2017-06

自分自身の「コスプレのコンセプト」を確認してみる(その3) 「カラオケで1曲歌うとき、その曲の歌手を詳しく知っていないと歌っちゃダメなのか?」

自分自身の「コスプレのコンセプト」を確認してみる(その3)
「カラオケで1曲歌うとき、その曲の歌手を詳しく知っていないと歌っちゃダメなのか?」

 この記事は、『自分自身の「コスプレのコンセプト」を確認してみる(その2)』の続きである。

 今回は「着ただけ」に関して。
 ファッション感覚のコスプレは、レイヤー一般から「着ただけ」として忌み嫌われているようだ。しかし私は、ファッション感覚でコスプレしても、本人が気に入っており、外見上のクオリティが高ければ、構わないと思う。

 私にとって“究極のコスプレ”とは、「実写化されたとき、そのキャラに配役されること」である。
 仮に、『機動戦士ガンダム00』が実写映画化されたとする。当然ながら、キャスティングされる俳優のほとんどは、外国人ということになる。この外国人俳優達は、キャスティングが決定した時点では、誰一人として原作アニメの『機動戦士ガンダム00』を観ていないということも十分に有り得るだろう。
 さて、製作発表の時点で、各キャラの衣装を着た外国人俳優達は、レイヤー一般から「着ただけ」として酷評されるのだろうか?

 もちろん、原作のイメージとかけ離れたキャスティングであるならば、レイヤーのみならずファン全般から大ブーイングを受けるだろう。
 しかし逆に、原作のイメージとドンピシャリの「よくもまぁ、ここまでイメージ通りの役者を見つけてきたなぁ」といったキャスティングであれば、現時点でその外国人俳優達がコスプレで言うところの「着ただけ」であったとしても、大半のレイヤーは納得するに違いない。「まるで本物みたい」だと。

 これは、一般的な「着ただけ」コスプレにも水平展開できる論理だ。
 作品は1話しか観ていないが、キャラと衣装を見て気に入ったので、コスプレしてみた。その結果、ビジュアル的にクオリティの高いコスになっているのなら、それで良いではないか。
 何故なら、“実写映画化の製作発表の場における「着ただけ」コス”と、実質的には何も変わらないからだ。両者とも、作品に関する知識や、キャラに対する愛情はまだこれからといった段階だろう。それでも「本人が気に入っている」「結果としてクオリティの高いコスになっている」のなら、非難するには当たらないと思う。

 カラオケで1曲歌うとき、「その曲を歌っている歌手の大ファンでなければ、歌う資格が無い」のだろうか?
 たまたま、その1曲だけ気に入っているだけで、その曲を歌っている歌手については良く知らないという場合も許されているのではないか?
 コスプレだって、それと同じで構わない。私は、そう思う。

 ファッション性の高いコス衣装が、その作品の著作権者によって日常用の衣装として販売されている例は既にある。(バンダイによる仮面ライダー関連衣装の販売がそうだし、多分他にもあるだろう)
「キャラに成りきる」のではなく、
「好みのファッション」として、コス衣装を日常的に着用するわけである。

 「コスプレの市民権」は、意外にこういうところから確立されていくように思える。

 つまり、コスプレが市民権を確立した暁には、レイヤーの90%が「着ただけ」という状況になっているかも知れないのだ。それによって「本人に似合っているコスプレ」の割合が大幅に増えたとしたら、コスプレの質はむしろ向上したと言えるのではないだろうか。
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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。