2017-10

『父親たちの星条旗』

『父親たちの星条旗』
  2006年の映画館で観た映画:29本目
  映画を観た日:2006年11月8日(水)


 邦題は『父親たちの星条旗』となっているが、原題は『FLAGS OF OUR FATHERS』。
 「父親」だけではなく「旗」の方も複数形になっている。これには、例の写真に写っている旗が二つめの旗であることが掛けられているようにも思える。

 劇場内予告で“史上初の、日米双方の視点から描いた「硫黄島」二部作”が紹介されていたときは、「映画ファンとしては、これに乗らないというわけにはいかないけれど、似たような映画を2本続けて観させられたらつらいな」と思っていた。しかし、その1作目である本作を見て、それが杞憂であることが分かった。
 「日米双方の視点」とは、「戦場における双方の視点」ではなく、「戦争における双方の視点」だったのだ。

 もっと踏み込んで言えば、「戦勝国の視点と、敗戦国の視点」である。

 日本政府は、第二次世界大戦において国内の報道機関を完全に管理下に置き、報道管制・情報操作を行った。いわゆる、「大本営発表」というやつだ。しかし、日本政府が行った、否、行うことが出来たのはそこまでだった。
 アメリカ政府は同時期、単なる報道管制や情報操作だけではなく、「英雄を捏造し、国債発行の提灯持ちにさせ、全国を巡業させる」という大芝居まで行っていたのだ。同じ偽装、捏造であっても日本政府とはレベルが違う。

 戦時下にあっても、国債を売るために英雄をでっち上げてキャンペーンを張る政府。
 戦時下にあっても、そんな政府のキャンペーンに乗せられて国債を買う国民。
 これが正しい姿かどうかは別にして、これが出来てしまうアメリカは、戦時下で苦しいとか言いつつも、まだそれだけの余裕を持っていたということだ。
 日本には、政府にも国民にも、そんな余裕などなかった。
 これが即ち、国力そのものの差である。

 勝者は、勝利以外に語ることがある。戦場での勝利やそれにつながる栄光以外の何かを、描く余裕がある。
 しかし敗者は、敗北以外に語ることはない。戦場での敗北や、それに伴う悲惨さを描く以外の選択肢を持つことが出来ない。
 “「硫黄島」第2部”では、観客は「敗戦国の視点」を知ることになるだろう。それこそが、現在平和を謳歌している私たち日本人の、過去の視点なのだ。

 ふと、「敗戦国の視点ではない」ことを謳い文句にした、日本の「敗戦映画」を観てみたくなった。クリント・イーストウッドは、そんなことまで考えてくれているのだろうか。
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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。