2017-10

日本のゴジラの「非生物3原則」

日本のゴジラの「非生物3原則」

  【2002年6月4日(火)頃に書いたもの】

 日本のゴジラに関しては、生物だということは建て前で良い。
 逆に、アメリカのゴジラ(トラゴジ)は、2作目以降も生物だという本音ベースでやっていく方が良い。

 私が子供の頃初めて観た『対ヘドラ』のゴジラは、“大自然の怒りの象徴”であった。子供心に、ゴジラの怒りは一匹の野生動物としての怒りではなく、大自然そのものの怒りだと感じられた。ゴジラがヘドラとの戦いで傷を負っていく姿を、大自然が公害によって傷つけられている姿と重ねて見るというのは後年の解釈であるが、感覚的には当時も近いものがあったと思う。
 ゴジラがラストシーンで人間たちを睨み付けたとき、
「本当に悪いのは人間(ヘドラを怪獣化させた責任は人間にある)ということを、ゴジラは知っている!」
と、当時の私は直感した。あそこでゴジラが人間を踏み潰したとしても、理はゴジラにある。あの瞬間、私は“大自然の怒りの象徴”であるゴジラが、公害を垂れ流す人間たちに天罰を下すことを覚悟していた。しかし、荒ぶる神は天罰を下すことなく、大自然の代名詞・生命の源である海へと帰って行った…そんなイメージである。
 人間を踏み潰すことができたにもかかわらず、あえてそれをせずに帰って行ったゴジラは、単なる“戦う存在(破壊をもたらす存在)”ではなく(“大自然の怒りの象徴”であると同時に)“心を宿した荒ぶる神”として、私の心に焼き付けられた。

 この『対ヘドラ』のゴジラのイメージが強烈に刷り込まれた私は、翌年『対ガイガン』において、傷付き血を流すゴジラの姿を見ても、そこに生物感を感じることはなく、“肉体を宿した神”・“血を流す神”といった、ある種神聖な感覚を抱いていた。神仏を形取った偶像が、血や涙を流すという逸話を聞いたことがあるが、自分の中ではその感覚に通じるものがあるように思う。

 後年になってゴジラ第1作目を観ても、ゴジラは“ジュラ紀の生物”ではなく、“ジュラ紀の生物”の姿を借りた“大自然の怒りが具現化した存在=荒ぶる神”なのだという意識はそのまま残った。それどころか、“戦争・戦災・核兵器のメタファー”という要素が新たに加えられたことで、「ゴジラは生物そのものではない」・「ゴジラが生物であるというのは建て前である」という捉え方は、より強固なものとなった。

 そもそも、「海棲爬虫類から陸上獣類へ進化する中間の生物」が、あんなにガッシリとした脚を持っているはずはない(魚類から両生類へ進化する中間の生物から類推すれば明らか)。普通に考えれば、これとは全く逆の「直立2足歩行する恐竜の一種が、海棲獣類へ進化する中間の生物」となるはずである。あえてそうしなかったのは、「直立2足歩行する恐竜の一種」といったような、ある意味正体が割れた形でゴジラを説明することを避けたかったからなのだと思う。
 三葉虫やストロンチウムの件も、鯨の体から同様のものが見つかったとしたら、全く別の解釈が行われるはず(たまたま、汚染された海域を通過したetc)である。
 単にゴジラに付着していた砂から放射能が確認されたに過ぎないにもかかわらず、あたかも「ゴジラが原水爆の直撃を受けても生き延びた」という既成事実が存在するかのごとく語る件からは、山根博士が放射能ならぬ狂気を帯びていることを感じさせる。

 山根博士によって語られるゴジラの属性が、博士個人の思い入れによる一種の妄想かどうかは別にして、「ジュラ紀の生物」と言いつつ「200万年前」という年代を持ち出した理由は、原作者が明らかにしている。ゴジラに人類のメタファーとしての属性を持たせる思いが込められているのだ。ゴジラが由来のはっきりした明確な生物ではなく、正体が定まらない謎めいた存在として世に送り出されたとする認識は、間違っていないと思う。

 VSシリーズや『ミレニアム』で提示されたゴジラ細胞というアイディアは、それ自体は面白いと思うが、ゴジラを細胞から構成された生物だと明確に限定してしまう弊害も派生させる。細胞レベルで分析が可能ということは、ゴジラの皮膚などの体組織を、細胞レベルにまで加工することが可能だということに他ならない。
 それに並行した(それ以前?)の問題として、ANB弾、Gクラッシャー、フルメタルミサイルといった、ゴジラの皮膚を貫通できる武器を大量に命中させ、その体内で弾頭を爆発させれば、いかに大型とはいえ所詮動物であるゴジラが生き延びる術はないということが挙げられる。人間の力で細胞にまで還元できる限定された肉体しか持ち得ないゴジラは、最終的にはトラゴジと同じ運命を辿るしかなくなるのだ。

 日本のゴジラには具体的な生物としての属性は与えず、あいまいな存在として描いたほうが良いと思う。すなわち、

 生物として「生まず」・「生まれず」・「生み出されず」
 あるいは、肉体やその一部を「残さず」・「採取されず」・「分析されず」

といった「非生物3原則」を標準にして欲しい。裏を返せば、この標準が主流として守られてこそ、たまにこの標準から外れたゴジラ映画が造られたとき、それが異色の佳作になり得るのである。

 トラゴジは、日本の「ゴジラ細胞を持つ超生物」的な矛盾を抱えた中途半端なゴジラとは違い、「人間の作り出した核兵器によって生まれてしまった特異な巨大生物」であることに徹しており、その意味で洗練されたゴジラになっている。
 トラゴジは、生物であることの弱点を自然に備えた“ナチュラルなゴジラ”であることが魅力になるような描き方をして欲しい。平成ガメラ1でのガメラのように「傷付いた肉体を海底温泉?で癒す」といったシーンが、トラゴジには良く似合うと思う。
 「親トラゴジが生まれた子供トラゴジに餌を与える」といったシーンなど、一生物としてのゴジラの姿が普通に描けることがトラゴジの強みだろう。野生動物なのだから、満腹になれば案外おとなしいのかもしれない、とか…。

 ビルがあったら破壊しなけばならないといった縛りがある感の日本のゴジラには出来ないことを、アメリカのゴジラがやってくれることを期待している。
スポンサーサイト

トラックバック

http://sinden.blog6.fc2.com/tb.php/238-425763ce

ゴジラ対ヘドラ - Godzilla VS. The Smog Monster

ゴジラ対ヘドラ山内明 坂野義光 柴本俊夫 東宝 2004-04-28流れ星でやって来た、公害怪獣ヘドラ!街を森をふみつぶし、二大怪獣が大決戦!初めて出会った最強の敵に、ゴジラは勝てるの

«  | HOME |  »

MONTHLY

CATEGORIES

RECENT ENTRIES

RECENT COMMENTS

RECENT TRACKBACKS

APPENDIX

震電

震電

 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。