2017-08

『鉄人28号』

『鉄人28号』
  2006年(4月29日~)のWOWOWで観た映画:15本目
  映画を観た日:2006年10月22日(日)


 意外な良作! これなら、劇場で金を払って観ても良かった。詫びの気持ちも込めて、遅れ馳せながらDVDを購入したところだ(中古じゃなくて新品ね)。

 この作品が劇場公開される前、どこかで予告映像を見た際、その余りにCG丸出しの出来に興醒めした私は、TV放送待ちを決め込んでいた。WOWOWが『鉄人28号』放送してくれて、本当に良かった。レンタルで観ようとは全然思っていなかったので、WOWOWが放送してくれなかったら、この隠れた佳作を観る機会は相当先になっていただろう。

 この作品においてロボットのCGのクオリティが低いことは事実である。
 しかしそれは、『マトリックス』における“タコ(イカ?)”のCGのクオリティが低い事実と同様、作品全体としては大きな欠陥にはなっていない。これもまた、事実である。
 『鉄人28号』も『マトリックス』も、CGのクオリティは低いが、見せ方が上手い。意地悪な言い方をすると、CGのクオリティの低さを、見せ方で上手く誤魔化しているのだ。

 『鉄人28号』の場合、まず最初に「空を飛ぶ腕」だけが登場する。この見せ方が良い。プロップを使って撮影したものを合成したような映像的不自然さ(所謂ミニチュア感)が全くないうえ、巨大感とスピード感の両方が出ている。CGの長所を存分に生かした映像だ。この「空を飛ぶ腕」だけの時点では、CGのクオリティの低さはほとんど気にならない。この「気にならない(意識に上らない)」というところがポイントである。
 この後で、「両腕のないブラックオックス」が登場する。「空を飛ぶ腕」は当然ながらブラックオックスの腕だ。両者のCGのクオリティも、当然ながら同一である。
 ここで視聴者は、既に「空を飛ぶ腕」の映像クオリティに一定の満足感を抱いている。この「空を飛ぶ腕」が「両腕のないブラックオックス」合体して一体化することにより、視聴者が抱いていた「映像に対する一定の満足感」も、「両腕が合体後のブラックオックス」と一体化するのだ。

 言ってしまえば、「満足感の引継ぎ」であり、一種の錯覚である。
 しかし前述したように、この錯覚は『マトリックス』で使われていた手法と同質のものであり、映像の「騙しのテクニック」なのだ。

 『マトリックス』の“タコ(イカ?)”も、単体で見ればCG丸出しのキャラクターである(ネオ達が乗り込む船も、かなりCG丸出し)。
 “タコ(イカ?)”は、「リアルワールドに存在する実物キャラ」なのだから、本当はあんなCG丸出しの映像では駄目な筈だ。しかし観客は、“タコ(イカ?)”を、「コンピュータ世界内部からやって来たサイバーキャラ」のようなイメージで見てしまう。ああいう「見た目がCG」なキャラでOKなんだと、何故か納得してしまう。

 明らかに勘違い、あるいは錯覚である。けれども、これが『マトリックス』における、映像作品としてのそもそもの方法論と同調した、正しい錯覚の仕方なのだ。
 『マトリックス』における「我々が普段現実だと思っている世界」は、実はコンピュータ内部に構成された仮想現実という設定になっているのだが、それをCGで描くのは大変なので、そのほとんどは普通に実写で撮影されたものになっている。一方、『マトリックス』における「真の現実世界」はCGで描かれているのだが、この映画では飽くまでもそちらの方が「実物」である。だから、「見た目がCG」なキャラでも「実物」として受け入れる。「正しい錯覚」とは、そういう意味なのだ。

 ブラックオックスの場合、CGで描かれた「空を飛ぶ腕」の映像クオリティに一定の満足感を感じさせ、それと同質のCGで描かれたブラックオックス本体にも、何となく「こんなものだろう」と満足させてしまう。
 もちろん、錯覚のテクニックはそれだけではない。
 鉄人やブラックオックスが、漫画然としたリアリティの欠如したデザインであることが、「見た目がCG」であることの許容を高めているのだ。

 『鉄人28号』における鉄人やブラックオックスは、原作漫画のデザインをかなり忠実に再現している。レトロで味のあるデザインであると同時に、現代では古色蒼然としたリアリティの無いデザインでもある。そういうロボットが、現代の日本に突如現れる。この、デザインとシチュエーションにおける度を越した荒唐無稽さによって、鉄人やブラックオックスは「劇中では実物して描かれている」という面と「漫画がそのまま実体化したもの」という面の二面性を持ったキャラクターになっている。よって観客は、劇中では「実物」であるのに「見た目がCG(漫画の実体化)」という矛盾した状態を受け入れる。これも「正しい錯覚」である。

 また、リモコンで操縦される鉄人は、ラジコンの飛行機同様、玩具としての側面も持つ。デザインが漫画的であれば尚更だ。これに操縦者が小学生であることも相まって、鉄人は「ピカピカの巨大な玩具」というイメージを、かなり強く放射している。「ピカピカの巨大な玩具」と「見た目がCG」というのは、実は相性が良い。「ピカピカの巨大な玩具」がもし本当に存在したら、CGっぽく見えても不思議ではない。むしろそれが自然だろう。
 つまり『鉄人28号』という作品は、「実在する“ピカピカの巨大な玩具”がCGっぽく見えてしまう」という現実に起こり得る錯覚を、そのまま映像として具現化しているのだ。
 ここまでくると、単なる「騙しのテクニック」ではなく、「錯覚の映像設計」と呼ぶべきだろう。

 誰でも、旅先の風景などで「目の前に見ている現実が、まるで合成写真のように嘘っぽく見える」という経験をしたころがあるだろう。それもまた、「正しい錯覚」なのだ。
 『鉄人28号』も『マトリックス』も、そういう映像感覚を上手く利用して創られている。
 マーティ・フリードマンは「良い歌には、“歌の魔法”がある。歌で魔法をかけることができる」と語っていたが、映像にも同じことが言える。
 良い映画には、“映像の魔法”があるのだ。
 観客に映像の魔法をかけてくれる作品に、これからも巡り会いたい。一映画ファンとして、そう思う。
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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。