2017-10

コンサート、ライブにおけるマナーに関して(その6)

コンサート、ライブにおけるマナーに関して(その6)


     “ハイ”になるスイッチを入れる手段としてのコンサート

 今度はもう一度、(比較2)について触れてみよう。
 
(比較2)自分が客席で身体を動かすことと、ステージ上のアーティストの姿を見ることの、どちらが重要なのか

  (A2)ステージ上のアーティストの姿を見ることの方が重要
  (B2)自分が客席で身体を動かすことの方が重要
  (C2)そのどちらでもなく、自分がアーティストからレスをもらう
      ことの方が重要


 さて、コンサート中、観客が客席でジャンプすることがある。
 ジャンプを行う観客は、(B2)であると言えるのだろうか。
 それは、その観客の状態で決まる。

 夢中になってピョンピョン飛び跳ねている観客は、(B2)。
 もう少し詳しく言うと、我を忘れるほど興奮し、連続してジャンプして、それで我に返らない観客は(B2)。
 こういう観客は
「ステージ上のアーティストの姿を見ている楽しみ」
よりも、
「自分が飛び跳ねていることの楽しみ」
が上回っている状態にある。自分では意識していない場合も多いだろうが、この状態では既に
「ステージ上のアーティストの存在」
は重要ではなく、
「自分がジャンプしていることの快感」
を貪っているにすぎない。言うなれば“ジャンピング・ハイ”の状態である。

 コンサート中、我を忘れて興奮するという経験は、多くの人が有しているだろう。しかし、その興奮には2種類あるのだ。即ち、

(興奮1)…「アーティストを観ている快感による興奮」
(興奮2)…「(興奮1)で“スイッチ”が入った結果、別の興奮状態に推移し、それが(興奮1)に取って代わる」

である。
 (B2)である観客のジャンプ行為の場合、最初は「アーティストを観ていることによる興奮」によってジャンプを始めるが、興奮が一定のレベルを超えて「スイッチが入った」状態(ジャンピング・ハイ)になると、もう「ジャンプしていること自体が快感」となり、「アーティストが見えているかどうか」は問題ではなくなるのだ。

 つまり、一度このスイッチが入ると、アーティストの存在は重要ではなくなるので、その観客はアーティストを無視した行動を取るようになる。しかし、この状態は「アーティストを観ていることによる興奮」から導入されているので、自分ではアーティストを無視した行動を取っているという自覚が出にくい。

 そして問題となるのは、この「スイッチ」の入り易さである。
 多くの場合、この「スイッチ」は、だんだん入り易くなると思われる。
 コンサートの(あるいは楽曲の)早い段階でこの「スイッチ」が入るようになればなるほど、アーティストの存在する必要性が低くなる。つまり、アーティストを無視した行動が、徐々にエスカレートしていく。

 こうして、「アーティストのパフォーマンスを鑑賞する」ためではなく、「自分が騒ぐ」ためにコンサート会場に来る客が発生する。
 ちなみに、こうした客はボクシングの会場にも存在する。ボクサーのタイプ、戦術、技術的あるいは精神的な攻防、試合内容の優劣といったものを全て無視し、ただ人間が殴り合っている様子を見て騒ぎただけの輩が。

 では、(A2)タイプの客が、我を忘れて興奮すると、どうなるのか?
 いわゆる「縦ノリ」とか「縦揺れ」と呼ばれる状態となるのだ。
 つまり、身体を小刻みに上下させるが、ジャンプには至らない動きである。
 私の経験では、 → こんな状態 だった。
 決して、ピョンピョン跳ね続けたりはしない。そんなことをしたら、視界が大きく上下に揺れて、ステージ上のアーティストの姿が観辛くなってしまうからだ。(ボンブラのライブでPV撮影があった際、演出に協力する意味で連続ジャンプをした経験があるので分かる)

                                   《 続く 》
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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。