2017-08

『機動戦士ガンダムAGE』ブルーレイ(DVD)ディスクの第5巻の感想(レビュー用)

『機動戦士ガンダムAGE』ブルーレイ(DVD)ディスクの第5巻の感想(レビュー用)


フリット編最終話! ガンダムが真の救世主であるならば…

 第15話『その涙、宇宙に落ちて』

 フリット編の最終話。遂にUEの正体が明かされる。
 その時、TVの前の視聴者のほとんどが
「UEがノーラを襲撃した際、何故コロニーを一気に破壊しなかった(エネルギープラントを狙わなかった)のか? また、コロニーコアを使用した住民の脱出を阻止しなかったのは何故か」
という謎を思い出したことだろう。

 スパロー、タイタスという強化ウェアを立て続けに失い、“ただのガンダム”であるAGE-1ノーマルで要塞に突入するフリット。しかも、ヤーク・ドレの罠にかかり、閉ざされた空間で複数の敵と戦わざるを得なくなってしまう。それでも、鬼のような形相となったフリットの駆るAGE-1ノーマルは圧倒的な強さを見せ、初戦では完敗しているバクトすら鎧袖一触で撃破してしまう(バクトのパイロットの技量が同レベルであったかは不明だが)。
 私はそんなフリットを見て、思わず
「強くなったな、フリット! だが、それは本当にお前が望んでいた強さか?」
と問いかけてしまった。フリットが口にしていた“救世主”とは、“ひたすら強力な戦闘マシーン”のことだったのか?
 ガンダムが人類にとって真の救世主であるならば、火星圏人類であるベイガンにとっても救世主である筈だ。もっとも、フリットがそのことを理解するには状況が悪すぎ、フリット自身が若すぎたことは否めないのだが。



アセム編のスタートは『Ζガンダム』へのオマージュから

 第16話『馬小屋のガンダム』

 第15話で“UE(ベイガン)への復讐に燃える男”であるグルーデックが物語の舞台から退場したかと思ったら、25年後の舞台に“ベイガン殲滅に燃える男”となったフリットが再登場。かつて、グルーデックから“復讐を志す者同士”としての握手を求められても応じなかった少年が、まるでグルーデックの分身のような存在になってしまっている。これも“連なっている”という意味では、“憎しみの連鎖”だ。戦前と戦中の差には、“憎しみの連鎖”が生じているか否かという面もあるのかも知れない。
 
 フリット編のスタートには、コロニーの描写にファーストガンダムへのオマージュや、ファーストガンダムを超えるという意気込みを感じた。それに対し、アセム編のスタートには『Ζガンダム』へのオマージュを感じる。意気込みという部分では、『Ζガンダム』を超えるというよりも、そこでは描かれなかった部分を丁寧に描こうというところだろうか。
 『Ζガンダム』の主人公であるカミーユがプチモビルスーツ大会の優勝者であったことは、彼の過去の経歴として僅か1枚の写真と簡単な台詞で説明されただけである。“アセム編”では、正にそこにスポットを当てたところから物語が始まるのだ。

 しかも、アセム編で初めて登場するガンダムは、ガンダムAGE-2ではない。ガンダムMk-IIならぬ、ガンダムAGE-1のMk-II版(性能を向上させたAGE-1)なのだ。これは勿論『Ζガンダム』で初めて登場したガンダムがΖガンダムではなく、ガンダムMk-IIだったことを踏襲したパターンである。
 ガンダムが馬小屋から姿を現すのは、『ガンダムAGE』のガンダムが、救世主として語られる伝説のモビルスーツであることを示す演出であろう。同時に、『Ζガンダム』でカミーユが乗り込んだガンダムMk-II(3号機)が、天井の低い倉庫で無理矢理立ち上がって発進したシーンに対するオマージュにもなっている。もっとも、アセムの操縦するガンダムAGE-1は馬小屋を壊さないよう、天井を開けてもらってから発進しているのだが。



『Ζガンダム』・『ガンダムSEED』・『ガンダムAGE』、3世代のガンダムシリーズを繋ぐ展開

 第17話『友情と恋とモビルスーツ』

 “学園もの”としての『ガンダムAGE』アセム編、2話目。
 前話は『Ζガンダム』を連想させ、今回もそれは続いているのだが、それに加えて『ガンダムSEED』も思い起こさせる内容になってきた。『ガンダムSEED』の何を思い起こさせるのかと言えば、それは勿論キラとアスランの関係である。
 『ガンダムSEED』において、キラとアスランは幼馴染という設定になっているが、それは台詞やせいぜい数カットでの説明の域に留まっており、ちゃんとしたドラマとして描かれたことは無かった。エンディングで「あんなに一緒だったのに」と歌われてはいるものの、実際にキラとアスランが「どんな風に一緒だったのか」は、事実上割愛されていたのだ。

 アセムとゼハートに関しては、そういった部分が丁寧に描写されている。もっとも、アセムとゼハートは、キラとアスランのような幼馴染といった“台詞だけでもそれなりに伝わる便利な関係”ではないので、最低限でもこの程度の描写が必要になるのだとも言える。

 また、ゼハートは「主人公とは敵対する組織に所属し、ガンダムの奪取を目的としてコロニーに侵入した」という点においても『ガンダムSEED』のアスランと共通するキャラクターであるが、そもそも「ガンダムの奪取を目的としてコロニーに侵入する」というシチュエーションは、『Ζガンダム』に由来する。そういった見方をすれば、
 『Ζガンダム』
 『ガンダムSEED』
 『ガンダムAGE』
と、3世代のガンダムシリーズが繋がるわけで、これもある意味、ガンダムのAGEを描いているとも受け取れるのだ。



“学園もの”としての『ガンダムAGE』アセム編は、3話目にて結末

 第18話『卒業式の戦闘』

 第16話が“学園もの”としての「起」、第17話が「承~転」、第18話が「転~結」であり、アセム編の“第一部”は、必要最小限の構成になっている。その間に1年半の月日が流れており、アセムは18才となり、級友と共にハイスクールを卒業するのが、この回だ。

 ゼハートはベイガンであることをアセムに明かし、
「俺だと知って、お前は討てるのか!」
と問い質す。そして、「お前のような優しい奴は、戦うべきじゃない」と諭すゼハートの言葉がコロニーの青空に吸い込まれたところでこの回は終わる。そして、それに続くエンディングが、この回の一部のように映るのだ。

 エンディングはアセムの人生を振り返るような内容になっているが、今回のエンディングに関しては、ゼハートにも同様に振り返るべき人生があることを考えさせられる。
「お互い、違う世界に生まれてしまった」
と言うゼハートには、ゼハートの世界があるのだ。ゼハートは「俺には戦士として背負うものがある」と言った。アセムがアスノ家に生まれた男子としてガンダム(AGEシステム)を引き継ぐ宿命を背負っているように、ゼハートにも「譲ることが出来ない、戦う理由がある」のだと。

 3話をかけて、青春の1年半を共有した「アセムとその仲間達」(あるいは「ゼハートとその仲間達」)の物語の第一部は終了した。アセム個人にとっては、ここまでが“戦前”の物語であろう。ここまでは、アセムが乗り込むガンダムがガンダムAGA-1の性能向上型(『Ζガンダム』におけるガンダムMk-IIに相当)であったことも、アセム編のプロローグであることを印象付けている。
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震電

震電

 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。