2017-10

自分自身の「コスプレのコンセプト」を確認してみる

自分自身の「コスプレのコンセプト」を確認してみる

 「コスプレをやりたくてレイヤーになったわけではない」私(詳しくは → こちら)にとって、「コスプレをする・見る」動機とは何だろうか? それは、
「このキャラを、実写で見てみたい」という“アニメファン兼映画(実写)ファン”の感覚である。

 私にとって、コスプレとは「キャラクターを忠実に再現すること」ではない。
 「キャラに成りきること」でもない(ごく一部例外あり)。
 私にとって、コスプレとは
「このキャラを実写化するとしたら、自分ならこうする」という提示なのだ。
 当然、私が見たいと思うコスプレも同様である。
「このキャラを実写化するとしたら、こうなって欲しい」
という姿を求めて、コスプレ画像を検索したりするのである。

 だから、「実写キャラ(俳優が演じたキャラ)」のコスプレに関しては、するのも見るのも基本的には興味が無い。
 既に実写化されて、本物(俳優が演じたキャラ)が存在するのだから、それ以外の人間が何をやっても所詮モノ真似である。モノ真似コスは、一部の例外を除けば好きではない。
 その例外とは、以下の通り。

(1)変身後のヒーローや、怪人、怪獣、ロボットなどのコスプレ
(2)ブルース・リーなど、ごく一部のキャラのコスプレ
(3)自分が好きな女性キャラで、それなりにクオリティの高いコスプレ

 (1)と(2)は、要するに「○○ごっこ遊び(なりきり遊び)」である。私にとって「コスプレとはキャラに成りきることではない」のだが、この(1)と(2)だけは例外である。
 重要なのは、例えば玩具のダブルドライバー(変身ベルト)を締めて「ヘンシン!」とやるのは、「左翔太郎」に成りきっているわけではないということだ。飽く迄も「仮面ライダーWに変身する自分」に成りきっているのだ。自分が仮面ライダーWに変身できるのなら、それは別に左翔太郎である必要はない。これは『特撮キャラ(変身前)のコスに違和感を感じることに関して』でも書いたが、多分チビッコも含めた男子共通の感覚だと思う。

 ブルース・リーに関しては、自分でも良く分からないのだが、基本的にモノマネで良いからやりたい。あの黄色いトラックスーツを着て、普通にポーズを取ってみたいと思う。これは本当に例外中の例外である。

(3)は、単純に男性(オッサン)心理である。自分が好きな女性キャラなら(ビジュアル重視で)別バージョンでも見てみたいということである。

 (1)~(3)は飽く迄も例外であり、実写キャラに関するコスは、オリジナルキャラ(いわゆる捏造キャラ)が基本となる。『仮面ライダーW』の場合、「左翔太郎のコス」をやりたいとは思わない。やりたいのは「仮面ライダーWに変身できる、もう1人の自分」というオリジナルキャラなのだ。

 この“オリジナル”感覚は、2次元キャラのコスをする場合にも存在する。
 既に書いたように、私のコスプレは「実写化」と同義である。
 2次元でカッコ良かったデザインを、そのまま3次元化してもカッコ良くなるとは限らない。初代ガンダムの股関節のように、そのまま3次元化するのが不合理なものもある。極端なことを言えば、アニメは所詮「絵に描いた嘘」なんだから、忠実に3次元化すればかえって嘘っぽくなる(不自然になる)部分も少なくないと思う。

 「実写化」に際して、よりリアルに適するように、原作をアレンジする。
 そして「実写化」のベースが自分自身である以上、自分自身に似合うよう、原作をアレンジする。
 このような「自分をベースにして実写化した、自分バージョンの○○」が、私のコスプレのコンセプトである。

 原作をいくら忠実に再現したとしても、そこにリアリティがなければ、意味が無い。
 原作をいくら忠実に再現したとしても、それが自分に似合っていなかったら意味が無い。
 かと言って、原作の原型を留めないような姿になってしまったら、意味が無い。
 原作のイメージを壊さない範囲で、いかにリアリティを持たせ、かつ自分に最適化したアレンジを施すか。その点における創意工夫が、レイヤーの腕の見せ所だと私は考えている。

 コスプレの完成度が本人込みである以上、同じキャラのコスであっても、最適化の方法は十人十色になるのが自然だと思う。
 「完コス」=「完全なコス」という言葉をあえて使うならば、それは「原作のイメージを壊さない範囲で、その人にとって最適化されたアレンジが施されているコス」という意味で使いたい。そこには、原作に対する単なる忠実性とは別の次元の、リアリティ(本物感)がある筈だ。

 実際には、そこまで突き詰めたコスなど、なかなか出来るものではない。ただ、自分なりの理想は忘れないようにしたい。その理想と現実の間で、妥協点を探れば良い。妥協と現実はイコールではないのだ。「そのままの現実」よりも、例え1ミリでも「理想」に向ってにじり寄った結果が、「妥協点」なのである。
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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。