2017-08

『300』

『300』
  2007年の映画館で観た映画:13本目
  映画を観た日:2007年6月24日(日)


 「スパルタもまた侵略者である」ということを明示していないこの映画は、いかに娯楽作品とは言え、片手落ちとの批判を免れまい。
 スパルタは侵略によって得た奴隷によって成り立っている国家であり、市民皆兵制度を敷いていた理由も奴隷の反乱を封じ込めるためであった(スパルタ人市民とその家族約5万人に対し、奴隷はその2倍以上存在したと言われる)。例え国外に敵が全く存在しない状況にあったとしても、スパルタは戦闘国家でなければその国体を維持できなかったのだ。

 善意に解釈すれば、あの時代に徹底した市民皆兵制度を敷いている国家が一体どうやって生産力・労働力を得ているかと考えれば、それは奴隷しか考えられないわけで、「スパルタは戦闘国家」であることを描いた時点で「スパルタもまた侵略者」であることを暗示していると思えなくもない。
 また、重装歩兵が甲冑(胴当て)無しで戦うことから、「この映画は、戦いをカッコ良く描くことしか考えていません」という製作者のメッセージが読み取れなくもない。
 それでも、当時のペルシャ人(現在のイラン人の祖先)から見たら、
「お前らも隣国を侵略して奴隷にしているくせに、正義を気取るな」
と言いたくなるのは当然だろう。イラン人がこの映画に反発するのも道理である。
 もっとも、こういったハリウッド映画に出資しているのが、石油でも大儲けしている一部のイラン人だったとしたら、皮肉なのだが。

 映像的には、VFXを多用しているだけあって、全体的にくすんだトーンで統一されている。それが、一種の「動く絵巻物」を観ているような気分にさせる効果を生んでいた。
 ただし、それと同時に映像全てがゲームグラフィックスのように感じられたことも否めない。空間の広がりや空気感が感じられず、やっていることのスケールが大きい割には映像に奥行きがない。
 端的に言えば、この『300』は映画的ではない。映画的か否かに関して言えば、ベリーズ(Berryz工房)の最新PV『告白の噴水広場』の映像の方が、より映画的であると思う。その場その場の空気感の違いだったり、風の匂いだったり、一滴の汗のリアリティといったものの連続体が、映画らしさを作り上げるという意味においては。

 この映画では、スパルタ兵士の割れている腹筋を見ても「テキスチャーを貼っているのかな」と思えてきてしまう。そんなところが、逆にこの映画の良さなのかも知れないが。
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コメント

>映像全てがゲームグラフィックスのように感じられたことも否めない
>やっていることのスケールが大きい割には映像に奥行きがない

そうでしょうか……。
まあ、好みの部分をあれこれ言っても仕方が無いのだけれども、
娯楽としてはこれまで見た映画で最も純粋に興奮出来た私が居ます(汗)。
歴史的な観点に関しては勿論、矛盾は感じましたけどね。

 『300』の場合、ゲームグラフィックスのような映像質感が、作品の世界観と合っていないという相性のような問題もありました。
 『マトリックス』のようなサイバーワールドや『スター・ウォーズ』みたいなスペースオペラの世界なら、ゲームグラフィックス的な映像質感が馴染んだり、効果的だったりするのですが…。
 生の肉弾戦の世界に、あの映像質感は、ちょっと違和感が否めませんでした。
 いっそ、日本で言えば水墨画に相当するような、古風な絵画調にしてみたら良かったのかも知れません。

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。