2017-08

『インクレディブル ハルク』

『インクレディブル ハルク』
  2008年の映画館で観た映画:18本目
  映画を観た日:2008年8月3日(日)


 う~ん、可も無し不可も無し。ヒーロー作品は好きだが、アメコミファンではない私には「まぁ、そつなく作ってあるんじゃないの?」という曖昧模糊とした感想が最初に沸いてきてしまう。

 次に思い浮かぶことは…最終章に登場するヘリコプターがCGで描かれていることがバレバレだよなぁ…とか。
 その代わり、ハルクの肌の上を雨水が流れ落ちていく描写はもの凄く自然(リアル)で、これは実写なのではないか?と驚いたり。
 「心拍数が一定値を越えると変身が発動する」という設定は、日本の漫画『重機甲兵ゼノン』にもあったなぁ(ただし『ゼノン』では、心拍数上昇は変身の必要条件ではあるが十分条件ではない)と思ったり。
 ちなみに、変身することで肉体が膨張し、衣服を喪失するという点でも『ハルク』と『ゼノン』は共通している。このパターンの元祖は『ハルク』なのかなぁ? 『ポパイ』もホウレン草を食べることで肉体が膨張していたけど…

 そう言えば、一番強く感じたことは、マッチョに対する価値観の違いだったのかも知れない。
 つまり、日本人には単純な“マッチョ信仰”が存在しないということだ。
 牛若丸と弁慶の例のように、日本人には力よりも技を尊ぶ国民性がある。力士の巨体も、単純なマッチョではなく、力の象徴であると同時に豊穣を体現するものであったり、“異形なる者”として日常と神の橋渡しをする一種の遣え人であったりする。日本を代表するマッチョキャラであるケンシロウやキン肉マンも、拳法やプロレス技といった技術が強さの本質となっているのだ。

 だから私は、単純なマッチョがカッコイイとは思えない。
 つまり、ハルクがカッコイイとは思えないのだ。
 同じ肉体変身系でも、『仮面ライダー』の方が断然カッコイイ。
「極端なマッチョ(いわゆる筋肉オバケ)で、奇形的なシルエットを持つ緑色の巨漢」であるハルクよりも、
「スマートな人間のシルエットを維持した、獣人マダラトカゲ男」であるアマゾンの方が、
断然カッコイイ!のだ。

 また、怪獣的な見方をすると、ハルクは余りにも小さ過ぎる。クライマックスのバトルシーンが開けた市街地だったのは、失敗だと思う。
 怪獣映画ならば、狭い舞台からスタートし、だんだん舞台が大きくなり、クライマックスは大都市の大破壊となり、爆発は芸術だーッとなる。巨大な怪獣には、最終的には巨大な都市を与えるべきなのだ。
 しかし、ハルクのような所詮等身大のモンスターには、都市というバトルステージは相応しくない。彼にとって、そこは広過ぎて、迫力が拡散・希釈されてしまうのだ。パワーに特化したキャラクター同士が都市で戦うためには、少なくとも人間の10倍の大きさが必要だろう。仮面ライダーと怪人のバトルのように、「技」の攻防でも魅せることが出来るなら、また話は別だが。

 ハルクのクライマックスバトルステージは、巨大ではあっても閉鎖空間であるべきだ。巨大なビルの中を、壁をブチ破りながら縦横無尽というパターンでも良いし、ドーム球場の内部で“超人プロレス”を繰り広げるのも良い。あるいは、空が見えないほど鬱蒼としたジャングルや、広い洞窟(地中ドーム)の中でも良い。

 「変身の制御」という項目が、物語を徹す細い縦糸として最後まで繋がっていたことは、評価に値する。ラストカットによって、映画が引き締まった感じがした。
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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。