子に対して救援物資を投下するジオン偵察機の中年パイロットは、1話限りの脇役でありながら、中学生だった当時の私に強烈な印象を残している。
 彼らの共通点は、大人だということだ。
 彼らの有する大人の感覚、大人の感性、大人の考え方、大人の世界。
 それは即ち、男の感覚、男の感性、男の考え方、男の世界。

 それが、当時中学生だった私にとっては、たまらなくカッコ良かった。
 『機動戦士ガンダム』におけるカッコ良さは、単にメカのカッコ良さだけではではなく、「大人のカッコ良さ」であり、「男のカッコ良さ」でもあったのだ。
 だから、『機動戦士ガンダム』は当時の少年達の心を掴み、彼らの支持を得たのだ。
 
 クワランと、ザクのパイロットのギャルは同世代で、階級も同じ曹長。そのため、お互いに「ギャル」「クワラン」と呼び捨ての名前で呼び合っている。通信兵のソルは階級が下のようで、2人を「曹長」と呼ぶ。
 当時中学生であり、先輩後輩の格差が厳しい学生生活を過ごしていた私には、こんなところにも共感を感じた。
 『機動戦士ガンダム』は、中学生男子が観て本当に面白いと感じる作りになっていたのだと、今改めて実感する。

****************************************

 おまけ 『ガンダム00』 #18 イノベイターの影

 何だか人が死ぬ(死にそうになる)ことでしか盛り上がらないような感じになってきたなぁ。
 王留美も、「不要となったキャラは処分」みたいな感じで、ジ・エンド? ハッキリ言って、最初から不要なキャラだったとは思うが…。

 アンドレイ・スミルノフって、2期から登場したキャラでしょ? そういうキャラに親殺しとかルイスのこととか、大事な役割を負わせている時点でドラマとしては失敗していると思う。本当はグラハムがやるべきなのに、すっかり道化キャラだもんなぁ。

 アニューはイノベイターにリターンするからリターナーだったのかと、その点にだけ納得。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://sinden.blog6.fc2.com/tb.php/879-fa919bdf

«  | HOME |  »

MONTHLY

CATEGORIES

RECENT ENTRIES

RECENT COMMENTS

RECENT TRACKBACKS

APPENDIX

震電

震電

 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。