2017-08

『ガンダムAGE』が賛否両論なのはいいけど、けなしている人は一体何のガンダムと比較しているのだろうか?(その4)

『ガンダムAGE』が賛否両論なのはいいけど、けなしている人は一体何のガンダムと比較しているのだろうか?(その4)

 『ガンダムAGE』を貶している人達の中には、多様性を喪失した人達がいる。
 『ガンダムAGE』を語る際に、最近の特撮番組を引き合いに出す人を見て、そう思う。
 ロボットアニメと特撮を単純比較するなど、私からすると全く考えられない。ロボットアニメにはロボットアニメとしての面白さがあるし、特撮には特撮としての面白さがあるからだ。何でそんな別物同士を単純比較するんだと驚愕するわけだが、そういう人がロボットアニメや特撮の多様性というものに触れずに育ってきたとすると、合点がいく。

 もう1点、「多様性の喪失」と「情報過多」がセットになってしまっているという不幸が挙げられる。一見、両者は相反するようだがそうではない。作品の数が減少してしまったことで、1つの作品に関して流される情報量は逆に増えるというパターンが起こっているからだ。

 「特撮カンブリア紀」という記事で書いたように、私の世代は特撮番組に多様性があった。ウルトラマンは巨大ヒーローの代表格ではあるが、裏を返せはウルトラマンと言えど巨大ヒーロー番組の中の1つでしかない。仮面ライダーも同様で、数ある等身大ヒーロー番組のうちの1つでしかない。

 もちろん特撮番組だけではなく、ロボットアニメにも同様の多様性が存在していた。スーパーロボットアニメなどは、代表格を決めることすら難しい。エポックメイキングとしては『マジンガーZ』で決まりだろうが、格となるとゲッターもコンバトラーも同格である。
 リアルロボットアニメも同様である。エポックメイキングとしては『機動戦士ガンダム』で間違いないが、格となるとイデオンもボトムズも同格なのだ。

 私の世代は、特撮もロボットアニメも、多様性に溢れていた。その多様性の中で生きてきた。
 ガンダムも、シリーズ化によって多様性を得るに至っている。
 作品に多様性があると、受け手にも多様性が育まれる。
 特撮には特撮というジャンルとしての面白さがあるし、特撮の中にも等身大ヒーローや巨大ヒーローというジャンルごとの面白さがある。私は子供の頃「ライダーとウルトラのどっちが面白いか」と比較した覚えはないし、友達同士で話した記憶も無い。ライダーとウルトラの面白さは基本的に別物であり、互いに比較する対象ではない。それが自然な認識であり、比較するならばライダー同士、ウルトラ同士での比較だった。

 しかし、いつの頃からか特撮もロボットアニメも収斂化が進行し、多様性は失われた。
 等身大ヒーローといえば、「戦隊とそれ以外の何か」の2作品しか放送されないという年も増えた。レスキューシリーズが終わってから、「戦隊とライダー」だけの年が続いているのかな?
 ロボットアニメに関しては…よく知らないけれど特撮と似たり寄ったりなのでは? たまに玩具屋に行く限りでは、そんな印象を受ける。

 そうなると、受け手の方からも多様性が失われてくる。と言うか、感性の多様性が育ちにくい。
 面白さに関する感性も、味覚や視覚といった感覚と同じで、子供の頃から多様性に接していないと、それを認識できなくなると思う。
 どこかの国の料理が、「極度に甘い」か「極度に辛い」の2種類の味付けしかなかったとしたら、その料理を食べて育った人は、「ほのかに甘い」とか「甘酸っぱい」といった微妙な味を認識できないだろう。そういう人にとっての美味しさとは、やはり「極度に甘い」か「極度に辛い」の2種類しかないだろう。
 それと同様、面白さの種類が1つか2つしかないような人が、『ガンダムAGE』を貶しているのだと考えると納得できる。

 ロボットアニメの絶対数が少ないため、その中から比較対象物を見出すことが出来ず、特撮番組までも比較対象の中に入れてしまう。
 そうなると、どうなるのか。
 違いが分からなくなるのである。
 ロボットアニメからも、特撮番組からも、同じ面白さしか感じ取れない。
 どんな作品を観ても、その中から探し出せるのは1つか2つの面白さしかない。
 作品に多様性がないのが当たり前だと思っているから、どんな作品も同じような面白さで構成されなければならないと思ってしまう。
 そして、これに追い討ちをかけるのが「情報過多」がもたらす「判断能力の減退」だ。

 私の過ごした「特撮もロボットアニメも多様性に溢れていた時代」は、事前情報なんかほとんど無かった。
 ファーストガンダムの本放送をリアルタイムで視聴していた人のほとんどは、TV放送の次回予告でシャアのズゴックがジムを撃破した映像を見て「ガンダムが撃破された」と勘違いしたことだろう。ジムというモビルスーツに関する事前情報は事実上ゼロだったと思うし、ビデオはまだ一般家庭に普及していなかった。もちろん、インターネットなんかあるわけない。あのときは、肉眼でリアルタイムに見た、ほんの1、2秒の映像が全てだったのだ。

 だから、翌週の放送までに、その映像の意味を考えた。
 あのガンダム(本当はジム)に乗っていたのは誰なのか? 主人公のアムロが死ぬわけないから、乗っていたのはハヤトかカイか? 
 撃破されたガンダム(本当はジム)の代わりになるモビルスーツは何か? マジンガーZに対するグレートマジンガーのような上位機種が登場するのか? 以前アムロが言っていた「連邦はガンダムよりもっと凄いのを造っていて、僕達はそれが出来るまでのオトリなんだ」という台詞はその伏線だったのか?…

 1週間後には「実はガンダムではなくてジムだった」という勘違いに気付かされるわけだが、情報が極めて限定された状況で、想像力が鍛えられたことは間違いない。
 あれから30年以上が経過した今日、複数のメディアが作品の情報を大量に供給するようになった。それは便利である反面、視聴者が想像力を鍛える機会を奪っている面もあると思う。

 私にとって、『ガンダムAGE』をファーストガンダムと比較するのはごく当たり前のことである。
 アニメの比較対象はアニメの中にあるし、ロボットアニメの比較対象はロボットアニメの中にあるし、ガンダムの比較対象はガンダムの中にある。
 ガンダムの名を冠する作品の評価は、まずそこから始まる。ガンダム作品に、ガンダムとしての面白さがなければ、ガンダム作品である意味が無い。
 「ガンダムとは何か」という問いは禅問答の類となるが、それはガンダムに限らずシリーズ作品全般に課せられる宿命なのだ。
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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。