2017-08

『ヒストリー・オブ・バイオレンス』

『ヒストリー・オブ・バイオレンス』
  2006年の映画館で観た映画:6本目
  映画を観た日:2006年3月17日(金)


 本当は18日(土)に『子ぎつねヘレン』を観に行くつもりだったのだが、ボクシングのチケットがこの日に売り出されるため(座席指定で購入するため、銀座のチケぴまで脚を運んだ)、予定を変更せざるをえなかった。それで観ることになった映画が本作である。
 この映画を選んだ理由は、監督がクローネンバーグだったから。洋画に関して、映画を監督で選ぶというのは、ティム・バートン以外では初めてである。『スキャナーズ』、『ビデオドローム』、『ザ・フライ』、『スパイダー』といった作品はビデオやWOWOWで観てきたが、劇場で作品を観たことはまだなかった。それで、これを機会に…というわけだ。
 
 “a history of violence”とは、“暴力の歴史”という意味ではない。“暴力事件を起こした過去”という意味だ。しかし、クローネンバーグ監督は、フランスで「“暴力の歴史”を描いた映画なのか」と尋ねられたとき、「それも間違っていない」と思ったという。
 この映画には、様々な暴力が登場する。日常的な暴力や、そうではない暴力。全くの余所者から受ける暴力や、同じ組織に所属する者からの暴力、家族から受ける暴力…。
 直喩的な表現は全く用いられていないが、クローネンバーグ監督はこの作品から政治的な象徴的的意味合いを見出すことを否定しない。クローネンバーグ監督は言う。「どんな国や文明も、ヒストリー・オブ・バイオレンスを持っている」と。

 この映画は、『ビデオドローム』や『ザ・フライ』といった、SF的なテイストを含んだ映画ではない。市民にとっての非日常を描いた映画ではあるが、飽くまでも現実社会内での非日常である。
 ラストシーン、自らの首に“抗争の刻印”を刻み込まれた主人公は、それでも家族の元に帰って来る。全てを理解してはいないが、決して何も理解していないわけではない幼い娘がまず彼を受け入れ、事実を知っている高校生の息子が、それに続く。残るのは、彼の全てを知ってしまった妻。そこには、家族という最も小さな世界の中で、社会的モラルや宗教的概念を剥ぎ取られた純粋な人間同士が向き合う姿があった。

 暴力を克服するということは、決して生易しいことではない。しかし、それを諦めるべきではない。そしてそれは、決して宗教や文明から与えられるものではない。人間自身が、現実に成すべきことなのだ。
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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。