2017-10

コンサート、ライブにおけるマナーに関して(その5)

コンサート、ライブにおけるマナーに関して(その5)


         何を楽しみにコンサート会場に来ているのか

 ここでもう一度、“常に声を出し続けるPPPH”を例にしてみよう。
 (A)タイプは、楽曲をきいたとき、先ず歌詞やメロディの良し悪しを考えたり感じたりして楽しむ。そして、何度か聴いているうちに「この曲はコンサート向きの曲(コンサートで盛り上り易い曲)だな」と思ったりする。

 しかし、(B)タイプはそうではない。楽曲を聴いたとき、先ず最初に
「ここからここまで、PPPHを入れることが出来る」
「ここに○○というコールを入れることが出来る」
ということを想像し、それを楽しみとするのだ。

 逆に言えば、PPPHやコールを入れることが出来ない楽曲は、基本的には楽しめないということになる。楽曲の価値は、
「どれだけ気持ちよくPPPHを入れられるか否か」
「どれだけ気持ちよくコールを入れられるタイミング(構造)が有るか否か」
にかかってくるのだ。
 この時点で既に、本人には自覚はなくても、楽曲を「PPPHやコールを入れるための素材」と見做しているのである。

 だから(B)タイプは、コンサートに行っても「楽曲を聴くこと自体が楽しい」のではなく、「歌にPPPHを入れたりコールを入れたりする、自分の行為自体が楽しい」のだ。
 これが進行すると、コンサート全体が「自分が騒ぐための手段」となる。
 このように、「騒ぐことを楽しみにしてコンサート会場に来ている」のが(B)タイプである。
 だから、騒ぐことが禁止されたら、(B)タイプはコンサート会場には来なくなるだろう。

 「レスを貰うことを楽しみににしてコンサート会場に来ている」のが(C)タイプである。
 「レスを貰うことは禁止」ということは有り得ない。何故なら、「レスを貰うこと」は、基本的には個人の内部で自己完結する認識行為であるからだ。
 よって、騒ぐことが禁止されても、そこにアイドルが存在して「レスが貰える」限り、(C)タイプにとってコンサート会場に行く価値は不動である。

 (A)タイプは、「騒ぐことでもなく、レスを貰うことでもなく、アーティストのパフォーマンスを鑑賞すること自体を楽しみにしてコンサート会場に来ている」。だから、騒ぐことが禁止されても、コンサート会場に来る。クラシックコンサートでは、最初からそれが当然である。

 このように、「何を重要視しているのか」という理性は、「何を楽しみにしているのか」という欲望の投影でもある。
 最終的にマナーの問題というのは、観客が「何を楽しみにコンサート会場に来ているのか」という根源的欲求の違いに行き着く。(A)、(B)、(C)タイプの観客のいずれも、マナーとはこの自分の欲求を満たすためのガイドラインであると考えるのである。

 欲求の立脚点の異なる者同士が、それに基づくガイドラインを共有することは難しい。
 更に突き詰めると、自分の欲求の立脚点が何処なのかを正確に自覚していない者は、ガイドラインという概念、即ちマナー意識を持つことすら困難である。何故なら、「自覚、即ち自分を意識できないものが、他人の意識を認識できるわけがない」からである。

                                   《 続く 》
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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。