2017-08

『機動戦士ガンダム』第9話の感想 ~ ついでに『ガンダムOO』も ~

『機動戦士ガンダム』第9話の感想
 ~ ついでに『ガンダム00』も ~


 2009年を迎え、遂にガンダム30周年の年となった。ファーストガンダムリアルタイム世代として、感慨深いものがある。リアルタイム放送時、私は中学生。アムロと同世代であり、青春真っ只中だった。
 その青春真っ只中だった中学生も、今では白髪混じりの43才のオッサンと化した。そりゃ、富野監督もジイサンになってしまう筈である。

 30年という年月は、男性の人生の3分の1を凌駕し、4割に迫る長さである。私の人生に於いて、中学生という大事な時期に、『機動戦士ガンダム』という作品に出会えたことを、本当に嬉しく思う。当時のスタッフには、一ファンとして心から感謝している。

 昭和の仮面ライダーシリーズの記憶は、当時の自分が小学校低学年だったこともあり、今ではかなり曖昧なものとなっている。しかし、ファーストガンダムの記憶は、今尚かなり鮮明だ。中学三年生の時に再々放送(多分)を観て以来、約30年間全く観返していなかったというのに…。もっとも、本放送も再放送も見ているのだが。
 そうは言うものの、今回ほぼ30年振りに観直して「あ、そういえばそうだったな」と思い出す部分もある。当時は気付かなかった要素を、考えることもある。30年経った今、それが本当に楽しい。

                  第9話 翔べ!ガンダム

 今回も盛り沢山の内容で、濃密なドラマとなっている。
 まず、ホワイトベース艦内の廊下で、膝を抱えて一人座り込んでいる老人がチラッと映るのが良い。この僅かな描写があるだけで、
「あ、前話で避難民をある程度降ろしたけれど、ホワイトベースはまだまだ多くの避難民を抱えたまま戦場を飛んでいるんだ」
という現状が伝わってくる。

 こういう描写は今回だけではなく、ホワイトベースがサイド7を出てから毎回のようにずっと描かれ続けている。こういった、“ほんの少しではあるが継続的になされている描写”が重要なのだ。
 「1回描いときゃ分かるだろ」ではなく、視聴者の脳裏に染み込むまで繰り返し繰り返し描き続ける。そうすることで、視聴者は無意識に作品世界の空気を感じ取ることが出来るようになる。その多角的・立体的な積み重ねが作品の世界観となり、リアリティとなるのだ。

 アムロが慢性的な連戦疲れから厭戦気分になり、自室で幼児退行的なクセまで出して見せた後、ブリッジでリードとブライトが参謀本部の無常な対応にたまりかねて不満を爆発させている様子を見せるのも上手い。あの親方日の丸的なリードすら、
「現場を知らんのだッ、戦場をッ!」
と参謀本部をこき下ろす。
 普段は基本的に対立関係にあるリードとブライトも、参謀本部の仕打ちの前には、気持ちを同じくする仲間同士になっているのだ。

 ちなみに、参謀本部からの連絡を待ちわびていたブライトは、通信が入るや否や通信端末のあるセイラの席に駆け寄り、プリントアウトされた通信をセイラが確認する前にパッと持ち去ってしまう。このときセイラは黙ってはいるものの、ムッとした表情でブライト睨んでいる。こんなちょっとしたカットでも、ちゃんとセイラの性格が現れている。

 リードに至っては、ブリッジで艦長席に座ったまま、
「生き抜くだけなら簡単だよ、ブライト君……ホワイトベースを捨てりゃあいいんだ」
とまで言ってしまう。艦長席に座っている人間としての立場上、本来は決して言ってはならぬ台詞である。
 しかし、武器弾薬が底を尽き掛けて、次に大きな戦闘があったら持ちこたえられない状態にあるにも関わらず、参謀本部は「自力で戦線を突破して海へ脱出せよ」としか言ってこない。これでは、「自分や乗組員の命を守るため、艦を捨てるのもやむなし」と考えたくなる気持ちも分かる。命は一つしかないのだ。「組織から捨てられる前に、自分から組織を捨てる」ことが間違った選択であるとは言えないだろう。

 “大人”のリードすらこんな状態なのだから、“子供”であるアムロが出撃拒否状態になるのも無理はない。
 このアムロの“出撃拒否”は、当時リアルタイムで観ていた私たち中学生にとっては、学校に対する“登校拒否”あるいは部活に対する“出席拒否”に相当する。当時、大部分の中学生にとって、小学生までは学校は楽しいだけの存在だった。それが中学生になった途端、小学校とは比較にならない厳しい上下社会に放り込まれたことは、一種のカルチャーショックだった。
 特に、中1のときの部活動ではそれが厳しかった。今の中学1年生はどうだか知らないが、当時は4km走った直後に腹筋100回とか、普通に毎日やらされていた。いじめではなく、それが当たり前の練習だった。お陰で中1の夏休み頃には、男子は皆、腹筋が見事にボコボコに割れていたものである。

 当時も今も思うが、アムロは決して軟弱なキャラではない。アムロが、
「みんなはこれから厭になるのさ…僕は違う…何回も何回も乗せられたんだ…」
と言う通り、ホワイトベースのパイロットで、モビルスーツ同士の本格的な白兵戦や、地上部隊との接近戦を経験しているのはアムロだけである。民間人、それも僅か15才程度の少年が、ガンダムに乗り込んで敵陣に突入し、半ば発狂状態になって戦うという修羅場を、もう何度も潜り抜けてきたのだ。これでおかしくならない方がおかしい。

 しかも、アムロがどこか投げやりな調子で言っていた、
「連邦軍は、もっと新しい兵器を開発しているんだよ…それが完成するまでの間、敵の目を引き付けておく…囮なのさ、僕らは」
という説は、後になってみれば、それなりに正解だったことが分かる。この時期、ジャブローでは既にガンダムの量産型であるジムの開発がほぼ終了していた筈だからだ。戦争の大局を見れば、大量投入されたジムこそが、連邦軍を勝利に導いた“新兵器”である。

 ガンダムの開発者を父に持ち、サイド7でもメカマニアで有名だったアムロ。ガンダムの教育型コンピュータのデータ蓄積状態を知ったアムロは、試作機としてのガンダムの運用が最終段階に入っていたこと、即ち試作機としてのガンダムは既にほぼその役目を終えた状態にあったことを理解していたと考えられる。
 サイド7で行われていた(あるいは、それ以前に行われていた)ガンダムの性能試験や模擬戦のデータは、何らかの方法でジャブローに届けられていたのだ。そうでなければ、ホワイトベースがジャブローに着いた時点で、ジムが実戦配備されている筈がない。

 今回ホワイトベースに補給を行ったマチルダの部隊も、戦闘データのコピーを持ち帰っている。むしろ、データのコピーを取るついでに補給をしたと言うべきなのかも知れない。参謀本部はホワイトベースやガンダムといった“試作ハードウェア”そのものに対しては「既に役目を終えた」と考えており、実戦で得られたデータ即ち“ソフトウェア”を取得して量産機に生かすことに価値を見出しているように思える。

 また、ホワイトベースはジャブローを出る際に、正式に囮専門の部隊となるよう命令を受けることになる。今回のアムロの愚痴が、的中したとも言える。

 今回、リードはマチルダの部隊に引き取られる形でホワイトベースを去っていく。考えてみれば、リードはそもそも成り行き(トラブル)でホワイトベースの艦長席に座っていた人間なのだ。本来は、サラミスのカプセルでジャブローに直行していた筈なのだから。
 リードは、ホワイトベースの初代艦長としてのパオロとは面識すらないだろう。しかし、サイド7入港以前からホワイトベースに乗り込んでいるブライトにとっては、ホワイトベースはパオロ艦長から託された艦である。今回はこの点が、リードとブライトのホワイトベースに対する考え方の差、温度差となって、最後の最後、最も追い詰められた状況下で露見したというわけだ。この描写には、本当に説得力があると思う。

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 おまけ 『ガンダム00』 #14 歌が聞こえる

 今回から2クール目、即ちセカンドシーズンも後半に突入。オープニングは歌も映像も新しくなった。エンディングも新曲となったが、今回は劇中曲となり、専用映像は無し。
 オープニングの歌は、詞や曲は良いのだけれど、女性ボーカルが低調。日本には、もっと上手い若手女性ボーカル、例えば、ボンブラ(BON-BON BLANCO)のアンナ(ANNA)とか、ボンブラのアンナとか、ボンブラのアンナとか…がいるのに何故なんだ? ボンブラにガンダムの主題歌を歌わせて(演奏させて)くれぇぇえ!

 オープニングの映像、ロックオンの喫煙はマズイだろ。ガンダムは子供も観る番組なんだから。子供の中には、こういうことをすぐ真似する子もいるから。特に、ルールやマナーを守れない未成年のコスプレイヤーとかが。

 本編で、マリーの戦闘参加のことに触れていたが、セルゲイとの約束を考えたらマリーをトレミーに乗せていること自体がダメだと思う。
 刹那が、トレミーの安否すら未確認の状態で、アッサリとサーシェスの誘いに乗るのは不自然だし、リボンズの芝居がかった行為にも説得力がない。
 トランザムを起動させた状態のセラヴィーからセラフィムが完全分離したのもワケが分からん。GNドライブが分離したら、セラヴィーはまともに機能出来ないのでは?
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震電

震電

 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。