さよならメロン、よろしくBoA
さよならメロン、よろしくBoA
〜 ハロプロのコンサートは、もう要らないかも 〜
先日、BoAのコンサートに行ったことで、メロン(メロン記念日)のファンを止める決心をした。村っち個人のファンは続けるので、写真を買うことはあるかも知れないが、もうメロンのCDやアルバムを買うことはしない。
何故なら今後、BoAのCDやアルバムを買うことにしたからだ。
今私が新たに何かを始めるためには、今私がしていることを何か止めなければならない。
だから、メロンを止める。
最近、メロンの推し度は下がっていた。
それは、メロンのコンサート(ライブ)に行く気が失せてきたということ。
何故なら、メロンのコンサート(ライブ)は、歌をちゃんと聴く環境ではないからだ。
とにかく客がうるさ過ぎる。歌手の歌声が、客の怒号に掻き消されて、ちゃんと聴こえない。
そしてメロンのメンバーも、そんな現状をよしとしている(としか思えない)。
選択肢は、メロンしかないのか?
いや、他にもBoAという選択肢がある。
試しにBoAのコンサートに行ってみたら、ちゃんと歌を聴けるコンサートだった。
音楽性という点に関して、特にメロンだBoAだという拘りは持っていない。一定以上の実力を有する女性歌手の生歌を聴いてみたい、そんな気持ちがあるだけだ。
だから今、BoAを選択する。
今年は、しょこたん(中川翔子)のコンサートに、4回足を運んでいる。
しょこたんのコンサートに関しては、今後不透明な部分もあるけれど、少なくとも現状ではメロンのコンサートよりも遥かに「歌を聴ける環境」がある。
もし、現状の環境を維持(あるいは改善)した状態で、年にしょこたんのコンサートを4回、BoAのコンサートを4回鑑賞することが出来たのなら、メロンに限らず「ハロプロ系のコンサートは要らないな」と思える。
勿論これは、ハロプロ系のコンサートの環境が、現状のままで改善されないという前提での話だ。
ただ、現状より良くはならない気がする。
ハロプロの現場で、幼稚芸(ヲタが行う幼稚園児レベルの行為)は下火になっているらしいが、サイリウムを何本も束ねて扇子状にして持つ(孔雀持ち)客の数は減っていないと思う。声を出すPPPHに関しても同様である。
最近は、客が単純に「オイ! オイ!(ヲイ! ヲイ!)」と連呼することすら「うるさい」と感じるようになったし、歌手がそれを促すことも「鬱陶しい」と感じるようになってきた。特に、歌手の歌声に「オイ!(ヲイ!)」を被せることに関しては、強い抵抗を覚える。
アップテンポな曲だったら、何でもかんでも「オイ!(ヲイ!)」と叫んでいればそれで良いのか?
アップテンポな曲でも、歌詞をじっくり聴きたい場合があるのではないか?
バラードには、原則として手拍子は必要ないと思う。
タンポポの『ラストキッス』をバラードと呼ぶべきかどうかは分からないが、明らかに失恋の歌であるこの楽曲がステージで歌われたとき、大勢の客が手拍子をしていたことが不思議でしょうがなかった。
楽曲には、その内容(テーマ)に合わせた、聴き方・楽しみ方がある筈だ。思考停止して、条件反射的に体を動かしているようでは、本当の意味で楽曲を楽しんでいるとは言えないのではないか。
歌は「考えるものではなく、感じるもの」であるとしても、結果的には同様である。歌の持つ「哀しさ」を感じることが出来ず、ただ何となく手拍子をしている人は、「何も考えていない」だけではなく「何も感じていない」のだ。
アップテンポな曲でも、「オイ!(ヲイ!)」とか叫ばずに、普通に手拍子して聴いていたい。
歌手の歌声に、観客がずっと声を被せ続けるPPPHなんかしたくない。
周囲の客も、そうあって欲しい。
そんな現場が、BoAのコンサートで実現していた。
もう、「観辛い、聴き辛い」現場に行く必要はない。
より良い環境の現場を見つけることが出来て、ちょっとホッとしている今日この頃である。
〜 ハロプロのコンサートは、もう要らないかも 〜
先日、BoAのコンサートに行ったことで、メロン(メロン記念日)のファンを止める決心をした。村っち個人のファンは続けるので、写真を買うことはあるかも知れないが、もうメロンのCDやアルバムを買うことはしない。
何故なら今後、BoAのCDやアルバムを買うことにしたからだ。
今私が新たに何かを始めるためには、今私がしていることを何か止めなければならない。
だから、メロンを止める。
最近、メロンの推し度は下がっていた。
それは、メロンのコンサート(ライブ)に行く気が失せてきたということ。
何故なら、メロンのコンサート(ライブ)は、歌をちゃんと聴く環境ではないからだ。
とにかく客がうるさ過ぎる。歌手の歌声が、客の怒号に掻き消されて、ちゃんと聴こえない。
そしてメロンのメンバーも、そんな現状をよしとしている(としか思えない)。
選択肢は、メロンしかないのか?
いや、他にもBoAという選択肢がある。
試しにBoAのコンサートに行ってみたら、ちゃんと歌を聴けるコンサートだった。
音楽性という点に関して、特にメロンだBoAだという拘りは持っていない。一定以上の実力を有する女性歌手の生歌を聴いてみたい、そんな気持ちがあるだけだ。
だから今、BoAを選択する。
今年は、しょこたん(中川翔子)のコンサートに、4回足を運んでいる。
しょこたんのコンサートに関しては、今後不透明な部分もあるけれど、少なくとも現状ではメロンのコンサートよりも遥かに「歌を聴ける環境」がある。
もし、現状の環境を維持(あるいは改善)した状態で、年にしょこたんのコンサートを4回、BoAのコンサートを4回鑑賞することが出来たのなら、メロンに限らず「ハロプロ系のコンサートは要らないな」と思える。
勿論これは、ハロプロ系のコンサートの環境が、現状のままで改善されないという前提での話だ。
ただ、現状より良くはならない気がする。
ハロプロの現場で、幼稚芸(ヲタが行う幼稚園児レベルの行為)は下火になっているらしいが、サイリウムを何本も束ねて扇子状にして持つ(孔雀持ち)客の数は減っていないと思う。声を出すPPPHに関しても同様である。
最近は、客が単純に「オイ! オイ!(ヲイ! ヲイ!)」と連呼することすら「うるさい」と感じるようになったし、歌手がそれを促すことも「鬱陶しい」と感じるようになってきた。特に、歌手の歌声に「オイ!(ヲイ!)」を被せることに関しては、強い抵抗を覚える。
アップテンポな曲だったら、何でもかんでも「オイ!(ヲイ!)」と叫んでいればそれで良いのか?
アップテンポな曲でも、歌詞をじっくり聴きたい場合があるのではないか?
バラードには、原則として手拍子は必要ないと思う。
タンポポの『ラストキッス』をバラードと呼ぶべきかどうかは分からないが、明らかに失恋の歌であるこの楽曲がステージで歌われたとき、大勢の客が手拍子をしていたことが不思議でしょうがなかった。
楽曲には、その内容(テーマ)に合わせた、聴き方・楽しみ方がある筈だ。思考停止して、条件反射的に体を動かしているようでは、本当の意味で楽曲を楽しんでいるとは言えないのではないか。
歌は「考えるものではなく、感じるもの」であるとしても、結果的には同様である。歌の持つ「哀しさ」を感じることが出来ず、ただ何となく手拍子をしている人は、「何も考えていない」だけではなく「何も感じていない」のだ。
アップテンポな曲でも、「オイ!(ヲイ!)」とか叫ばずに、普通に手拍子して聴いていたい。
歌手の歌声に、観客がずっと声を被せ続けるPPPHなんかしたくない。
周囲の客も、そうあって欲しい。
そんな現場が、BoAのコンサートで実現していた。
もう、「観辛い、聴き辛い」現場に行く必要はない。
より良い環境の現場を見つけることが出来て、ちょっとホッとしている今日この頃である。
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