2017-08

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』
  2007年の映画館で観た映画:19本目
  映画を観た日:2007年9月15日(土)


 6才頃に『マジンガーZ』を、
14才頃に『ガンダム』を、

リアルタイムでTVで観ていた。

 『謎の円盤UFO』をTVで観ていたのは、『マジンガーZ』と『ガンダム』の丁度中間の頃だっただろうか。

 そんな私にとって、『エヴァンゲリオン』はロボットアニメの集大成であると同時に、実写SFのアニメ版のような作品だと感じられた。
 だから、リアルタイムで『エヴァンゲリオン』を観ていた当時の印象も、“新しい”ではなく“懐かしい”であった。その印象は、今回の劇場版を観たときにも、そのまま再現された。

 これは、裏を返せば『エヴァンゲリオン』が、世紀を挟んだ10年以上が経過しても古くなっていないということでもあると思う。

 マジンガーZのように、機械巨人の頭部に“頭脳”として降臨するわけでもなく、
 ガンダムのように、人型兵器の上半身と下半身を繋ぐ腹部腹部構成ブロック兼コクピットとして組み込まれるわけでもなく、
 エヴァンゲリオンの操縦者は、脊髄を貫通して挿入される、単なる細長い円柱の中に存在する。
 鎧を纏った巨大な鬼神の体内に、異物として“送り込まれる”といったイメージだ。

 エヴァンゲリオンの発進シーケンスは、ディティールは『サンダーバード』で、コンセプトは『マジンガーZ』、スピード感は『ガンダム』だ。

 人類の敵が、基本的には正体不明で、ドラマ描写が極端に少ないところは『謎の円盤UFO』と共通する。この偏った描写スタイルによって、人間側のドラマ描写に通常の約2倍の時間を費やすことが可能となるのだ。

 そして、それら全てを合わせたものが『エヴァンゲリオン』で、今回それが『ヱヴァンゲリヲン』として再構築された。
 劇場としてはやや小さめのスクリーンで観たが、『ヱヴァンゲリヲン』は一貫して映画としての映像品質を維持出来ていたと思う。そういう意味で、これは普通の映画である。
 アニメファンだけではなく、普通の映画ファンが観ても楽しめる映画に仕上がっている世思う。少なくとも、本作『序』の段階においては。

 全人類を滅亡の危機から救うために、死の危険に我が身を曝して未知なる強敵と戦うという、まさに究極的な状況に置かれてしまった、14才のごく普通の(内向的な)少年。
 それが本作の主人公だ。
 日本では一般的に、人は何かの滅亡の危機とは無関係に、死の危険に我が身を曝すことなく、強敵とも戦わず、言うなれば安全な状況に置かれて生活している。
 そして歳を取るにつれ、人はそんな自分の存在理由を自問自答することもなく、惰性の如き日々を送るようになる。自分自身の存在意義を問うこと自体に、意義を見出せないと言うべきか。

 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』も、作品自身が自らの存在意義を問いかけるような映画になるのだろうか。それとも、通常のドラマの範囲で軟着陸するスタイルを取るのだろうか。
 いずれにせよ、見届けたい。
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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。