2017-10

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『スパイダーマン3』

『スパイダーマン3』
  2007年の映画館で観た映画:12本目
  映画を観た日:2007年6月24日(日)


 明らかに詰め込み過ぎの一作。3人の敵に加え、内なる敵であるブラック・スパイダーマンまで登場させるものだから、一人一人の敵キャラのドラマが薄くなり、矛盾も生んでしまっている。

 最大の失敗点は、基本的には善人であるはずのサンドマンが、ウェノムの誘いに簡単に乗り、人質を取るという卑劣な作戦に参加共闘したこと。
 サンドマンとヴェノムが共闘したことにより、一人では勝てないと思ったピーターは、かつての親友ハリー=ニュー・ゴブリンに助けを求めた。ハリーはピーターのピンチに文字通り飛んで来てピーターを救うが、この戦いでハリーは命を落とすことになる。
 サンドマン=フリント・マルコは、ピーターの最愛の伯父を殺害しただけではなく、ピーターの恋人MJを人質に取って危険な目に遭わせ、ピーターの親友ハリーを死に至らしめる状況を作り出した。一体この男のどこが善人なのだ?

 あの状況下で、ピーターがフリント・マルコを許すというのは無理がある。
 ドラマではなく、状況作りを優先させたことによる歪みが、一番大事な場面で露呈された格好となってしまった。
 人間ドラマの整合性を優先させるなら、あの場面でピーターと共闘するのはサンドマン=フリント・マルコでなければならない(ピーターとサンドマンが協力してヴェノムと戦う)。フリント・マルコが許されるためには、彼が贖罪のための戦いを成し遂げる必要がある。そうすればピーターが彼を許すことに説得力が出るし、観客もまた彼を許すことが出来るのだ。

 一作の映画は、一作のパズルを作るようなものだと思う。
 どんなに良いピースであっても、そのパズルに収まらないピースであれば、外すのが当然だ。
 『スパイダーマン3』は、本来二つに分けるべき作品を、強引に一つの枠に押し込めてしまっている。それでは、負の相乗効果しか得られないのだ。
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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。

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