2017-10

『ガンダム00』 1クールが過ぎたけれど

『ガンダム00』 1クールが過ぎたけれど


 『ガンダム00』の放送枠には、予めHDRの“毎週上書き録画設定”をしておいた。そして、『ガンダム00』の登場人物が腐女子仕様であることはもちろん、その他作品内容に関して何も知らない状態で第1話を観た(ネタばれ嫌いだから)。
 そしてその感想を、 【『ガンダム00』 第1話を観たけれど】 という記事にした。

 ガッカリした部分は大きかったが、ほぼ時を同じくして観た『URUTLASEVEN X』第1話の方が更に失望させられる出来だった。それと比べれば、まだ『ガンダム00』の方が “アニメ版サンダーバード”を思わせるメカニック描写などの評価できる部分があった(ソレスタの設定も“武力介入組織としての国際救助隊”を思わせた)ので、『ガンダム00』は観続けていた。(ちなみに、『URUTLASEVEN X』は途中で観るのを止めた)

 『ガンダム00』を観続けてきたもう一つの理由は、『ガンダム00』の正式タイトルが『機動戦記ガンダム00』等ではなく『機動戦士ガンダム00』であるからだ。このことが『ガンダム00』の『00(ダブルオー)』を、ファーストガンダムの世界を貫く宇宙世紀の頭二桁として連想させていた。(これが『機動戦士』でなかったら、『00(ダブルオー)』から連想するのはむしろ石ノ森漫画版『キカイダー』に登場する“三人目のキカイダー”である)

 先週の放送で、『ガンダム00』の世界が、ファーストガンダムの世界と直接繋がっているか、パラレルワールドである可能性が示された。あるいはそうではなく、単に「人類は既に木星(付近の宇宙領域)で活動している(していた)」という部分において、宇宙世紀ガンダム作品と共通した世界設定を持たせているというだけなのかも知れないが。
 私にとっては、後者の方が良い。
 『ガンダム00』の世界が、ファーストガンダムの世界から数百年経過した後の世界(そういった過去の歴史が失われた世界)であり、GN粒子や太陽炉はミノフスキー物理学を応用発展させたものであるとか、ソレスタのガンダムはRXシリーズのガンダムのデータを元に造られているといった話などは、ご免被る。第一、そういう類の設定なら『∀ガンダム』で既にやっているだろう。

 『ガンダム00』を観続けてきた最後の理由は、主題歌の出来が良いことである。
 『ガンダム00』の本編よりも、はるかに出来が良い。
 1クール目は「ラルクがガンダムの主題歌を!」というインパクト込みという側面もあったが、2クール目は純粋に楽曲が気に入って(特にあの気だるいサビが良い!)CDを速攻で予約注文してしまった。それに引き替え、『ガンダム00』の本編のDVDは、例え主題歌CDの半額の値段であっても買う気がしない。

 『ガンダム00』の本編を一言で表現すれば、“薄っぺらい”。
 幾つかの言葉で表せば、“浅い”、“嘘っぽい”、“安っぽい”、“真似っぽい”。

 数ばかりが多く、薄っぺらで嘘っぽい登場人物たち。
 数ばかり多くて、1機当たりの魅力が乏しいインフレ化したガンダムたち。
 数ばかり多くて、描き込みが浅く、世界観の広がりが見えてこないエピソードの群れ。
 そして明らかに『エヴァンゲリオン』を連想させる、安っぽい類似。

 人物に厚みがなく、ドラマに厚みがなく、世界に厚みがなく、作品全体にリアリティがない。
 そこで描かれている世界の存在感が、キャラクターの生命感が、ほとんど伝わって来ない。
 『ガンダム00』の本編から感じられるのは、1ページごとバラバラになっている状態の「設定資料集」が、床一面に薄く敷き詰められているイメージである。

 “武力介入するサンダーバード”として、1話完結スタイルで、ひとコマずつ世界を描き出していくという世界観の組み立て方(短編を積み重ね、連立させる方式)自体は、決して悪くはない。だが結果として、『ガンダム00』では1クールを費やしたにも関わらず、ほんの2、3話分の世界観しか描けていないというのが現実だ。

 『ガンダム00』では、1話ごとのエピソードがまるで別々の空気を漂わせているから駄目なのだ。普通なら、1話ごとのエピソードが積み重なる(あるいは連立する)ことで作品の世界に立体感が生まれ、それがリアリティとなっていく。『ガンダム00』でそうなっていかないのは、各エピソードがほぼ独立した枝葉であり、互いに重なる部分(根幹)が余りにも少ないからである。

 ガンダムマイスター(各メンバーの先代のマイスター含む)という共通部分があるのだから、それを幹として各キャラクターのドラマを重ねていけるはずなのに、それをやらない。“ガンダムマイスター”という言葉だけが、台詞の中で虚しく上滑りしている。その結果、各エピソードは事実上別々の世界を描いた、それぞれ別個の作品のようになっている。
 この点に関して、『機動戦士ガンダム』と比べてみよう。

 第13話 「再会、母よ」
 第14話 「時間よ、とまれ」
 第15話 「ククルス・ドアンの島」

 『機動戦士ガンダム』でも、1クール目終了付近で1話完結の独立したエピソードが3話続いている。
 そして、これらのエピソードの間には、共通した濃密な空気が感じられる。
 各エピソードには、現実に存在する世界の「ある一部分を垣間見た」ような、濃厚なリアリティがある。
 3つのエピソードには、同じ世界の中で起きている出来事を、別々の視点から切り取って見せたような奥深さがある。

 この3つのエピソードの中では、「ククルス・ドアンの島」が比較的安っぽく感じられる(放送当時中学生だった私がそう感じた)のだが、果たして『ガンダム00』のエピソードの中で、このクオリティに達しているものがあっただろうか?
 独立したエピソードではあるが、その作品の世界の一部分として確かに存在し得る、そんな一種の説得力。
 既にリアリティという生命力を宿した世界の、その何処かで生きている人々の息づかい、匂いといった存在感。
 『機動戦士ガンダム』では当り前のように、それこそ空気のように存在していたものが、『ガンダム00』では余りにも希薄なのだ。

 『機動戦士ガンダム』でも白眉なシーンの一つに、
「ジオンの偵察機パイロット(中年兵士)が自分の意思で、名も知らぬ連邦の民間人親子に対し上空から救援物資を投下するのだが、秘匿行動中のガンダムに搭乗しているアムロがその状況を目撃していて…」
というシーンが挙げられる。
 まさに敵味方関係なく、主役脇役関係なく、その瞬間瞬間にフォーカスされたキャラクターに共感でき、感情移入してしまう。ここまで来ると皮膚感覚レベルというか無意識レベルというか、作品の世界に完全に自分が入り込んでしまっている。自分は“視聴者”ではなく、“目撃者”になっているのだ。

 『ガンダム00』には、これが無い。
 丸腰のエクシアを一旦は攻撃し、それをおそらくは自分の意志で止めた名も無きモビルスーツパイロットの葛藤する姿(ドラマ)を、なぜ描かないのだ?
 麻薬の畑を焼かれた名も無き農民が途方に暮れる姿(ドラマ)を、なぜ描かないのだ?
 『機動戦士ガンダム』には、こういった姿(ドラマ)が、ちゃんと描かれていたではないか。
 『ガンダム00』にあるのは、台詞で設定を説明してハイおしまいという、説明的なドラマ無き会話である。
 敢えて言おう、「ファーストガンダムにおける最低レベルは、『ガンダム00』における最高レベルに等しい」と。

 なぜ第1話で「機動エレベータに条約違反の戦力を保有していた」ことが明るみに出ているのに、それを追った話が出てこないのだ?
 問題を出しても、出しっ放し。
 全てがこういった調子で、ストーリーやドラマの軸が生まれてこない。

 作戦参謀みたいな女性キャラのドラマにいたっては、現段階の『ガンダム00』の世界には不要なドラマとしか思えない。出すとしても、あれはファーストガンダムにおけるミライとカムランのエピソードのようなタイミングで出すべきものだ。
 エピソードにも、TPOというか順序というものがあるだろうに。あれでは、描いただけで何の効果も生んでいない。塁上に走者が居ないときに外野フライを打っても、タッチアップという効果が生まれないのと同じだ。ドラマとして、非常に効率が悪い。

 思い付きで描き散らかしたような各エピソードが、実は「ドラマチックな神経衰弱(トランプ・ゲーム)」となるように綿密な計算が行なわれている可能性などゼロである…と断言することは現段階では出来ない。
 だとしても、Zモドキのパイロットが同類との干渉頭痛で失神して敵の手に落ちそうになったにも関わらず、本人からの希望で出身施設を破壊したこと以外何ら効果的な対策を打っていない(出身施設を破壊したところで、第2・第3の研究施設があるかも知れないし、頭痛の直接原因であるピンクのモビルスーツのパイロットはピンピンしている)という大きな矛盾を露呈している。この時点で、「ドラマチックな神経衰弱(トランプ・ゲーム)」というコンセプトは既に破綻しているとも言えるだろう。ドラマが、その過程における完成度を問われるのは当然である。

 こうした『ガンダム00』の構造的欠陥は、既に述べたようにガンダムマイスターという共通部分で各キャラクターのドラマを重ねるとか、1人当たり4話連続のエピソードで集中的に深く厚みを持たせた描写するとか、キャラクターの外観や空気感をもっと差別化するとか、雑多なキャラクターを整理して人数を絞り込んだ上でメインキャラの視点からのみ描写するなど対処を行なえば解消できる。
 これは作品放映後という条件下でしか得らないといった、いわゆる結果論ではない。
 数の多すぎるキャラクターに対し、それぞれ希薄なドラマ(設定資料を見た以上のものが得られない)を散発的に打ち出すという方針を知った段階で得られる結論であり、言うなれば結果論ならぬ原因論(初期設定不良論)である。

 『ガンダム00』は、私にとって『機動戦士ガンダム』の良さを再認識させてくれる反面教師のような存在である。そう思うえば、『機動戦士』や『00(ダブルオー)』という文字を付与されていることにも、幾許かの意味があるのかも知れない。
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コメント

>ガンダムと腐女子アニメの棲み分けについて
なぜかコメントがかけないのでこっちで。
ガンダムと女性ファンの関係は種や00からではなくWから。
この作品は今で言うビジュアル系の要素はあるものの独特のお話やモビルスーツのデザインは男性陣にも人気が出ましたし。
最近だとコードギアス反逆のルルーシュは女性に人気の高い漫画家CLAMPを起用していますが貴種流離譚+デスノート+ロボットアニメで
男性からの支持を高く得ていますし。

とりあえず見てから決めようよ、ガンダムOOが腐女子向かどうか
http://anond.hatelabo.jp/20070604130241
00が面白いか面白くないのとビジュアルの関係についてはちょっと違うと思います。

余談ですが最新の話が結構衝撃的だったのですがそこら辺の感想を聞きたいです。
あ、僕の日記にはネタバレがあるのでURIは載せないことにしました。

 『ガンダムと腐女子アニメの棲み分けについて』に、以下の文を追加しました。

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※注※
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 『W』はタイミング的にも「こういうガンダムも1回ぐらいはいいんじゃないか」という感じでした。
 『コードギアス反逆のルルーシュ』以外にも少女漫画が合っているアニメは幾つもあるでしょう。私が言っているのは『00』はそうではないということです。
 『00』最新話は、典型的な展開で感想は特にありません。

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。