2017-10

『V フォー・ヴェンデッタ』

『V フォー・ヴェンデッタ』
  2006年の映画館で観た映画:13本目
  映画を観た日:2006年5月27日(土)


 丸の内TOEI(2)での上映が終わりそうだったので、慌てて観に行った。有楽町に映画を観に行くようになって5年が経過しているのに、丸の内TOEI(2)は今回が初めて。 TOEI(1)は何度か入っているのだが。

 「SF映画のようだ」・「ナタリー・ポートマンが準主役のようだ」という2つの理由から、この映画を観ることにした。しかし、SF映画という点に関しては、完全に外れ。舞台を未来に置き、架空の歴史を設定しているだけで、SFとしての方法論が何もない。舞台を未来にしたのも、架空の歴史を設定したのも、ドラマを造る上での単なる方便に過ぎないのだ。
 この映画は、未来のイギリスが舞台になっているが、現代の架空の国を舞台にしても、全く同じ内容のストーリーを成立させることが可能である。
 全てが現代に置換可能な未来。いや、現代どころか過去に置換することも可能な未来世界。実際、この映画は未来ではなく過去を描いた作品なのだと感じる部分が多かった。

 Vの行動は、仮面を被っていること以外、全く目新しいものがない。そのため鑑賞中は退屈な感じがしたが、映画を観終ってしまうと、Vを主人公としたこと自体が目新しいことだと気付いた。
 Vは、独裁政権を倒すためとはいえ、爆弾テロを行なっているのだ。パンフレットでナタリー・ポートマンが語っているように、ハリウッドのメジャークラスの映画で、こういう内容を実現することは珍しいだろう。

 反政府勢力が、政府の重要な建物を爆弾で破壊する。これに無条件に「爆弾テロ」というレッテルを貼って「悪」だと決め付けるのは間違いだ。それを、この映画はサラリと言ってのけている。
 確かに、この映画の政府のような政治体制が構築されてしまった場合、Vが行なったような「象徴的な破壊活動」なくしては市民は動かないと思う。圧政による情報管制下では、誰もが存在を視認できるモノを派手に破壊しない限り、反政府活動が行なわれていることを証明することすら不可能だろう。そして、既存体制である政府はそれを「爆弾テロ」と呼ぶのだ。

 舞台がヨーロッパなので、鑑賞中はナチス打倒の映画にしか見えずに退屈したのだが、もしこの映画の舞台が日本だったら、かなり感情移入できたに違いない。例えば、太平洋戦争に突入しようとする日本政府を「爆弾テロ・グループ」が倒すという映画だったら、日本人にとっては相当面白くなる筈だ。
 私は、イスラム圏への空爆も、9.11のテロも、基本的には全く同じ「暴力」だと考える。アメリカは、「殴ったら殴り返された」だけであり、被害者でも何でもない(ビンラディンに関して言えば、「飼犬に手を咬まれた」)。
 もしもアメリカが世界を支配する悪の帝国だったとしたら、テロ以外に、アメリカを倒す方法はあるのだろうか? そんな映画も観てみたいが、それはちょっと無理だろうな。
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Vフォー・ヴェンデッタ

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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。