2017-08

『男たちの大和』

『男たちの大和』
  2006年の映画館で観た映画:1本目
  映画を観た日:2006年1月3日(火)


 TVのCMを見るに、「お涙頂戴の戦争映画」という典型的な駄作の臭いがプンプンしたのだが、特撮映像をスクリーンで確認したくて映画館に足を運んだ。
 結果、確かに典型的な「加害者意識の欠如した太平洋戦争もの」ではあったが、駄作ではなかった。
 特撮映像のみに注目すれば、邦画としては立派な成功作と言える。これは嬉しい誤算だった。理由は明白である。日本特撮の失敗パターンである「あれもこれもやって、全てクオリティが低くなる」を回避しているからだ。
 この映画では、特撮は大和(およびその周辺)に絞り込んでいる。だから成功した。かつての海戦もののように、艦隊戦の全容を描こうと欲張っていたら、「ミニチュア丸出しのチャチな特撮」の域を脱せなかったに違いない。そうならないように、映画そのものを「大和を描く」という絞り込んだコンセプトにしたのは、英断だった。

 人間ドラマに関しては、誰が主人公なのかハッキリしない印象なのだが、この作品にとってはそれが逆に効果的であるように思う。戦闘機の闘いは個人的なイベントに成り得るが、戦艦の闘いは飽くまでも集団的なイベントだ。大和の沈没は日本海軍の終焉、日本の敗北の象徴でもあるので、尚更である。

 しかし、いくら戦争が消耗戦であるとは言え、戦艦の対空機銃をむき出しの兵に操作させるなど、狂気の沙汰である。役に立たない副砲を全て撤去して、対空機銃を爆風や敵戦闘機の機銃に対して装甲化するという発想は浮かばなかったのだろうか?
 大和は、敵機に左舷の機銃群を潰され、対空砲火のなくなったその左舷を集中的に雷撃されて沈没するに至った。まず対空兵装を潰しておいて、次に雷撃という戦法は、素人でも考え付く。大和には、その程度の戦法に対する防御策すら採られていなかったのだ。

 なお、この映画のパンフレットには「森下艦長時代は、一発も弾に当たっていない」と書かれているが、これは誤りである。実際には、レイテ沖海戦(シブヤン海における対空戦闘)で爆弾3発が命中している。
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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。