2017-10

『 避難命令  ゴジラ警戒区域 』

『 避難命令  ゴジラ警戒区域 』

 この書き込みは、1991年11月1日に東海SFの会から発行された『ペーパームーン』の原稿を、現代(注※この原稿を書いたのは2000年04月24日です)に合わせて加筆修正したものです。

 私が「ゴジラ対人間」を描くとき、それは大まかに3つのスタイルに分けられます。
 「強者対弱者」、「強者対強者」、「強者対徹底的弱者」の3つです。
 以前書き込んだ『ゴジラ2002 ~対怪獣民間部隊、出動!~』は、「強者対弱者」のスタイルです。今回書き込む『 避難命令 ゴジラ警戒区域 』は、私が初めて書いたゴジラ映画のオリジナルアイディアであり、「強者対徹底的弱者」というスタイルをとっています。
 この映画のゴジラは、「台風のように移動する雲仙普賢岳」です。放射能火焔は、ズバリ火砕流そのものです。空ではなく、地表へ向かって放たれ、火砕流同様、地表を数キロメートルに渡って進みます。光線ではなく、青白く発光するほど高温になったガス(ゴジラの呼気)です。
 また、ゴジラは「台風+火山」という天変地異の化身というコンセプトであるため、その全身を見せることは原則としてありません。台風の全身は、普通の人の視点では見えない、そういう感覚です。
 この映画のゴジラは、生物的には初代ゴジラに類似した設定になっていますが、過去のゴジラ映画そのものとは全く関連を持っていません。1954年、1977年の過去2回、九州にのみ上陸したことがあるという設定で、これは劇中早々に語られます。
 また、ゴジラは白昼堂々とスクリーンには登場しません(劇中では出現していても、絵として出さない)。終始、夕方以降、陽が傾むいた「遭う魔が刻」以降の時間帯に現れます。ただし、TVニュース画面の映像としては、昼でもゴジラの姿(の一部)が、登場します。
 この映画のコンセプトは、ズバリ「ゴジラによる災害とそれにまつわる人間ドラマを描いた、一種の報道記録番ドキュメンタリー」です。
 読んでいただければ分かりますが、基本的ラインは「84のリメイク」です。「84」を、もっとハイクオリティに、もっと洗練された作風に作り直したい、という欲求が根元になっています。
 では、説明を交えつつストーリーを紹介します。
 
 いきなり、25年ぶりに、ゴジラが九州に上陸しようとしているシーン。
 ゴジラ迎撃戦を展開する、海、空の自衛隊。その現場で撮影されたような、記録映画風の映像。
 軍艦の中の人の動き、司令所の管制装置とオペレーター、戦闘機の発進風景、パイロットと通信員の交信状況の点描。
「レーダーおよび赤外線ではゴジラをロックオンできない」
「距離○○まで接近して目視照準により攻撃せよ」
 といったような内容の会話(専門用語を使っていて聞き取りにくい)が飛び交う。
 ゴジラと艦隊の距離は数キロメートル離れているので、時折見えるゴジラの姿も、水平線上の小さなシルエット程度であったり、戦闘機のコクピット内から垣間見るゴジラの姿、といった程度。
 夕闇の中で、ほんの一瞬、爆発の光によってゴジラの姿が見えたりもする(望遠映像)。
 数キロメートル先の水平線から、突然青白く光るガスが艦隊に向かって海上を疾走してきて、それに飲み込まれた艦隊が次々と爆発(高熱に包まれて内部から誘爆する感じ)していく。
 混乱する司令所。次々と飛び込んでくる被害状況。
(このシーンは、ほんの5分くらいで唐突に終わります。5分間なら、本物の映像を使うなどして、リアリティを保つことが出来ると思うので)

 映画タイトル『 避難命令 ゴジラ警戒区域 』

 とある家庭のお茶の間。
 この物語の主人公である家族(夫、妻、2歳の子供)が、ゴジラ九州上陸を伝えるニュース番組を見ている。番組はニュースステーション。久米弘を始めとするアナウンサー達が、ゴジラ九州上陸のニュースを伝える。
「自衛隊の被害は甚大で、また、ゴジラを撃退するどころか、ゴジラの放射火焔攻撃を誘発して被害が増大することから、自衛隊は以後原則として積極的な戦闘行動は行わず、救助活動に専念するということです」
「要するに、ゴジラが再び上陸しても、放っておくということです。これは、25年前の対応と全く同じで、四半世紀が経過してもなお、自衛隊の武力はゴジラに対して何ら有効な手段成り得なかったということを証明したかたちになりました」
「ゴジラは上陸の2時間後、海中へ姿を消しました。現在も捜索が続けられていますが、今のところ、ゴジラを捕捉するには至っていないようです」
 ニュースを見ている夫婦は「九州の人達は大変ねー」と、完全に他人事。
(ニュースの中で、過去2回のゴジラ上陸は九州に限られており、3度目の今回も、ゴジラの進行コースが過去と似ていることが説明されるため、本州内陸部にいる自分たちは絶対安全だと思い込んでいる)
 
 場面変わって、巨大な工業地区。その一角にあるビルの中の職場。
 先ほどのシーンでニュースステーションを見ていた主人公夫婦(夫・中田孝一、妻・圭子)も、このビルの中の職場で働いている。
 この工業地区は、幾つかの大企業と大学が共同で造り上げた、いわば産学複合工業都市である。工場や研究所だけではなく、住宅などの居住地区や、生活を支える商店街も併設した、一つの街なのだ。
 孝一、圭子の勤務する研究所では、鯨やイルカを電子装置によってコントロールする研究が進められている。最終目的は、バイオ技術によって品種改良した鯨の養殖を始めとする、「海底牧場」計画の実現である。
 「海底牧場計画」は、主に生物コントロール技術によって、ハードウェアを極力少なくして実現させる案と、生物コントロールには頼らず、海中ロボットや特殊な隔壁などのハードウェア主体で実現させる二つの案が別々の研究グループによって同時に開発が進められていた。両グループは、その主体になっている企業・大学が異なっていることもあり、強力なライバル関係にあった。
 孝一と圭子は、生物コントロール案のチームに属しているが、二人とも下っ端の人間に過ぎない。(孝一は研究そのものではなく、コントロール装置の開発に携わる技術屋のうち一人であり、圭子はそのチームの経理などを担当しているごく普通の事務屋)
 以降、ドラマは28分間、生物コントロール案チームの主要研究スタッフ4人(男女各二人)と、チームの責任者が、ライバルチームを強烈に意識しながら、開発を進めていく様子を4日間に渡って描写する(ラブストーリーというか、恋愛描写も有り)。
 この間、ゴジラがドラマに直接絡んでくることは一切ない。ただ、ほぼ6分毎に1回、約1分間、登場人物がゴジラのニュースを見るシーンが入る。

 1日目のニュース…
 九州に上陸していた後、消息を絶っていたゴジラが、大方の予想に反して四国(高知県の足摺岬)に一時上陸、小規模な被害を出した後、海へと去って行き消息不明となった。

 2日目のニュース…
 ゴジラが、再び大方の予想に反して広島県の呉市に一時上陸、大きな被害を出した後、海へと去って行き消息不明となった。
(市民によって偶然撮影されたゴジラのビデオ映像が流される。ゴジラは水平線に小さく映っているだけで、「あれ何、あれ何?」「ああ、動いてる、動いてるよ」などの撮影者の音声が入っている)

 3日目のニュース…
 ゴジラが、周防灘(山口県と九州の間の海)を、背鰭の一部を海面から覗かせて泳いでいる姿が発見され、山口、福岡、大分の三県の海岸付近が「ゴジラ警戒区域」に指定された。
(TV局のヘリによって上空から撮影された、点々と海面に背鰭を出してV字状の波を立てて泳ぐ、ネッシーぽいゴジラ映像が流される。「カメラ回ってる?」「これ、オンタイムで流しちゃっていいの?」などの撮影スタッフの音声が入っている)

 4日目のニュース…
 ゴジラが、周防灘(山口県と九州の間の海)内に設置されたソナーによって一時捕捉され、敷設された機雷に触雷したことが確認されたものの、再び消息不明となった。一部の自治体では住民に避難命令が出され、住民の避難が行われたが、専門家?の間でもゴジラがどこに上陸するかに関しては意見が分かれている。

 孝一と圭子は、生物コントロール案チームの研究スタッフのドラマにはほとんど関わらず、出番も少なくて完全な脇役扱い。台詞も、孝一の「プロ野球の日程、どうなるんだろ? この状況で福岡ドームで試合やるわけには、いかないもんなぁ」の一つだけ。
(観客に、孝一と圭子に関して、「この夫婦は、登場した順番が先だっただけで、主人公ではないらしい」という認識を植え付け、この時間帯のドラマの主役である研究スタッフ4人に対して、メインキャラクターとして感情移入させるのが目的)

 ゴジラが周防灘で消息不明になった翌日、研究開発ドラマの主役を演じた研究スタッフ4人が、大阪に出張する。学会で、研究の途中成果を発表するためである。
 学会での発表を無事終えた研究スタッフ4人は、男女二組のカップルに別れて夕暮れの大阪湾岸地域へと繰り出す。
 しかし同時刻、夕陽を浴びている瀬戸大橋が、突然中央部から崩壊するという大事故が発生していた。事故の直後、一瞬だけ海面でゴジラの尻尾が勢い良く跳ねたのだが、不幸にも、それをハッキリと目撃した人は誰一人としていなかった。
 瀬戸大橋崩壊から3時間後、夜の大阪湾にゴジラが上陸する。捜索能力の全てが周防灘付近に集結させられていたため、人々は完全に不意をつかれた格好になった。

 研究スタッフのカップルのうち一組は、電車に乗っていた。
 ゴジラの接近による地震で、電車は自動停止しようとするものの、間に合わず脱線。カップルのうち女性は電車から脱出することに成功するが、男性は逃げ遅れて、電車の中に閉じこめられたままゴジラに踏みつぶされてしまう。脱出して助かったと思われた女性も、ゴジラの尻尾の気ままな一振りで転がってきた電車の車両の下敷きになり、命を落とす。
 もう一方のカップルは、ビルの谷間、街道でタクシーに乗っているとき、ゴジラと遭遇。タクシーを捨てて自分の足で避難している最中、カップルは群衆に飲み込まれて別れ別れになってしまう。
 避難途中で脚を負傷した女性はビルに逃げ込むが、そのビルに火災が発生。煙に追われて女性はビルの中を上へ上へと逃げ、防火隔壁にそれを遮られると窓からの脱出を試みる。しかし、接近してくるゴジラの姿を確認して、金縛り状態に。「来ないで、来ないで」と必死に祈るが、ゴジラがビルの横を通過する際、ゴジラの体の一部がビルと接触、女性は飛び散る瓦礫と共に落ちていく。
 男性は、ゴジラに追いつかれそうな状況になりながらも交差点にまで辿り着く。パニックに陥ってひたすら直線的に逃げる群衆の中を泳ぐようにして、街道から直角方向へと逃れる。体力尽きて街灯にしがみつく男性の後方で、ゴジラは街道を直進して交差点を通過して行く。ゴジラの足音と振動は、徐々に、しかし確実に遠ざかっていく。
 男性がほっと一息ついたとき、街道とその上空を占める空間を、青白く発光する突風が吹き抜けた。一瞬遅れて、街道に直交する道にも灼熱の空気の固まりが押し寄せ、男性の頭髪や衣服を含む周囲の可燃物は一斉に燃え上がる。
 夜のビルの谷間は、炎の流れる河となって、いつまでも燃え続けるようだった。

 場面変わって、自宅でTVのニュースを見ている孝一と圭子。
「今、大阪はまさに火の海と化しています。ここ○○からも、その様子を窺うことが出来ます…」
呆然としてニュース画面に見入る二人。子供が目を覚まして泣き出しても、すぐには気付かない。
「△△さん達(4人の研究スタッフのこと)、大丈夫だよな…あっ、携帯、携帯」
孝一は、携帯電話を操作するが…
(観客が、「ストーリーの展開上、絶対に死ぬことはないだろう」と思い込んでいた登場人物が、悲惨な死を遂げる。これにより、観客にショックを与えることを狙う。同時に、対岸の火事の様な感覚で描かれていたゴジラの恐怖を、ワンランク身近な恐怖として感じさせる。「誰かが殺される」という感覚から、「彼らが殺される」という感覚への移行。また、ゴジラの放射火焔で焼き尽くされた街道で遺体の回収作業をする自衛隊の姿を報道するニュース番組などで、被害の悲惨さを描写する)

 その後、ゴジラは海に戻ることなく本州内陸部を東に向かって移動を続ける。陸上のゴジラの動きは完全に把握できるため、ゴジラの進行に伴ってゴジラ警戒区域が指定され、住民の避難が行われる。
 それによって人命は守られるものの、ゴジラによる破壊は深刻な被害をもたらし、25年前に制定された、通称「ゴジラ特例法」が適応されることが決定。保険会社も国も、被害者・地域からの受け付ける請求金額に関して総額の上限が設定され、それを越えた分に対しては、一切の責任を免除されるのだ。
 マスコミは、保険会社も国も既にその額に達しているのだと報道する。つまり、これから発生した被害に対しては、保険会社からも国からも、金銭の支給は一切されないのだと。
 政府は「国家緊急の事態に際し、国民一人一人の自助努力に期待する」という談話を発表し、事実上それを認める。

 孝一と圭子の住む産学複合工業都市は、ゴジラの予想進路上に位置していた。ゴジラ警戒区域がじわりじわりと接近してくるに従い、孝一と圭子はもちろん、職場、街全体が真剣に悩み始める。
 ただ、一つ希望があった。産学複合工業都市の比較的近い場所に、在日米軍基地がある。「原則として積極的な戦闘行動は行わない」という姿勢を取り続けている自衛隊も、もしこの地域をゴジラが通過するようなことがあれば、在日米軍基地を守るため、ゴジラを追い返すべく総攻撃を仕掛けるのではないか?
そうすれば、結果的に自分たちの街も守られることになる。
 しかし、この期待は最悪の形で裏切られた。政府は、地域社会に対して何の説明も行わず、在日米軍基地を防衛するために自衛隊を展開させた。そして、その布陣は「ゴジラが米軍基地に進入する恐れが出た場合、ゴジラの進行コースを産学複合工業都市のある方向へ逸らす」ことを目的にしてることが、TV局の調査で明らかになったのだ。
 ある意味、これは理にかなった作戦であると言えた。産学複合工業都市は、山を切り開いた新興開発地域に造られた都市であり、ゴジラが通過しても発生する被害は比較的少なくて済むからである。
 しかし、産学複合工業都市に住んでいる人々にとっては、そんなことは関係ない。ローンを組んだ自宅(分譲住宅地)がある、かけがえのない自分たちの「生活圏」なのだ。
「政府は、米軍基地を守るために、産学複合工業都市を見殺しにするつもりだ!」
マスコミは、産学複合工業都市を「生け贄の街」と呼んでニュースの目玉にし、騒ぎ立てる。
 ゴジラの襲来予想日までまだ約1週間あるため、TV局を始めとするマスコミの大群が、産学複合工業都市に押しかける。
 ゴジラの記事がトップを飾る新聞や写真週刊誌がコンビニに並び、子供を抱いて歩いている圭子が、突然TV局のインタビューを受けたりする。(この時の映像は、TVカメラの一人称映像で、『マックスヘッドルーム』風)

 そして、産学複合工業都市の上層部から、生物コントロール案チームの研究スタッフ(孝一と圭子を含む)に、極秘の指令が伝えられる。「生物コントロール技術を応用して、ゴジラの進路を変える試み」を行えというのだ。ゴジラも基本的には大型の海棲生物である以上、鯨やイルカをコントロールする技術が通用する可能性がある。さらに、生物コントロール案チームは、牛や象などの陸棲の大型哺乳類に対するコントロール技術も、参考のために研究を続けてきていた。ゴジラをコントロールするのは不可能でも、その脳に影響を与え、進路を少し変えることぐらいなら、あるいは…。
 生物コントロール案チームの責任者(甲斐)は、上層部のこの指令を引き受ける。主要研究スタッフ4人をゴジラに殺された憎しみ、自分の研究に対する執念、そしてプライドが彼を駆り立てていた。孝一と圭子らチームのメンバーも、自分の家を、生活圏を守るため、エゴと狂気を孕んでいることを承知でこの計画に加わるのだった。(ゴジラの進路を変えれば確かに自分達の街は助かるが、そのために本来は助かるはずだった別の街が犠牲になる)
 ゴジラが日一日と確実に産学複合工業都市に接近してくることがニュースで伝えられる中、秘密裏にコントロール装置の改造が行われる。
(ニュース映像は、ニュースステーションが中心。「では、今日もゴジラ関係のニュースからです」)

 遂に産学複合工業都市が警戒区域に指定され、住民の避難が始まった。圭子は子供を連れて避難先へと向かう。しかし、生物コントロール案チームの男性メンバーは、避難に応じた振りをして全員研究所に戻り、計画を実行へと移す。黒く塗装され、ランプ類を全て目隠しされた自動車に、ゴジラ用に改造されたコントロール装置が積み込まれる。操縦するのは、暗視装置を付けた甲斐。チームの責任者が自らこの危険な役目をかって出たのだ。
 コントロール装置を作動させた自動車がゴジラに接近すると、ゴジラは、まるでそちらへ引き寄せられるように進路を変えた。「成功だ!」携帯電話で甲斐にゴジラの動きを伝える孝一たち。甲斐は、完全にゴジラの進路が産学複合工業都市から逸れるまで、装置を作動させ続ける。しかし、ゴジラと甲斐の車との距離はどんどん詰まっていく。
「課長(甲斐のこと)、もうOKです。お客さん(ゴジラのこと)が来ますから、テレビ(コントロール装置のこと)を切って下さい」
「…駄目だ、何度やってもテレビが切れない」
コントロール装置を停止させることができなくなるというトラブルが発生したのだ。甲斐はゴジラから必死で逃れようとするが、工事によって行き止まりになっている道に入ってしまい、追いつかれてしまう。甲斐は、携帯電話で自分の状況を実況生中継しながら死ぬという、壮絶な最期を遂げる。
 TVニュースは、ゴジラの進行が当初の予想進路から外れたこと、産学複合工業都市が警戒区域から一時的に除外されると同時に、他の某区域が緊急警戒区域に指定されたことを報道し始めた。孝一たちは、甲斐の死に対する悲しみ、某区域住民への罪悪感、自分達の街が助かったことへの安堵が入り混じった複雑な感情を抱きつつ、疲れた体を休憩室の長椅子に横たえるのだった。

 翌日の朝、孝一たちは研究所前に押しかけたマスコミによって目を覚まされることに。今回の、生物コントロール案チームによるゴジラ誘導作戦の内容が、深夜のニュース番組で報道されていたのだ。
「どこから情報が漏れたんだ?」 「そんなことより、証拠を隠して、早くここから逃げないと!」 
 慌てて逃げ支度をする孝一たち。しかし、予備の、もう1台の(ゴジラ用に改造された)コントロール装置が、保管場所から消えているではないか!
 「盗まれたのか?!」手分けして必死に探すが、見つからない。
 そこへ、ゴジラの進入を受けた某区域からの避難民の一部が、暴徒と化して押し寄せてきた。怒りに燃える彼らは、窓ガラスを破って、研究所内部になだれ込んで行く。その後をマスコミが追う。孝一の仲間のうち一人が暴徒の集団と鉢合わせてしまい、凶器が用いられた袋叩きに…。警察が駆けつけたときには、既に複数の死者が出ていた。
 孝一は騒ぎの中、単独で研究所から脱出することに成功するが、その際、携帯電話を壊されてしまう。連絡が付かないまま、妻子の元へ向かう孝一。
 同時刻、ゴジラの進路が再び変わった。在日米軍基地をかすめ、再び産学複合工業都市を直撃するコースとなったのだ。まるで何者かが、ゴジラを本来の、産学複合工業都市を直撃するコースに戻したかの様だった。しかも今度のコースは、ゴジラを在日米軍基地から遠ざけようとした場合、産学複合工業都市から避難した住民が集結している地域へゴジラを向かわせることになる。
 妻子の元へ向かう車の中で、孝一はこのニュースを知る。予備のコントロール装置が、産学複合工業都市のどこかで何者かによって作動させられたと考えると辻褄が合う。しかし、今となっては避難先にいる妻子を、更に別の場所へと避難させることが先決だ。
 ゴジラが在日米軍基地に接近し、遂に自衛隊は総力を挙げてゴジラに攻撃を仕掛ける。
 同時に自衛隊の救助部隊が圭子たちの避難先に向かっていたのだが、避難民は「在日米軍基地に逃げ込めば安全」というデマに駆り立てられ、救助部隊が来るとも知らず在日米軍基地へと向かっていた。その結果、避難民達は、ゴジラと自衛隊の戦闘のまっただ中を横切ることになってしまう。その際、今度は「自衛隊が救助に来てくれた」と勘違いし、警戒区域に指定され、ゴーストタウンとなった街の中で避難民達は足を止めてしまうのだった。
 その街にゴジラが進入、自衛隊による戦闘はますます激化する。そして遂にゴジラが放射火焔を吐き、それによる広範囲の破壊現象によって、避難民のかなりの部分が犠牲となる。生き残った人々も、熱波に灼かれ、火傷その他の怪我を負いながら、戦闘が続く街の中を逃げまどう。

(平成シリーズ以降、お決まりの「逃げる大勢の市民」は描かれたことはあっても、ゴジラの活動によって負傷した怪我人の集団が、絶望的に逃げまどうという光景は描かれたことはなかった。この映画では、それをキッチリ描写したい)

 窓ガラスが全部割れた建物の中で、子供を抱いた圭子を含め、十人前後が息を潜めている。そこへ、ゴジラの足音と地震のような揺れが、一歩一歩確実に近付いてくる。圭子の子供が火がついたように泣き出し、宥めても泣きやまない。張りつめた静寂の中に響き渡る、子供の泣き声。突然、近くにいた男が、血走った目で駆け寄り「静かにしないと、ゴジラに気付かれちまうだろうが!」と、泣き叫ぶ子供に掴みかかる。「やめて!」必死に子供を守る圭子。
 何も知らない自衛隊戦闘機チームのパイロットたちが、ビルの近くに迫ったゴジラに標準を合わせ、爆弾を一斉に投下する。その半数はゴジラに命中するが、残りの半数はビルに命中。ビルの天井は崩壊し、子供を守ろうとする圭子も含め、ビル内にいた全員が瓦礫の下敷きとなってしまう。そこへ、再び戦闘機による爆撃の流れ弾が降り注ぎ、その爆発が、ビル全体を完全に飲み込んでいく…。
 孝一は、妻子の死を知らぬまま、戦闘区域に突入していく。しかし、爆風の煽りを受けて車は横転。車の中で負傷、失神した彼は、遅ればせながら到着した救助部隊によって助け出されるのだった。
 自衛隊との戦闘によってゴジラの進路は僅かに逸れ、ゴジラは在日米軍基地に一切被害を与えることなく、去っていった。産学複合工業都市も、結果的には完全に迂回された形になり、暴徒による被害が出ただけで終わった。ただし、ゴジラの基本的な進路には変化はなく、ゴジラは更に東へと向かって進んでいく。
 孝一が運び込まれた病院には、産学複合工業都市から避難した人々の悲惨な状況を反映し、次々と遺体が運び込まれていく。その病院の前では、TVの取材班が集まり、報道合戦を繰り広げていた。しかし、その数は、以前、産学複合工業都市に集結した時と比べると、決して多くない。マスコミの興味は、既にゴジラが次の直撃すると予想される大型都市に移っているのだ。

 頭と手足に包帯を巻いた孝一が、病院のベッドに寝たまま、TVニュースを見ている。今度の災害での死者の名簿が映し出されている。それを、不安な視線で見つめ続ける孝一。
 場面変わって、夜。何処かの街の街頭TVと、そこに映し出されるニュース番組(ニュースステーション)に、足を止めて見入っている人々。
「さて、ゴジラの進路に影響を与えたと考えられていた装置に関する続報です。政府が、産学複合工業都市から、その装置の予備機であったと思われる同型の装置を徴用して調査したところまでは、前回お伝えしました」
「政府は、どうやらその装置を、本日午前中、実際にゴジラに対してテストした模様です。その結果、ゴジラの動きに対しては、何の影響も与えることが出来ないということが判明したとのことです。この実験に参加した自衛隊の一部情報筋から伝えられたところによると…」
 ニュースの映像はそのままで、音声に映画のエンディングテーマが被さっていく。ニュースの映像が黒へとフェードアウトしていき、エンドマークが出ないまま、スタッフロールが始まる…

 というわけで、ある意味で全く救いのない、人間を徹底して弱者として描くゴジラ映画。映画を見終わった直後、すぐには椅子から体を起こす気になれないような、重たいゴジラ映画。そんなゴジラ映画も、一生に1本ぐらいは、どーですかお客さん!
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震電

震電

 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。