2017-08

『マトリックス・リローデッド』 と 『あずみ』

『マトリックス・リローデッド』 と 『あずみ』

  映画を観た日 … 2003年6月13日(金)
  (明日『あずみ2』を観に行くので、以前書いたものを引っ張り出した)

                   ミスマッチ?

 今年に入ってから10本目と11本目となる映画、『マトリックス・リローデッド』と『あずみ』。
 観る前は、「『~リローデッド』の後に『あずみ』を観たら、『あずみ』のクオリティの低さが比較強調されてキツイかな」と思った。実際、『あずみ』の冒頭シーンでは、それがモロに出た。背景の山岳の合成が酷いのである。日本画あるいは紙芝居的な風情も何もない、ただバレバレの酷い合成。そこには、怪傑ライオン丸のオープニングのような美しさは全くない。平成ゴジラ映画一般によく観られる、単なる“レベルの低い作り物”であった。
 しかし、『あずみ』全般に渡ってそうであったかと言えば、答えは否だ。映画を観終わった後、作品全体としての完成度に関しては、『~リローデッド』と『あずみ』に大きな差は感じなかった。これは意外だった。

                 日本人には日本が似合う

 両者はアクション映画という要素において共通している。観る前は、こんな基本的なことさえ意識していなかった。それほど、両者は“別物”という先入観があったということだろう。しかし、この先入観はある意味で正しい。アクションよりはSFのカラーが強かった前作に比べ、『~リローデッド』はアクション映画の比重が大きくなっていたからである。『~リローデッド』は、「90%のアクションと、10%のSF」という比率の映画になっていたと思う。前作が「SFにアクションを絡めた作品」であるのに対し、『~リローデッド』は、「アクションにSFを絡めた作品」なのだ。
 『~リローデッド』と『あずみ』に大きな差を感じなかったというのは、このアクション映画という要素に関する部分が大きい。すなわち、アクション映画としては、『~リローデッド』と『あずみ』は大差無いのである。予算も製作期間も大きな隔たりがある両者に大差がないのは何故か。それは『あずみ』が、日本の映画、日本の役者に適したアクションを採用したからだ。それは日本芸能の伝統とも言える、日本刀を中心にした殺陣。俗に言うチャンバラである。

 このチャンバラは、日本人役者のポテンシャルを最大に引き出すアクションであることが分った。『あずみ』が、『~リローデッド』のような打撃格闘中心のアクションをやっていたら、目を覆わんばかりの酷いものになっていたことは想像に難くない。手足が短い日本人には、打撃格闘よりも剣による斬り合いの方が適している。
 また、剣による斬り合いといっても、発達した上半身を持たない日本人が、大きくて重い剣を振り回しても様にならない。細身で素早く振り回せる日本刀を使ったチャンバラというアクション(実際の日本刀を用いた合戦がどういったものであるかは全く別の話)なら、一般的にも鑑賞可能なクオリティを実現出来る。
 邦画に対して何度も「まともに出来ないことはやるな」と批判しつつ、「では、邦画は何をすれば良いのだろう」と自問していた私にとっては、目から鱗が落ちる思いだ。日本には、世界に通用する“チャンバラ・アクション”がある。『あずみ』のチャンバラシーンのクオリティは、それが経験の浅い若手俳優に対しても効率的に運用可能であることの証拠である。生きたノウハウが現時点でも存在しているのだ。

 また、ファッションに関しても、日本刀や和服といった国産のものが、やはり日本人を一番美しく見せるようだ。そもそも、『あずみ』を観ようと思いたったのは、和服姿の上戸彩が、思いのほか美しく、絵になっていたからなのである。

 『あずみ』は、あずみ達の“洗脳度”その他において、説明を織り込んだ描き込みが雑であり、映画全体の出来は決して良くない。漫画原作の1巻目を読んだ限り、原作の方が緻密かつ自然で、分りやすい。邦画は全般的に、こういった基本的な部分がダメなのだ。洋画との決定的な差は、むしろこういった基本的な部分にあると思う。しかし、映画は先ず“絵”であり、その点からすれば『あずみ』は合格なのである。
 映画のヒロインを比較すると、「前作と比べると、やっぱり歳取ったなぁ」という印象のあるキャリー=アン・モスよりも、フトモモ丸出しで頑張る17歳の上戸彩の方に軍配が上がる。ただし、アクション俳優としては、上戸彩よりも筋肉質で高所も平チャラな松浦亜弥の方が優れていると思うし、実際観たかった。もっとも、中性的なキャラクターという意味では、上戸彩が相応しかったとも思う。

                  連続体としての映画

 『~リローデッド』と『あずみ』には、アクション映画であるということ以外に、もう一共通点がある。映像の連続体として、映像的閉鎖性が成立しているという点だ。『~リローデッド』では、CGのクオリティにおける映像的閉鎖性、『あずみ』では、セットや衣装のクオリティにおける映像的閉鎖性が、それにあたる。
 『~リローデッド』では、明らかに計算してそうなるように作り上げられていたが、『あずみ』の場合はどうだろう。単なる偶然によって、幸運にもそうなったような気もする。
 映像連続体としての映像的閉鎖性の成立と、論理連続体としての論理的閉鎖性の成立。虚構である映画には、この“二つの閉鎖性の成立”が必要だ。そんな基本的なことを、改めて思い出した今日この頃である。
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『マトリックス・リローデッド』について

マトリックス・リローデッド|} 『マトリックス・リローデッド』(''THE MATRIX RELOADED'')は、2003年のアメリカ映画。1999年に公開されたSF映画『マトリックス (映画)|マトリックス』の続編(第2作)であり、完結編の『マトリックス・レボリューションズ』に続く。ジー役は

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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。