2017-10

醜いファン

醜いファン


 醜いファンを間近で見て、嫌悪した。
 「醜い」のは容姿ではなく、その行動。
 石丸電気SOFT2で催された、3月22日のボンブラのフリーライブでの経験である。
 その「醜いファン」は、通りすがりの一見客ではなく、ボンブラのファンのようだった。別に「ボンブラのファンに悪い人はいない」などと思っていたわけではないが、やはり目の前で醜い行動を見せ付けられると嫌悪せざるを得ない。

 ボンブラは、私にとって全ての歌手の中で1推し(イチオシ)の存在である。
 だから、ボンブラ関連で嫌な気分になる記事は書きたくない。
 3月22日のボンブラのフリーライブの記事を書かなかったのは、そのためだ。
 しかし、嫌な記憶は消そうとしても、そう簡単に消せるものではない。しょこたんのコンサートも迫ってきているし、こんな嫌な記憶は消せないまでも、“記憶のゴミ箱”へ捨ててしまいたい。そういう意味合いで、あの日目の当たりにした「醜いファン」について書くことにする。


 整理券を2枚入手している「醜いファン」

 整理券を1人で2枚入手している醜いファンを間近で見た。詳しい状況は覚えていない。記憶に残っているのは
「あっ、こいつ整理券を2枚手に入れてやがる、汚ねぇヤツだ!」
という、発見瞬間の思い。

 汚ねぇヤツ。醜いファン。
 以前も書いたが、こういう人は、金持ち(ボンブラのファン)がアルバイト200人雇って整理券の列に並ばせ、1人で整理券を独占し、余った199枚の整理券をゴミ箱に捨てても
「熱心なボンブラファンだ!」
と賞賛するのだろうか。
 私は、そういう人をまとめて「醜いファン」として嫌悪する。

 前回のイベント(『女祭』DVD購入者限定ライブ)では、DVDが売切れてしまったため入場出来ずに悲しい思いをしたファンがいたそうではないか。今回、万が一にでもそういう事態を再発させないために、「整理券は1人1枚」と考えるのが真のボンブラファンであろう。事情があって、配布時間終了間際に駆け付けるファンだっているかも知れないのだ。


 最前列で“場所取り”をした「醜いファン」

 この日、私は初めて1桁の整理番号を引き当て(当然ながら1度しか引いていない)、最前列に辿り着いた。
 その時、既に最前列では、1人の背の低い女性が俗に言う“場所取り”をしていた。それを見た瞬間は、私より先に最前列に来た(つまり、入場時に私より前に並んでいた)客が正当に席を確保した後、ダッシュでトイレにでも行っている可能性を否定できなかったが、しばらくするとそうではないことが明らかになった。

 “場所取り”をした背の低い女性。
 本来なら座れないその場所に座った、もう1人の背の低い女性。
 2人とも、背が低かったということ以外、外見は覚えていない。それでも今確実に言えることは、 「どんなに着飾ろうが、卑怯者は醜い」ということだ。
 
 私はこのブログで「背の低い女性客を優先する」ことを提唱し、ボンブラのFCにもその件でメールを出している。しかし、
「背の低い女性客を優先する」ということと、
「背の低い女性客ならば不正行為をしてもよい」ということは根本的に違う。
 法治国家において、
「低所得者を税制面で優遇する」ということはあっても、
「低所得者ならば窃盗をしてもよい」ということには絶対にならない。これと同じだ。

 あるいは…
「くじ引きで残念賞を引いた子供が、1等賞を引いた他の子供に頼んで、1等の景品をこっそり2個持ってきてもらう」
 そんなことが許されるのか?
「そういうことは禁止だとは、どこにも書いてなかった」
のなら、それは不正行為ではないと言うのか?

 最前列に行きたいのは誰だって同じである。しかし、最前列の数は限られている。
 だから、皆が平等に最前列の機会を得られるよう、くじ引きという平等な方法で整理券を配布しているのではないか。
 こんなことは、小学生でも理解できるはずだ。

「明確に禁止されていないことならば、例え迷惑行為であろうがやっても構わない」
「不正行為で他人に迷惑をかけようとも、自分さえ楽しければそれでよい」
 そう考えているのか、それとも自分がそうしていることにさえ気付いていないのか?
 いずれにせよ、そういう人は本当に醜悪である。

 人間も所詮動物である以上、本能部分は利己的に出来ている。
 その利己的な部分を、心によって如何に制御出来るかが、人間の人間たる所以である。
 本能を制御するのは、心であり、優しさだ。
 法律は、元々は人の心の優しさと厳しさを明文化したものだと思う。そしてそれは飽く迄も、“人間としてのルール”という氷山の一角に過ぎない。明文化されたルールの下には
「明確に禁止されていないことであっても、他人に迷惑をかける行為はやってはならない」
という“人としての優しさ”に基づく、何十倍何百倍もの不文律が存在しているのだ。

「明確に禁止されていないことであっても、他人に迷惑をかける行為はやってはならない」
のであって、
「明確に禁止されていないことならば、他人に迷惑をかけても構わない」
のではない。
 当たり前のことだが、これが人としての絶対の基本である。

 例えば、仮に現在の法律では、ストーカー行為やセクハラが明確に禁止されていないとする。
「ストーカー行為は止めて」と抗議しても「ストーカーが嫌なら外出するな!」
「セクハラは止めて」と抗議しても「セクハラが嫌なら会社を辞めろ!」
 こんな言い分も、
「明確に禁止されていないことならば、他人に迷惑をかけても構わない」
という考え方を是とすれば、成り立ってしまう。醜いとは思わないか?

 法律は人が作りしものであり、神様から与えられた完璧な道具ではない。
 「明確に禁止されていないことならば、他人に迷惑をかけても構わない」と言って憚らないような人が、もし法律を作る側に立ったらと考えると、背筋が寒くなる。巧妙かつ意図的に作られた“抜け穴”を持つ法律は、人を守るためではなく、人を傷つけるために使われることになるだろう。


 この記事を書いている最中に、思い出した言葉がある。
「許そう、しかし忘れまい」
 大切な人を殺されても尚、こういう決意を刻める人々が現実にいた。そういう人々からすれば、あの日私が感じた嫌悪感などは、ミクロン単位の切り傷に過ぎない。
 その上で敢えて言おう、「許そう、しかし忘れまい」と。
 何故なら、このミクロン単位の切り傷の先には、遥か先ではあるが、やはり人を死に至らしめる大きな斬り傷が存在するように思えるからだ。

 自分が「醜いファン」にならないためには、「3月22日のボンブラのフリーライブで見た醜いファン」のことを許しはしても、忘れてはならない。
 私は今、ゴミ箱に捨てようとして丸めかけた1枚の記憶を、平らに伸ばして記憶のフォルダにしまい込んだ。いつでも、あの醜いファンの姿と、今の自分の姿と比較することが出来るように…
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コメント

あなたがおっしゃっていることは全く正しいと思います。正しすぎるぐらいに。多分、潔癖症なんですね。そんな風に感じました。(このコメントはあなたへの批判コメントではありません。誤解の無きよう。)

潔癖症ではありませんが

 みんみんさん、コメントありがとうございます。
 潔癖症と言われたことは初めてです。この頃、近所の本屋へ行くたびに
「最近の若いモンは…」
と思ったりはしますけど。

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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。