2017-10

『阿修羅城の瞳』

『阿修羅城の瞳』
  2005年の映画館で観た映画:7本目
  映画を観た日:2005年4月27日(水)


 この映画は、やむを得ず観た。帰省のついでに1本観ようと決めたのだが、上映時間的にこの作品を選ばざるを得なかったのである。
 ただし、この映画に何も期待していなかったわけではない。第一に、宮沢りえの躰がどこまで戻っているのかという関心。第二に、鬼が登場するということで、TV特撮ドラマ『仮面ライダー響鬼』との比較である。
 結果から先に言うと、そのどちらの期待も裏切られた。宮沢りえの躰は最低限のレベルにしか戻っていなかったし、鬼の描写も特に見るべきものがなかった。

 良い絵が何カットかあったが、所詮それも“いいとこ探し”であり、全体の完成度の低さの裏返しと言える。ストーリーは一応破綻なく成立しているけれども、世界観というものが全く感じられない。
 映画に関わらず、全ての虚構に必要な世界観。それは、「私が今まで知らなかった、大きな大きな世界が実際に存在している。この作品は、その世界のごく一部を見せたものだ」といった観念感覚のことである。
 その世界観をこの映画から得ることが出来ないのは、本来こじんまりとした話であるのにもかかわらず、スケールの大きな話のように描こうとしているからだ。こじんまりとした話を小さなスケールで描けば、それなりの密度のある“虚構の実在感”が得られる。狭い物語は、狭く濃密なスケールで描くことで、逆に大きく見せることが出来るのだ。しかし、この映画は物語に不相応なスケールを持ち込んだので、世界観が非常に希薄で薄っぺらな出来になってしまった。

 鬼というキャラクターに関しても、存在感がない。何のために、どんな規模で人間社会に紛れ込んでいるのか、それを退治する必要があるのかすら伝わってこない。肝心のラブストーリーも動機が弱いというか説得力がない。
 唯一、この映画を観て良かったと感じたことは、宮沢りえにスター性を感じられたことである。「腐っても鯛」と言っては失礼だが、躰が戻っていなくてもスター性はあった。日本人俳優に対してスター性を感じたのは、これがニ度目(一度目は『ガメラ(1作目)』の藤谷文子)である。
 30過ぎても身体は作れる(戻せる)ので、宮沢りえの今後に期待したい。
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映画 阿修羅城の瞳~りえちゃんに萌えー~

邦画、阿修羅城の瞳を見に行った。同行の女史はえらく気に入ってたらしく、舞台も見に行きたいと言っていた。阿 修 羅 城 の 瞳-公式サイトhttp://www.ashurajo.com/contents.html←フラッシュぐりぐり、非力なマシン、通信環境には...。萌えますた。■T/B(トラックバック)

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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。