2017-08

『墨攻』

『墨攻』
  2007年の映画館で観た映画:3本目
  映画を観た日:2007年3月2日(金)

 日本の漫画を原作にした(その漫画は日本の小説を原作にしている)、香港の監督による映画。結果的に、日本・韓国・香港・中国という3カ国4地域が手を組んだ形になった、言わばアジア映画となっている。
 作品の分類上は「歴史アクション映画」であるが、その内容は娯楽性より人間性、社会性に重きを置いたものになっている。単に合戦映画と人情映画を合わせただけの娯楽作ではない。

 この映画は、思弁哲学の実践における現実との葛藤を描いた作品なのだ。
 主人公の革離は、武術全般に優れ、卓越した戦術理論を修めた“墨者”であるが、実際に戦争を指揮した経験はない。「非攻」という思想の元、大国による小国の侵略を阻止しようとする革離は、単身で国境にある小国に乗り込み、徹底抗戦を唱えて国民や王を説得する。その結果、彼は軍のほぼ全権を与えられ、文字通りの総力戦に挑み、見事初戦に勝利するのだが…

 盤上の戦いとは違い、現実の戦争では敵味方に多数の犠牲者が出ることを目の当たりにした革離は、自分の哲学に疑問を抱く。侵略を拒んで防衛のための戦いを起こしても、多くの人命が失われることには変わりがない。敵も見方も同じ人間、愛する家族を持つ同じ人間なのだ。結局は殺人によってしか事態を解決できない自分のやりかたに、純然たる哲学との乖離を痛感した革離は、自責の念に苛む。
 その姿を見て、私は最近のイラク戦争の現場の一兵士の話を思い出した。
「家族を守るためだと思ってイラクへ来た。でも、敵だと思って銃を撃ち、前へ進むとそこには年端もいかない子供たちの死体が転がっているんだ」

 兵士は、英雄なのか? 家族を守るため、敵を多く殺した兵士は褒め称えられるべきなのか?
 革離は決して英雄ではない。
 この映画は、英雄を否定した映画でもある。
 現実の戦争は何かと英雄を作りたがり、戦争映画にもその手の作品は多いが、この映画は違うのだ。

 人は勝ち負けを気にするし、ドラマは勝敗を描きたがる。
 革離は、果たして勝利したのだろうか、それとも敗北したのだろうか。
 勝ったのなら何に勝ち、負けたのなら何に負けたのだろうか。
 戦いによって何を得たら勝利で、何を失ったら敗北なのだろうか。
 いろいろな事を考えさせる、観た後に余韻を残す映画だった。
「人間が相争うことは決して宿命ではないという理想だけは、決して捨ててはならない」
 席を立つ際に、私は確かにそう思った。
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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。