2017-08

仮面の考察

 仮面の考察

 変身ヒーローは、日本だけではなく、西洋にも存在する。両者には共通点もあるが、異なる点もある。
 日本の変身ヒーローは、フルフェイスの仮面で顔または頭部全体を覆い隠しているケースが多い。現在も放映中の戦隊ものと仮面ライダーはこのケースに相当する。(ウルトラマンも広義の意味では、仮面ヒーローといえるかもしれない)
 一方、西洋の変身ヒーローは、顔を完全には隠さない、あるいは全く隠さないケースが多い。

 変身ヒーローの範疇からは外れるが、『ロボット刑事K』と『ロボコップ』を比較すると、仮面に対する思想の違いが浮き彫りになっているように思える。

 Kは、100%の機械=ロボットである。ロボットであるKは、普段は服を着、ハンチング帽を被って「人間に変身(仮装)」している。人間とほぼ同じ体型をし、動きにも全くギクシャクしたところがないKが靴を履き、手袋まですると、「仮面」である顔以外は人間と区別がつかなくなる。
 「人間に変身(仮装)したK」は、皮肉なことに、「全身のうち、顔(最も重要な部分)だけが、剥き出しのロボット」という状態になるのだ。
 Kの仮面は、全く可動する部分がない。眉一つ動かすことの出来ない、固定された純粋な仮面である。この表情のない(あるいは表情が固定された)仮面と、人間と見分けのつかない状態の体とのアンバランスさが、ロボットであるKを、逆に人間らしく見せているのである。
 Kの仮面にピクピク動く作り物の眉があり、台詞に合わせてパクパク動く作り物の唇があったら、Kは逆に人間らしさを失うだろう。

 ロボコップは、人間の脳を持ったサイボーグである。顔の下半分は露になっており、作り物かどうかは別にして、その部分は明らかに人間そのものである。
 その代わり、全身は仮面(頭部)と同じデザインの甲冑に覆われ、シルエットでも「人間ではない」ことが一目で分かってしまう。普段のロボコップは、「顔の下半分以外は、全身がロボット」である。顔だけでなく、全身が仮面に覆われているようなものだ。
 しかし、その状態ですら、ロボコップは口元を引き締め、歯を食いしばり、しようと思えば微笑みさえ浮かべて感情を表現することが出来るのだ。
 
 日本式の仮面は、仮面によって正体を隠すと同時に、その下にある表情をも完全に遮断する。そうすることによって、感情を媒介物なしに、心から心へ直接伝える。
 西洋式の仮面は、仮面によって正体を隠すが、その感情は隠さない。

 両者の共通点は、仮面は表面的な正体を隠すことによって、その本心・本質といった内面的な正体を露にするという点だ。仮面によって心は解放される。日常という仮面によって隠されていた本当の自分が、そのとき現れるのだ。

 ロボコップは物語半ばで仮面を脱ぎ去り、「かつてマーフィーであった」人間としての自分を取り戻す。
 Kは人間に憧れながらも、決して「人間という仮面」を被らず、最後までロボットであり続ける。

 仮面ライダーが『バットマン』並みの規模でハリウッドで映画化されたら、どういった仮面ヒーローとして描かれるのか? そんなことを考えてしまう今日この頃である。
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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。