2017-08

『セイザーX』、完結!

『セイザーX』、完結!


 昨日、『超星艦隊セイザーX』が完結し、同時に超星神シリーズも終了となった。
 私はシリーズを通してのファンではない。『超星神グランセイザー』は“水のトライブ”が出揃った辺りで視聴を止めたし、『幻星神ジャスティライザー』は多分第1話しか観ていない。
 そんなわけで『セイザーX』も始めは余り観る気がしていなかった。そもそも、「全部集めると願いが叶う」コスモカプセルというガジェットが、ドラゴンボールのパクリという第一印象が強かったのだ。
 そこで、「とりあえず録画しておいて後で観よう」と思っていたら、その第1話の録画に失敗してしまった。それがショックだった(どんなにつまらなさそうでも、特撮番組であれば第1話は観ておくというのが自分のポリシー)ことと、Hyla Japonica のaさんに視聴を勧められたことから、第2話以降は極力オンタイムで観るようになった。
 もちろん、そういった前提はあったとしても、内容がつまらなかったら視聴を続けるつもりはなかった。ところがどっこい、『セイザーX』は面白かったし、カッコ良かった。

 私にとって一番大きかったのは、変身後のヒーローのカッコ良さだった。私がヒーロー番組に求めるのは、第一に“カッコ良さ”なのである。
 東宝の等身大ヒーローの造形は、『ガイファード』の頃から私の好みに合わなかった。どうにもダサいのだ(それでも、『ガイファード』は設定が好きだったから全話観た)。
 『グランセイザー』では(パイシーズなど、少数の例外はあったものの)『ガイファード』以上にダサくて、それが原因で「人気低迷→途中で放送打ち切り」になるんじゃないかと思ったほどだ。『ジャスティライザー』では少しはマシになったように見えたが、毎週チャンネルを合わせようという気にはならなかった。
 このように、超星神シリーズには2年連続で自分の好みに合わなかった。そのため、3作目の『セイザーX』になると、「主役の俳優がロンドンブーツの1号だか2号だかに似過ぎちゃいないか」など、変身後のヒーロー造形以前のことで否定的な印象を抱く有様だった。

 『セイザーX』を第2話から観始めても「主役の俳優がロンドンブーツの1号だか2号だかに似過ぎ」という印象は暫く付いて回ったが、そんなことは変身後のヒーローの活躍が打ち消してくれた。
 造形に関して言えば、ライオセイザーの造形は、ライオンをモチーフにしたヒーローの中では最高の出来だと思う。ガイファードのようなゴテゴテした重さもなく、グランセイザーの基本的な欠陥だった「全裸の状態から、上半身にだけ鎧を被せた」ようなバランスの悪さもない。色彩的にも調和が取れており、非常に洗練されたデザイン・造形だと言える。

 そして、アクションも素晴らしかった。スピード感が溢れ、キレがあり、プロレス(ルチャ)を思わせる特殊な動きもあり、なおかつワイヤーアクションに有りがちな不自然さや突っ込みどころがない。スーツによる条件の差はあるとは思うが、同時期に放送されていた『響鬼』より、1枚も2枚も上を行くレベルであった。
 東宝の等身大ヒーローのアクションは、『ガイファード』の頃から良かった(変身後のヒーローがフェイントを使ったり、スネでキックをガードしたのはこの作品が初めてではないか?)。それが集大成となって『セイザーX』で結実したように思う。

 登場人物たちも魅力的だった。
 特に、主人公の拓人は、子供向けヒーロー番組の一つの理想形である。

(1)普段から、子供が共感できるような考え方や行動をする
(2)「近寄り難い雰囲気」を有してはおらず、子供からも「それじゃダメだよ」と言える位の隙がある
(3)決めるときはカッコ良く決める

 こういった、親近感と憧れの両方を抱ける存在の条件を、拓人は満たしていた。
 拓人は、「じいちゃんに早く一人前だと認めてもらいたい」という気持ちを前面に出し、行動するキャラクター。この方向性は、子供が早く大人になりたいと思う本能的な心理ベクトルと一致する。拓人は、番組の主たる視聴者である子供達と同じ視点、同じ気持ちで動くキャラなのだ。

 「変身すること」・「強いこと」・「カッコイイこと」・「戦うこと」・「悪者をやっつけること」、これらの子供の願望を、番組内でやって見せるのが変身ヒーローである。そして実はこれ、大人向けの娯楽ドラマと基本的には同じである。
 しかし、「大人が大人に憧れる(感情移入する)」大人向けの娯楽ドラマのやり方は、「一定のフォーマット」を導入しないと子供番組では受け入れられにくい。私は、『仮面ライダー』第1作目が高い人気を集めた理由が、この「一定のフォーマット」を備えていたからだと思う。即ち、

(1)「悪者が、一般市民の家の中までやって来る」という、視聴者の身に迫った恐怖感を与える。
(2)ヒーローは、その悪者から一般市民を救い出す。
(3)ヒーローは、「一般市民に被害を及ぼさないようにして、その悪者を退治する」ことで、視聴者に与えられていた恐怖感を消し去ってあげる。

 要するに、「恐怖感のマッチポンプ」という単純なパターンではあるが、「ヒーローが戦うことで我々が直接救われる」・「ヒーローと悪の戦いが我々の日常生活と直結している」という図式は、子供にも理解し易い。こういった場合は、「変身すること」・「強いこと」・「カッコイイこと」・「戦うこと」・「悪者をやっつけること」といった条件が揃っていれば、それだけでそのヒーローは子供の憧れの対象と成り得る。実際、35年前の私はそうだった。
 また、大人が見たら「有り得ない絵空事」でも、子供にはリアルに映るというところもポイントである。ちなみに、大人になると“怪人”はフィクションで片付けるくせに“幽霊”にはリアリティを感じ続けるのだから面白いものだ。

 最近のヒーローは、玩具の展開が多岐に渡ることもあって、『仮面ライダー』第1作目のような古典的なフォーマットを採用することが難しくなっている。そのため、ヒーローは子供が感情移入し易い、「大人の姿をした子供キャラ」である必要性が高くなっているのだ。(これ以外にも、実際の「子供キャラ」と密接な接点を持った「大人キャラ」というパターンのヒーローも有り得る。少年ライダー隊の導入以後の『仮面ライダー』第1作目は、このパターンも有しているのだから凄い)

 フォーマットと言えば、『セイザーX』では多様なバリエーションを見ることが出来た。
 東映の戦隊シリーズの亜流と言うべき基本設定でありながら、戦隊シリーズのような決まったパターンに嵌っていないところが『セイザーX』の魅力の一つだった。
 東宝は、映画として平成ゴジラ、平成モスラのシリーズを造り続けていた。それらは映画としてのクオリティは低かったが、それに準じたものをTVで見せられると、逆にクオリティが高く映った。これもまた、全話において必ず巨大戦闘シーンを描くというわけではないという、『セイザーX』の選択肢の多さが生んだ成果である。

 大団円を迎えて『セイザーX』は終了し、同番組枠は、元のアニメ番組枠へと戻った。
 超星神シリーズは、もともとゴジラシリーズが終了したことで空いた特撮スタッフやスタジオを活かすために生み出された企画であるように思える。
 超星神シリーズの終了は、東宝が新しい特撮映画のシリーズを始めることを意味するのだろうか。

 最後に、私が購入した『セイザーX』関連商品を紹介して、この記事の締めくくりとしたい。『セイザーX』の記事なので、ちゃんと“ボケ”も用意しておいた。心の中ででも、突っ込んでもらえたら幸いである。
セイザーX関連商品群
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コメント

楽しかったですね!

震電さん、お久しぶりです&言及ありがとうございました。セイザーXはまさに「童心」にかえって楽しめる番組で、土曜の朝が毎週楽しみでした。我が家の納豆購入量も増えましたw 特撮番組は色々なスタイルがあっていい&あった方が楽しいと思いますが、「ワクワク」できる番組が増えるといいですよね。それではまた。

本当に楽しい番組でした

 aさん、コメントありがとうございます。
 独身の私が言うのも変ですが、『セイザーX』は「子供に安心して見せられる」ヒーロー番組だったと思います。大人の視聴者が童心に帰って見ることが出来たのは、その裏返しなのでしょう。(未就学児に、細かいギャグとかは理解できなかったかもしれませんが、楽しい雰囲気は伝わったのでは)
 こういう番組が、また現れることを期待しています。

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。