2017-06

腐女子は、なぜ腐女子になったのか?

腐女子は、なぜ腐女子になったのか?

 「生まれたときから腐女子で、死ぬまで腐女子」という人はごく一部だと仮定する。これは、「ほとんどの腐女子は、何らかの外的要因によって腐女子になった」という仮定と同義である。

 ちなみに人間、特に男性は一定の年齢に達すると、そのほとんどが程度の差こそあれスケベになる。これは、先祖代々からそういう特性を受け継いでいるからである。
 もしも1万年前のある日、この世の男性の全てがプラトニックな恋愛以上のものを求めなくなっていたとしたら、その日から100年程度で人類という種は絶滅していただろう。

 1万年前から腐女子が存在していたかどうかは不明である。
 洞窟壁画の存在から、物語を創作するという文化もまた、1万年前には既にあったと私は思う。その物語とは主に英雄譚であり、その時代の英雄とは「皆が生きていくための食料を十分に調達してくれる存在」であったのではないか。生きる希望を繋ぐために、そういう英雄譚が集団の中で語り継がれたのではないかと想像する。

 1万年前の世界に、そういった英雄譚を2次創作し、BLにして楽しむ腐女子がいただろうか?
 1つだけ確実に言えることがある。
 いかに物語が作られようとも、男性キャラが1人しか登場しない間は、腐女子が発生し得ないということだ。

 「5人の中に君がいる 高速戦隊ターボレンジャー」
 5人編成の正義のグループを描いた特撮番組『高速戦隊ターボレンジャー』の主題歌の一節である。 私はこの一節を聴いたとき「女性視聴者には選択肢がない!」と思った。ターボレンジャーは、男性4人と女性1人の5人編成なのだ。男性視聴者は4人いる男性メンバーの中から1人を選ぶことが出来るが、女性視聴者は1人しかいない女性メンバーを選ぶ他ない。

 もっとも、『ターボレンジャー』は男児向けの番組であるという性格上、これは仕方のないことである。
 『超電子バイオマン』において、戦隊モノに初めて「女性レギュラー完全2人制」導入されたのだが、これが定着しそうで定着しない。最近の3年間だと、それが100%実施されているのは現在放送中の『侍戦隊シンケンジャー』1作のみである。
 このことから、男児向けの戦隊モノに「レギュラーメンバーは女性3人、男性2人」あるいは「レギュラーメンバーは女性4人、男性1人」という状況が生まれる可能性は、非常に低いと言える。

 これは、男児(男性)の視点から見れば、ごく当前のことだ。
 戦隊モノは、基本的には男が活躍する男の物語を最優先させている。男児が、男性ヒーローに自分を重ね合わせて楽しむことを基本コンセプトにした作品なのである。だから男児に、より多くの選択肢を与える構造にしておく必要がある。つまり、男性ヒーローの方が数的に多い編成となる。
 男児が、キレイで強くてカッコイイお姉さんを見て、男性ヒーローとはまた違った感情を抱くのは、飽く迄も2番目以降の要素なのだ。(個人的には、セクシーな女性悪役を見て少しドキドキした経験もあるのだが)

 しかし何らかの理由で、こういった作品を女性が視聴することになったら、どうなるのか?
 そんなことは今まで一度も考えたこともなかったのだが、『コスプレイヤーズ アーカイブ』の知恵袋における763**超受験生さんの回答(私が出した質問に寄せて頂いた回答の中から、ベストアンサーに選ばさせてもらった)を読んで、私は新たな視点を得た。

 男性キャラ4人と女性キャラ1人の5人グループの物語。
 これを、恋愛ドラマと看做せば、「男性が4人余っている」状況である。
 また、1人しかいない女性キャラにメンバーとの恋愛ドラマがなかった場合、「男性が5人余っている」状態になる。

 腐女子の原点は「男性キャラの数の多さ(女性キャラに対する数的優位)」にあるのではないかという763**超受験生さんの指摘に、私は説得力を感じた。

 先ず、「本来男性(男児)向けに作られており、恋愛ドラマ性が希薄な作品」を、何故か女性(中学生以上?)が観てしまうという状況が発生する。
 その女性は、本能的にそこに「恋愛ドラマ」を求めるが、作品の仕様上、それはないか、あっても希薄である。
 結果的に、女性の眼から見ると「カッコイイ男性キャラ」が、「不自然なことに何人も余っている」という状況に映る。
 女性視聴者からすると、「カッコイイ男性キャラ」が4人いたら、4人とも恋愛ドラマを展開させて欲しいのだが、実際にはそうはならない。
 無理やり恋愛ドラマであるように見立てようとも、女性キャラの絶対数が足りず、どうしても「カッコイイ男性キャラ」が余ってしまう…。

 この不自然さを解消する最も手っ取り早い方法は、「余っている男性キャラ同士を恋愛関係にしてしまう」ということだ。余っているキャラ同士をとりあえずくっつけてしまうことで、恋愛ドラマとしては「見かけ上、安定した状態」になるというわけだ。

 要するに「先に同性愛ありき」ではなく、「先に恋愛ドラマありき」。
「同性愛」は、「余っている男性キャラを、何とかして恋愛ドラマに組み込む」ための方便として導入されたというわけだ。

 ただし、男性側から言わせれば、
「そんなに恋愛ドラマが観たかったら、最初から“恋愛ドラマ作品”を観ればいいのでは?」
となるのは当然である。
 私はその手の作品は観ていないので具体例は挙げられないが、日本国内(輸入を含め)に良質な“恋愛ドラマ作品(または、恋愛ドラマを十分に含む作品)”が存在していないとは考え難い。この点は、謎のままだ(あるいはこれも、「別腹理論」で納得するべきなのか?)

 無理やり考えれば、「“恋愛ドラマ作品”を視聴することは不可能だが、スーパーヒーロータイムを視聴することは可能」という状況下に置かれた女性が、無意識のうちに腐女子化の“圧力”に晒される…となるが、TVや録画機器が発展した今日、そんな奇妙な状況は想像し難い。

 ちなみに、平成ライダーシリーズ辺りから、“イケメンヒーロー”という表現が使われるようになったが、私が子供の頃(35年以上前)から、ヒーローと言えば基本的にはイケメンであった。
 ヒーローには「カッコイイこと」が求められるので、当時の基準で2枚目である役者がキャスティングされてきた(あるいは、しようとしてきた)ことはある意味必然であり、伝統とも言える。パッと思い浮かぶのは、『帰ってきたウルトラマン(1971年)』の郷秀樹、『電人ザボーガー(1974年)』の大門豊といったところだ。

 男児のための、イケメンヒーロー。
 男児の選択肢を優先するが故の、男性イケメンキャラの数的優位。
 それが、女性の目には「イケメンが余ってしまっている」と映り、結果的に腐女子を生んでいるとしたら、何とも皮肉である。

 ここで、私はあることを思い出す。
 アニメに関しては、30年前と比べると、明らかにイケメンキャラが増えているということを。
 この件に関しては、いずれ別記事にて具体例を挙げて比較してみたい。
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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。