2017-10

8月15日は「敗戦の日」です

8月15日は「敗戦の日」です

  マスコミも国民も「終戦記念日」などと呼ぶのはお止めなさい


 第二次世界大戦において、日本は枢軸国のうち一国として連合国側と戦争を行って敗北、敗戦国となった。だから、普通に言ったら8月15日は「敗戦の日」である。

 実際(日付は8月15日ではないが)、戦勝国であるアメリカは「Victory over Japan Day(または単に「Victory Day」)」、即ち「対日戦勝記念日(または単に「戦勝の日」)」と呼ぶ。
 同じく戦勝国である中国も「抗日戦争勝利紀念日」と呼んでいる。

 戦争に勝った国が「戦勝の日」と呼ぶのが当然であるように、戦争に負けた国は「敗戦の日」と呼ぶのが当然だ。
 「終戦記念日(終戦の日)」などと呼ぶのは明らかに不自然である。近代史を全く学んでいない小中学生が「終戦の日」と聞いたら、まるで「日本は戦争を“もうこの辺で止めましょう”と自主的に終わらせたのであって、負けたわけではない」と誤った印象を抱くのではないだろうか。

 日本の軍隊は壊滅的に敗北し、日本各地は首都東京を含めて激しい空爆にさらされ、広島と長崎は原子爆弾を落とされた。日本はそんな悲惨な状態に追い込まれ、無条件降伏を突きつけられて降参したのである。その後、日本は政府を含む国全体が完全に占領軍の管理下に置かれた。

 湾岸戦争で多国籍軍にタコ殴りにされて敗北したイラクが、敗戦を認めたその日を、国内でもしも「終戦記念日(終戦の日)」と呼んでいたとしたら、それに対して日本人はどういった印象を抱くだろうか?
「このバカ、自分が負けたと思ってないんじゃないのか?」
とか、思ったりしないか?
 要するに、そういうことである。

 もし、「もう二度とあのような戦争はしないと誓う日」という意味を込めるのなら、そのまんま「不戦を誓う日」と呼べばよい。
 それ以外の呼び方をするのであれば、やはり「敗戦の日」である。
 マスコミも国民も8月15日を「終戦記念日(終戦の日)」などと呼ばず、「敗戦の日(不戦を誓う日)」と呼ぶべきなのだ。
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コメント

まずこの日に敗戦をしたことを。

まったくその通りだと思います。まずこの日に敗戦を認めたことを、共有することから、戦後は始まるのだと思います。
しかし、一体誰が、この日を「終戦」と名付けたのか。それさえも簡単に辿れないこと自体が、事が重要であることを裏付けているように思います。

被害者意識と加害者意識

 Yさん、コメントありがとうございます。
 「終戦」という曖昧な呼び方が史実の認識をも曖昧にし、戦争を被害者意識や加害者意識という混沌とした「気持ちの問題」論で語ってしまう風潮を作っているように思えます。
 「戦後」という呼び方、私も普通に使ってきましたし言葉としてもおかしくはないとは思いますが、これも厳密には「敗戦後」なんですよね。

  アイドル関係の記事に引き続いて、興味深く読ませて頂きました。

>近代史を全く学んでいない小中学生が「終戦の日」と聞いたら、まるで「日本は戦争を“もうこの辺で止めましょう”と自主的に終わらせたのであって、負けたわけではない」と誤った印象を抱くのではないだろうか。

 これはありえると思います。

>もし、「もう二度とあのような戦争はしないと誓う日」という意味を込めるのなら、そのまんま「不戦を誓う日」と呼べばよい。それ以外の呼び方をするのであれば、やはり「敗戦の日」である。マスコミも国民も8月15日を「終戦記念日(終戦の日)」などと呼ばず、「敗戦の日(不戦を誓う日)」と呼ぶべきなのだ。

 私もこの考えに同意するとともに、8月15日が過去の反省を踏まえた不戦を誓う日であると、しっかりと肝に銘じたいと思います。また一つ良い勉強になりました。

 タニテックさん、コメントありがとうございます。
 最近会社を定年退職された方が、
「この歳になっても、なぜ日本が勝ち目がほとんどない戦争を始めたのか分からない。たっぷり時間を使って、調べてみたい」
と言っておられました。
 私は定年までにはまだ時間がありますが、義務教育を終えて30年が経とうとしています。今更ながら、日本における歴史の教育として、最優先で学ぶべきではなかったのかと思いました。

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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。