2017-10

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『X-MEN ファイナルディシジョン』

『X-MEN ファイナルディシジョン』
  2006年の映画館で観た映画:27本目
  映画を観た日:2006年10月8日(日)


 『X-MEN』は、いわゆる善悪二元論に基づく勧善懲悪ものではない。
 日本の漫画・特撮・アニメのヒーロー作品の多くがそうであるように、
「善と悪が、基本的には同じ属性を持っている」
というパターンを有しているのだ。(関連記事は→ こちら

 『X-MEN』のパターンは、科学者をリーダー持つ超人グループ同士の団体戦という側面では『サイボーグ009』を思わせるし、人類とは異なる種の生命体が2派(人類を滅ぼそうとする側と守ろうとする側)に分かれて争うという面では、『デビルマン』的である。
 前作でパイロが敵側に寝返ってしまったことに続き、今作では死んだと思われていたジーンがフェニックスという別人格になって敵側に付く。「善と悪は紙一重」という人間の属性が、そのままミュータントの属性でもあることを明確に描いている。

 劇中、マグニートーが、暴走したジーンに殺されてしまったプロフェッサーXに関して「彼とは敵味方に分かれてしまったが、かつては旧友であり仲間だったのだ」という胸中を露にしたシーンは、『マジンガーZ』の一場面を思い出させた。
 ドクター・ヘルが、自分の宿敵マジンガーZを製造して死んだかつての同僚・兜十蔵に対し、「兜博士、私は君が羨ましい。素晴らしい後継者(兜甲児のこと)に恵まれた君のことを羨ましく思う」と、その心中を独白している、あの隠れた名場面である。

 ミュータントという属性を消し去る“キュア”というアイテムを設定したことも興味深い。
 白人社会はその昔、白人以外の人種を人間ではなく「人間に似た動物」・「亜人間」と看做していた時期がある。黒人を奴隷として使い、人種差別を行ってきた歴史には、そういった思想が根底に流れていたのだろう。
 白人こそが「人間の標準」であるという考え方と、「ミュータントという属性を消し去って、標準の人間に戻す」という考え方は、どこか似ている。
 パンフレットに掲載されていた記者会見の記事で、ハル・ベリーが“キュア”に対して
「例えば、有色人種である私や、日本の皆さんが「白人のように白くなれる薬があるからどう?」と言われるようなもの」
と語っていたことに、私は共感を覚えた。

 色が黒いことにコンプレックスを抱いている人が、自分の意思で白くなろうとすることは個人の自由だ。
 しかし、色が白くないことで人が差別されたり(偏見も差別のうちだ)、白くなることを他から強制されるようなことは、絶対にあってはならない。

 閑話休題。
 ウルヴァリアンも、すっかりオッサンっぽくなったなぁと思って観ていたら、演じるヒュー・ジャックマンは1968年生まれ。6年間も同じ役をやっていれば、そりゃオッサンぽくもなろうというものだ。しかし、お腹周りは全然ダブついておらず、グッドシェープを維持しているところはさすがである。

 ハル・ベリーやファムケ・ヤンセンは元々「老け顔系の美人」だから、余り変わったという印象は受けなかった。二人ともヒュー・ジャックマンより年上(ファムケ・ヤンセンは私と同い年で1965年生まれ、ハル・ベリーは1つ下の1966年生まれ)にも関わらず、スタイルを維持しているのは素晴らしいの一言。特に、ハル・ベリーは今回アクションもキッチリこなしており、尊敬に値する。

 アンナ・パキンも特に変化なし。『X-MEN』1作目で、『グース』の少女だったと知ったときは、その様変わりした外見に驚いたけれど。

 今回のキャストで、注目は「壁抜け少女」キティ・プライドを演じているエレン・ペイジ。ハリウッドでは珍しい、いわゆる醤油顔の可愛い系。原作コミックでは、キティ・プライドはウルヴァリアンと共に日本で戦っているとのこと。是非、映画化して欲しい!
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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。

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