2017-08

『仮面ライダー響鬼』は失敗作である(駄作ではない)

書く気のあるうちに『響鬼』を総括する 【その1】

 『仮面ライダー響鬼』は失敗作である(駄作ではない)

 『響鬼』は、普通の失敗作である。
 1号からV3のライダーブームをリアルタイムで経験し、『ガンダム(1作目)』をリアルタイムで観た世代として、書き記しておきたい。『響鬼』は、「ムーブメント」とか「エポックメイキング」という言葉とは無縁の、ごく普通の失敗作に過ぎない。
 言うなれば、『響鬼』は「失敗した『平成版の仮面ライダーアマゾン』」なのだ。
(『仮面ライダーアマゾン』自体が成功作なのかどうかは微妙な感じがするが、ここでは触れない。『響鬼』と『アマゾン』の共通点に関しては こちら

 チーフプロデューサーが番組途中で更迭されたのは異例なことかも知れないが、それは失敗作を語る上での単なるオマケだ。『響鬼』は人気が低くて玩具の売れ行きも悪かったから、途中でテコ入れが入って路線変更が試みられた。そう考えれば、異例でも何でもない。人気が低迷している番組が、放送途中で路線を変更して人気上昇を図ったり、場合によっては番組終了時期が早まったりする(打ち切りになる)のは、むしろ自然な成り行きである。

 では、「テコ入れ原因を作った29話までの『響鬼』」の犯した失敗とは、何だったのか?
 29話までの『響鬼』の視聴率は、前作『剣』より少し低いものの、極端に悪かったわけではなかったようだ。にもかかわらず、主力玩具の売り上げが問題視されるほど悪かったとすると、『響鬼』の失敗=商品展開の失敗だったとも映る。
 ただし、『響鬼』の商業的失敗の原因を解明する! でも触れたように、商業的失敗は必ずしも作品的失敗と無関係ではない。『響鬼』の場合、むしろ切り離せない関係にある。ここでは、その辺りを中心に考察してみる。

『響鬼』の作品的失敗その1 … ライダーと敵との「攻防」が不足

 そもそも、『仮面ライダー』と『ウルトラマン』は、どの点において差別化がなされているのか?
 『仮面ライダー』の特徴は、ライダーも敵も「異形ではあるが人である」こと。これが、『ウルトラマン』や『ゴジラ』などのいわゆる怪獣モノとは決定的に異なる点である。『ウルトラマン』や『ゴジラ』の魅力が「人ではない者同士の闘い」を売りにしていることの真逆に、『仮面ライダー』の魅力があると私は思っている。
 「異形ではあるが人である」者同士の闘いには、攻防のバリエーションを多く持たせることが出来る。異形であるとはいえ、基本的には人と人である。素手での攻防、一方のみが武器を使った攻防、双方が武器を使った攻防。
 素手の攻防でも、パンチ、キック、投げ、ジャンプといった選択肢を双方が自由に組み合わせられるという選択肢の豊かさがある。

 これに対し、『響鬼』はではどうだったか。
 「鬼と巨大な魔化魍のバトル」は、言葉を変えれば「ライダーと怪獣のバトル」である。
 ライダーは実写で、怪獣はCG。ちょっと考えただけでも問題山積みである。
 で、出来上がったものは、大きな蜘蛛に跨ってドンドコやって「害獣駆除」一丁あがり!みたいなバトルである。そこには、攻防といったものがほとんど存在しない。
 何しろ、鬼と魔化魍のサイズが違いすぎる。人対人なら、パンチ一つとってもストレートだったりアッパーだったり、顔面を狙ったりボディを狙ったりとバリエーションが出せるが、巨大な魔化魍にはそんな当たり前のことすら出来ない。デカイ蟹が大きなハサミを振り回したら、鬼の全身を殴って吹き飛ばすことになるだけである。
 だからと言って、巨大な魔化魍がライダーとチマチマと細かい攻防をしたところで、かえって不自然となる。例えばデカイ蜘蛛に高い知能があったとしても、糸を出して絡め取ってから仕留めるのが最も効果的な攻撃ではないか。その糸を使った攻め方に高い作戦性を持たせるという描き方も考えられるが、そんなきめ細かいことをやるのだったら、そもそも蜘蛛が巨大である必要性はない。

 人間と巨大な怪物の間で、攻防と呼べる駆け引きが展開された作品もある。例えば、『ジョーズ』や『トレマーズ』がそれだ。
 端的に言って、『ジョーズ』における「攻防」は、鮫が水面下で活動する生物だから成り立っている(『トレマーズ』も基本的には同じ)。ちなみに『ジョーズ』のパターンはイッタンモメン、『トレマーズ』のパターンはオオナマズのときに使われた。両者とも、巨大魔化魍が相手のバトルでは珍しく「攻防」が描かれていたが、イッタンモメンの場合はいたってシンプルな内容であった。オオナマズの場合は、等身大(胃袋)のバトルが絡められていたから攻防になったと言える。
 そもそも、『ジョーズ』のパターンを、そう何度も使い回すわけにはいかない。結果的に、巨大な魔化魍と鬼の戦闘シーンは、全体的には非常に単調なものとなった。
 また、TV特撮ゆえ、予算も時間も限られている。出来上がった作品を見ると、CGの魔化魍は単体でも実写の鬼との合成でも、画像的なクオリティを保つのが難しそうだった。

 本来の仮面ライダーにおけるバトルとは、どういうものなのか。
 合体魔化魍の回を思い出してもらいたい。轟鬼と姫との攻防は素晴らしかった。
 「相手がこう攻めてきたら、自分はこう切り返す」、「相手にこう切り返されたら、自分はこう受ける」といった、攻防・攻守がキチンと描かれており、その節目節目で「決めポーズ」と呼べるほどカッコ良く身構えた姿が映し出されていた。
 あれと同じことが、シリーズ1作目である『仮面ライダー』でも行なわれていた。だから、子供に人気が出たのである。仮面ライダーが戦うシーンは、テンポ良く、流れがあり、バリエーションがあり、敵味方の間で同一条件下の攻防が成り立っているからこそ、アクションとしてカッコ良く映るのだ。

 『響鬼』開始から数話は、童子&姫を相手にした等身大バトルでは力の差が有り過ぎて一方的な展開になっていた。そして、巨大な魔化魍を相手にしたバトルは「障害物を排除→音撃」といった、戦いというよりは「一連の作業」のようなパターンで描かれていた。
 要するに、『響鬼』が面白いのは「戦いが始まるまで」で、いざ戦いが始まると面白くなくなるのだ。これでは、「戦いが始まってから」使われるアイテムを玩具化しても、売れ行きが悪いのは当然である。主に「戦いが始まるまで」に使われるDAの玩具が売れたのも、道理である。(玩具に関する問題点に関しては、 『響鬼』の商業的失敗の原因を解明する! でも書いているので、ここでは繰り返さない)
 主力玩具は、初動勝負の性格の強い商品であると思われる。『響鬼』開始から数話が犯した失敗は致命的であり、この時点で『響鬼』の初代プロデューサーの命運は尽きていたのではないか。

 夏の魔化魍が等身大であるとか、太鼓でしか倒せないという設定は、玩具の太鼓の売れ行き不振を受けた、事実上のテコ入れ・路線変更だったと思われる。
 太鼓の使い手である響鬼が剣を使うようになったと思いきや、その剣が商品化されなかった(後の装甲声刃に繋げる目論見があったのかもしれないが、コンセプトがかなり異なっている)ことからも、作品の迷走・破綻の一端が感じられる。
 「ライダーと敵との攻防が不足」という欠点は、強化された童子や等身大魔化魍の登場によって改善されていくのだが、巨大な魔化魍が登場する際には必ず露呈してしまう構造的問題であることに変わりはない。これは本当に大きな失敗であった。

『響鬼』の作品的失敗その2 … 主役キャラクターが「分裂」してしまっている

 ザンキの人気が高く、鬼を引退した後もけっこう出番があったのは、ある意味『響鬼』の失敗を象徴している。明日夢が普通にヒビキに弟子入りしていれば、ザンキ&トドロキの師弟エピソードも含め、ザンキがここまで描写されることはなかった筈である。

 「あきらを別の所に預ける」というエピソードも、本来の預け先は、ヒビキ&明日夢の師弟コンビでなければならなかったのだ。ヒビキと明日夢が明確な師弟関係を築いていないから、物語のメインとなる(鬼の核心に関わる)エピソードが二人の主人公から逸れ、脇へ脇へと流れて行ってしまう。
 物語に本来存在するはずの、イベントを半ば自然に(必然的に)引き寄せる力場、流れ、渦の中心といったものが『響鬼』にはない。作品全体としては芯が弱い(作品に求心力が働いていない)のだ。『響鬼』を定点的に見ると、「弱い芯(主役)を、補強材(サブキャラ)で支えている」という状況が多いのは、このことの裏返しである。

 『響鬼』のドラマ的な失敗は、「本来2人であったはずの主役キャラが4人に分裂してしまっている」という点に集約されると思う。
 「現在のヒビキとザンキが一緒になったキャラ」が、主役であるべきだったのだ。
 「現在の明日夢とトドロキが一緒になったキャラ」が、主人公であるべきだったのだ。

 ヒビキの「師匠キャラ」がしっかりしたものであれば、ザンキの「師匠」ドラマは割愛できる。
 明日夢の「弟子キャラ」がしっかりしたものであれば、トドロキの「弟子」ドラマは割愛できる。桐矢に至っては、存在自体が不要となる。

 トドロキが設定年齢よりも遥かに子供っぽい思考・感情・行動をとるのは、明日夢にそうした部分が欠けているからである。『響鬼』の主たる視聴者は子供であるので、彼らと同じ視点、同じ気持ちで動くキャラが必要なのだ。
 『響鬼』の登場人物は、基本的には全員「極端な特徴をもつキャラ」で、子供にも分かりやすくはなっている。その中でも、子供が特に感情移入できる「子供代表」的なキャラクターが最低一人は必要なのだが、その役割をトドロキが担わされている。戦いの場に出て来られない明日夢は、主人公であるにもかかわらず、実質的な出番はトドロキよりも少ない。そうなると、その代わりにトドロキが子供のように振舞うしかないのである。
 「近寄りがたいくらいのカッコ良さ」を有するキャラではなく、子供からも「それじゃダメだよ」と言える程度の隙があり、なおかつ決めるときはカッコ良く決めるキャラ。親近感と憧れの両方を抱ける存在として、トドロキのポジションこそ、主人公を務めるに相応しい。
 明日夢には、親近感は感じても、憧れは抱きにくい。仮面ライダーたちと直に会うことが出来るという明日夢の「立場」や、仮面ライダーたちに可愛がってもらえるという「境遇」には憧れるが、明日夢自身には憧れを感じる要素が少ない。このアンバランス故に、京介の「君みたいな奴がヒビキさんと親しいなんて…」にすら頷いてしまう部分がある。桐矢に対するヒビキの台詞に
「そんなんで務まるのか、鬼が」というものがあったが、29話までの明日夢に関しては
「そんなんで務まるのか、子供番組の主人公が」と感じることが多かった。

 『響鬼』というドラマは、どこで「ボタンの掛け違え」を犯してしまったのだろうか?
 明日夢が盲腸で入院したエピソードが、ほとんど意義のないものに終わってしまったところからだと私は思う。あそこから、『響鬼』のドラマは失敗の方向へと大きく踏み外していったのだ。

 私は、14話を見た段階で、明日夢はヒビキではなくザンキの弟子になるのでは?と思った。ヒビキ役の細川さんのスケジュールが厳しいことから、明日夢にウェートを乗せた物語にせざるを得ないように思えたのだ。
 明日夢はドジで弱っちいキャラではあるものの、高校合格の報告をするためにコンパス片手に山に踏み込むなど、後先を考えない決断と行動力を発揮するキャラでもあった。そんな明日夢が、入院中にお見舞いに来た(ヒビキの手紙を預かってきたとかで)ザンキ&トドロキから、表向きはオリエンテーリングのNPOである猛士に関する説明を受けたり、魔化魍の被害者(同じ病院に入院中)と話をすることで、猛士のメンバーになる決意をしたとしても不自然ではない。警察官であったトドロキが鬼になることを決意した経緯を、明日夢が聞くというエピソードでも良い。

 このように、猛士が表向きはオリエンテーリングのNPOであるという設定も絡めて、15話で明日夢が「今はまだ鬼になる覚悟がないから、まずは猛士に入り、ヒビキさんたちの手伝いをしながら自分を鍛える」という選択をしていたら、どうだろう。『響鬼』というドラマに、やたら子供っぽいトドロキや、明日夢の当て馬のような桐矢というキャラは登場しないで済んだのではないだろうか。
 2クール目を使って、猛士の活動を通して少しずつ鍛えられていくに明日夢の姿を描き、タイトルは『響鬼』だが、実態は「明日夢を中心にした鬼たちの物語(ヒビキはその鬼の一人で、明日夢の目標)」という形を取る。明日夢がヒビキに弟子入りする日が、着々と近づいている…そうしたドラマが展開されていれば、番組途中でプロデューサーが更迭されることもなかったかもしれない。

 明日夢がお年寄りの手を握って励ますのも、確かに素晴らしいことだ。しかし、それをメインにすることは、『響鬼』を支えているチビッコ視聴者が求めていることとは、明らかにズレている。
 子供が見たいのは、「普通の高校生」の小さな親切ではなく、ヒーローを目指して成長していく「少年戦士」のカッコ良さなのだ。「お年寄りの手を握って励ます」という行為が、ヒビキに弟子入りするために鍛えている過程で自然に出来たこととして描かれていれば、明日夢も「小さなヒーロー」として子供達に認知されていたのではないか。繰り返すが、この時間帯にTVの前にいる子供たちが観たいのは、「普通の高校生の、普通の日常」ではないのだ。

 思えば私も、明日夢が音角をいじったときには何らかのイベントが起こって欲しかったし、明日夢が入院したときには彼の身体に「普通ではない何か」が起こっていて欲しかった。「仮面ライダーと友達になった少年」あるいは「仮面ライダーの仲間になった少年」には、特別な何かがあって欲しかったのだ。特別なことをやって欲しかったし、出来ないまでも、挑んで欲しかった。
 「チビッコの期待することをやる」、これがヒーロー番組に登場するキャラの存在意義である。音角で変身しようとして失敗→気絶するなど、本来ドジな明日夢にうってつけのエピソードではないか。何故、あの時点でやらなかったのだろうか。
 または、魔化魍は普通の人には見えないのに明日夢には見えるとか、音角の音は普通の人には聞こえないのに明日夢には聞こえるとか、そういう「受動的な特別さ」でも良い。TVを観ている子供には、当然劇中の魔化魍が見えたり音角の音が聞こえたりするわけだが、このこと自体が「普通の人には出来ない特別なこと」であるという演出をすれば、ドラマの中の「特別な少年」である明日夢に自分を重ねることが出来たと思う。共感や感情移入というのは、何かを共有するところから始まるのだ。

『響鬼』の作品的失敗その3 … 物語が二つに「分裂」してしまっている

 『クライシス2050』という映画があった。駄作もここに極まれりという程の大駄作であり、ネット上の映画評でも、この映画に100点満点で10点以上を付けている人を見たことがない。29話までの『響鬼』には、この駄作映画と同じ傾向があった。
 仮面ライダーという30分枠番組で、「仮面ライダーの活動とは一線を画した立場の少年」を主人公にし、その成長を描くこうとしていたから、物語が二つに「分裂」してしまっていたのだ。

 「高校生日記」的な展開と鬼の活動をシンクロさせる手法には、一定の効果があった(ただし単なるシンクロは、しょせん映像遊びのレベル)。しかし、ナイーブな少年の高校生活と、人の命が懸かった厳しい戦場では、当然ながら全てにおいて基準となるレベルが違う。このため、高校生活と戦場を比較対象にすることには、すぐに行き詰まってしまった。
 こうなると、一つの作品の中に、基本的には全然交わらない別々の話が、同時に進行することになる。これこそ、『クライシス2050』という映画そのものである。私は『クライシス2050』を劇場で観たのだが、
「全然関係ない2つの話を同時進行させるなら、スクリーンを左右2分割して別々に流せ!」
と怒鳴りたくなった。29話までの『響鬼』にも、それに近い部分があった。前項「その2」で述べたように、主役キャラクターが「分裂」してしまっているのだから、物語も「分裂」傾向になるのは当然の成り行きではある。

 明日夢は、弟子を目指すわけでもなく、ブラバンに燃えているわけでもない。一体何を鍛えているのか分からない。明日夢自身が一貫したテーマを持っておらず、言うなれば「ガンダムに乗らないアムロ」になってしまっていた。
 「ドラえもんと余り会えないのび太」がイジメられっ子でもないとすると、毎回ドラマティックな展開に直面するというのが難しい。30話から桐矢が登場したのは、この構造的欠点を補うためでもある。身近にいる誰かが明日夢をイジらないと、ストーリーを回し辛いのだ。
 
 「高校生日記」に収まらない「悪意・暴力」をテーマにしたとき、ヒビキと明日夢が本当の師弟のように行動を共にしたとき、ドラマの完成度が高まった。このことは、『響鬼』の持つ構造的問題を如実に示している。裏を返せば、そういった場合を除くと、明日夢がいなくても『響鬼』の物語は普通に成立してしまう。設定はそのままで、モッチーと明日夢の登場頻度が入れ替われば、主人公はモッチーのように見えるだろう。立場的には脇役である明日夢を、主人公のように描くという方式自体に、そもそも無理があったのだ(子供向けヒーロー番組としては。ヒーローが付属品的に登場する「高校生日記」なら、話は別)。

 29話までの『響鬼』が「マッタリしていた」と良い意味で書かれているのを目にすることがあるが、私はそうは思わない。
 「マッタリしていた」などというのは、「ハラハラ、ドキドキ、ワクワクがなかった」ということに他ならず、ヒーロードラマとして失敗している証拠である。『スーパーヒーロータイムの仮面ライダー』は、ひなびた年寄り向けの番組ではないのだ。
 明日夢がいなくても『響鬼』の物語が普通に成立してしまうということは、明日夢は無駄ということである。『クライシス2050』でもそうだったが、無駄なシーンがダラダラ続けば、観ている方は大人の場合はイライラしてくるし、子供の場合は集中力がなくなってくるのが普通だ。『響鬼』の人気低迷を考察する からも、コアターゲット層が「マッタリした日常を描いたドラマ」を歓迎していなかったことは明らかである。
 ヒーロードラマを求めている層に、単なる「高校生日記」と化した『仮面ライダー』が不人気となるのは、当然なのだ。

 私にとって、29話までの『響鬼』で面白いと思える部分は、「ヒビキと明日夢の物語」とは別のところにある。ザンキとトドロキの師弟エピソードや、イブキと香須実のエピソードが面白いのだ。『響鬼』がオムニバス作品として「分裂」した状態で楽しんでいるのであり、連続した物語として楽しんでいるわけではない。
 あるいは『響鬼』が「ヒビキと明日夢の物語」というのは建前で、実は最初から「主人公は傍観者」・「主役は時々いなくなる」という前提で、オムニバス作品となるよう計画的にデザインされた企画だったのだろうか? そんな風にも思えてしまう。
 過去の平成ライダーとは異なり、ドラマの初期に「物語の明確なゴール」を提示(暗示含む)しておかなかったということも、物語の「分裂感」を強めている要因の一つだ。結果的に「オムニバス形式」を円滑にしているとも言えるのだが、これは、偶然なのか、必然なのか…。
 いずれにせよ、主役キャラクターの「分裂」によって物語も「分裂」傾向になっていたことは事実。1年を通じて放映される作品であることを考えれば、これも大きな失敗点であった。
 また、魔化魍を巨大にしたことで、市街地をバトルフィールドにすることが困難となった。これによって、鬼の活動と明日夢の日常(視聴者の日常でもある)が隔てられ、物語の「分裂」に拍車をかけていた。まさに失敗の相乗効果である。

『響鬼』の作品的失敗その4 … 猛士という組織を生かせていない

 『響鬼』に登場する猛士や鬼の設定には、中途半端なリアリティしか感じられない。劇中に登場する「たちばな」という店自体にはリアリティがあるが、それが猛士という全国組織の一部であるというリアリティがないのだ。このことは、『クウガ』を引き合いに出すと分りやすい。『クウガ』には「ポレポレ」という店が登場しているが、『響鬼』の「たちばな」のリアリティは、それと基本的には同質・同程度なのである。

 クウガの乗る特殊なバイクが、「ポレポレ」の背後に存在する大きな組織から提供されたものであったら、視聴者の目にはどう映っただろうか。「ポレポレ」とバイクを結び付けるものを最初から描き込んでいない限り、リアリティを感じないだろう。実際の劇中では、クウガの乗る特殊なバイクは警察から提供されている。だからデザインはともかく、その存在や提供の経緯には説得力があった。
 バイクだけではない。『クウガ』というヒーロードラマのリアリティは、警察という実在する全国組織を背後に持ってきたことで成立している。「ポレポレ」という店の描写は、「ヒーローの生活感」という部分のリアリティを分担しているに過ぎない。ヒーローをバックアップする組織として警察を登場させ、それ自体を舞台として描き込むことで、「ヒーローの存在感」というより重要な部分のリアリティを生み出していたのだ。

 『響鬼』では、鬼のシフト表が出てきたので「これはリアルだ」と思ったら、主人公のヒビキは特別遊撃班となってシフトとは無関係になってしまった。これでは、彼が「組織」の一員であるというリアリティを感じられない。主人公が組織から浮いてしまえば、彼の振る舞いを通して組織のリアリティを垣間見るというシーンもなくなってしまう。
 組織を背後にしたヒーローであるにもかかわらず、いつまでたってもキャラクターという「点」しか描かれず、「点」同士を結ぶ「線(または面)」といった組織の存在感が見えてこなかったのは残念であった。

 表向きはオリエンテーリングのNPOであるという猛士の設定も、全くと言ってよいほど生かされていなかった。本来この設定は、猛士という組織が明日夢という主人公の受け皿として機能するために活用されるべきだった。
 主人公が「子供の世界=学校」という日常から「大人の世界=猛士」へ踏み込むことで、年齢こそ違えど、同じく「幼稚園または小学校」という「子供の世界」にいるチビッコの視聴者を、「大人の世界=猛士」へと誘うことができた筈なのだ。
 謎の組織・猛士。その一員になった明日夢が、その謎の組織に足を踏み入れ、少しずつ秘密を明らかにしていくというノリである。子供という者は、「秘密基地」が大好きなのだ。私が子供の頃は、その辺から廃材やらダンボールを集めて、山の中(と言うより宅地付近の雑木林の中)に自分達だけの「秘密基地」を作り、そこへ『テレビマガジン』等の子供雑誌を密かに持ち込んで、ちょっとした非日常気分に浸っていた。これは基本的には全国共通の現象であり、今の子供達にもそうした欲求はあると思う。

 「謎の組織に潜入!」というノリは、大人向けの番組でも見られる。子供も大人も楽しめるシチュエーションだ。近所のコンビニの店長が実は猛士の一員で…とか、オリエンテーリングに参加した先の施設が実は猛士の…とか、描き方はいろいろあるだろう。
 「たちばな」以外の場所で猛士の会合が行なわれ、そこに少年としては唯一人明日夢が参加し、ダンキや他の鬼に出会うというシーンも面白い。子供が「大人の会合」に特別に出席を許されるというのは、子供にとっては怖いような、それでも行ってみたいような、ドキドキワクワクのイベント感覚があると思う。
 最終的には、猛士が警察やマスコミとも裏で深く関わっているというところまで描写すれば、ヒーロードラマのリアリティとしては合格だろう。

『響鬼』の作品的失敗と今後

 このように、『響鬼』は作品的に幾つもの失敗を重ねている。しかし、それらは裏に成功の可能性を秘めた失敗だった。『響鬼』は単なる駄作ではないのだ。これまでの項で既に結論は出ているが、『響鬼』の成功作としての姿は、以下のようになる。

その1…魔化魍を最初から等身大に限定して、鬼との攻防を充分に描く。
その2…15話で明日夢が猛士入りし、28話あたりでヒビキの弟子になる。
その3…明日夢の日常よりも、明日夢の猛士としての活動を重点的に描く。
その4…明日夢の活動を通して、「謎の組織としての猛士」の秘密が徐々に明らかになっていく。

 このような『響鬼』であったなら、少なくとも作品的には成功し、『剣』と同程度の人気は維持できたと思う。(主力商品の太鼓が売れたかどうかは、また別の話。買った私の印象では、余りにも「なりきり度」が低くてどうにもならないような気もする)

 「ジュヴナイルとしての仮面ライダー」というコンセプト自体は、決して悪くない。是非このコンセプトに再挑戦し、そのときには成功させて欲しいものである。
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コメント

大変読み応えがありました

ワタシはかねがね「どうしてこんなに面白くなりそうな要素を持っているのに全体のドラマツルギーが低いんだろう?」という疑問を持っていたのですが、震電さんの考察で色々ヒントを頂いたように思います。いずれちゃんとしたワタシなりの響鬼失敗論を書きたいと思いますが、一点どうしても言いたいことが(笑)
子供が突っ込みを入れつつ、憧れを持てるような存在…これこそ「たっくん」じゃないですか!震電さんはもう見ておられないのかと密かに落胆していたのですが、見ていて下さってよかったです!セイザーXが色んなフォーマットや破壊的でポストモダンなギャグを使いながらもヒーローものとしての「格」を保っているのは中心となるたっくんの造型がしっかりしているからですよね。

こんばんは。
意外なところにTBを頂きまして(笑)、恐縮です。
確かに「響鬼」は子供向けヒーロー番組として失敗だったのかもしれません。
一番ダメだったのは、こどもが戦いごっこしにくい設定だった(相手が相手だし)ことと、ヒビキも明日夢もこどもにとって共感しにくい存在だったことだと、私も思います。

大人からみると、ヒビキは、「こんな風に余裕かましつつ、実はカッコよく生きてみたい」と憧れる存在だし、明日夢は、自分自身の、なんとなく生きていたカッコ悪くもなつかしい過去を思い出させて、それぞれ共感がもてると思うんです。
少なくとも、私が「響鬼」に魅かれたのは、この部分でした。
でも、こどもには、どちらも遠い存在だったのかなあと。

いろいろな視点で描かれた物語が、もっと早い段階で強いつながりをもってきていたら、違っていたかもしれませんね…。
もっとも、戦いのシーンがもっとかっこよくないとダメでしょうけど(笑)。

主演の細川さんが、番組当初、「明日夢がいる意味は?」とプロデューサーに尋ねたという話を読んだり、「響鬼はこどもの為の番組だから」という趣旨の発言をしているのを何度か見かけましたが、もしかするとこの人が一番「響鬼」の本質(いいも悪いも)を見抜いているのかもしれないな、と思います。

コメントありがとうございます

>aさん

 「どうしてこんなに面白くなりそうな要素を持っているのに…」
 これが、日本の作品には多いような気がします。各論賛成・総論反対みたいな。
 ハリウッド映画なんかは逆で、普通に総論賛成・各論反対なんだけど、流れと勢いで騙されて押し切られちゃう、みたいな。
 aさんの響鬼失敗論を、期待しております。
 『セイザーX』は、録画に失敗した1話以外は全部観ています。aさんのプッシュがなければ、録画に失敗してそのままだったかもしれないので、「人知れず」とても感謝しています。
 たっくんは、「大人になりたがっている子供」で、王道キャラ。観ていて安心します。


>77maru77さん

 細川さんが、後藤真希と一緒に某番組に出演していたとき、
「子供には受けが悪かったけど、お父さんたちには夢を与えた」
といったニュアンスの発言をされていました。私には、事実上の敗北宣言のようにも聞こえました。
 細川さん自身が「仮面ライダーを卒業して、そのまま戻って来なかった」経験の持ち主ですから、番組開始当初のコンセプトと、実際の番組が置かれている現状とのギャップを明確に認識されていたのではないかと思います。

 余談ですが、細川さんは音撃鼓のことを「これは爆弾で…」と説明したり、顔だけ変身解除の説明の際に「ヒビキは、鬼の顔が本当の顔で、人間の顔は変身して作っている」と言ってみたり、自分なりの解釈で『響鬼』を楽しんでいるように見受けられます。「自分だったらこうしたい」ということが、常に頭にあるという証拠ではないかと思います。

きんです。大変感慨深く読ませて頂きました。定義として、

「商品」・・作り手が利益を得るため、つくらねばならないもの。(つくりたくなくても)
「作品」・・作り手がつくりたいもの。利益は得なくとも良い。

とするなら、結局、響鬼は「作品」と「商品」のバランスがとれていなかったのだと
思います。
 「クウガ」も「響鬼」もプロデューサのつくりたいものをつくりたいようにつくっただけ
だと僕は思っています。ただ、クウガは世間に受け入れられ(それだって賛否両論
でした。)「響鬼」は受け入れられなかったかと。
 「響鬼」の路線変更に際しては、知っているだけで漫画家の方二人が反対、残念
であるというコメントをあげていました。「響鬼」をモチーフにした、本編と関係のない
アンソロジー集(小説)も発行されるようです。これらは、作り手の心の琴線に触れる
なにかがあり、裏返せば、それだけ一般の方々(とくに子供たち)からは遠いものになってしまっていることを物語っていると思います。

 ただ、個人的な一言を言わせていただくなら、

 「惜しい!!惜しいよ。惜しすぎ」

 ですね。個人的には作家性のつよい作品のほうが好きなので。
 以上、長文失礼しました。

『クウガ』の成功

 きんさん、コメントありがとうございます。
 プロである以上、「作品」=「商品」であるのが当然というか、大前提です。
 あるいは、作品を商品化するのがプロであり、そうしないのがアマチュアとも言えます。
 『クウガ』は、セットに金をかけ過ぎてロケ弁がでなくなったとかの話は聞きますが、作品の商品化には成功していましたし、作品的にも成功していたと思います。企画として、ちゃんと煮詰められていたという印象を受けます。
 『響鬼』はそうではありません。そこが大きく違うと思います。

興味深く読ませていただきました。

等身マカモウが基本で、節目節目に巨大マカモウ出現ならば、インパクトもクオリティも維持できたかも知れないですね。

ただ「剣と同程度の人気」で成功作と呼べるのでしょうか?(笑
少なくとも剣の視聴率は惨憺たるモノだったと記憶しているのですが。

>けんぼうさん

 コメントありがとうございます。
 人気というのは、記事の中にもリンクを張ってある
http://sinden.blog6.fc2.com/blog-entry-106.html
のことです。
 『響鬼』は、自然現象とも言えるライダー人気の低下を止めることができたなら、成功作と呼んでも良いと思います。本来、それが可能なポテンシャルがあったにもかかわらず、果たせなかったのは、こういう失敗を犯していたからだ…という話です。

回答ありがとうございます。納得しました。
ただ、見たところ「555→剣」よりも「剣→響鬼」の下降は緩やかになっているようです。
ライダー人気の低下が「自然現象」とおっしゃるならば、それを前年から緩和した以上、「剣に劣っている」と言い切ることはできないかも知れないですね。
まあ、底を突いただけかも知れませんが(笑

大変興味深く読ませてもらいました。
響鬼の欠点を見事に指摘していると思います。

ただ、ライダー人気は年々下降していったというより剣で一気に落ちたという感覚があります。

子どもアンケートだけでなく、玩具売上のデータを見るとアギトより龍騎の方が大きく上まっています(アギト約90億、龍騎約120億だったと思います)。平均視聴率はアギト約11%、龍騎9.4%ですが、龍騎のときは視聴率測定改変があったので簡単に下がったとは言えません。555は視聴率、玩具とも殆ど龍騎と同じような結果でした。翌年の剣は売上、視聴率とも一気に下がりました。

王道か新生か?

>太鼓の使い手である響鬼が剣を使うようになったと思いきや、その剣が商品化されなかった
一応「音叉剣」として商品化されていたと思います。
が、アームドセイバーとバッティングする商品をぬけぬけ出す辺り、
今年のB社の響鬼担当は近年稀に見る無能だと言いたいです。
クウガの時は野中氏と高寺氏との蜜月が良い方向に動いたのですが。

響鬼について語るとしたら、まぁ外野から観た場合一つの作品として見えるのは
当たり前ですが、流石に29話までとそれ以降は分けて考えるべきではないでしょうか?
我々ファンの感情論というのもありますが、作品を見る限り30話以降のスタッフは
以前との統一性も方向性も一切整合させる気が欠片もない、というのは画面を見る限り明白なのですからその辺りも含めて評論されるのがベストではないか?と思います。(桐谷については放っておいて下さいよorz)

それはさておき、興味深く読ませて頂きました。
猛士の生かし方等については全くごもっともとしか言いようがありません。
また他の方の御意見、作品としての成功と商業的な成功のバランスが取れなかった、という点については残念という他有りません。
ただ、「当の子供に受けなかった」という点については戦闘シーンの問題だけか?とも思います。確かにおっしゃる通りにすればヒーロー物としては王道中の王道です。が、例えば前年の失敗を受けて王道に立ち返った「重甲ピーファイター」とか確かに佳作ですが、やっぱりそれ以上にはなり得なかった。響鬼の当初のコンセプトが"完全新生"を謳っていた以上、例えば「一連の作業」の様な戦闘も一つの冒険だったのかもしれません。(私もアレはあまり感心しませんが)失敗してしまった、というのはあくまで結果論なのでしか無いのではないでしようか?
今、CSでやってますが「特警ウインスペクター」なんて変身してから2、3分だけなんて回もざらなのに玩具は爆発的に売れた訳ですから。ドラマツルギーだけで引っ張る事が出来るケースも有ると言う事です。(非常に稀ですが)
そう言う意味ではまた「じゃあ無条件に子供が喜ぶ物(要素)を与えれば良いのか?」という問いかけをしたくもなります。
これを言っちゃあオシマイでしょうが、かのメタルダーの時に古怒田健志氏をして
「これを視て心が揺さぶられないのなら(当時の)子供達の感性は腐ってしまっているとしか言いようがない!」と書かせた(「怪獣帝国」だったと思います)気持ち。
「響鬼が子供に人気がない」と一言で切って捨てられると、その言葉の気持ちが解るような気もしてしまうのです。
格好良さとドラマツルギーのバランスが上手く取れた作品。を子供達には観て欲しい物ですし、現に今までメタルヒーロー路線は浮き沈みを繰り返しながらそれをやって来た訳です。
響鬼が失敗作という意見には残念ながら同意せざるを得ないのですが、「普通の高校生の、普通出来そうだけどなかなか出来ない日常」からも何かを感じ取った子供が少しでもいてくれれば…、そう思わずにはいられません。

長文失礼しました。とげとげしい文章になっていたら御容赦下さい。
良い分析をされた文章であったが故、反論もしてみたくなった…という事でm(_ _)m

コメントありがとうございました

>けんぼうさん

 底を突いたということもあると思います。平成ゴジラ(ミレニアム以降)もそんな感じでした。
 また、コロッと忘れていましたが、私が一番驚いたのは、『剣』の人気は過去のライダーシリーズの集計に勝っているのに、『響鬼』は負けていることです。この逆転は大きいと思います。


>真っ白さん

 お手数ですが、玩具売上のデータのURLを教えていただけませんか。自分で探してみたのですが辿り着けそうで辿り着けません。
 玩具は子供だけでなく大人も買いますので、全年齢層の人気測定という側面を持っています。しかし、同系統のコンセプトの玩具が展開された『剣』と『龍騎』の放送時期が、もしも逆だったらどうなっていたかと考えると、『剣』の評価は分からなくなってきます。
 昭和ライダー人気は『X』で一気に下がったと思っているので、その辺の影響が気になっています。

Re:王道か新生か?

 特命課桜井さん、コメントありがとうございます。
 当記事は、飽くまでも「路線変更される原因を作った29話まで」の失敗を論じています。
 路線変更するということは、統一性も方向性もなくす方向に進むということに他ならないので、30話以降のスタッフの仕事は評価されるべきだと考えます。特に、予算とスケジュールの圧縮に成功した(ように見える)ことに関しては、高く評価すべきでしょう。総集編を2週連続で流したりしていたら、それこそ『響鬼』は終わっていたかもしれません。

 別の記事でも書きましたが、私が『響鬼』に関して一番引っかかっているのは
「子供向けと偽って、大人向きの番組を作ろうとしていたのではないか」
という疑念が沸いてしまったことです。
「体裁だけ子供向きにして、内容は子供を無視して好き勝手やろう」
無意識の領域で、そんな風に子供を裏切っていたのでは…という疑念です。
 飽くまで個人の感覚で、単なる思い過ごしかなとも思うのですが。

「子供が喜ぶ物(要素)を与えれば良いのか?」という大人の目線ではなく、
「自分が子供の頃に欲しかったものを手に入れる」という、かつて子供だった頃の感性を手繰り寄せて作るのが、子供向けのヒーロー番組なのではないかと思います。

 きんです。玩具のなりきり度から考えたんですけど、「音撃」「明日夢」「武士」など、
あくまで今ある材料をこねくりまわした「ぼくのかんがえた かめんらいだーひびき」
とでもしますか。以下妄想ですがおつきあいくだされば幸いです。(汗)

・ 変身は音角で額のチャクラを刺激→へそ下のチャクラ(丹田)が光って回り、それに反応
 して、鬼石でできたベルトの太鼓も光って回る(ように見える)。一応変身ベルト。

・ 魔化魍は「穢れた土地」のことであり、意思をもつマクー空間のようなもの。ビジュアル
 的には薄暗い。童子と姫はその守り役で、人間の調達役。この土地は人間を食って領域を
 拡大していき、豪雨、旱魃など天災および周辺住民の精神への影響などを引き起こす。
 土地は「魔森」、妖怪は「魔守」。伝承では「オマモリサン」。

・ 童子と姫は人間体しかおらず、「穢れた土地」で合体して一人の等身大の妖怪になる。
 (気ぐるみ代金は一人分で済む。)伝承の雪女、えんらえんら(煙)などもこれで使える。

・ バトルは基本的にこの妖怪と戦う。烈火剣は標準装備。普通にキックで倒す。

・ 土地の穢れを直さないと、また妖怪は復活してしまうため、ディスクアニマルが探して
 くれた、「穢れポイント」で音撃を使用する。固定して使うので、割りと見栄えはするはず。
「土地」は雨、風、雷などで音撃の邪魔をする。太鼓の色はたたくたびに虹の七色の光変化を
 し、それが消えたら一気に浄化。曇天は青空に、枯れ木には季節の花。尺の都合でたたく
 場面をカットして、遠目から曇天が青空になる描写でも良い。

・ 鬼は「鬼の実」を食べた修行者たち。かれらは修行して鬼になるのではなく、体の中の
「鬼」を制御するために修行している。ただし、響鬼は15年前に事故で口にしてしまった、
 もとは普通の人。寿命が通常人の3倍はあり、子供もつくれない。寿命の件もあり、
(戸籍など)人間社会でいきるため、互助組織「武士」の力を借りる。

・ 明日夢は今でいう「キレる子供」。俳優は今の人でよい。自分を抑えることができず、
 他人も自分も傷つけている。彼もまた、事故で「鬼の実」を口にする。そのため、ヒビキは
 彼のために親身になる。「鬼の実」を一年以内で祓えなければ、完全な鬼になってしまう。
 (劇中ではメイクは隈取、右手が鬼になる程度。あと角。)幼馴染のひとみにも秘密。
 鬼の制御をたすける「ペンダント」をヒビキからもらう。たまに妖怪と明日夢のバトルも
 ある。ヒビキの戦いをみて、自分のありかたを見つめなおし、心も体も鍛えていく。
 鬼か人かで迷うが、ひとみのことを思ったとき、もとに戻る決意をする。

・ 鬼の体が外骨格っぽいのは制御している人間の強い意思のあらわれ。あののっぺらぼうの
 「仮面」の下には鬼の顔がある。よって、修行していない人間が「鬼の実」を食べても、
 ただの伝承どおりの鬼になる。ただ、その方が単純に鬼の力はつよいため、パワーアップ
 バージョンは外骨格がいくつか外れ、鬼の口元がみえ、のっぺらぼうのマスクの目は
 宇宙刑事のように細い目が光る。一歩まちがえば暴走してしまう危険な技。頭頂部の
 チャクラをまわさなければできない。

・ 敵の頂点も「鬼の実=禁断の果実」を食べた男女。制御できているくせに邪悪。頭頂部の
 チャクラを光らせ、男は鳥の羽を。女は蝙蝠の羽をもち、その姿はまるで・・・。
・ たいがいは巻き込まれで事件を解決するが、場合によって、保健所などの公的機関からも
 依頼をうけたりして、それが武士の副収入源と政府へのコネになっている。

 ありがちパクリで和洋折衷の上、神道、密教もゴッチャですが。このくらいが僕の好みです。
 仮面ライダーの「仮面」は彼らのつらさ、悲しさを隠す「仮面」で、彼らの体は「もう元
 に戻れない」コンセプトでなければいけなかったかと思います。それでも!!強く正しく
 生きていく。その力は他人のために!!。その訴えが響鬼ではあまりにも希薄でした。
 クウガではあれほどうまくやっていたのに。本当に残念です。長文失礼しました。 

 どうも、はじめまして。
 僕は29話までの響鬼が大好きな人間です。
 けれど、この記事はとても興味深く読ませていただきました。響鬼という作品の根本的な問題点を的確についていると思います。
 しかし、感銘を受けると同時に大きな疑問も湧き上がりました。
 響鬼が本当にそんな失敗作なら、自分はどうして29話までの響鬼がこんなに好きなんだろう? 路線変更で僕の友人たちやネット上での多くの人々が、怒ったり嘆いたりしているのは何故なのだろう?
 そもそも響鬼という作品は本当に失敗作なのだろうか?
 そのあたりについて、僕なりの見解を述べさせていただきます。

 まず最初に29話までの響鬼は面白くなかったのか?
 僕個人としては明らかに面白かったです。頼りになる大人である響鬼さんの格好よさ。とても親近感の持てる鬼たち。下町の人情。人里離れた山奥に潜む怪童子や妖姫、魔化魍の不気味さ。
 確かにドラマとしての起伏には欠けていたのかも知れません。しかし、それは果たして欠点だったのでしょうか?
 高寺プロデューサーの作品の特徴はその綿密な世界観にあると思います。「仮面ライダークウガ」では、もし現実社会に仮面ライダーや怪人が存在したらどうなるかを、徹底的にシミュレーションしてくれました。警察やマスコミはどう動くだろう? ヒーローはどんな人間なんだろう? 敵が人間を襲う理由は何? シーンごとに時刻や場所まで表示するやりすぎとも思える演出は、まるでこのドラマが現実に起こっているかのように錯覚させるほどでした。
 「仮面ライダー響鬼」も基本的には同じ方針で作られていたと思います(少なくとも29話までは)。
 もし、現実に正義の組織が存在するとしたら、それはどんな組織だろう? 一人で各地にいる敵を全て倒すのは無理だから、シフトでも組んでやるに違いない。それぞれの鬼にサポートの人間がつくほうが自然だな。ヒーローといっても組織でやってるんだから、忘年会ぐらいするだろう。鬼の中には怪我して入院する奴もいるに違いない。
 そういった緻密な描写はまるで目からうろこが落ちるようでした。鬼たちがとても身近に思えたのです。
 正直なところ最初の頃は僕も明日夢くんのパートが退屈でした。いったい何の意味があるのか疑問に思ったものです。
 しかし、知らないうちに明日夢くんと一緒に小さなことに一喜一憂している自分がいました。細かい日常描写の積み重ねによって、明日夢くんが身近な友人のように思え、親しみを抱くようになっていたからです。そしてそのおかげで、人知れず魔化魍と戦う鬼たちの世界が、本当に自分たちの日常のすぐ隣に存在するような興奮を覚えました。
 確かに明日夢くんがすぐに猛士に入り、響鬼の弟子になった方が、ドラマとしては自然で、人気もすぐに上がったかも知れません。おそらく高寺プロデューサーもそのことは分かっていたでしょう。そして、いずれはそういう展開にするつもりだったに違いありません。
 ですがそれは明日夢くんというごく普通の少年を、視聴者がまるで現実にいる人間のように、身近に感じられるようになってからのことです。序盤でテンポ良く猛士に入り、響鬼に弟子入りしていたら、そんなドラマを面白いとは感じても、そこから真実味を抱くことができたでしょうか? ごく普通の少年が鬼に、つまりヒーローになるという結末を効果的に見せるには、その少年の視聴者と変わらない普通の生活を、最初にしっかりと描くことは必須です。
 まずはたちばなのバイトから始め、そしていずれ猛士の一員になり響鬼の弟子に。高寺プロデューサーはそういった展開をじっくりと描くつもりだったのでしょう。なるほど、エンターテイメントとしてはスローすぎるかも知れません。けれど、本当に胸に残るのはどちらでしょうか?
 『作り話の中の真実』という言葉があります。大きな嘘を徹底的に真実味をもって描くのが、良質な物語の鉄則。少なくとも29話までの響鬼はとても上手に嘘をついてくれました。しかし、それ以降の響鬼はどうでしょう? ごく普通の少年である明日夢くんもヒーローになれる。つまり視聴者である君たちだって、がんばればヒーローになれるんだ。響鬼という作品にはそんなメッセージがこめられていたはずです。今の響鬼を見て子供たちがそんなメッセージを真実味を持って受け入れることができるでしょうか? むしろ単なる絵空事、30分の時間つぶし。それ以上の感想は抱けないと思います。
 そもそもドラマツルギーとは何でしょうか? 分かりやすくキャラが立っていて、ストーリーにメリハリがあり、展開がスピーディーで飽きさせなければ、それは優れたエンターテイメントなのでしょうか?
 確かにそういった面で考えると響鬼は地味でした。人によってはかったるいドラマにしか映らなかったでしょう。
 けれど、たとえば明日夢とあきらの最初に会った時の確執、明日夢とあきらともっちーの微妙な関係、鬼たちの普段の素顔。軽妙な掛け合い。そんなささいなドラマもどんなエンターテイメントにも負けないほどワクワクさせてくれました。それはドラマに真実味があり、視聴者が感情移入していたからに他なりません。
 ここで言っておきますと、僕は白倉プロデューサーたち後任のスタッフを非難しているわけではありません。むしろ誰もやりたがらないような役割を引き受け、曲がりなりにも番組を存続させている手腕には感服しています(個人的にはいっそ打ち切ってもらったほうがましでしたが)。
 また龍騎や555などの作品を嫌っているわけではありません。むしろ大好きで、熱中して見ていました。だから見せ場満載のメリハリのある仮面ライダーも大歓迎です。
 ただ響鬼はアギトでも555でもないということです。

 さて、そうなると問題は29話までの響鬼は、はたして子供番組といえるのか? スタッフは子供を無視して大人を対象に作っていたのではないのか、ということです。
 スタッフが本当のところ、どういうつもりで作っていたのかは、僕には分かりません。ですが僕個人の意見としては、響鬼はむしろ子供たちに見てもらいたい作品です。
 仰られるとおり響鬼には、子供たちをひきつける要素があまりないように見えます。むしろ子供たちが望むものをあえて排除しているような気さえします。
 ですがスタッフは限りなく誠実に子供たちに向き合っていたように思うのです。本当に誠実だったからこそ、明日夢くんの成長や彼が響鬼とはぐくんでいく絆を、どうせ作り話だからと適当に描きたくないと考えたのではないでしょうか? そして本当に良質な作品なら、子供たちは受け入れてくれる。そう信じていたのだと思うのです。というか僕自身が子供たちをそう信じたいのです。
 それでは響鬼は本当に子供たちに人気がなかったのでしょうか?
 まあ、おもちゃが売れなかったというデータが確かにそれを裏付けています。つまりは人気がなかったのでしょう。
 けれど、僕は一概に人気がなかったとは言い切りたくないのです。というのも個人的なことで恐縮ですが、夏に実家に帰省した時に、4歳の甥っ子が響鬼にすっかりはまっていて、録画したビデオを何度も繰り返し見て、響鬼ごっこと称して怪童子役をやらされて、幾度もバチでぼこぼこにされたものですから(ちなみに甥っ子はマジレンジャーやアンパンマンなども見ていましたが、響鬼以外は眼中にありませんでした)。
 まあ、甥っ子の嗜好が特殊だっただけかもしれません。しかし、響鬼の劇場版に大勢の子供たちが押しかけ、シリーズ最高のスタートダッシュを見せたことを考えると、決して言われるほど人気がなかったわけではないと思うのです。

 そういうわけで29話までの響鬼は、僕にとっては失敗作どころか大傑作でした。その思いは決して揺るがないと思います。そういう人間も少なくとも一人はいるということを、認識していただけば幸いです。
 まあ、実のところ響鬼ファンの痛いところをかなり的確につかれたので、むきになってしまったのですが(w
 長々と見苦しい文章をすみませんでした。

 子供が見たい番組と大人が子供に見せたい番組は違うと言う古典的な問題ですね。
 スタッフが向き合っていたのは現実の子供じゃなくて、つまるところ理想化された子供の頃の自分だったのでしょう。そんな後ろ向きの姿勢では今を生きている現実の子供に見捨てられるのもむべなるかな。

 子供は誰だって早く成長したい、大きくなってヒビキさんと肩を並べたいと考えるものです。にもかかわらず作中では明日夢くんをそのまま成長しなくて良いとスポイルするような展開でした。
 子供が子供のままでいて欲しいと言うのは大人の欲望であり、子供にとってはうっとおしい押し付けでしかありません。ましてや明日夢くんの年齢ならそれこそ爆発的な成長が起きる年頃です。
実際明日夢くんを演じる栩原楽人は演技面だけでなく体格や顔つきも番組当初に比べると驚くほど成長しています。それこそ明日夢くんの作中の成長をかるく追い越しています。

 その件については今回のヒビキさんと明日夢・桐矢の弟子入り話でも描かれていましたね、普通の高校生のままでいて欲しいヒビキと何としても弟子入りして成長したいと考える2人の対立はそのまま29話までのジレンマを表しています。

100人のうち何人に好きになってもらえれば良いのか

 きんさん、コメントありがとうございます。
 明日夢が「キレる子供」というのは視聴者から拒絶されるので、「ひねくれている」程度で良いと思います。
 それ以外は、私も賛成です。より『仮面ライダー』っぽくなっているところもポイントが高いと思います。きんさんも、ここまで書ける人なら、FC2でブログを開設して自分だけの「情報発信基地」を持たないと!
 ちなみに、私の古~いアイディアは↓です。
 http://sinden.blog6.fc2.com/blog-entry-1.html


 マコトさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
 『響鬼』の記事を書いているブロガーの中では、マコトさんの意見が比較的多いように感じています。
 大抵の失敗作には、100人中1人か2人は「好きだ」というファンがついていると思います。そういう人を否定するつもりはありません。あるいは、最初から「100人中1人か2人が好きになってくれれば良い」というスタンスで作られた作品を、失敗作だと呼ぶつもりもありません。
 TV番組で言えば、
「10%の視聴率のうち、1~2%を捨てて、残りの8~9%を膨らませるべきか」
「1~2%の視聴率で充分成立することを前提にして、番組を作るべきか」
ということになります。

 私は、スーパーヒーロータイムにおける『仮面ライダー』として、『響鬼』は失敗作であると判断しました。ちなみに、劇場版の人気は、『マジレン』に拠る部分が大きいのではないかと思っています。子供人気は、『マジレン』の方が高いので。


 暇鬼さん、コメントありがとうございます。
 何か、暇鬼さんに上手く締めてもらったのに、私のコメントは蛇足みたいで恐縮です。
 『ドラえもん』が、のび太が原則として全く成長しないことによって成立している作品であるように、子供の成長を描く物語が、構造的に難しいことは分かります。
 しかし、一方で『ガンダム(1作目)』のような作品もあります。明日夢も成長する過程で、アムロみたいに一度ドロップアウトするとかのイベントを絡めて描けば、50話全体で引っ張ることができたのではないかと思います。
 実際には、あきらがドロップアウトしてそのまま弟子をやめてしまうという、サブキャラの処理?エピソードで使われたわけですが。

秘密基地

初めまして。読んでて思わずうんうん納得できたので、感想のカキコです(笑)

「秘密基地」というのはすごく共感できますね。
秘密の共有に参加できるというシチュエーションであれば、
それこそ子供も大人もご年配の方々(笑)も、ワクワク感を共有できると思います。

私も小学生のころ学校の近くに秘密基地を作ったことがあります。
いつも下校中に作業をしていたので、気がつけば辺りが暗くなっていて、
自宅への帰り道が怖かった記憶が残っています(笑)

>特命課桜井さん
震電氏がおっしゃっている「響鬼の剣」とは「鬼棒術・烈火剣」のことだと思いますよ。
音撃棒の先に炎で剣を作り出して使用します。
これは29話以前、06/12放送の「二十之巻・清める音」でのアミキリとの戦いなどに使用しました。

(ザンキさんがトドロキのサポーターとして活躍していくことを宣言し、
 トドロキが喜びのあまり音撃弦をかき鳴らすという
 ファンでなくとも記憶に残るとても印象的な回でしたね)

特命課桜井さんがおっしゃっている「音叉剣」が使われたのは、
震電氏が検証した「テレビシリーズ仮面ライダー響鬼の29話まで」ではなく
「劇場版・仮面ライダー響鬼と七人の戦鬼」の劇中でのことですよね。
ちなみに響鬼の使う剣型武器で玩具商品化がされているのは
「装甲声刃」と「音叉剣」のふたつのみです……が、実は劇場版で響鬼は音叉剣を使用していなかったんですよね(笑)

(劇中で音叉剣を使用したのは、ご当地ライダーたちなんです)

もうひとつ、バンダイの子会社であるポピーから発売されている「響鬼フラッシュ!スーパー剣」
という剣型の玩具商品がありますが、これは「鬼棒術・烈火剣」の玩具商品ではありません。
こちらのスーパー剣シリーズは毎年発売されているポピーの定番商品なのです。

>真っ白さん
私そこら辺の記憶が曖昧になっているので、よろしければデータを拝見できると嬉しいのですが。

もしかして…

今更ですが、TB頂くべきはこちらではなかったのかと思いまして、改めてこちらからTBさせていただきました。
もし、震電さんに思うところがあって、あえて頂いたのならすみません。

コメントありがとうございます

 剣太郎さん、はじめまして。
 コメントと、「鬼棒術・烈火剣」のフォローまで入れていただき、ありがとうございました。私は公式HPや雑誌から情報を得ないようにしているので、「ファイヤーブレード」とか呼んでいました。
 「秘密基地」は、会社の飲み会で話題を振ったとき、皆「作ったことがある」と言っていました。共感できる体験があると、嬉しいものです。


 77maru77さん、TBの件、歓迎いたします。私もどちらの記事にTBさせてもらおうか迷った挙句、エイヤで決めました(笑)。あ、もしかしたら、新記事を書いたときのTBのことを考えていたかも…。
 いずれにせよ、77maru77さんのどちらの記事も、この記事を読まれた方に読んでいただきたいものなので、ちょうど良かったです。

ttp://navy.kakiko.com/tokurating/

すいません。ちょっと遅れましたが上は視聴率のまとめサイトです。
あと、おもちゃ売上データです。

バンダイ  単位 億(日経流通新聞)
XXXXX  98   99  00  01  02  03  04
ライダー  12  25  118  94  139  120  79


データありがとうございます

 真っ白さん、データありがとうございます。日経流通新聞ですか、フムフム。

はじめまして。あえて鋭鬼を名乗らせてもらいます。
単純に響鬼の中で一番好きな鬼ってだけですが・・・・・。
映画にしろドラマにしろアニメにしろ特撮にしろ、
好きな人は好きだし、嫌いな人は嫌い。
駄作と言われてもヒット作はあるし、隠れた良作というのも多々ある。
なので、これから書くことは(たいした事ではないですが)
震電さんの批判とか否定ではなく、
仮面ライダー響鬼好きの内の一人の感想と思ってください。


響鬼好き、と書いたので響鬼が好きなのはもはや言うまでもないですが、
そんな私も初めの内はかったるくてあまり真剣には見てませんでした。
デザインものっぺらぼうだし、例によって「仮面ライダー」という呼称もでないし。
そして決め技がキックではない。
響鬼の情報を初めて見た時なんじゃこらぁ!と思いました。
先に書いた通りわけのわからん歌を歌いだすし、
展開はスットろいし、なんだか地味だし。


そんな私がかなり興奮したのは威吹鬼が初めて登場した話です。
何話でなんというサブタイトルかは覚えてませんが、
威吹鬼が初登場し、音笛で変身した時の衝撃。
そして繰り出す蹴り技に烈風による銃撃。
そしてなにより響鬼の太鼓による音撃とは違う管による音撃射・疾風一閃。
アギト、龍騎、555、剣でもライダーの決め技はそれぞれ特徴がありましたが、
響鬼においては巨大魔化魍+童子、姫というライダー史上初のタイプの敵構成。
蹴り、あるいは打撃や武器による物理的攻撃による決め技ではなく、
「音」というライダー史上初どころか、特撮、アニメでも初じゃないか?という攻撃。
初めてづくしであふれんばかりの衝撃に加えて、
新たなライダー(鬼)の登場。
響鬼が蜘蛛と戦った時は「こんな感じなんだぁ。」程度にしか思ってなかったのが、
威吹鬼登場でこんな興奮状態に陥るという。
響鬼でライダー初の戦い方を有る程度知った上で、
新たなライダー登場。
これは斬鬼&戸田山、轟鬼初登場にも思いました。

書きながら興奮していたので、かなり意味不明かつ脱線してると思いますが、
私が響鬼を楽しく見てる理由のひとつ。
そして興奮はさらに続きます。
それこそ猛士のシフト表ですよ。
関東だけで11人いる、とは知っていたものの、
一瞬だけとはいえ、鬼の名前がずらーーっとでてくる。
これを興奮せずにどうしろと?
11人いる、という設定があり、11人のシフト表がある。
それは猛士、という組織が魔化魍に対抗できる唯一の力である「鬼」を
サポートする組織というものの存在を現実的にしているシーンのひとつであり、
また、じゃあこの響鬼を除く10人の鬼から一体何人でてくるんだろう、と期待させる
シーンでもあります。

現に突然弾鬼がでてきた時は龍騎の予告でシザースを見たくらいの衝撃があり、
裁鬼がでた時はメイン以外の鬼も結構でるんだ、楽しみだなぁと思わせ、
鋭鬼が轟鬼と共に音撃打・必殺必中の型をやった時には、
メイン以外の鬼の音撃も設定だけじゃないんだ!!と改めて認識させました。
響鬼、威吹鬼、轟鬼が戦ってる時に、
他の場所で他の鬼達も戦っている。
弾鬼、裁鬼、鋭鬼は改めてそれをわからせてくれました。

書きつつ興奮して自分でも何を書いているんだかわからなくなってきたので、
そろそろ終わりにしたいと思います。
最後に、明日夢君が色々言われてるようですが、
彼がそう簡単に猛士に入ったり、弟子になったりなんかしてたら、
その時点で仮面ライダー響鬼は終わりだと思います。
関わってるけど、一線をなかなか越えられない。
憧れているんだけど、近づきすぎる事はしない。(できない?)
鬼になりたい気持ちはあるけど覚悟が足りない。
だから安達明日夢は安達明日夢でいる事ができる。
これ以外の生き方を彼がしたら明日夢は明日夢じゃなくなる気がします。

明日夢は今の明日夢だから明日夢。
響鬼は今の響鬼だから響鬼。
轟鬼は今の轟鬼だから轟鬼。
それ以外のキャラもしかり。
私にとっては仮面ライダー響鬼という作品は駄作でも失敗作でもなく、
ひとつの「仮面ライダー」である。
製作陣がかわろうと路線変更しようと「仮面ライダー」である事に変わりは無い。
以上、長々と申し訳ありませんでした。

余談ですが、私は最近巨大魔化魍との戦闘が少なくて物足りないです。
あれがあってこその「響鬼」だったなぁと思います。

ハンドルネームは

 劇中のキャラの名前を、そのままハンドルネームに使うことは、その役を演じている本人以外はやってはいけないことだと思います(マナー違反)。
 少なくとも、当ブログにコメントされる際は、このマナーを守って下さい。

 また、この記事は、子供向け作品としての『響鬼』を総体的に考察することを主たる目的としたものであり、個人的な好みを語ることとは一線を画しているつもりです。記事の趣旨をご理解願います。

初めまして。
震電さんの響鬼考察、大変面白く読ませていただきました。
基本的にはまさに我が意を得たり! という感じで、感服しました。

私は前期響鬼も決して嫌いでなく、むしろ前期には前期にしかない味があり、
それは佳作とよんでもいいものだと思っています。
特に同年代の人間として響鬼さんのあり方には、
「俺もあんな大人でありたい!」と憧れつつ観ておりましたが、
ただ同時に、「明日夢いらないよなぁ」(響鬼さんとからむ以外)
「戦闘つまんないよなぁ」と思ってました。

特に巨大魔化魍戦のつまらなさは正直うんざりで、
百年に一度のオトロシ、あれだけのバケガニを経てのアミキリ、
とどめに合体に期待させてくれたナナシが、
それぞれ大した見せ場もなく実にあっさりとしとめられるさまをみて、
そのつど絶望を深めていました。
(それに対して、乱れ童子との戦いや武者童子のバトルはよかったです)

また、おもちゃに関して言えば、
私には4歳の息子がいますが、これまでの響鬼ごっこだと、
太鼓だと、わざわざ私が寝っ転がって、
子どもが「待ってて!」といいながら太鼓をセッティングし、
無抵抗で(抵抗すると太鼓が落ちてしまいます)何回かたたいて、
それでおしまい、という実につまらない遊び方(苦笑)しかできませんが、
(ちなみに廉価版のセットで購入してなんら支障がありません。DXなんて
なにしに買うんだかという気分です)
アームドセイバーごっこだと、「響鬼装甲!」とか、「鬼神覚醒!は~」とか
言えるし、チャンバラもできて、いきいきと遊んでいます。
この差は子どもにとってかぎりなくでかいと思います。

結局、前期響鬼はキャラ萌え・設定萌え番組であり、後期響鬼は特撮燃え番組
だということなんじゃないかなと思っています。
いっそ、いったん終わらせて、「響鬼2」とか「仮面ライダーアームド響鬼」とかで
再スタートさせた方がすっきりいったかもしれませんね。
続編になって設定や雰囲気が違ったなんてよくある話ですから。

長文失礼いたしました。




>優君のパパさん

 コメントありがとうございます。
 オトロシ、アミキリ、ナナシの件は、全く同感です。ナナシなんか、合体したことで基本性能自体はむしろ下がっているような印象を受けました。
 オトロシの時に「俺がイブキがタッグを組むこと自体が非常事態」とヒビキが言っていたのに、ヒビキが特別遊撃班になってしまったため、鬼がタッグを組むことが当たり前になってしまいました。また、このことが「鬼のシフト」の有名無実化にも繋がりました。安易な選択だったと思います。

 「DX音撃棒セット」は、要らない機能(劇中の描写とは無縁の機能)が豊富でデラックス…ホントに意味がありません。
 音撃棒本体が鳴る構造にすれば、いろいろ遊べたと思います。どうせ1年間しか使わないのだから、製品寿命も1年間で設計すればコストもなんとかなるでしょう。スピーカーは柄の一番手前に入れて、柄の中を音が伝わって鬼石から音が出るように(スリットを付けるとか)するとか出来たのでは。

 ブロガーには不評?のアームドセイバーも、息子さんには好評のようで、想像するに微笑ましいです。こういうお話を聞くと、独身である自分が、ちょっと残念です(笑)。

意見

 読ませていただきました。
一言で言うなら、鋭い、少しキツイけど
イヤミなっていません。
 

>YoGAMさん

 読んでいただき、ありがとうございました。
 「イヤミなっていません」と言ってもらえて、ホッとしました。

はじめまして。こちらの記事に大変興味を持ちましたので、遅蒔きながらも
コメントさせていただきます。

僕個人はどちらかというと高寺派で、ここに来るまで響鬼の失敗は「東映の財政難・人材不足(結局カネが足りないからチープなアクションを脱することができなかった、人手不足だから筆の速さが取り柄のイノトシに脚本を任せざるを得なかった)」だの「コドモが白倉マジックに染まってしまったから」だの正直言って偏見に満ちた事を路線変更以来4ヶ月近く考えていましたが、ここの記事を見て己の視野の狭さを恥じたいばかりです。ただ、明日夢の進歩の遅さもスリリングが大好きなコドモからすれば堪った物ではなかったのかもしれませんが、考えてみれば、もし明日夢が鬼になるとしたらという事を真面目に考えてみると、「たちばな」のバイトから始まり、という展開が自然だったと思います。で、タイトルに書いた「クウガの成功と響鬼の失敗」に関してですが、個人的にはコドモの生活空間とのリンクが弱かったから、というのもあるような気がします。クウガやウインスペクター以下レスキューポリスシリーズでは、警察というコドモにとっては「実在する、一番身近な正義の味方」(近年の不祥事続きで、今の子供が警察官をどう思っているかは分かりませんが)を作品世界に丁寧に織り込むことで、コドモのヒーローへの憧れをよりいっそう強め、そこに五代やウォルター・バイクルというヒーロー要素の強い(もちろん、人格者としても支離滅裂になっていない)キャラクターを絡ませることで「もしかしたら本当にいるのかもしれないヒーロー」の演出を成功させていたのではないかと思います。加えてクウガでは「東京」というコドモでも簡単に認識しやすい場所が戦いの舞台だったのもうけた要因ではないのでしょうか。対して高寺時代の響鬼は一般社会とのリンクが弱い組織が人里離れた場所、言い換えれば身近な感じがしない場所での戦闘が基本であり、魔化魍が巨大なこともあり、コドモ目には浮いた戦いになってしまったであろう事は否めません。「超人機メタルダー」(87年)や「ブルースワット」(94年)もこれと同じ轍を踏んで失敗したような気がしてなりません。高寺フォーマットのストーリーに、コドモが親近感を覚えるような場所での戦闘や基本設定が加われば、前半の商業成績も少しは良くなったのかも知れないと思ってしまいます。もちろん、ヒーローごっこがしにくい玩具企画を打ち立てた時点でしくじっていたとも思いますが。

 トモテルさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
 私は、プロデューサーは誰でも良いから「ハラハラ・ドキドキ」「ウキウキ・ワクワク」する作品を観たいというだけの一ファンです。

>もし明日夢が鬼になるとしたらという事を真面目に考えてみると、「たちばな」のバイトから始まり、という展開が自然だったと思います。

 私は実際にプロットもどきを書いてみて、バイトの件はついでで良いと思いました。(参照→ http://sinden.blog6.fc2.com/blog-entry-181.html
 この私案では、バイトは明日夢が猛士入りする流れの中の一過程。手段であって目的ではありません。実際の番組ではバイトが「明日夢の成長を描く」というテーマの一環として描かれたような印象だったので、ヒーロー番組として違和感を感じました。

 「クウガの成功と響鬼の失敗」に関しては、記事内の「『響鬼』の作品的失敗その4 … 猛士という組織を生かせていない」で書いたように、私も「警察と猛士の差」だと思います。ただし、これは設定の差ではなく、猛士という組織を身近なものとして描けなかった描写力の差だと考えています。「たちばな」でのまったりした日常を描くことより、背後にある組織の描写に時間を使うべきだったのではないでしょうか。

 魔化魍が巨大で、バトルの場が山とか海というのは、たまにやる(夏休みなどの行楽シーズン等)なら目新しくて良かったのかもしれません。玩具の音撃棒セットも、もう一工夫あれば平均点には達していたと思えます。(参照→ http://sinden.blog6.fc2.com/blog-entry-110.html

初めまして

劈鬼と申します。
大変面白く拝読させていただきました。
読み進めるたびに、イチイチ頷いてしまう内容でした(イチイチって表現が合ってるか分かりませんが)

ひとつだけ意見が違うとするならば、アクションをもっと盛り込めって所でしょうか?
正直自分は、昭和の仮面ライダーを覚えていません。初めて見たのは、スカイライダーでした・・・が、
どんな内容だったかまったくと言っていいほど、記憶にないです。
だからか、平成ライダーの剣や銃のアクションシーンには、違和感なく入る事ができました。
それは響鬼も同じです。初めは『太鼓』と聞いて、「???」でした。
オンエアの音撃シーンを見て、ちょっと吹きそうになりました・・・特に太鼓は!!
でも好きな世界観だったので、すんなり入れました。

まあつまり何が言いたいのかと言いますと、とても楽しかったって事を言いたいだけなんですけど・・・
もう一度作り直してほしい・・・っと思いました、拝読していますと。

わけの分からない事をダラダラと書いてしまい・・失礼しました。
色々と参考になりました、有難うございました。

 劈鬼さん、コメントありがとうございます。
 アクションに関しては本文に書いた通り、攻防の有無を重要視しています。『響鬼』の場合、量よりも質の問題だったと思います。

>もう一度作り直してほしい・・・っと思いました、拝読していますと。

 “作り直し”に関しては、こちら↓の記事に書いてありますので、よろしかったらどうぞ。
http://sinden.blog6.fc2.com/blog-entry-181.html

人気が無いから玩具が売れないからではなく、玩具の出来が余りにも不出来だから玩具が売れず梃入れさせらて駄作になったが適当だと思います。
何度か玩具売り場で見ましたが購買意欲をそそらない出来だったのを覚えています、これは明らかにバンダイ側の失敗では?なりきりアイテムは子供だましにもなってません。
話もプロデューサー、脚本が変わる前の29話以前は是非子供見て欲しいと思える良作だと今でも思います。

他の方へのコメントで「個人的な好みを語ることとは一線を画しているつもりです。記事の趣旨をご理解願います。」と仰られてましたが、失敗例としてあげた要素全てが個人的な好みで語っているようにしか思えません

何年も経ってからコメントされる方へ

ドライブやってる2014年からこんにちは(笑)

こんにちは

当方、三人の子供の父親です。長子は中学生、二番目は女の子でしばらくの間スーパーヒーロータイムとは無縁の生活を送っていましたが、末の男の子がヒーロー物に興味を持ち出すようになり、またおつきあいが再開しました。

いまのドライブ、前作鎧武よりも、末っ子はCSで一挙放送してた響鬼の虜になりました。
私も当時は「輪をかけて子供向きじゃないなあ」と思っていましたが、ネットサーフィン中にあなたの記事と出会い、成る程と感銘を受けまして、コメした次第です

なぜ末っ子が最新ライダーより響鬼にハマったのか、琴線に触れたのかは教えてくれませんが、彼には鬼という無骨なフォルムのライダーがカッコよく映ってるヒーローに違いありません。一般には受け入れられなかったかもですが。私は玩具のセールや視聴率、作品構成に関しては全く無知ですがもっとキャラクターを活かして作れたライダーだったのでは?と思います

願わくばリニューアルしてもう一度響鬼にチャレンジ、、、してはくれないでしょうかねえ?(笑)
長文乱文失礼いたしました

Re:ドライブやってる2014年からこんにちは(笑)

 こんにちは。

 今どきの子供には、昔のような再放送はなくても、CSやレンタルビデオがあるわけですね。末っ子さんが響鬼にハマッてくれたことに関しては、私も何だか嬉しく感じます。

 ちなみに、私もデザインに関しては、昭和ライダーではアマゾンが一番好きだったこともあり、響鬼のデザインも気に入っています。
 このブログでも、リアル版の「顔だけ変身解除」や、オリジナルの鬼のデザイン画を描いたぐらいです。

 最近、クウガが漫画版でリニューアルしたそうですから、響鬼にもそういったことがあるかも知れません。

こんにちは。
松田賢二さんのファンで、この度CSで子ども達も巻き込んで初めて仮面ライダーを拝見させていただきました。
観ていて不思議に思った部分を明確についてある内容で読みごたえがありました。
松田賢二さんの出演された他の仮面ライダーの作品を観たら、どうしてもストーリーの出来栄えを「響鬼」と比較してしまいました。
ただ、夫婦そろって和太鼓をしていますので、初めて観た仮面ライダーが響鬼でなんだかよかったと思いました(笑)

不思議なライダー

 こんにちは。
 
>観ていて不思議に思った部分

 確かに『響鬼』は、こういう印象を抱くことが多いライダー作品だったように思います。ザンキさんの膝にプロテクターが付くという設定も、設定倒れ?に終わったり…

 ご両親が和太鼓をやっておられると、お子さんも響鬼に感情移入しやすいのでは?
 そう考えると、親御さんがギターやトランペットをやっている場合は、またお子さんの見方が変わってきたりするかも知れません。
 それにしても、CSの存在は大きいですね。

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当時、毎週のように仮面ライダーシリーズを見ていたが見なくなったのは響鬼から
理由は単純で太鼓で敵を倒すのがダサかったから
止めを刺すのにキックも剣も無くドコドコ太鼓叩くのを見るのが恥ずかしかった
あれ以降日曜の朝だけは早起きするという習慣が無くなった
子供視点だとシナリオ以前に表面的な魅力があるかどうかだった

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