2017-10

飯田圭織ディナーショー(広尾ラ・クロシェット)

飯田圭織ディナーショー 
        会場: 広尾ラ・クロシェット
        公演日:2006年10月1(日) 開演:13:00~


             念願の「かおりん・広尾ディナーショー」

 かおりんのディナーショーは、今回が2回目となる。
 昨年のクリスマスディナーショーとは異なり、今回の会場は、広尾ラ・クロシェット。
 そう、遂に念願であった「広尾ラ・クロシェットにおける、かおりんのディナーショー」に参席したのだ。
 自分のポリシーを曲げてまでハロプロFCの会員になったのは、この為だったと言っても過言ではない。クジ運の悪い私は、FC会員にならなければ、このイベントのチケットを入手することは事実上不可能だったのだ。(クジ運以前に、一般発売自体がないケースも多かったと思う)

 この「初めての“広尾ラ・クロシェット”」は、想像していたものとは随分違う結果になった。どんなものだったのか、書き留めておこう。

                    タクシーの運ちゃんに感謝

 私は筋金入りの方向音痴であり、恵比寿駅で下車した経験が一度もない。恵比寿駅「東口」を出て階段を降りたら「西口」があったというだけで、動揺してしまった。
 地図(Googleローカルのプリントアウト)を手にしており、広い道に沿って道なりに10分も歩けば到着することは頭では分かっているのだが、どうしても不安が湧き上がってくる。何しろ、一度道を間違えたら、必ずスタート時点に戻る必要が生じるのだ。そんな私の気持ちを反映したかのような曇天から、パラパラと小雨が降り始め、更に不安の色は濃くなってゆく。
 私の耳元で、天使か悪魔が囁いた(不安になったときはタクシーだよ)。

「近場なんですけど、よろしいですか」と地図を差し出した私に対し、タクシーの運ちゃんは礼儀正しく受け入れてくれた。
 目的地には、3分で着いた。
 料金は660円だったが、1000円札の釣は受け取らずに、そそくさとタクシーを降りた。タクシーの運ちゃんは言葉遣いも丁寧であり、本当に紳士だった。

                  「座席番号6番」の悲劇

 広尾ラ・クロシェットの階段の下で待つ時間を持て余し、何度もメールのプリントアウトを確認する。

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 公演日:2006/10/01(日)
 会場:広尾ラ・クロシェット
 開場/開演:13:00/13:30
 出演者:飯田圭織
 枚数:1枚
 座席番号:6番
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 初参加の人間がこれを見たら、誰だって「最前列」を期待するのではないだろうか。
 しかしこれが、実際には大間違いだったのだ。
 入場チェックの際、【A-6】と書かれた札を渡されたときも、私はまだ最前列に案内されることを信じて疑わなかった。「最前列でも、端っこで壁際とかだったらイヤだなぁ」という不安は抱いていたが、「6番」という数字から、少なくとも一番端っこではない(「1テーブルに4人」である可能性が高い)だろうとも思っていた。

 いよいよ、店員による座席案内が始まった。
 私を店内へと案内する店員が、最前列の席を…通り過ぎた。
(アレッ?)
 店員が、2列目の席を…通り過ぎた。
(あららッ?)
 店員さんは、ステージ付近の席には目もくれず、ずんずん奥へと進んでいく。
(ど、どんだけ奥まで行くんだぁあああ?!)
 これぞ“ヘブン(天国)から地獄”…とまでは言わないが、「期待感がガラガラと音を立てて崩れていく」その音が、私の耳に中に響いていた。
 結局、私の席は奥から2番目のテーブルの通路側だった。座席の列で言うならば、8列目か9列目といったところか。パシイベだったら、最後列に相当する。
 広尾ラ・クロシェットのテーブル番号は、ステージ最前のテーブルからではなく、店の一番奥にあるテーブルから順に割り振られていたのだ。だから、【A-1】は一番奥のテーブル席で、ステージからは最も遠い席(のうち一つ)となる。

 広尾ラ・クロシェットのテーブル配置は、L字型だ。
 【A-1】は一番奥で最もステージから遠く(Lの上端の部分)、【C-x】辺りの席が中央でステージに一番近く(Lの角の部分)、【F-x】辺りは入り口付近で最もステージから遠い(Lの右端の部分)というイメージである。

 このことを事前に知らずに入店した私は、自分の着くテーブルが奥から2番目である現実を目の当たりにして、もうガックリ。「シオシオのパ~」という感じになってしまった。
 2日前のパシイベで、整理番号70番台であったにも関わらず4列目に座れた幸運は、今日この場の不運の埋め合わせだったということか?(その記事は→ こちら
 やはり、人生はそんなに甘くない。甘くないのよ人生は。

                 普通に美味かったフランス料理

 さて、落ち込んでいても腹は減るものだ。
 昨年末のクリスマスディナーショーの料理は、私の口には合わなかった。率直に言わせてもらえば、まずい料理も結構あった。(その記事は→ こちら
 そのとき同席となった方から「これでも、広尾ラ・クロシェットのディナーショーの料理と比べれば少しはマシだよ」と聞かされていたので、今回料理に関しては全然期待していなかった。
 ところが、どうやら客からの不評を受けて改善がなされていたようで、この日の料理は普通にうまかった。

 最初はメニューを見て、たった三品しか書かれていないことに驚いた。料理の名前もいたってシンプルで投げやりに見える。いかにもディナーという感じだったクリスマスディナーショーのメニューと比べてみると、私の第一印象は良くなかった。

 最初にテーブル上に並べられたパンは、典型的なフランスパンで表面が非常に固くて食べにくい(クリスマスディナーショーのパンもフランスパンだったとは思うが、普通に柔らかかった)。
 前菜のスープは、まるで犬の餌皿みたいな皿に入って運ばれてきた。
 正直言って最初は「俺は犬じゃねーぞ」「こんな固いパン食えねーぞ」と思った。
 しかし、スープは口をつければ普通にうまい。表面が固いフランスパンも、一度引き裂いて柔らかい内側から食べれば普通にうまかった。

 ちなみに、お腹一杯になりたい人は、この前菜の時間帯にパンのお代わりをしておくべきである(店員がパン籠を持って巡回してくれる)。食が比較的細い私でも、デザートまで完食して腹7分目といったところ。そこそこ腹は膨れたが、もう一品欲しかった。
 パンをお代わりした際、直ちにその場で食べなきゃならないわけではない。デザートを食べた後、まだ食い足りなかったら、お代わりで貰っておいたパンを食べれば良いのだ。
 デザートを食べた後になってパンをお代わりしたくなっても、この時間帯は店員さんのパン籠巡回がない。頼めば応じてくれるかも知れないが、試してないので分からない。先にお代わりをしておいた方が無難である。

 メインディッシュは「トリモモ肉ソテー」。これは量もそこそこあって、普通にうまい。フォアグラとか余計なものが乗っかってないので、食べやすくていい。
 デザートは、冗談みたいに小さいケーキ。「さあ、一口で食え」ということか? このデザートに関してだけは、クリスマスディナーショーの方が勝っていたと思う。
 頭にきたので、抗議の意味を込めて(あるいは「たこ焼きを4分割して食べる」こんこんに倣って)チマチマと削るようにして食べてやった。
 ただ、食べ終わって思ったのは「凄く甘いので、この2倍のサイズだったら胸焼けするかも」。

             グラスをテーブルの中央に置いてはいけない

 食事が終わり、ショーが始まる。
 かおりんは、何とミニスカート姿で登場! このディナーショーで配布/回収されるアンケートに、ミニスカートのリクエストが多かったので、それに応えたとのこと。
「ミニスカートがいいって思う人は、アンケートにそう書いてくださいね」
と、わざわざアピールするかおりん。モー娘。時代にミニを穿く機会が少なかったことの反動か? 私がアンケート用紙に「これからもミニスカートは定番で」と書いたのは言うまでもない。

 かおりんの生フトモモを拝めるのは良いが、最前席のテーブルに置かれたグラスが邪魔をしている。
 そのグラスのせいで、かおりんの右脚の膝小僧が見えない! 誰か、そのグラスをどけてくれ!
 もし私に念力があったら、間違いなく念力であのグラスをどかしていただろう。
 今後、広尾ラ・クロシェットのディナーショーへ行く人は、ショーが始まる前にテーブルのグラスを中央からどけることを忘れないようにして欲しい(後ろの方のテーブルは構わないが、前の方のテーブルに関しては必須)。

             得意じゃないのはダンス…だけですか?

 かおりんが、『Shall We Dance?』の話をする。
 冗談か本当なのか、かおりんは「自分で自分に30回ぐらい投票した」と言っていた。
 私は、『Shall We Dance?』を観たけれども、かおりんに投票はしなかった(誰にも投票しなかった)。
かおりんのファンであることと、かおりんのダンスを評価することは全く別のハナシである。実力のない人に投票することなど私には出来ない。「ファンの心理は善悪を超越する」という屁理屈は、そのジャンル自体を愛していない人が持ち出す戯言である。私は、かおりんのファンである前に、芸能というジャンルのファンなのだ。
 敢えて言うならば、私はナナに投票しないことで、かおりんを少し援護したということになるのだろう。

 かおりんは言った。
「ダンスが得意でないことは自覚してます」
 私は心の中でかおりんに問い掛けた。
「得意じゃないのはダンス…だけですか?
歌うことが大好き…でも歌うことが得意ではない…ということは、自覚していますか?」

 『Shall We Dance?』で、かおりんは誰に質問されたわけでもないのに「私はダンスの基礎を学ばないままデビューして、勢いだけでやってきた」と吐露していた。「基礎を学んでいない」のは、歌に関しても同じなのではないか?
 かおりんよりも、ゲストのルカさんの方が、歌手としての実力は明らかに上である。
 クリスマスディナーショーの時と比較しても、ルカさんとかおりんの実力差は縮まっていなかった。ルカさんは、近々歌のために留学するとのこと。帰ってきたら、かおりんとの差はますます開いているに違いない。
 そういうことを、かおりんは意識していないのだろうか?
 かおりんも、歌のために留学したい(あるいは国内の音楽学校に入学して基礎からやり直す)とか、思わないのだろうか?

                   歌唱力と、それを超える何か

 私は音楽に関しては素人である。ただ、感じたことをそのまま書こう。
 かおりんは、声域が狭いと思う。ちょっと高い声を出すと、喉を絞ったような発声になってしまう。声が「細い」と言うよりは、「薄い」。高音域は、声量が全く感じられない。
 声量に関しては、かおりんは日本語の歌よりも『LA VIE EN ROSE(バラ色の人生)』のような外国語の歌を歌っているときの方が出ている。これは、たまたま外国語の歌の方がかおりんの声域に合っているということなのかも知れないが、私には、かおりんが無意識のうちに声の出し方を変えているように感じられる。
 日本語で歌っているときのかおりんは、本当の意味では歌っておらず、「喋っている」に近いのではないか。どうも、私には「歌声」と言うより「喋り声」に近い感じに聞こえる。
 これに対し、外国語の歌のときは、かおりんに「言葉」を喋っている意識がないので、「発音」をそのまま「発声」しており、結果的に「喋り声」ではなく「歌声」になっている…という感じだ。

 歌声と喋り声では、普通は発声する際の音量が大きく異なる。これは、発声方法が根本的に異なるからであり、歌唱用の発声を操ることが出来るのがプロの歌手…ということなのではないだろうか?
 あるいは、人間は普段は大声を出さないように、「喋り声」という特殊な発声方法を行なっているのだろうか? 大昔の人類は、敵を威嚇する声、遠くの仲間と意思疎通を図るための声、獲物に近い場所で気付かれないように仲間と意思疎通を図るための声etcをキチンと使い分けられなければ、生きていけなかったように思える。

 かおりんが日本語の歌を歌っているとき、そのほとんどがプロの歌手としての合格ラインには達していない。具体的なイメージを挙げると、NHKの『のど自慢大会』に出場しても、鐘をキンコンカンコンとは鳴らしてもらえない。
 この日の歌で、プロ歌手のレベルに達していたのは『LA VIE EN ROSE(バラ色の人生)』ぐらいではないだろうか(個人的好みとしては、『未来予報』も挙げたいところだが)。初っ端の『パラディノメ』も声量は出ていたものの、歌いこなしがもう一つだった。悪い方の例も挙げておくと、『女神~Mousseな優しさ~』は特に出来が悪かったと思う。

 かおりんの歌は、確かにファンの心には響くだろう。しかし、そうでない一般の人の心には響かない。
 料理に例えれば、ファンは「おいしい」と言って食べてくれるが、そうでない一般の人は一口食べて「この程度では…」と箸を引っ込めてしまう。
 果たしてそれで、真の意味でのプロと呼べるのだろうか?

 ただ、歌が上手いことが、必ずしもプロの歌手の条件であるとは言えない。
 例えば中島美嘉は、純然たる歌の上手さでは、もしかしたらかおりんと大差ないのかも知れない。
 しかし、中島美嘉の歌声には個性がある。中島美嘉の唄う歌には彼女独特の個性が込められており、それが歌の上手い下手を超越した魅力になっている。中島美嘉の魅力は、他者では代替不可能な特別な何かであり、これによって彼女は差別化された存在になっている。
 他の歌手からは得られない「それ」を求めるファンが多数存在するから、彼女はプロの歌手であり、歌姫なのだ。
 かおりんと中島美嘉との差は、歌手としてそういった「特別な何か」が有るか無いかの違いによるものなのではないだろうか。

                       矛盾の空間

 そんなことをずっと考えていたから、ショーが終わったときにはドッと疲れが出た。
 確かに、かおりんは美しい。通路を歩いて私の目の前に着てくれたときは、照明のスポットライトと、仰ぎ見る角度(かおりんは立っており、私は椅子に座っているので自然とそうなる)の二つの視覚的相乗効果もあって、神々しいほどの美しさを放っていた。
 スポットライトに照らされて白く輝くかおりんは、まるで後光を纏った女神であり、生身の芸術品であった。まばゆい光の中にかおりんを観たあの数秒の間、「宗教体験とはこういうものか」と思わせるような、神秘の空間が私を包み込んでいた。

 しかし、歌手としてのかおりんには、そういった魅力はない。
 かおりんは、ファンである私にとってすら、歌姫ではないのだ。
 この矛盾が、私を悩ませ、苦しめる。

 ショーが終わると、私は矛盾に満ちたこの空間から、早く立ち去りたい気持ちになっていた。
 それでもすぐには席を立たず、アンケートの空白欄を、出来るだけ丁寧な文字で埋めていく。こうした行為自体も、この空間に満ちた矛盾の一部だ。

 私のいたテーブルには、かおりんイチ推しの客は私ひとりしかいなかった。
 他の3人は、かおりんを特別推しているわけではないけれども、近くで見ることができるからという理由でここへ来ていた。彼らは、かおりんを選んだというよりも、「広尾ディナーショー」を選んだのだ。
 もちろん、かおりんを嫌いな人が14000円も払ってこの場に来ているはずがない。かおりんを特別に推していなくとも、ハロプロファンとしてここに来ることは、真っ当なファン行動である。
 そんなことさえ、その時の私には矛盾に感じられた。

                     写真写り、大失敗

 アンケートを記入し終えたら、後はかおりんにファンレター(と言っても、少し前に書いた こちらの記事 をプリントアウトしたもの)を渡すこと、ツーショット写真撮影と握手をすることを待つのみとなる。

 家を出る前、私は写真写りのことを考慮して、黒っぽい背広の下に薄い色のシャツを着ておいた。背景が白っぽければ背広を着たままで撮影してもらい、背景が黒っぽければ背広を脱いで撮影してもらうのだ。そうすれば、自分の体が背景に溶け込んでしまうことはない。

 私はストリップ劇場通いをしていた時期があるので、ポラロイド撮影に関しては普通の人より場数を踏んでいる。ストリップ劇場では、「ポラ」は常識。劇場が用意するポラロイドカメラで、観客がダンサーのソロショットを撮ったり、他の客にダンサーと自分のツーショットを撮ってもらったりするのだ(もちろん有料で、1枚500円または1000円)。
 広尾ディナーショーでは、最後に握手だけではなくツーショットポラがあると知ったとき、最初に思い浮かんだのは「何かストリップ劇場みたいだな」ということだった。ちなみに、ストリップ劇場でも、最後に握手タイム(こちらは無料)を設けている劇場もある。

 というわけで、ポラ馴れしている私は「背景が黒っぽかったら背広を脱ぐ」と決めていた。
 それなのに、ああそれなのに! 結果はコレである。

20061001広尾ディナーショー

 背広を脱ぐことを忘れてしまった理由は、疲れていたからである。
 矛盾の空間から、早く脱出したかったからである。
 出口に向かう列に並んで待っていたとき、私はもう「ファンレターを渡して、とっとと帰る」ことしか頭になかった。疲れや苛立ちが、思考を停止させてしまっていたのである。我ながら情けない。

                 かおりんは、小さかった?!

 そんな思考停止状態だった私は、いよいよ自分の番が来て
「では次の方どうぞ」と案内されると、
(まるで病院で医師の問診でも受けるような感じだなぁ)とか思いながら、カーテンで仕切られた空間に一歩踏み込んだ。
 その次の瞬間、小柄な女性が私の横に立っていた。
(誰、この小さい人?)
 その小さい人こそ、かおりんだった。
 とても168cmあるようには見えない。
 私がかおりんよりも1段高いところに立たされていたのか、かおりんがスリッパのようなペッタンコの履物を履いていたのか、あるいはかおりんが膝を曲げて背を低くしていたのかは、確認できなかった。とにかく、かおりんが小さく見えたことにビックリした。
 私は、
(この小さい人、本当に、かおりん?!)
と戸惑いつつ、その戸惑いを隠さなきゃならないことで、もうアップアップの状態。
「写真とります」→「はい握手」
という流れ作業に載せられてしまい、握手の際に「応援しています、頑張って下さい」というのが精一杯だった。

 今になって写真を見ると、身長168cmという数字も、特におかしくはない(私の身長は175cm)と思える。
 思い出されるのは、鶴舞劇場の舞台の外でセレナさん(かおりんとほぼ同じ身長)と遭遇したとき、セレナさんが小さく感じられたこと。あの時は、セレナさんが寒さから身を縮こまらせていたので小さく見えたわけだが、今回のかおりんも、最初に遭遇したときは挨拶がてら腰を低くしていたから小さく見えたのだと思う。

                    俺はもう、割り切った!

 ファンと一般人との間で葛藤しながらショーを観るのは、今回で終わりにしようと思う。
 少なくともライブの最中は、一般人の視点は捨て、ファンの視点だけで楽しむことにする。
 かおりんに、プロの歌手としてのクオリティを求めないと言うわけではない。それは、ライブが終わってから考えることにするのだ。

 現時点では、かおりんの歌声が、「一般人としての私」の心には響かないことは事実である。
 しかし、「ファンとしての私」の心に響くこともまた、事実なのだから。
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コメント

いいらさんの唄の場合

以前「いいらさんに唄は合うのか?」ってことを書いたことがありますが、現在のいいらさんは特に「つんく唱法」が悪い方に出ている気がします。あと「松田聖子唱法」も。

現在はまだまだ問題ありですが、「声」そのもののつくりとしては悪くないと思うんですよ。「声量」については、つんく唱法がジャマしてる感じなんでそこから脱却すれば未知数だし、となると問題は「音域」ですよね……。ただ、逆に考えるなら、音域にビシっとハマっている曲を歌うのであれば、そこそこ唄える気がします。プロ、とまでは言いませんが、のど自慢で大賞を取れる程度には(笑)。

ハロプロは歌い手を育てる場所ではないので、そもそもそこに所属している人間に唄を期待する方が間違い、と言ってしまえばそれまでなんですが、確かになんか悲しい気がしますね……。

「松田聖子唱法」!

 相変わらず、なのこえさんの指摘は鋭い!です。ありがとうございます。
 「松田聖子唱法」、正にそれです! これが、かおりんには合っていないのです。おそらく強制されているのではなく、本人は好きでやっているんでしょうけれど、合ってないんです、ホント。
 逆に、中川翔子は「松田聖子唱法」がバッチリはまるタイプで、『MUSIC ON TV!』で松田聖子の歌を歌っているのを聴いたときはビックリしました。本人の持ち歌よりも遥かに上手く歌えています。声が流れるようにスムーズに出ていて、正直な話、かおりんよりも明らかに上。

 切ないのですが、いちファンとしては、どうしようもないんですよねぇ。
 素質というか、体格的には、まだ全力を出していないという気は確かにします。
 全ての楽曲に関して、『LA VIE EN ROSE(バラ色の人生)』レベルの歌唱力を発揮してくれることを、期待し続けるしかありません…。

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。