2017-06

中川翔子 超貪欲☆まつり IN 日本武道館

中川翔子 超貪欲☆まつり IN 日本武道館
                  会場 :日本武道館
                  公演日:2009年10月24日(土) 17:30~


 ちょうど1週間前に℃-uteのコンサートに行っていたこともあり、ハロプロ系のコンサートとの違いを痛感せざるを得なかった。

 そのことはすぐ後で語るとして、実は最初に気になったのは、コンサート会場が異様に狭く感じられたことだった。日本武道館には過去ボクシングの世界戦を二度ほど観に来ているのだが、そのときと比べると広さが半分以下になっている印象を受けた。大袈裟に言えばJCBホールと大して変わらないような感覚で、とても1万人を収容できているとは思えなかった。

 JCBホールも最初に行ったのはボクシングの興行だったけれど、後日しょこたんのコンサートで行ったときに狭くなっているとは感じなかった。これは、JCBホールがそもそもライブハウスとして造られているからだろう。
 日本武道館はその名が示す通り、本来はコンサートを行う会場ではない。コンサートに適した構造にはなっていない。そのため、15000席が10000席に減ったことが、半減以上の減り具合に見えてしまったのだと思う。
 アリーナ中央から見渡すと、客席自体は少なくとも90%以上埋まっているように見えたし(所謂ほぼ満席状態)、会場が狭く感じられることでタイトで濃密な空間感覚を味わえたので、結果的には良かったのだが。

 さて、しょこたんのコンサートとハロプロ系のコンサートの違いに関してだが、客の半分が若い女性であるとか、コスプレしている客が目立つという点に関しては割愛する。ちなみに、私もコスプレ(上着と手袋のみの簡易バージョン)をするつもりで衣装を持って行ったのだが、雨が降っていたのでやめておいた。
 今回のコンサート現場において、新たに気付いたハロプロとの相違点は、

 ハロプロは、現場的には消費型のアイドルである。
 しょこたんは、現場的には崇拝型のアイドルである。

ということだ。
 今回は、コンサート開始直後に映し出される映像に「しょこたん本人」の映像が多用され(多分しょこたんのコンサートでは初めて)、いわゆる煽り映像っぽくなっていた。この映像が流されたときの会場の雰囲気が、ハロプロ系のコンサートの会場の雰囲気とは全く異なっていたのだ。これには、コンサート慣れ(ハロプロ系は50回以上、しょこたんは今回で8回目)している私も驚かされた。

 ハロプロ系のコンサートでも、毎回のようにメンバー紹介の映像が流されており、それが煽り映像的な演出効果を果たしてはいる。しかしそれは既にパターン化された「盛り上がりセレモニー」であり、「お約束の世界」である。そして何よりも、そこにおける盛り上がりは、これから自分が行う「消費」に対する盛り上がりなのだ。

 分かり易く例えると、
「ハロプロメンバーの煽り映像に対する観客の盛り上がり」は、
「クイズ番組において、クイズの前に商品が紹介されるときの盛り上がり」
と同質なのである。
「大型TVです」 「ワーッ」
「パジェロです」 「ワーッ」
という、アレと本質的には変わらない、消費対象に対する賛辞なのだ。

 これに対し、武道館における
「しょこたんの煽り映像に対する観客の盛り上がり」は、
「宗教団体において、教祖が登場したときの盛り上がり」
と同質であると感じられた。
 しょこたんの“映像”に対して賛辞の歓声が沸き上がる会場内で、私の脳裏に浮かんだ言葉は
「偶像崇拝」
の4文字である。そして、その2秒後に浮かんだ4文字は
「カリスマ」

 会場空間の半分ぐらいが「しょこたんをカリスマとして崇拝している」という雰囲気だった。
 あのとき私は「ハロプロ系のコンサートとは明らかに異質の空気」を呼吸していた。
 「崇拝の対象」と「消費の対象」では、熱狂の質が異なるのは当然である。
 似て非なる…ではなく、明らかに種類の異なる熱狂が、そこにはあった。

 ハロプロの場合、愛理ヲタ(ヲタは蔑称として使用)は、愛理をカリスマとして崇めている訳ではない。
 愛理ファン(ファンは普通の意味として使用)も、この点に関しては同じである。
 ヲタもファンも使う「愛理推し」という自称は、「私は愛理の推薦者である」を根源とする。ここには、「推す者」と「推される者」という立場の違いこそあれ「愛理と私は基本的には同格」という水平意識が含まれている。
 私自身、℃-uteのメンバーに対しては「ウチの子達」、ベリーズのメンバーに対しては「近所の子達(ウチの子達の同期)」という意識を抱いている。また、私自身が元々はモー娘。のファンだったことを考えると、私はハロプロ内アイドルグループの「消費者」であるとも表現できる。

 これに対し、武道館でしょこたんの煽り映像を観て歓喜の声を上げていたファン達は、しょこたんを崇めているか、あるいは祀り上げているように感じた。
 ただしその光景からは、「しょこたん教」という新興宗教の信者といった現代的な社会現象よりも、もっと原始的な、「巫女を崇める(祀り上げる)庶民の姿」という古代風景のような、どこか民族的既視感に近いイメージを受けた。

 しょこたんのファンは、しょこたんを「アイドルという商品」として消費することを欲していない。
 しょこたんのファンは、しょこたんが「日常を超越(逸脱)したカリスマ」であることを欲している。
 彼らにとって、しょこたんとは、
「私たちが普段属しているクダラナイ日常から、楽しいお祭りの世界へ吊り上げてくれる力を持った、有り難き存在」
「私たちを導く者にして、私たちの理解者」
「私たちの仲間にして、芸能界という世界に住む選らばれし者」
なのではないだろうか。

 また、しょこたん自身も、ハロプロのメンバーと比較すると、明らかに巫女的な性質を有している。
 コンサートの終盤やアンコールの際のしょこたんは、明らかに情緒不安定というか挙動不審というか、ある程度の精神錯乱状態が認められる。現場で見ていると、「プロとしてそういう自分を演じている」のではなく、「医学的に脳波がおかしい状態になっている」としか思えない。
 こういうキャラクターは、ハロプロにはいない。“嗣永プロ”こと桃子は、まさに対極の存在だと言えよう。かつての“美貴帝”ことミキティも、しょこたんのナチュラルハイ状態と比べたら、消費用に作られたネタキャラでしかない。

 強いて言えば、私自身が、ごっちん(後藤真希)に対してカリスマを感じたことはあった。しかし、当のごっちんは熱くも冷静にプロのパフォーマンスを魅せているといった雰囲気であり、天然巫女と化しているわけではなかった。
 しょこたんの場合は、見ていて「もしかしたら、しょこたんはステージ上でこのまま発狂するのではないか」という一抹の不安さえ感じてしまう。そして、しょこたん自身が「今、私は少し壊れかかっているのではないか」と不安を胸に秘めながら動いているように見えるときもある。

 特撮ファンである私にとって、しょこたんは「かわいい後輩」だ。私の場合この感覚が、しょこたんに対する基本スタンスとなっている。20歳近い年齢差があるので、基本的にはハロプロと同様、俗に言う「上から目線」で見るのが当たり前のことなのだ。
 一方、武道館の最大勢力であった若い女性客は、しょこたんと同世代か、より下の世代である。しょこたんが「消費の対象」ではなく「崇拝の対象」と成り得たのは、この年齢関係も大きく作用しているのだと思う。

 思えば、私が中学生のときリアルタイムでファンだった松田聖子は、既に高校を卒業した社会人だった。
 アイドルは10代なのに観客はオッサンばかりというハロプロのコンサート会場は、現代の歪んだアイドル市場を象徴している。
 その一方で、年下の同性のファンを多数得ているしょこたんは、古き良き時代のアイドルの正統的な後継者という側面を持っている。
 既に25才になっており、オタク丸出し、コンサートでも平気で変顔を決めてみせるしょこたんが、実績面では正統派アイドルという事実。何だか不思議な気がするが、これは本当のことなのだ。
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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。