2017-08

『仮面ライダー龍騎』考

仮面ライダーの枠を越えた佳作『龍騎』

※新規カテゴリー追加に際して、以前書いたものを引っ張り出した。(2003年の1月か2月に書いたもの)

 新シリーズ3作目となった『仮面ライダー龍騎』は、仮面ライダーシリーズ全体を通しても、幾つかの点に関して画期的な作品だった。1つずつ挙げて確認するとともに、感想を記しておきたい。


1.ミラーワールドの導入

 前2作との差別化のため、端的に言えば“ライダーと怪人の戦いに警察を介入させないため”に力技的に導入された設定がミラーワールドである。最初は「マクー空間モドキか?」と思ったりもしたが、実際の映像を見てみると、仮面ライダーシリーズ初となる“鏡の中の仮面ライダーの闘い”は、パラレルワールドを感じさせる新鮮な魅力があった。
 ただし、最初の頃は鏡文字などを使って演出されていたミラーワールドの“パラレルワールド感”が、いつの頃からか弱くなってしまったのは残念(見ている側が慣れっこになってしまったという面もあると思うが)。
 初回のような、“鏡の中からモンスターが襲ってくる”という演出を、もっと一般市民を対象に行って欲しかった。仮面ライダー作品の魅力の1つは“日常と非日常の曖昧さ”にある。巨大な怪獣とは違った“日常の延長上にある、等身大の怖さ”だ。前2作では「無差別あるいは選択的に市民を襲ってくる“怖いもの”」が明確に描かれていたが、『龍騎』では、「鏡という、日常と紙一重の隣に潜む“怖いもの”」が市民を襲うという描写が不足していたと思う。


1. 仮面ライダーであることのマイナス面の描写

 まさに、一度ライダーになったら「戦わなければ生き残れない!」。改めて書くまでもないので説明は省くが、仮面ライダーであることのマイナス面の設定およびその描写は、歴代ライダーの中でも最大値を記録したと言って良い。これを上回ろうとしたら、「体内に時限爆弾を仕掛けられた改造人間である仮面ライダー」や、あるいは『どろろ』のような設定が必要になる。いずれも、今日の子供番組では困難な設定だろう。


3. 新しい変身、戦闘ギミックの登場

 「変身時に(何かを)ベルトにセットし、変身後にベルトから(何かを)取り出す」という動作が、玩具でも再現可能。『龍騎』のカードデッキを中心とするギミックシステムは、長らくマンネリ化していた変身ベルトに革命を起こした。「光る、回る」に並ぶ、エポックメイキングなギミックアイディアでの登場である。
 特に、ブランク状態のベルトにアイテムをセットする(ことによって変身する)というパターンは歴代ライダー初(Xライダーやアマゾンライダーのパターンからの逆転の発想ともいえる)であり、このパターンは今後様々なバリエーションを生むポテンシャルを持っている。
 例えば、ブランク状態のベルトにセットするアイテムを数的に増加(複数化・追加合体化)させたり、質的に増加(差し替え変更・バージョンアップ化)する。または、「ブランク状態のベルトにアイテムをセットする」ことと、「光る、回る」を組み合わせる。ゲームにおけるコントローラ、メモリ、I/O端末として機能させる(多機能化)、等々。
 カードを使ってアイテムを召還したり技を出すという戦闘パターンも、動作・音声・ピクチャーサイン(カード絵柄)といった一連の流れが予告(予測)シーケンスとして滑らかに機能し、ヒーローの所作として実に良くハマッていた。設定を聞いた段階では「仮面ライダーがカードを使って戦うなんて」と思ったが、

【ベルトからカードを取り出す(動作・効果音)→カードの絵柄が一瞬見える(映像からイベントを予測)→召還機にセット(動作・効果音・音声ガイダンス)】

 という一連の流れは、我々が日常的に行っている、

【財布からカードを取り出す(動作)→カードの絵柄を見る(映像で確認)→装置にセット(動作・ディスプレイ表示または音声ガイダンス)】

という行動をよりショーアップし、様式美を持たせたものである。実際に映像になったものを観ると不自然さは感じられず、むしろ遊び心を刺激された。
 仮面ライダーといっても、浮世離れした特別な人間ではない。同世代の人間、すなわち「リアルタイムの一市民」が変身した姿なのだ。カードを使って戦うライダーの姿からは、そういった仮面ライダーの原点を思い出すことができた。我々の生活様式が変われば、仮面ライダーの様式も変わって当然なのだ。
 また、カードを取り出して召還機にセットする間の僅かなタイムラグに、カードの絵柄からどんな技が出るのか予測できたりできなかったりするのも、『龍騎』の魅力の1つであった。
 劇中で、他のライダーのカードを召還機にセットしてそのアイテムを召還することも可能である(ただし、アイテムはカードの持ち主であるライダーの方へ行く)ことを描いたことも、玩具展開に対するメーカー側の配慮を感じさせた。あの描写のおかげで、理屈っぽい子供にとっても、玩具のドラグバイザーに他のライダー用のカードをセットして遊ぶことがナンセンスではなくなったのだ。
 ただ、もう1回ぐらいはフォローが欲しかった(ダウンした他のライダーのカードデッキからアドベントカードを引き抜いて自分の召還機にセットしてモンスターを呼び出し、時間稼ぎをさせ、とりあえずミラーワールドから離脱するなど)。また、サバイブ後のナイトや龍騎は、二つの召還機を使ってソードベントとガードベントを同時に召還するなどの展開の工夫があっても良かったのではないか。


4.力と技のファイナルベント

 仮面ライダーの技の多様さも、『龍騎』の功績として取り上げておきたい。ただ闇雲に多いのではなく、「ソードベント」、「ガードベント」、「ストライクベント」などの共通の性質を持つ技(基本技)と、「フリーズベント」などの各ライダー独自の技(特殊技)が組み合わされた、技の体系が構成されていた。分かりやすくて面白く、13人のライダーの技を上手く表現できていた。
 従来のライダーキックに相当するフィニッシュホールドであるファイナルベントは、自らのシンボル(厳密にはモンスターのシンボル)が描かれたカードを使った文字通りの切り札である。このファイナルベントも、ライダーごとの多様さが描かれており、楽しめた。
 ファイナルベントの基本構造は、技のベースとなるパワーの部分をモンスターが受け持ち、技のテクニックの部分をライダーが担当するというものだ(ゾルダに至っては「狙いを定めて引き金を引く」という、純粋に技術のみの部分しか担当していない)。ファイナルベントは「力と技」という仮面ライダーの定番を受け継ぎながらも、新しい表現方法を確立した、モダンスタイルの“必殺技”と言えるだろう。
 ライダーとモンスターの共同作業で技を成立させるというコンセプトは、シャチやイルカと人間が共同で行う曲芸や、サーカスの猛獣使いの曲芸を連想させ、独特の趣があった。シャチの曲芸には、人間を体の先頭に乗せて(立たせて)水中に潜った後、加速をつけて水面高くへ飛び上がらせる「スカイロケット」という技がある。『ハリケンジャー』とバッティングしていなかったら、是非ともシャチ型モンスターと契約したライダーのファイナルベントとして見たかったところである。
 数あるファイナルベントの中でも、特筆すべきはベルデのパイルドライバー系の技と、インペラーの飛び膝蹴り系の技である。過去の仮面ライダーも同系統の技を使ったことはあるが、“決め技の型”として、ここまで効果的に「パイルドライバー系」、「飛び膝蹴り系」を描き切ったことはない。肉弾技として、久し振りに新鮮なインパクトのある決め技を見た思いがした。


5.チープさを気にせずに観られた

 仮面ライダーシリーズは、少数の例外を除くと、スポンサーサイドからすれば小学校低学年以下(とその親)をターゲットにしたTV番組であり、相対的な括りからすれば低予算SFX系作品である。そのため、親の世代が観ていて、着ぐるみやCGのチープさ(あるいは、子供の視覚認識に配慮したデザインのシンプルさ)が気になることがある。
 過去の仮面ライダー作品に関しても、改造人間だの未確認生命体だの言われても、パッと見てそう納得できるライダーを見つけることは難しい(強いて言えば、仮面ライダーのコスプレをしている“片腕サイボーグ”のライダーマンぐらいか)。
 しかし『龍騎』の場合(劇中で明確に説明されてはいないものの)、仮面ライダーはミラーワールド用の特殊スーツを身に纏っているだけだと解釈できる。改造人間でも未確認生命体でもないのだから、ブーツを履いていようが手袋をはめていようが全然問題ないし、当然観ていて気にならない。
 ミラーモンスターに関しても同様である。単にモンスターと呼ばれているだけで、改造人間でも未確認生命体でもない。ミラーワールドにはああいうモノがいると思えば、パッと見がチープでも見ていて苦痛になるということはない。
 ただ、モンスターに関して言えば、1話か2話の段階で、「モンスターが描かれた絵(子供が描いたと思われる稚拙な絵)」を出しておいた方が良かった。そうすることで、モンスターのチープさと「子供が描いたと思われる稚拙なモンスターの絵」のチープさをセットとして認識(解釈)することが可能になり、「受動的に容認する“チープさ”から、積極的に容認する“ウルトラチープ”へ」と感覚をシフトさせることができたと思う。
 カードと召還機を使ってアイテムを出したり、ライダーとモンスターが共同で技を出すといった行為は、ミラーワールドという曖昧な舞台システムによって支えられている。この、科学でもなければ魔法でもなく、忍術でもない独特の舞台システムには、サーカスの空間のような一種のいかがわしさと危うさが同居している。それ自体がチープな、いやウルトラチープな世界である。
 親の世代が『龍騎』を見ることに特に苦痛を感じなかったとしたら、それは『龍騎』が、低予算作品なりにチープさの調和が取れた世界観を持つ作品だったからではないだろうか。


6.SFX大作として観たいアイディア

 『龍騎』という作品のアイディアが、いつの日か名を変えて『バットマン』・『X-MEN』クラスのSFX映画となることを期待している。これは『クウガ』や、『アギト』に関しても、同様である。
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コメント

『龍騎』の罠!?

『仮面ライダー龍騎』はご存知の通り大ヒット作品となった訳ですが、この”番組”は一年間放映されるTVシリーズとして見ても実に戦略性とバランス感覚に優れた”娯楽作として一級品”と思ってます。


まず最初に仮面ライダーの常識を覆す斬新な設定とビジュアルで話題性を振り撒き(当時はかなり物議を釀したものです)
番組が始まるや個性豊かなイケメン俳優達が丁々発止のやり取りを繰り広げ、”戦わなければ生き残れない!”のもとライダーの誰とも仲間になれず誰がどうなるかもわからないスリリングな展開。

自分が掲げる目的のために他のライダー同士殺し合うという殺伐とした設定なのに残酷描写は控え目に、それでいてカード、ミラーワールドに玩具・ゲームのようなモンスターやライダーといった子供ウケする要素満載!(戦闘が必然的に増えるので子供にも嬉しい)

・・・なんという”子供から大人まで楽しめる”親切設計(笑)なんというエンタテイメント!

もちろんそれだけでは終わらない。
TVに先駆けて最終回を公開(女性ライダーも登場)した劇場版 。
テレゴング投票によってドラマの結末を視聴者に選択させたTVスペシャル。
・・・そして誰もが驚愕したであろう結末の最終話。

まさにあの一年間は『龍騎』スタッフの仕掛けた罠にまんまとはめられた(笑)素敵な一年間でした。
いま思えばココから日本の特撮シーンが大きく様変わりしたような気がしますね。そして『龍騎』スタッフは『電王』でふたたび結集しもう一度”マジック”を起こすワケです(笑)

 劇場版、TVスペシャルという派生展開は前作『アギト』を引き継ぎ、玩具では革新的な展開を作ったことが、『龍騎』の大きな功績だと思います。

 余談ですが、平成になってから「イケメン路線」になったような表現をよく見かけますが、そのたびに私は「『V3』の風見と結城のイケメンコンビを知らないのかな」と思ったりします。

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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。