2017-08

こんなヒーロー番組が観たい!

こんなヒーロー番組が観たい!

サラリーマンのお父さんが変身して透明になって街の中で戦う!

 柔道の金メダリスト(五輪)・世界選手権優勝者には、サラリーマンが結構いる。
 彼らは、普段は普通に背広を着て、一般人に紛れて通勤しているのだろうか?
 路上の戦いを考えたら、格闘技の中では柔道が最も実戦的である。相手の服を掴み、背中ではなく頭から固い路上に投げ落とせば、その瞬間に勝負は決まる。柔道の殺傷能力は、畳の試合場やリングという特殊な舞台ではなく、路上という日常空間において発揮されるのだ。
 そんな「素手で人を殺せる」能力において「世界一」である男が、毎朝何食わぬ顔で背広に身を包み、一般人の群れに混ざって会社へと出勤する。
 考えてみれば、凄いことだ。
 ヒーローに変身できる男が、毎朝電車で通勤しているのと同じくらい、凄いことだと私には思える。
 そして、そんなヒーロー番組を観てみたい、と思う。

 ヒーローに変身する男が、普段は背広を着て一般人に混じって通勤する。
 普通のビル街にある、とある警備会社のビルへと入る。ビルの中の様子は、一見普通の会社と変わらない。しかし、男が幾つかのチェックポイントを経由して幾つ目かの扉を開くと、突然「地球防衛軍本部」みたいな非日常空間が登場する。
 『謎の円盤UFO』を、純日本風にしたようなイメージである。
 その非日常空間を、背広姿のまま横切って行き、更衣室に入る。そこで背広から「地球防衛軍隊員」みたいなコスチュームに着替える。この辺りは、『バットマン』の感覚か。何食わぬ顔でサラリーマンという「日常」を脱ぎ捨て、「ヒーローの前段階」へと着替えるわけだ。

 もちろん、世間一般には、彼が変身ヒーローであることは秘密である。彼には家族がいるが、彼の親や子供にも彼がヒーローであることは明かされていない。知っているのは妻だけだ。
「パパは、実はヒーローなんだよ! でもママ以外には秘密にしておかなければいけないんだ!」
というジレンマを抱えるというパターン。
 もちろん、番組の視聴者である子供から見たら、「(この)お父さんはヒーロー」であることは明白。もちろん、彼らに「もしかしたら、僕のお父さんも…」と思ってもらうのが狙いだ。あるいは、通勤中のサラリーマンを見て、「もしかして、あのおじさん…」と思ってもらう。
 「サラリーマン増税」という言葉があるくらい、サラリーマンは社会における多数派である。多数派ゆえにその中に埋没している個々のサラリーマンに対し、「ヒーロー化」という夢を見せる番組があっても良いのではないかと思う。と言うか、それを観たいというワケ。

 観たいもう一つの要素は、サラリーマン(会社)という設定の持つ、完成されたリアリティである。
 例えば、『仮面ライダー響鬼』に登場する猛士や鬼の設定には、中途半端なリアリティしか感じられない。劇中に登場する「たちばな」という店自体にはリアリティがあるが、それが猛士という全国組織の一部であるというリアリティがないのだ。このことは、『仮面ライダークウガ』を引き合いに出すと分りやすい。『クウガ』には「ポレポレ」という店が登場しているが、『響鬼』の「たちばな」のリアリティは、それと基本的には同質・同程度なのである。
 クウガの乗る特殊なバイクが、「ポレポレ」の背後に存在する大きな組織から提供されたものであったら、視聴者の目にはどう映っただろうか。「ポレポレ」とバイクを結び付けるものを最初から描き込んでいない限り、リアリティを感じないだろう。実際の劇中では、クウガの乗る特殊なバイクは警察から提供されている。だからデザインはともかく、その存在や提供の経緯には説得力があった。
 バイクだけではない。『仮面ライダークウガ』という「ヒーロー番組」のリアリティは、警察という実在する全国組織を背後に持ってきたことで成立している。「ポレポレ」という店の描写は、「ヒーローの生活感」という部分のリアリティを分担しているに過ぎない。ヒーローをバックアップする組織として警察を登場させ、それ自体を舞台として描き込むことで、「ヒーローの存在感」というより重要な部分のリアリティを生み出していたのだ。
 『響鬼』では、鬼のシフト表が出てきたので「これはリアルだ」と思ったら、主人公のヒビキは特別遊撃班となってシフトとは無関係になってしまう。彼が「組織」の一員であるというリアリティが感じられない。主人公の振る舞いを通して組織のリアリティを垣間見るというシーンがない。組織を背後にしたヒーローであるにもかかわらず、いつまでたってもキャラクターという「点」同士を「線」で結ぶといったリアリティしか描かれない。

 会社という組織には、警察同様、最初から「面」あるいは「立体」としてのリアリティがある。
 例えば、ホンダという会社。人型ロボットが公表されたときには、世間を大いに驚かせた。中に人が入っているのではないかと思える程の技術力もさることながら、「こんな利益に直結しないことに、いったい幾らのカネを注ぎ込んできたんだ?」という驚きもあっただろう。
 しかし、エンターテインメント・警備・介護という分野において、人型ロボット(またはそこから派生する技術)の需要が将来的に有望であることに気付けば、驚きは納得に変わる。
 企業とは、このように懐が深く、劇中のリアリティを創出するには便利な「装置」として機能する。上手く使えば、「扉を開けたら、いきなり地球防衛軍本部」というケレンを支えることも、充分に可能である。

 「会社」ではなく、会社に偽装した「実は会社ではないもの」という設定も面白いだろう。
 敵もヒーローも街中では『プレデター』のように不可視になるとかの設定には、オーバーテクノロジーという設定の導入が必要になる。社長が実は、ワケありで地球に滞在している宇宙人だというケレン味も、ヒーロー番組なら有りだろう。
 ヒーローが街中では不可視になるという設定は、変身プロセスにもリンクできる。
 例えば、「故障中」の張り紙が貼ってある自動販売機がガバッと開き、ヒーローの装着変身システムになる。その際、周囲にはカモフラージュ用の立体映像が投影され、結果的に第三者には不可視となる…という具合だ。
 視聴者にもヒーローの姿が見えないのでは問題なので、特殊なモニターでは可視化されるということにする。モニター越しの映像が、そのまま視聴者の視点に重なる演出をすれば、面白い映像が創れると思う。
 街中でヒーローが怪人と激闘を繰り広げているのだが、通行人にはヒーローも怪人の姿も見えていない(透明人間同士のバトル。当事者同士は互いに視認できている)。もちろん、バトルは不可視化されていても周囲への物理的影響は消せない。第三者的な視点では、突然ビルのガラス窓が割れたり壁が壊れたりする。そこで、「ワッ、何だコレ?!」というリアクションが生まれる。

 サラリーマンのお父さんの勤め先は、実は(秘密の)地球防衛組織!
会社でヒーローに変身したお父さんは、透明になって街の中で怪人と戦う!
 首尾よく怪人を倒すと特別手当が貰えるが、ビルを壊したりすると自腹で弁償しなければならない(給料から差し引かれる)ので大変だ!
 戦え、サラリーマン! 頑張れ、お父さん!
 そんな感じのヒーロー番組を観てみたい!!
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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。