2017-08

趣味、そしてファン・マニア・オタクという呼称について

趣味、そしてファン・マニア・オタクという呼称について

 「趣味」とは、どの程度のことを指すのだろう? 例えば、物理的に正当な理由も無しに、月に1度(1通り)もやっていないことを、趣味と称して良いのだろうか?
 私は駄目だと思う。
 例えば、「趣味は読書です」と言うからには、少なくとも月に1冊は本を読破していなければならないし、「趣味は柔道です」と言うからには、少なくとも月に1度は一通りの練習または試合をこなしていなければならない。

 そして「ファン」というのは、「それを趣味にしている人」を表す言葉だと私は考えている。
 例えば、私はプロ野球球団の中では中日ドラゴンズが好きだが、シーズン中であってもドラゴンズの試合を月に1試合以上観戦(TV観戦を含む)することはないし、しようとも思わない。だから、私はドラゴンズのファンではない。ファンという言葉は、他と比較した際に最も好きであるとか、ただ何となく好きであるといった場合に使うべきべきではないのだ。

 「ファン=愛好者」という日本語を「相対値としての嗜好」を表す言葉ではなく、ある定量化された基準に達した「絶対値としての愛好」を表す言葉として使うべきだと私は考える。(ファンがfanatic【熱狂的な、あるいは狂信者】の略語であるということは、この際別とする)
 単なる「好き/嫌い」のレベルを超え、一定の条件を満たした域で「趣味」として楽しんでいる人を、「ファン」と呼びたいし、呼ばれたい。だからファンには、「ファンのマナー」とか「ファンのモラル」といった、そのファンとしての倫理観が求められるし、それを守れない者は「ファン失格」の烙印を押されるのだ。

 ファンの中でも、特に熱心な人を指す言葉に、「マニア」とか「オタク」がある。
 では、両者の違いは何だろう?
 私は、何も違わないと思う。メインカルチャーに対する熱心なファンが「マニア」、サブカルチャーに対する熱心なファンが「オタク」と使い分けるなど馬鹿げている。メインかサブかなど、所詮多数派か少数派かといった数における相対的な問題でしかなく、文化の本質とは基本的には関係ないからだ。
 「少数派=オタク」という図式であるなら、日本におけるカーリングの熱心なファンは「オタク」と呼ぶことになる。もし日本でカーリングがメジャーになったら、ファンとしての有り方が全く変わっていなくても、彼らの呼び方を「オタク」から「マニア」へと変えるのか? 本質が全く変わっていないのに呼び方を変えるなど、全くナンセンスである。

 最近は何でもかんでも「○○オタ(ヲタ)」と呼ばれるようになり、野球ヲタ、サッカーヲタという呼び方も一部で見られるようになってきた。このまま「マニア」が全て「オタク(ヲタ)」に置換されるのなら、それはそれで良いと思う。「マニア」という呼称にも肯定的な意味合い(尊称または自負)と否定的な意味合い(蔑称または自嘲)の両面があったので、用法としての問題はない。

 では、「ファン」と「オタクまたはマニア」の違いはどこにあるのだろうか?
 私は、「(意識か、無意識かを問わず)完璧を追及することを自分に課しているか否か」で、「ファン」と「オタクまたはマニア」の間に線引きをするべきだと思う。
 「実際に達成できているか否か」は、重要であるが絶対ではない(それを絶対視したら、貧乏人は「オタクまたはマニア」になることができなくなってしまったり、金持ちが簡単に「オタクまたはマニア」になれてしまうことになる)。決め手になるのは、経済力に依存する部分ではなく、飽くまでも精神力に依存する部分である。
 当然のことだが、人は金を積んで「オタクまたはマニア」になるのではない。良い意味でも悪い意味でも、人は自身の情熱・狂気・執着心で「オタクまたはマニア」になるのだ。

 この「どこで一線を引くか」という件に関して「我が意を得たり」と思えたのは、テツナリ氏のHP「モーヲタ初心者講座(さぁ!モーヲタになろう)」 の第2章と第3章である。
 以下の A.と B.の項目は、それを参考にして書いたものである。


 A.「ファン」と「ファン未満」の違い

 以下の項目を全て満たしていれば「ファン」、一つでも欠けていたら「ファン」とは呼べない。
(1) 対象の中に、好きなキャラクター、グループ、作品、ジャンル等を1つ以上特定できる。
   例…ザンキとトドロキが好き→『響鬼』ファン
(2) 対象の番組、作品を「見たい」と意識して見る。
   例…ドラゴンズの試合を見たいので、TV欄でチェックして見る→ドラゴンズファン
(3) 対象に、お金を使う(身銭を切る)、または親等に金を使わせる。(プロまたは商業作品にとって、金を払ってくれない相手は、それ以外でいくら応援してくれてもファンとは呼べない。ファンとは、「実質的に支える役目を果たす存在」でなければならない。ただし対象がプロまたは商業作品ではない場合は、この限りではない)
   例…『恋カナ』のDVDを買う→久住小春ファン


 B.「ファン」と「オタクまたはマニア」の違い

 「ファン」であることに加え、以下の(2)、(3)に関して「完璧に実行すること」を自分に課している(意識的にそうしているか、無意識にそうしているかは問わない)。そして、実際に自分の出来る範囲で極力実行している(安易な妥協は絶対にしない)。
(2) 対象の番組、作品を「見たい」と意識して見る。
(3) 対象に、お金を使う(身銭を切る)。

更にそれに加え、以下の二項目を実行する。
(4) 場合によっては、同じ商品を複数購入する。
    例…同一のコンサートツアーに関して、チケットを2枚買う。
      同じ映画を2回観に行く。
      同じ写真集を2冊購入する(1冊は保存用にしたり、他人にプレゼントする)。
(5) 対象に関して、他の人に語る。(身の回りの人に語る、BBSへ書き込む、ブログに書く。ROMでは駄目。飽くまでも自分で語る・書くことが条件)


 栗山千明は、ある番組中で「(私は)オタクを卒業してマニアになろうかなと思っている」と語っていた。彼女は、「フォローしている範囲が(作品限定であるなど)狭いのがオタク。それだけではなくジャンル全般に渡って広くフォローしているのがマニア」だと認識しているようだった。
 野球で例えれば、ドラゴンズだけに熱中してそれ以外には関心が薄いのが「ドラゴンズおたく」、ドラゴンズに熱中しつつも他のセパ全球団やメジャーリーグ、高校野球まで広くフォローしているのが「野球マニア」といったところなのだろう。
 この考え方も、分かる気はする。しかし、この場合はオタクとマニアの線引きが曖昧になる場合が多いと思う。例えば映画オタクと映画マニアをどう分けるのか? 毎年新作をジャンル全般で100本観ているけれど、自分が物心つく前に作られた名作は一切観たことがないという映画ファンはマニアなのか、オタク止まりなのか?

 私自身の基準で私自身を判定すると、かおりんこと飯田圭織に関しては「かおファン」以上「かおヲタ」以下といったところである。かおりん以外に関しては、マニアまたはヲタの域に足を踏み込んでいる対象はない。(以前は他にもあったが)

 コレクターとしての習性が弱い私が言うのも何だが、国内で適価にて販売されているDVDや写真集(ムック)といた代表的商品をコンプリートしていない人には、マニアまたはヲタを自称する資格はないということを強調しておきたい。
 中古で買おうが恋人に貢がせようが構わないが、揃えようという意思さえあれば揃えられるものをコンプリートしていない人が、「○○ヲタです」とか抜け抜けと自称しているのは、明らかに間違っている。そういう場合は「○○ファンです」というのだ。
 一時、「一億総中流階級」という国民意識が問題視されていた時期があった。私は今、「一億総オタク」という意識が生まれ始めていることを憂いている。「3σの内側は中流」という状況は有り得る話かもしれないが、「オタクまたはマニア」は、まず「3σの外側」にしか存在し得ないのである。
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オタク

オタクちょっと壮大なテーマに挑んでしまいました[:たらーっ:]オタクの語源は、1983年頃、中森明夫氏の連載『「おたく」の研究』で紹介したのが始まり。もちろん和製語。他に、コミックマーケットが開催された大田区産業会館が語源なのではないかという説も浮上。[:ふぅ~ん

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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。