2017-10

日本人のソウルミュージックとは

日本人のソウルミュージックとは

 先月、映画『ドリームガールズ』を観たら、
「日本の歌謡曲は、所詮アメリカ製歌謡曲の劣化コピーでなかいのか」
と思えて愕然となった。(その記事は→こちら
 その時に思い出したのは、中学生の頃、私は当時の日本の歌謡曲(今で言うJ-POP)に対して、ある強い不満を抱いていたということだ。

「なぜ、サビの部分になると、歌詞がいきなり英語になるのか?」

 日本人の大衆向けの楽曲であるのに、なぜ最も重要な部分の歌詞が英語になっているのか?
 日本人として心が昂ぶってきたときに、どうして英語で歌わなければならないのか?

 サビの部分以外であっても、歌詞の中に英語が脈絡無く散りばめられているのが、当時の(そして今でも)私には気に入らなかった。曲名が英語になっている場合も同様である。
「曲名が英語になっている歌を歌う歌手は、名前も英語にすれば?」
とか思ったりしたものだ。(今日は、そういう歌手も増えたような…)

 日本人が、日本の歌謡曲における英語の出現頻度ほどに英語を日常的に喋っており、感情を爆発させるときは日本語ではなく英語で喋る民族であるというならば、日本製歌謡曲のサビが英語になっていても良いだろう。
 しかし、現実はそうではない。現実の日本人は、中高合わせて6年間は英語を学んでいるにも関わらず、いざとなると日常英会話さえろくに喋れない、英語を苦手(教育方法に問題があるとかいう話は横に置いておく)とする国民性を持っているのだ。

 日本人が日常的に英語を使う場合は、「テレビ」とか「画面をスクロールする」といったように、単語のレベルに留まった形態にほぼ限定される。適切な日本語を当てはめたり新規に作ることを怠った結果、外来単語がそのまま日本語に組み込まれているのだ。日本人が英語を一つの文として(本来の英語として)喋るということは、日常会話では滅多にない。
 そんな日本人が歌う日本人向けの歌に、英語が頻繁に登場するのは不自然ではないか。

 日本人の心の歌として云々と言う以前に、単にカッコ悪い、間抜けだという思いもある。
 稀に、外国人が歌う英語の歌の中に突然日本語が登場している(ように聞こえる)ことがある。
 学生時代に耳にした英語の歌で、歌の終わりの部分の歌詞が
「ワクセ~イ~ノ~(惑星の)」
と聞こえる歌があった。本当に「惑星の」と日本語で歌っていたのか分からないが、結果としてとても間抜けに聞こえたことだけは確かだ。
 日本人が日本語の歌を歌っていているときに、サビの部分で突然英語で歌い出すのを英語圏の人間が聞いたら、同様に間抜けに聞こえる可能性が高いと思う。

 『Mr. Roboto』のように、一つの作品としてのコンセプトがちゃんと存在していて、サビ?の部分に
「ドモアリガット Mr. Roboto」
と日本語を入れているのなら、納得もいくし効果的だ(PVも面白かった)。しかし、当時の日本の歌謡曲における英語の使い方はそうではなかったし、今日のJ-POPでもその本質的傾向は変わっていないと思う。

 日本人の心に響くのは、やはり日本人の心の言語である日本語の筈だ。
 あるいは、外来語であっても、日本文化に溶け込んでいる言葉である筈だ。
 辞書を引かないと正確な意味が理解できないような外国語を、サビの歌詞に使う理由が分からない。
 「ソウルミュージックとは、心に響く歌(音楽)のこと」
であるならば、日本人の真のソウルミュージックは、(その時点の)日本語で練り上げられたものである筈だ。

 そういった“狭義”の「日本人のソウルミュージック」として、最初に思い浮かぶのは、やはり演歌である。
 次回は、そこから話を続けるとして、今回は一旦稿を終える。
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コメント

2年程前、『響鬼』の辺りから楽しく読ませて頂いておる者ですが、今回初コメントさせていただきます。
僕もずっと以前より、震電さんと同じ思いを抱いておりました。
「何でここで突然英語なんだよ!」と、やり場の無い憤りを何度も覚えたものです。
ですから今回の話題については、我が意を得たり!と膝を打ちました。

日常的に日本語を話す国民なのだから、歌の歌詞も変に英語に頼らず、日本語の美しさを生かして表現してほしいものだと願い、そんなアーティストはいないものかと気にして聞いておりましたら、いらっしゃいました。1グループ。
震電さんが、本文で敢えて固有名詞で語らないので僕もその意思に則って書きますが、もう20年近く活動なさってる女性ボーカルの3人組(現在訳あって2人組み)の方たちです。グループ名こそ英文バリバリなのに、その歌詞では(確信犯的に)日本語で伝える事にこだわっています。
ただ、僕も大ファンと言うわけではないので、例外が存在するかもしれません。
完全に割り切って、歌詞が全部英文で作られた歌もあります。

彼女たちの様な歌作りをするアーティストが未だJ-Popの第一線にいるという事実が、僕の唯一の救いとなっています。
これからも、日本語の良さをさりげなくアピールしてくれるアーティストが世に出て活躍してほしいと思います。

震電さんの益々の活躍も期待します。拙文失礼しました!

 “ボンドくん”さん、コメントありがとうございます。以前から弊ブログを読んで頂いているとのことで、重ねてお礼申し上げます。

>震電さんが、本文で敢えて固有名詞で語らないので僕もその意思に則って書きますが、

 いえ、単に調べるのが面倒なので書いていないだけです…ので、固有名詞で語ってもらっても全然構いません。でも、いろいろヒントを書いて頂いたので、ほぼ特定できました。ボンブラ(BON-BON BLANCO)がカバーしている曲は、確かにサビが思い切り日本語で気持ちいいです。(当たってますかね?)

 いいなぁと思える(日本語の)楽曲に耳を傾けているとき、唐突に英語の歌詞が出てくると「本当に必要なのか、その英語?!」と、今でも思わずツッコミを入れたくなります。
 いつになるか分かりませんが、次回はその辺りも含めて書いてみるつもりです。

こんにちは
“続編”を読んでからと思ってたんですが、このコメントをもし続編の参考にしていただけたらと思い、現時点での私の考えをば。

私、25年ほどバンドをやってます。洋楽コピー(ソウル系ディスコ)もやってました。曲も作ってます。その立場からの意見です。

日本人作詞家が英語を使う主な動機としては
①単純に英語をカッコいいと思っているから
②英語の方が伝えたい事が伝わると判断したから
③英語の方がメロディーに乗るから
の3点が考えられます。

①はそのまま。単なる西洋文化アレルギーですね。

②は例えば「英雄」という言葉から連想するイメージと「ヒーロー」という言葉から連想するイメージは同じなのか?と言うことです。これは単語の領域での話しですが。

③これが一番のポイントだと思うのですが、
その国の音楽(歌)は、その国の話し言葉が持つリズムから生まれます。普段の会話の中にもメロディーやリズムが存在し、それが「歌」になるのです。
つまり、ピアノやギターで作った曲に日本語を乗せる事自体が難しい作業なんです。

昭和30年代くらいまでは詞先で作られた曲が多かった。つまり歌詞が先に出来て、その歌詞の持つ「メロディー」や「リズム」を重視して曲が作られていました。

が、昭和も40年代に入ろうという頃、ロカビリーブームやビートルズの登場によって日本の音楽の西洋化が一気に進み、この頃から曲先で作られる歌が増えました。
つまり”洋楽チック”な曲にするため、先ずは曲を作り、そこに日本語を当てはめるという作り方です。

ここで多くの作家が壁にぶち当たった結果が「日本歌謡の英語歌詞」だと思います。特にサビはその曲のイメージを大きく左右する部分なので最も“洋楽チック”な部分ですから、ここが英語になってしまうパターンが多いのだと考えます。「日本語が乗らないメロなんだから、英語にしちゃえ」って。「その方が曲としてカッコイイだろ」って感じでしょう。

で、私はこの感覚を否定する気になれないんです。

歌詞はメロに乗って歌になって初めて存在価値がある。「詞」は「詩」では無いと考えて曲を作っています。
ポップスを作っている限り、アメリカやイギリスの音楽がお手本になっているのは否定出来ない事です。ですからメロディーやリズム(つまり曲)を優先して作っている場合は、日本語を犠牲にしてしまう事もありえます。

ただ、日本の多くのミュージシャンや作家が、今もこの壁と格闘している事も事実です(単に“英語に逃げてる”作家も多数居ますが・・・・)。
いかにして日本語をポップスのメロディーに乗せるか。これはポップスに関わっている日本人の永遠の課題なのかもしれません。

長くなりましたがもう少し余談を・・・・

実はアメリカ人(西洋人)は日本人ほど歌詞を重視して曲を聴いていません。
歌も「サウンド」の1つなんですね。だから輸入版には歌詞カードがほとんどありません。

私の話しになりますが、以前ジェームス・ブラウンの曲をコピーした時に、どうしても何て歌ってるのか分からない部分があって、歌詞カードも無かったのでネイティブの英会話講師に「何て歌ってるのか教えてくれ」と曲を渡して頼んだ事があります。

すると彼は「無理だ」と。

「J・Bが何て歌ってるのか完璧に理解してるアメリカ人なんてほとんど居ない。そして、それは大きな問題では無い。私たちは彼の歌の歌詞に感動してるのではなくて、彼の存在にソウルを感じるんだ」と。

ガツンとやられた気がしました。







 SO-RYさん、コメントありがとうございます。
 実際に音楽に携わっておられる方から教えて頂き、とても心強いです。
 SO-RYさんのご意見を参考にして、続編を書きたいと思います。

 「我々の魂の体現者としての歌い手」というのは、凄いですね。
 ソウルというものは、「理解するもの」ではなく「感じるもの」なのかも知れません。

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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。