2017-10

怪獣映画ヲ「見立て」デ 語ルベカラズ

怪獣映画ヲ「見立て」デ 語ルベカラズ

2002年5月6日(月)頃に書いたもの

 舞台の演出として、細かい紙切れが舞台の上から降ってきたとき、観客は、あるときはそれを春に舞う桜の花びらに、あるときは冬空から舞い降る雪に見立てます。例えそれが、どちらも全く同じ細かい紙切れだったとしても。
 舞台の上に机が一つしかなくても、そこが都会ビルにある会社のオフィスの一角だと見立てることがあります。
「ビルの中のオフィスなら、机が一つしかないわけないだろう。それに、ビルの窓のセットがないのは変じゃないか」
などと、野暮なことは言いません。
 海岸に面した松林という舞台設定でも、本物の松の木を舞台セットに持ち込むことを観客は最初から求めていませんし、本物の海のように波打つ海のセットを舞台に組むことは、まずないでしょう。

 よっぽど酷ければ話は別ですが、セットとして一定の完成度に達していれば、チャチか、チャチでないか、リアルか、リアルでないか、そんなことは舞台では問題視されません。それどころか、セットが全く存在しない舞台もあります。
 また、日本の伝統芸能の中には黒子という補助役または操作者が存在することがありますが、観客は原則として黒子は「見えないものとして認識」します。これも見立ての一種と言えるでしょう。
 これと同様に、日本の怪獣映画、特撮作品に関しても

・ミニチュアのビルや山や乗り物が、ミニチュアであることが丸分りで、とても本物には見えない場合でも、「日本特撮とは、こういうものだ」という認識で、本物のビルや山や乗り物であると「見立て」る。

・着ぐるみの巨大怪獣や巨大ヒーローがほぼ等身大の着ぐるみであることが丸分りで、中に人間が入っているとしか見えない場合でも、「日本特撮とは、こういうものだ」という認識で、それが巨大な怪獣や巨大ヒーローであると「見立て」る。

・プールの中でゴジラの着ぐるみがバチャバチャやっているとしか見えない場合でも、「日本のゴジラとは、こういうものだ」という認識で、海で身長数十メートルのゴジラが動いていると「見立て」る。

 「怪獣映画は着ぐるみを使った日本独特の伝統芸能だ」といったコメント(冗談や揶揄ではない)が、TVニュースで流れたのを聞いたことがあります。
 しかし、日本特撮が海外のニュースで紹介されたとき、
「この一見お粗末な特撮は、この国の伝統芸能だ」
とコメントされたとしたら、特撮ファン以外の日本人は憤慨するかもしれません。第一、海外の特撮系の作品で特撮がチャチだったとしても「これは伝統芸能だから」といったフォローはまずしないでしょう。

 日本の怪獣映画、特撮作品が、本当に“見立て”の精神で観るものならば、操演のワイヤーは丸見えでも構わないはず。
 ビルをセットで組む必要はなく、全て書割りでも良いでしょう。
 セットを組んだとしても、そこがスタジオ内に組まれたセットであることがちゃんと分るような絵作りを、ちゃんとすべき。「見立て」という言葉を使うからには、舞台と同様の前提条件を満たしていなければなりません。

 ゴジラの尻尾から、熱線用のガスホースが伸びていて、ゴジラの尻尾がセットに引っかからないように黒子が尻尾の世話をしている…。怪獣映画や特撮作品が、そんな映像を堂々と映したものばかりになったら、私は
「日本の怪獣映画、特撮作品は、“見立て”の精神で観るものだ」
と言うでしょう。

 そうでないのなら、怪獣映画を「見立て」で語るべからず。
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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。