2017-08

飯田圭織ディナーショー

飯田圭織ディナーショー 
    会場: 広尾ラ・クロシェット
    公演日:2007年5月20日(日) 開演:13:30~


             三度目の「かおりん・広尾ディナーショー」

 これに参加したいがためにハロプロFCに加入したと言っても過言ではない「かおりん・広尾ディナーショー」も、今回で三度目。その入金確認メールを読んだとき、オヤッと思った。
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 公演日:2007/05/20(日)
 会場:広尾ラ・クロシェット
 開場/開演:13:00/13:30
 出演者:飯田圭織
 枚数:1枚
 座席番号:16番
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 確か、前回のかおりんのディナーショー(その記事は→ こちら )のときも10番台じゃなかったっけ?
 確認するとその通り。(↓前回の入金確認メール)
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 公演日:2007/02/10(土)
 会場:広尾ラ・クロシェット
 開場/開演:13:00/13:30
 出演者:飯田圭織
 枚数:1枚
 座席番号:13番
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 広尾ラ・クロシェットのディナーショー座席表をネットで調べてみたら、今回・前回と同じテーブルとなることが分かった。単なる偶然ではあるが、ちょっと妙な気分。
 ただし、同じテーブルでも前回は壁側の席、今回は通路側の席。かおりんが通路を歩くときは接近遭遇できるが、ステージを見る場合は前席の客の頭越し(肩越し)に見ることになるので、ちょっと見辛い。もっとも、座席列で言えば4列目に相当する席であり、距離的には十分に近い。コンサートと比較すれば、通常の最前列と同等か更に近いのだから、文句を言ったらバチが当たりそうだ。

             かおりんがアイドルではなく“歌手”になった

 今回のディナーショーは、私にとって画期的なものとなった。
 画期的といっても、世間一般レベルのエポックメイキングという意味ではなく、飯田圭織という芸能人に対する私の意識が劇的に変わったという、ごく狭い範囲におけるものである。更に言えば、それはあのディナーショーで起った一時的なものだったのかも知れない。
 しかし今でも、それがあの時あの場所、私個人に限定されたものではなく、飯田圭織という芸能人を知っている人全てに対して起ったもの(いずれ起こるもの)であって欲しいと願っている。

 今回のディナーショーで何が起ったのか?
 かおりんが、アイドルではなく、歌手になったのだ。
 かおりんが、アイドル歌手ではなく、普通の歌手になったのだ。
 詳しくは別の記事で書くつもりだが、この日、私は今まで漠然と使ってきた“アイドル”という言葉の意味を明確に意識することが出来た。
 “アイドル”という言葉には、二種類の意味があったのだ。それを混同して使っていたから、アイドルという概念が曖昧模糊となり、ひいては飯田圭織という芸能人に対するイメージまでもが不明瞭かつ不安定なものになっていたのだ。

 かおりんの、アイドルからの脱却(決して失墜ではない)。
 そんな劇的なことが起こる気配は、最初は全くなかった。この日のディナーショーも、トークは相変わらずマイペースで
「最近は、よくお昼寝をしています」
といった、かおりんらしいノンビリ生活(今風に言うとスローライフ)振りの紹介から始まった。
 マルセイユの話を熱心にしていたのだが、「すっごくキレイで」を連発されても、マルセイユに行った経験のない大多数の客にとっては、スライドショーでも見せてもらわない限り、とても感情移入など出来るものではない。

 相変わらずだなぁ、かおりんの天然ボケは。
 そんなことを思っているうちに、かおりんが“七夕の日帰りバス旅行イベント”の話を始めた。
「七夕は恋人と会う日なのかもしれないけど、皆さんは恋人と会うのは七夕の前日に済ませて、七夕当日はイベントに来て下さいね」
 そんな内容のことをかおりんがサラッと言ったのを聞いて、かおりんにしては、やけに醒めた、現実的なことを言うんだなと思った。それと同時に、かおりんが言外に
「私も恋人と会うのは七夕の前日に済ませておくので、皆さんもそうしてね」
と言っているようにも聞こえた。
 何か、かおりんが一つ吹っ切れたというか、天然ボケなりに一皮剥けて成長したような、そんな感じがした。この日、劇的なことが起こる伏線は、あるいはここにあったのかも知れない。

                   『リラの季節』に感動

 歌の方も、今までと同様に「日本語の歌よりも外国語の歌の方が上手い」。
 ネイティブの人が聞いたら発音がどうなのかは分からないが、“歌声”としては外国語を歌っているときの方が明らかに一段上。
 そして、今日のかおりんは、声の調子が良い。今まで私が聴いた中で一番の出来じゃないのかなと思えた。ディナーショーに来た目的が「かおりんの歌を聴くこと」ではなく「かおりんの姿を近くで見ること」である私が、いつになく好調なかおりんの歌いっぷりに何となく引き込まれつつあったとき、それが来た。
 かおりんが『リラの季節』を歌ったとき、感動が私の心にやって来たのだ。

 かおりんが、堂々と自信たっぷりに歌う『リラの季節』には迫力があった。
 上手い下手を超越した“歌の凄み”のようなものを感じた。
 かおりんのファンになって9年目に突入しているが、かおりんの歌う歌そのものに魅力を感じたのは、これが初めてである。
 この瞬間、かおりんは私にとってアイドルではなく、歌手になった。
 かおりんが美人であるとかスタイルが良いとか天然ボケが可愛い女であるということは単なる付加価値となり、飯田圭織という一人の歌手がそこにいた。

            かおりんは“ファイタータイプ(パワータイプ)”

 かおりんが体格に恵まれていることは最初から分かっていた。
 かおりんはスタイルが良くスマートではあるが、決して華奢ではなく、骨格的にはむしろガッシリしている部類に入る。
 そして今回、かおりんがイージーゲイナー傾向にあることも、ほぼ確信できた。
 かおりんは「10年記念隊で久し振りにダンスをするから、体力作りを始めなきゃ」みたいなことを言っていた。つまり、現時点では運動らしい運動をしていないということだ。
 それでいて、あの逞しさすら漂う二の腕。
 あの二の腕は筋肉の占める割合が比較的高く、普段運動していない女性が自然に作れるものではない。
 そして、背中の筋肉の美しさ。
 かおりんがお辞儀をするところを後ろから見たら、その背中に流れるような筋肉の美しい輪郭が浮かび上がり、思わず息を呑んだ。僧帽筋なのか脊柱起立筋なのかは分からなかったが、背骨に沿って綺麗にカットが出ていた。あの場合、普通のスマートな女性なら“背骨に沿った筋肉”ではなく“背骨そのもの”が目立つと思うのだが、かおりんの場合はそうではないのだ。

 つまり、かおりんは“パワータイプ”なのだ。
 ボクシングで言えば、“ファイタータイプ”である。
 美人でスタイルも良いが、決してクネクネしたお嬢様タイプではない。持ち前の体格とパワーでガンガン押して行くタイプなのだ。だから、歌手としてのかおりんも“ファイタータイプの歌手”でいくべきであり、そのパワーを遺憾なく発揮したのが、今回のディナーショーで披露した『リラの季節』だったのだ。
 
 ボクシングの世界でも、長身のファイタータイプは存在する。
 パッと思い浮かぶだけでも、ビビアン・ハリスとカシム・ウーマ、そしてアントニオ・マルガリート。3人とも長身痩躯だが前に出て打ち合いを好むファイタータイプである(広義にはボクサーファイターに分類されるかも知れないが、決してスタイリッシュではない)。そして3人とも、そのスタイルでメジャー4団体のチャンピオンの座にまで登りつめた一流選手である。スマートな体格のボクサーが皆、足を使って動き回り、打っては離れのアウトボクシングをするわけではないのだ。

 かおりんもまたファイタータイプであり、華麗なアウトボクサーではない。
 かおりんは、“シュガー”と称されるような、センスに依存した技術で戦うタイプではない。
 と言うか、かおりんには“シュガー”は要らない。
 ボクシングのファイターが、“シュガー”無しでも闘志とパワーと迫力で客を感動させられるように、かおりんも“シュガー”無しで私を感動させてくれたからだ。

 キャンディーボイスとかミルキーボイスといった“シュガー”な歌声は、かおりんには必要ない。松田聖子の真似をして、甘い歌声を無理に作っても、所詮それは偽りの甘さだ。
 天然の野菜に自然の甘さが秘められているように、かおりんのありのままの歌声の中には、偽りのないナチュラルな甘さが秘められている。
 「パワーの中に甘味あり」である。それは、キャンディーボイスにはない甘さ、迫力の中の甘味だ。それが、かおりんの歌声の魅力だと、今回のディナーショーで確信した。

                   歌手としての、かおりん

 次の機会(私にとっては、10年記念隊のライブがそれになりそう)で、かおりんが今回のような歌手としてのパフォーマンスを披露してくれる保証は何処にもない。なのこえさんの言われた「松田聖子唱法」・「つんく唱法」に戻ってしまうかも知れない。そうなれば、かおりんは本来の能力が出せなくなり、彼女は偶像を纏い歌手であることを付加価値にしたアイドル歌手という範疇に戻ってしまう。
 それでも私は、かおりんの成長を信じたい。
 この日、かおりんが一曲目に自身が作曲した『歩いていこう…未来へ』を歌ったことは、彼女の決意の現われだったと信じたい。その決意が、この日の『リラの季節』を生んだように思えるのだ。

 外国人が、日本人が日本語で歌っている歌を聴いて感激し、歌詞が一切理解できないのにもかかわらず涙を流すことがあるという。それを聞いたときは、単なる条件反射のようなものかと思っていたが、今回かおりんの『リラの季節』を聴いて、私にも異国の唄に感動する心が分かった。言葉が理解できなくても気持ちは伝わるし、迫力も伝わるのだ。
 外国語の歌で迫力を出せて、日本語の歌で迫力を出せない筈がない。かおりんが自分に合わない歌唱法を捨て、自身の素質を100%活かす歌い方をすることが出来れば、日本語の歌でも今までとは全く違ったものになると思う。かおりんの、そんな日本語の歌を聴いてみたい。

             ピースポーズでアクシデント(嬉しい誤算?)

 ポラ撮影の際、私はその場になって突然「前回と同じポーズでは面白くないな」と思い立った。そこで、かおりんに
「ピースでお願いします」と言ったら、かおりんは快く
「ピースですね」と引き受けてくれた。
 私がカメラに向かってピースサインのポーズを取ったとき、私の身体を違和感が駆け巡った。
(あれ、何か変だぞ? これでいいのか、ピースって?)
 その瞬間に気付いたのだが、私は生まれてこのかた、ピースをして写真を撮られた記憶がない。というか、ピースポーズを取ったこと自体、記憶にない。もしかして私は今、生まれて初めてピースをやっているのではないか?
(手の高さはこれでいいのか? 肩は出す?引く? どっちだ?)
 時間にしてほんの2、3秒だが、私はもの凄く焦りつつも思考をフル回転させていた。そして気付いた、ピースのポーズで半身になっているのは変であることに。
 私がピーズサインを作っている右手を引いて右半身の姿勢を戻したとき、その反対側である左腕の三角筋から上腕三頭筋の部分が、かおりんの同部位(ただし右側)にピタッと触れた。
(あ!)
と思う一瞬前、写真の撮影は終わっていたのだろう。その結果がこれである。
20070520広尾ディナーショー・かおりんと私

 ちなみに、この6日後の、斉藤瞳・村田めぐみ・大谷雅恵(メロン記念日) ディナーショー(その記事は→ こちら )のポラ撮りの際には、こうしたことが起こらないように、最初から思いっきり真正面を向いて撮影に臨んだ。

 そういうわけで、この時は本当にアクシデントだったのだ。意図的にくっつこうとしたわけではないので、許して下さい、かおりん様。
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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。