2017-08

特撮作品における様式美

特撮作品における様式美

2002年6月1日(土)頃に書いたもの


 特撮作品には、一種の様式美があると思う。これは特撮作品を見立ての精神で見るということとは別次元の話である(特撮作品に限らず、西部劇には西部劇の様式美といったように、あるジャンルの作品群には共通の様式美があるのかも知れない)。
 主なものを改めて列挙し、その美しさの背景を考えてみよう。


(1)変身の掛け声、ポーズ、変身直後の出現の仕方

 ウルトラマンの変身アイテムは、簡単に持ち運べる小型かつシンプルなものであり、変身する人間の肉体から切り離された単なる道具である。そういったアイテムの作動動作を複雑にすることは、絵的に不自然である(ウルトラマン自身はメカニックなヒーローでないことも関係している)ため、ウルトラマンの変身ポーズはシンプルで個性に乏しい。
 その代わり、変身には巨大化というイベントが伴う。あの「巨大化の経過を表現した」ような映像の後、巨大ヒーロー・ウルトラマンが出現するという一連の流れは、それ自体が一つの場面展開であり、物語を全く別のステージへとシフトチェンジさせる一種の装置として作用している。

 仮面ライダーの変身ポーズは、ウルトラマンに比べると(元祖の1号を除く)複雑で個性豊かである。それを可能にしている理由は、仮面ライダーの変身アイテムである変身ベルトが、原則として変身する人間と密接に繋がっている(ように感じられる)からだと思う。ライダーの変身は、ウルトラマンのように変身がアイテム単体に依存しているのではなく、変身ベルトと一体になった本人の肉体そのものに依存している。このため、仮面ライダーの変身は、キャラクターの個性を反映させることが不自然ではなくなる。
 仮面ライダーの変身は、個人が己の肉体を等身大で変貌させるための“儀式”なのだ。そこに様式美が見出せるのは当然と言えよう。
 ちなみに、ライダーの中でも肉体とは切り離されたアイテムに対する依存度の高い変身をする、Xや『仮面ライダー龍騎』に登場するライダーの変身ポーズは、ある意味、没個性的である。


(2)変身後の名乗り、ポージング

 これは、戦隊ヒーローやメタルヒーローの様式美としてお馴染み。古来の日本人精神として「正々堂々と名を名乗ること」は美徳とされている。正体を隠した仮面ヒーローが敵との戦いの前に自ら名乗ることは、日本のヒーローに必要とされる美学なのかもしれない。
 集団ヒーローの場合は、相手(敵)から一人一人「お前は○○!」と名前を呼んで(紹介して)もらうのも不自然なので、自分から名乗ることが必要ということもあるだろう。
 また、「変身後、敵を見下ろす高い位置に姿を現す」というパターンはその不自然さのためか最近では見られなくなったが、構図的にも、独特の美しさがあったことを付け加えたい。


(3)技の名前を叫ぶ、ポージングによって技を出す

 技の名前を叫ぶのは、現時点で明確に行われているのは戦隊シリーズのみ。ただし、『仮面ライダー龍騎』のライダーが技を使うごとにアドベントカードをセットして「○○ベント」という音声ガイダンス?がなされるのは、この感覚に近いものがある。
 一般的に、技の名前を叫ぶのは、変身後も普通に言葉を喋るヒーローである等身大ヒーローに多い。逆に、変身後は原則として言葉を喋らないウルトラマン系の巨大ヒーローは、技を出すときも技の名前を叫ばない。
 ポージングによって技を出すことは光線技とほぼ同義であり、光線技を切り札(セールスポイント)にしている巨大ヒーローに多い。


 総合的に見て、特撮ヒーローの様式美は、その“決めポーズ” に集約されているように思う。
 ウルトラマンに代表される巨大ヒーローは、光線技の発射ポーズ。
 仮面ライダーに代表される単体ヒーローは、変身ポーズ。
 スーパー戦隊に代表される集団ヒーローは、変身後の名乗りポーズ。

 TVCMなどで特撮ヒーローの様式美が使われたり、有名タレントが特撮ヒーロー決めポーズを披露することがある。そういった映像を目にするとが、ちょっと嬉しい今日この頃である。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://sinden.blog6.fc2.com/tb.php/77-fcfa1a8c

«  | HOME |  »

MONTHLY

CATEGORIES

RECENT ENTRIES

RECENT COMMENTS

RECENT TRACKBACKS

APPENDIX

震電

震電

 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。