2012-02

絶対外れる!『機動戦士ガンダムAGE』に関する謎・疑問・予想・願望を書きなぐる!!(その1)

絶対外れる!『機動戦士ガンダムAGE』に関する謎・疑問・予想・願望を書きなぐる!!(その1)
~ “ガンダム”が真の救世主であるならば、
        火星圏人類(ベイガン)にとっても救世主である筈だ ~

 『ガンダムAGE』には、謎が多い。いや、謎と言ったら語弊があるか?
 説明されていないから、何気に分かっていないことが、結構多いと感じるのだ。いやいや、それも単に私が説明を見逃したり聞き逃したりしているだけなのかも知れない。

 この記事では、ネタばれ防止のため公式ホームページは閲覧せず最近は『ガンダムエース』の購入すらも停止している私が、『ガンダムAGE』に対して抱いている疑問、あるいは謎に対する答の予想や願望を書き殴ってみる。謎?は一杯あるので、とりあえず今回は(その1)なのだ。

 先に言っておくが、『ガンダムAGE』に関する私の予測は絶対に外れる。
 現に、アセムの性格の予想は外れ(その記事は →こちら )、UEの正体に関する予測も外れている(その記事は →こちら )。自分で言うのも何だが、今後も自分の予想が当たる気が全くしない。

 前置きが長くなったが、“『ガンダムAGE』の謎(疑問)・その1”
「地球圏、地球圏って言ってるけれど、地球そのものはどうなっているの?」
 絶対に外れる予想・その1
「地球上には、公式には人類は一人も住んでいない(住んではいけない)ことになっている」

 地球に降りないんだよねー、『ガンダムAGE』は。
…ってそれどころか、地球が“今”どうなっているかについて、何の説明もないんじゃない?
 アバンタイトルでは「戦艦が地面に突き刺さっている映像」が1枚だけ出ており、あれがコロニーではなく地球のように見えるのだが、どうなんだろう。
 もしかしたら、全人類はスペースコロニーに移住を完了していて、地球そのものには誰も住んでいないのでは?
「地球上の国家群は過去の全面戦争により一旦全滅しており、現在地球上に人類の正式な国家は存在しない」のかも知れない。あるいは、
「地球環境の保全のため、全人類はスペースコロニーへと移住した」とか。『逆襲のシャア』でシャアが提唱していたことが実現している世界というわけ。

 ここから更に予想を進めて、絶対に外れる予想・その1の2。
「ベイガンの目的は、無人となっている地球にベイガン国家を築くこと(火星圏人類による地球の乗っ取り)」
なんてねー。
 ヤーク・ドレが最後に乗った巨大モビルスーツは、地球重力下での運用を前提に開発された機体だと説明されていたから、ベイガンが地球上で戦争する気があることだけは確かなんだけどね。

 では、続いて“『ガンダムAGE』の謎(疑問)・その2”。
「ガンダムのことを救世主、救世主って言ってるけれど、“人類”の救世主が火星圏人類(ベイガン)を殲滅するというのは矛盾しているのでは?」
 絶対に外れる予想・その2
「火星圏に攻め込んだガンダムAGE-3(AGEシステム)は、火星圏に順応するためにマーズレイを克服するシステムを造り上げ、火星圏人類(ベイガン)にとっても救世主となる」

 これは予想と言うよりは私の願望です。
 私は生粋の日本人ですから、やっぱりチェスよりは将棋が好いんですよ。
 どんな戦(いくさ)であっても、「異民族を根絶やしにする」という発想は好かんのですよ。
 復讐の鬼と化し、ベイガンに対して殲滅しか選択肢を持たないフリットを見るのはつらい。ベイガンにとってもフリットにとっても、そしてガンダムにとっても救いが無さ過ぎる。
 それに、フリット自身、その出生には疑念を抱かせるものがあって…
…という誰もが感じていることに関しては、また来週にでも書きます。
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『機動戦士ガンダムAGE』フリット編お手軽セット?

『機動戦士ガンダムAGE』フリット編お手軽セット?

 ROBOT魂のスパローも届いたので、今まで購入した『機動戦士ガンダムAGE』の商品をまとめて紹介。

ガンダムAGEフリット編お手軽セット

 ブルーレイ(豪華版)は開封しただけで、まだ観ていない。ロボット魂は開封すらしていない。
 フリット編も終わったことだし、ブルーレイは特典ディスクも含め、ネタばれの心配はないと思う。来週にでも観ようかな。
 ロボット魂は、今開封すると部品を紛失する危険性が高いため、もう暫くは箱入りのままにしておこう。ガンダムユニコーンの二の舞は避けたい。

 あと、写真を撮り忘れたけれど、書籍としては『ガンダムAGEデバイスブック』を最近買っている。登場人物の年齢が載っているのは便利(ウルフはフリット編で23才だから、アセム編では48才、私より年上になってる!)だが、発行が2011年の11月なので、UEのモビルスーツがバクトまでしか載っていない。フリット編を総括したムックが出ているだろうから、買わんといかんわ。

 CDは、『明日へ』が期待外れだった。オリジナル版は、全然ガンダムっぽくないんだな~。逆に言えば、TVバージョンは上手いことガンダムAGEっぽくまとめたなぁと感心する。
 アニメの主題歌は、その作品とは無関係な既製品を引っ張ってくるんじゃなくて、その作品を意識して作られた楽曲にして欲しいなぁ、やっぱり。

『機動戦士ガンダムAGE』第15話から第18話の感想(その4)

『機動戦士ガンダムAGE』第15話から第18話の感想(その4)

 第18話『卒業式の戦闘』

 “学園もの”としての『ガンダムAGE』アセム編は、3話目にて結末を迎えた。
 第16話が“学園もの”としての「起」、第17話が「承~転」、第18話が「転~結」であり、必要最小限の構成になっている。その間に1年半の月日が流れており、アセムは18才となり、級友と共にハイスクールを卒業するのが、この回だ。

 ゼハートはベイガンであることをアセムに明かし、
「俺だと知って、お前は討てるのか!」
と問い質す。そして、「お前のような優しい奴は、戦うべきじゃない」と諭すゼハートの言葉がコロニーの青空に吸い込まれたところでこの回は終わる。そして、それに続くエンディングが、この回の一部のように映るのだ。

 エンディングはアセムの人生を振り返るような内容になっているが、今回のエンディングに関しては、ゼハートにも同様に振り返るべき人生があることを考えさせられる。
「お互い、違う世界に生まれてしまった」
と言うゼハートには、ゼハートの世界があるのだ。ゼハートは「俺には戦士として背負うものがある」と言った。アセムがアスノ家に生まれた男子としてガンダム(AGEシステム)を引き継ぐ宿命を背負っているように、ゼハートにも「譲ることが出来ない、戦う理由がある」のだと。

 3話をかけて、青春の1年半を共有した「アセムとその仲間達」(あるいは「ゼハートとその仲間達」)の物語の第一部は終了した。アセム個人にとっては、ここまでが“戦前”の物語であろう。ここまでは、アセムが乗り込むガンダムがガンダムAGA-1(『Ζガンダム』におけるガンダムMk-IIに相当)であったことも、アセム編のプロローグであることを印象付けている。

『機動戦士ガンダムAGE』第15話から第18話の感想(その3)

『機動戦士ガンダムAGE』第15話から第18話の感想(その3)

 第17話『友情と恋とモビルスーツ』

 “学園もの”としての『ガンダムAGE』アセム編、2話目。
 前話は『Ζガンダム』を連想させ、今回もそれは続いているのだが、それに加えて『ガンダムSEED』も思い起こさせる内容になってきた。『ガンダムSEED』の何を思い起こさせるのかと言えば、それは勿論キラとアスランの関係である。
 『ガンダムSEED』において、キラとアスランは幼馴染という設定になっているが、それは台詞やせいぜい数カットでの説明の域に留まっており、ちゃんとしたドラマとして描かれたことは無かった。エンディングで「あんなに一緒だったのに」と歌われてはいるものの、実際にキラとアスランが「どんな風に一緒だったのか」は、事実上割愛されていたのだ。

 アセムとゼハートに関しては、そういった部分が丁寧に描写されている。もっとも、アセムとゼハートは、キラとアスランのような幼馴染といった“台詞だけでもそれなりに伝わる便利な関係”ではないので、最低限でもこの程度の描写が必要になるのだとも言える。

 それにしても、アセムがこれほどまでに普通の17才であることには驚いた。『ガンダムエース』8月号で設定画等を見た段階では、“天才肌のクールガイ”だと思っていた(それに関する記事は → こちら )のだが。
 喧嘩ではナチュラルな強さを発揮し、プチモビルスーツ大会でも優勝しているのだから普通の人と比べれば才能に恵まれている筈なのだが、14才のときのフリットと比べると明らかに見劣りする。その意味では、とても天才と呼べるようなキャラクターではない。性格もクールではなく、熱血寄りである。偉大な父を持ち、その父の存在を自他共に意識せざるを得ない境遇を生き続けたという点においては、ごく普通の若者という印象を抱かせる。

 “天才肌のクールガイ”というキャラクターは、ゼハートが担っているように感じた。息子のアセムではなく、ライバルキャラであるゼハートの方が、むしろフリットに近いキャラクターであるというのは面白い。

 なお、ゼハートは「主人公とは敵対する組織に所属し、ガンダムの奪取を目的としてコロニーに侵入した」という点においても『ガンダムSEED』のアスランと共通するキャラクターであるが、そもそも「ガンダムの奪取を目的としてコロニーに侵入する」というシチュエーションは、『Ζガンダム』に由来する。そういった見方をすれば、
 『Ζガンダム』
 『ガンダムSEED』
 『ガンダムAGE』
と、3世代のガンダムシリーズが繋がるわけで、これもある意味、ガンダムのAGEを描いているとも受け取れるのだ。

『機動戦士ガンダムAGE』第15話から第18話の感想(その2)

『機動戦士ガンダムAGE』第15話から第18話の感想(その2)

 第16話『馬小屋のガンダム』

 第15話で“UE(ベイガン)への復讐に燃える男”であるグルーデックが物語の舞台から退場したかと思ったら、25年後の舞台に“ベイガン殲滅に燃える男”となったフリットが再登場。
 かつて、グルーデックから“復讐を志す者同士”としての握手を求められても応じなかった少年が、まるでグルーデックの分身のような存在になってしまっている。これも“連なっている”という意味では、“憎しみの連鎖”と言えるのかも知れない。
 先ず前話までの主人公であるフリットを登場させ、彼に息子(新しい主人公)のことを思い起こさせるという導入部には、アセム編のスタートに相応しい流れを感じる。
 
 フリット編のスタートには、コロニーの描写にファーストガンダムへのオマージュや、ファーストガンダムを超えるという意気込みを感じた。それに対し、アセム編のスタートには『Ζガンダム』へのオマージュを感じる。意気込みという部分では、『Ζガンダム』を超えるというよりも、そこでは描かれなかった部分を丁寧に描こうというところだろうか。
 『Ζガンダム』の主人公であるカミーユが、プチモビルスーツ大会の優勝者であったことは、彼の過去の経歴として僅か1枚の写真と簡単な台詞で説明されただけである。“アセム編”では、正にそこにスポットを当てたところから物語が始まるのだ。

 しかも、アセム編で初めて登場するガンダムは、ガンダムAGE-2ではない。ガンダムMk-IIならぬ、ガンダムAGE-1のMk-II版(性能を向上させたAGE-1)なのだ。これは勿論『Ζガンダム』で初めて登場したガンダムがΖガンダムではなく、ガンダムMk-IIだったことを踏襲したパターンである。
 ガンダムが馬小屋から姿を現すのは、『ガンダムAGE』のガンダムが救世主として語られる伝説のモビルスーツであることを示す演出であろう。同時に、『Ζガンダム』でカミーユが乗り込んだガンダムMk-II(3号機)が、天井の低い倉庫で無理矢理立ち上がって発進したシーンに対するオマージュにもなっている。もっとも、アセムの操縦するガンダムAGE-1は馬小屋を壊さないよう、天井を開けてもらってから発進しているのだが。

『機動戦士ガンダムAGE』第15話から第18話の感想(その1)

『機動戦士ガンダムAGE』第15話から第18話の感想(その1)

 『機動戦士ガンダムAGE』ブルーレイ(DVD)ディスクの第5巻に収録されると思われる、第15話から第18話までの感想を書いてみる。先ず各話ごとの感想を書いて、4話分書き上げた後にまとめることにする。

 第15話『その涙、宇宙に落ちて』

 フリット編の最終話。遂にUEの正体が明かされる。
 …と言っても、UEが少なくとも人間そっくりの姿をしていることは既に明かされているので、それが前提の“正体”となる。
 私が予想していたUEの正体は、「地球連邦の一部と裏で結び付いた武器商人結社(厳密には、そのうちの一組織)」である。単なる武器商人組織ではなく、ある思想を持って人類に再び戦争を行わせようとする秘密結社、それがUEを操っている組織の正体ではないかと思ったのだ。
 つまり、UEとは地球連邦の一部と武器商人結社が共同で作り出した、言わば「自作自演の“人類共通の敵”」。人類がモビルスーツを筆頭とした「銀の杯条約締結以前の軍事力」を再び手にし、戦争を始める準備をするために最低限必要な脅威として生み出された秘匿部隊であり、その正体は地球圏人類そのもの。

「人類が進化して、宇宙へ更なる進出を果たすためには戦争(裏で制御された戦争)が必要不可欠」
という思想の元、人類を再び戦争の時代へ突入させるための第一段階は、既に完了した。何故なら、それが「UEの出現と、それによる地球連邦の軍拡」に他ならないからだ。
 地球連邦が存在する限りUEもまた存在し続けるという図式が明らかになり、それを知ったディーバのクルーが『Ζガンダム』におけるエゥーゴのような“反地球連邦組織”を造りだすことを決意したところでフリット編が終了するのでは…と予想していた。

 実際には、UEは火星移民者が生き残るために造り上げたコロニー国家“ベイガン”であった。そして彼らによる戦争行為の目的は、地球連邦から見捨てられたことに対する単なる報復ではないと言う。
 ここまで明かされた時点で、TVの前の視聴者のほとんどが
「UE(ベイガン)がノーラを襲撃した際、何故コロニーを一気に破壊しなかった(エネルギープラントを狙わなかった)のか? また、コロニーコアを使用した住民の脱出を阻止しなかったのは何故か」
という謎を思い出したことだろう。そして、その内の多くは
「フリットが“天使の落日”が起きた年に生まれているのは単なる偶然ではないのでは?」
という、“フリットの出生に関する疑念”を抱いたのではないだろうか。

 スパロー、タイタスという強化ウェアを立て続けに失い、“ただのガンダム”であるAGE-1ノーマルで要塞に突入するフリット。しかも、ヤーク・ドレの罠にかかり、閉ざされた空間で複数の敵と戦わざるを得なくなってしまう。それでも、鬼のような形相となったフリットの駆るAGE-1ノーマルは圧倒的な強さを見せ、初戦では完敗しているバクトすら鎧袖一触で撃破してしまう(バクトのパイロットの技量が同レベルであったかは不明だが)。
 私はそんなフリットを見て、思わず
「強くなったな、フリット! だが、それは本当にお前が望んでいた強さか?」
と問いかけてしまった。フリットが口にしていた“救世主”とは、“ひたすら強力な戦闘マシーン”のことだったのか?
 もちろん強くなければ敵を倒すことは出来ず、大切な人を守ることが出来ないという事実はある。しかし、単なる戦力として強さがあれば、大切な人を絶対に守ることが出来るのかといえば、そうではない。もっとも、フリットがそのことを理解するには状況が悪すぎ、フリット自身が若すぎたことは否めないのだが。

 ヤーク・ドレを射殺したのがフリットではなくグルーデックだったことが“正解”だったのか、私には分からない。
 もしあのとき、ヤーク・ドレ自らの手によって彼の額に向けられた銃の引き金を、フリットが引いていたとしたら。そうすることで復讐を果たしたフリットが、憎しみから解放されたとしたら。
 グルーデックがヤーク・ドレの息子に対して言い放った
「復讐という亡霊に取り憑かれて、悲劇的な人生を歩め」
という台詞が、まるでフリットに向けられたかのような皮肉な結果となったことを思うと、フリットが自分自身の手で直接復讐を果たすことなく終わったことが、本当に正しい選択だったのか分からなくなるのだ。

『機動戦士ガンダムAGE』第11話から第14話の感想(まとめ)

『機動戦士ガンダムAGE』第11話から第14話の感想(まとめ)

 某所でのレビューにも使えるよう、まとめてみた。『機動戦士ガンダムAGE』ブルーレイ(DVD)ディスクの第5巻に収録されると思われる、第15話から第18話までの感想の練習も兼ねている。

    “平成版アムロとララァ”の物語は予想外の結末へ…!

 UE要塞攻略のための戦力の整備と作戦の立案・決定、おまけにディーバの大改造。第11話『ミンスリーの再開』は、ストーリー上、決して抜かすことの出来ない重要な出来事が描かれた回であるにも関わらず、ファーストガンダムにおける『ククルス・ドアンの島』のような挿話という印象が残った。
 嵐の後の静けさか、嵐の前の静けさか。しかし、この回がそれだけではなかったことが、後で分かる。

 連邦側とディーバ側の対立が、ついに艦隊戦という形で頂点を迎えた第12話『反逆者たちの船出』。
 組織の一員として与えられた任務を遂行しようとする男と、組織に反逆して本来の使命を全うしようとする男同士の対決は観応えがあった。最低限の情報しか交換していない状況下で、彼らは互いの行動から意思を汲み取り合い、その場における最善の選択を行ったのだ。
 「中立は対立の一種である」という救いの見えない現実から始まったこのエピソードは、「対立の回避は一種の協力である」という救いを見出せる選択で幕を閉じた。この回の主人公は、間違いなく、この二人の艦長であった。

 第13話『宇宙要塞アンバット』。ディーバのフォトン・ブラスターは一撃で戦局を変える威力を持つ反面、他のビーム砲よりも有効射程距離が短く、連射も出来ないという二つの大きな欠点がある。この欠点があることで、戦闘に緊迫感が生まれている。
 敵戦艦を有効射程内に捉えるためとは言え、ディーバが敵モビルスーツの大部隊の中に突っ込んで行くことは自殺行為である。そのため、予め味方のモビルスーツ部隊がディーバの進路から敵モビルスーツを排除していかなければならないのだ。
 なお、この回を見た時点では、ユリンは最終的にはフリットによってUEから救出される(第1話の別バージョン再現)ものだとばかり思っていた。ネタばれ無しで『ガンダムAGE』を観続けていた人の大半の予想は、そういったところではなかっただろうか。

 そして第14話『悲しみの閃光』。ユリンが新型モビルスーツに乗ってフリットのガンダムの前に現れるとは全く予想していなかった。しかも「フリット…やっと会えた」と悲しげに囁くユリンには、強化人間のように記憶を操作された様子も無く、正気を保っているように見えるから尚更である。
「え?え? コレどういうこと?どういうこと?」
 想定外の展開を映し出すTVの前で、私は激しく動揺した。かなりの程度で、フリットとシンクロしていた。
 ユリンの乗る新型モビルスーツは弥勒菩薩像を連想させ、そのモビルスーツから放たれたビットはまるで蓮の花のようである。本来慈悲深さの象徴であるデザインが、無慈悲な攻撃を仕掛ける映像を観て、混乱に拍車がかかる。
 ユリンのモビルスーツが、フリットのガンダムを身を挺して守った瞬間、
「…そりゃねーだろ…」
 茫然となった。
 アムロとララァは出会うのが遅すぎた。だから、悲劇的な別れを招いたんじゃなかったのか。
 早い段階で出会っていれば、悲劇は回避できたんじゃなかったのか。
 フリットとユリンは早い段階で出会えていたのに、なぜこんな悲劇的な別れをしなければならないのか。
 遅くてもダメ、早くてもダメ、分かり合えていてもダメだというなら、救いは一体どこにあるのか。これでは、二人が余りにも可哀相すぎるではないか。
 そんな感情の昂ぶりの裏で、
「戦争とはそういうものだろ?」
という囁きが聞こえてくる。
 満身創痍となったスパローからタイタスへと換装したのも束の間、そのタイタスも要塞の入り口をこじ開けたことと引き換えに壊れてしまう。あとはもう、“ただのガンダム”であるノーマルしか残っていない。
 果たしてこの先、AGE-1ノーマルだけで戦って生き残れるのか?と思う一方、“ただのガンダム”であるAGE-1ノーマルこそが、ガンダムの本来の姿であるとも感じる。
 最後は結局、ガンダムの素での力で戦い抜く。しかも、宇宙要塞の中で待ち構えているのは、ファーストガンダムにおけるソロモン攻略戦に登場したモビルアーマー・ビグザムを思い出させる、巨大なモビルスーツなのだ。
 今、『ガンダムAGE』をネタばれ無しでリアルタイム視聴できている人は、昔、ファーストガンダムをネタばれ無しでリアルタイム視聴できていた人と同じくらい、幸運だと思う。

『機動戦士ガンダムAGE』第11話から第14話の感想(その4)

『機動戦士ガンダムAGE』第11話から第14話の感想(その4)

 『機動戦士ガンダムAGE』ブルーレイ(DVD)ディスクの第4巻に収録されると思われる、第11話から第14話までの感想の、4番目の記事である。結局、1話ごとの感想みたいになってしまった。本当は4話分を渾然一体にした感想をグワーッと書き殴りたいのだが。前置き(→ こちら)は、この回を特に意識して書いた記事である。


 第14話『悲しみの閃光』

 ドラマを盛り上げるには悪役が必要である。例え、そのドラマが“勧善懲悪もの”ではないとしても。
 ガンダムシリーズの中でも低年齢層にフレンドリーな作風と言える『ガンダムAGE』の悪役が、その低年齢層と同じ年頃の子供キャラであるということには驚かされる。悪役として描かれてきたデシルではあるが、この回は「戦場での命のやり取りをゲームとしか思わない、非人間的で醜悪な子供」であることが、これでもかとばかりに強調されている。対戦型ゲームが好きな低年齢層の視聴者に対する反面教師としては、強烈過ぎるキャラだ。

 また、悪役ならずとも、主人公にとって乗り越えるべき存在となるキャラは、同世代か年上である方が自然な印象を受けるものだ。アムロにとってのシャアやランバ・ラルが、そうであったように。このパターンから外れているという意味でも、デシルは特異なキャラである。
 少年であるフリットから見ても子供であるデシルは、「姿は子供であるが、“中身”(脳、あるいはそこに入力されている精神)は大人」ではないかと思えた時期もあった。しかし、この回を観た限りでは、Xラウンダーとして覚醒してはいるものの、正真正銘の子供だという印象を受ける。

 そして、デシル以上に驚かされたのが、ユリンの登場。
 私は全くネタばれ無しでこの回を観ていたため、ユリンが新型モビルスーツに乗ってフリットのガンダムの前に現れるとは全く予想していなかった。
 しかも「フリット…やっと会えた」と悲しげに囁くユリンには、強化人間のように記憶を操作された様子も無く、正気を保っているように見えるから尚更である。
「え?え? コレどういうこと?どういうこと?」
 想定外の展開を映し出すTVの前で、私はフリット並みとはいかないまでも、激しく動揺した。かなりの程度で、フリットとシンクロしていた。
 ユリンの乗る新型モビルスーツは弥勒菩薩像を連想させ、そのモビルスーツから放たれたビットはまるで蓮の花のようである。本来慈悲深さの象徴であるデザインが、無慈悲な攻撃を仕掛ける映像を観て、混乱に拍車がかかる。
「ユリンは家族をUEに殺されたと言っていたが、実はユリンの家族自体がUEからの脱走兵だったのでは?」
「いや、UEからの脱走兵どころか、地球に潜入していたUEの“家族単位”のスパイで…」
 ユリンはデシルの能力の増幅装置として機能しているに過ぎず、ユリン自身はモビルスーツもビットも動かしていないことが分かった後も、ユリンが戦場にいる現実が受け入れられない。そしてユリンのモビルスーツが、フリットのガンダムを身を挺して守った瞬間、
「…そりゃねーだろ…」
呆然となった。

 アムロとララァは出会うのが遅すぎた。だから、悲劇的な別れを招いたんじゃなかったのか。
 早い段階で出会っていれば、悲劇は回避できたんじゃなかったのか。
 フリットとユリンは早い段階で出会えていたのに、なぜこんな悲劇的な別れをしなければならないのか。
 遅くてもダメで、早くてもダメだというなら、救いは一体どこにあるのか。
 これでは、二人が余りにも可哀相すぎるではないか。
 それとも、早すぎた出会いが悲劇に繋がったとでも言うのか。

 「ボクは負けてない」を連呼し、幼児性を露にしたデシルに対し、フリットは止めを刺すことができなかった。モビルスーツを失えば子供でしかないデシルを感じ取ったフリットの脳裏に蘇った記憶は、デシルと年齢が同じ頃の自分が「ガンダムが救世主になる」と無邪気に信じていたことだった。
「何が救世主だ…」
と呻くフリットの姿は、「目の前にいる子供」であるデシルを殺さなかった代わりに「子供だった頃の自分」を呪っているようにも映った。そんなフリットを見て、「今の自分の未熟さを責めることはともかく、子供の頃の自分の純粋な優しさ(救世主になるという思いは優しさから生まれている)を殺して欲しくない」と思わずにはいられなかった。

 満身創痍となったスパローからタイタスへと換装したのも束の間、そのタイタスも要塞の入り口をこじ開けたことと引き換えに壊れてしまう。
 あとはもう、“ただのガンダム”であるノーマルしか残っていない。
 果たしてこの先、AGE-1ノーマルだけで戦って生き残れるのか?と思う一方…
 “ただのガンダム”であるAGE-1ノーマルこそが、ガンダムの本来の姿であるとも感じる。
 最後は結局、ガンダムの素での力で戦い抜くしかない…
 この展開には、昂ぶるものがある。
 しかも、宇宙要塞の中で待ち構えているのは、ファーストガンダムにおけるソロモン攻略戦に登場したモビルアーマー・ビグザムを思わせるシルエットを有した、巨大なモビルスーツなのだ。

 そういった昂ぶりも、怒りによって鬼のような形相となったフリットの凄みの前では薄れていく。
 朴訥だった少年さえも、鬼に変えてしまうのが戦争なのだ。
 『機動戦士ガンダムAGE』は、戦後から戦争へと突入していく時代を描いていることを実感した。

『機動戦士ガンダムAGE』第11話から第14話の感想(その3)

『機動戦士ガンダムAGE』第11話から第14話の感想(その3)

 『機動戦士ガンダムAGE』ブルーレイ(DVD)ディスクの第4巻に収録されると思われる、第11話から第14話までの感想を書いている。この記事は、その3番目。本当はA4の1ページに簡潔にまとめたいのだけど、そうならないのでバラしている。前置き(→ こちら)は、全ての感想に共通した前提である。


 第13話『宇宙要塞アンバット』

 その姿を『ガンダムA』で初めて見た時から「いかにも変形しそうな感じ」だと思っていたディーバが、遂に変形。でも正直なところ、ホワイトベース型に変形するとは予想していなかった。『ガンダムAGE』は低年齢層にフレンドリーな作風になっているので、ディーバの変形も所謂子供受けするような感じのものを予想していたのだ。

 例えば、ディーバはパッと見が『宇宙刑事シャイダー』のバビロスと似ているから、バビロスのバトルフォーメーションのようにロボット型に変形して、それをモビルアーマーと呼称する(ディーバのモビルアーマー形態)とか…。だから、私にとってディーバの“強襲揚陸モード”は、嬉しい誤算である。もっとも、最初から変形するように設計製造されているという設定なら、バビロスのバトルフォーメーションのような変形をしても構わないと思う。『Ζガンダム』のサイコガンダムも、相当無理があるというか、玩具っぽい変形をしていたから。

 ディーバの“強襲揚陸モード”から発射されるフォトン・ブラスターは一撃で戦局を変えることの出来る強力な武器だ。そして、それと同じくらい重要なのが、各モビルスーツが持つ攻撃力である。
 10話のファーデーン防衛戦の段階ではガンダムとGエグゼスしかドッズライフル(または同等の性能を有するビームライフル)を装備しておらず、ラーガンのジェノアスですらまだビームスプレーガンで戦っていた。だが、12話でミンスリーから出航した際の戦闘では、そのジェノアスもドッズライフル相当品を使用した。この回のアンバット攻略戦では、エウバとザラムのモビルスーツにもドッズライフル相当品が行き渡っていた。
 やはり、ミンスリーに滞在していた期間に数を揃えたのだろうか。その期間、AGEビルダーはディーバの改造パーツの製造でフル回転であったであろうことと、アンバット攻略戦に途中から加勢したマッドーナのシャルドール部隊もドッズライフル相当品を携えていたことから、ドッズライフル相当品を量産したのはマッドーナ工房であるように思えるのだが。

 ディーバのフォトン・ブラスターは他のビーム砲よりも有効射程距離が短く、連射も出来ないという二つの大きな欠点があるために、戦闘に緊迫感が生まれている。
 敵戦艦を有効射程内に捉えるためとは言え、ディーバが敵モビルスーツの大部隊の中に突っ込んで行くことは自殺行為である。だから、予め味方のモビルスーツ部隊がディーバの進路から敵モビルスーツを排除しておかなければならない(進路上の制空権の確保)。フォトン・ブラスターのエネルギー充填中は、ディーバのビーム兵器は使用を制限されるだろうから、尚更である。

 この回を見た時点では、ユリンはUEに人質として捕らえられているだけで、結局はフリットによって助け出されるものだとばかり思っていた。ネタばれ無しで『ガンダムAGE』を観続けていた人の大半の予想は、そういったところではなかったのだろうか。

『機動戦士ガンダムAGE』第11話から第14話の感想(その2)

『機動戦士ガンダムAGE』第11話から第14話の感想(その2)

 『機動戦士ガンダムAGE』ブルーレイ(DVD)ディスクの第4巻に収録されると思われる、第11話から第14話までの感想を書いてみる。『機動戦士ガンダムAGE』の感想は、飽く迄もブルーレイ(DVD)ディスク単位で書くというのが建前なのだ。ちなみに、第3巻以前の感想は、もっと渾然一体な感じで書いてきた。前置き(→ こちら)は、全ての感想に共通した前提である。


 第12話『反逆者たちの船出』

 「対立の無いところにドラマは無い」と言われるが「対立があればドラマになる」とは限らない。例えば、『ガンダム00』の1期におけるマイスター内での対立はワンパターンな内容を徒に引き延ばした、所詮「対立のための対立」という印象だった。ドラマとして有効に機能していたとは言い難い。
 その点、『ガンダムAGE』では異なるパターンの対立や、そこから変化しての協力が主人公側で何度も展開し、上手い流れを作ることに成功している。もちろん、対立から協調への過程における“迷い”も描かれており、血の通った人間として感情移入することが出来る。

 第11話で本格化した連邦側とディーバ側の対立が、ついに艦隊戦という形で頂点を迎えたこの回。その対立を回避させたのは、その場の指揮官であるグワバラン艦長とグルーデック艦長の英断だった。
 組織の一員として与えられた任務を遂行しようとする男と、組織に反逆して本来の使命を全うしようとする男同士の対決は観応えがあった。最低限の情報しか交換していない状況下で、彼らは互いの行動から意思を汲み取り合い、その場における最善の選択を行ったのだ。

 未来を変えるのは、いつだって現在の選択であり、行動である。
 グルーデック艦長は「目の前の連邦艦隊を見捨てない」という選択をした。連邦に反逆している身でありながら、目の前の連邦艦隊を助けた。自分と自分が率いるディーバ艦隊が単なる反逆者ではなく、人類をUEの脅威から救う者だという意思を行動で示したのだ。
 その行動を目の当たりにして、グワバラン艦長は「ディーバ艦隊がアンバット攻略戦に向かうことを黙認する」という選択をした。それは単なる貸し借りというレベルの話ではなく、グルーデック艦長の意思、指揮官としての技量を認めたということだ。UEと実際に交戦したことで「誰かが今すぐにでもUEの本拠地を叩いておかなければならない」という意識を、グルーデック艦長と共有したということでもある。

 「中立は対立の一種である」という救いの見えない現実から始まったこのエピソードは、「対立の回避は一種の協力である」という救いを見出せる選択で幕を閉じた。この回の主人公は、間違いなく、この二人の艦長であった。

『機動戦士ガンダムAGE』第11話から第14話の感想(その1)

『機動戦士ガンダムAGE』第11話から第14話の感想(その1)

 前置き(→ こちら )が終わったところで、『機動戦士ガンダムAGE』ブルーレイ(DVD)ディスクの第4巻に収録されると思われる、第11話から第14話までの感想を書いてみる。


 第11話『ミンスリーの再会』

 UE要塞攻略のための戦力の確保と作戦の立案・決定、おまけにディーバの大改造。第11話『ミンスリーの再会』は、ストーリー上、決して抜かすことの出来ない重要な出来事が描かれた回であるにも関わらず、ファーストガンダムにおける『ククルス・ドアンの島』のような挿話という印象が残る。
 嵐の後の静けさか、嵐の前の静けさか。しかし、この回がそれだけではなかったことが、後で分かる。そう、例えるなら…

 あなたの家にある、定価数千円の花瓶。しかし、それはあなたの思い出のこもった大切な花瓶である。それを、家に進入してきた猫が割ってしまった。
 あなたが、たまたま立ち寄った美術商店。そこで売られていた花瓶に、1000万円の値札が付いていた。それを、店に進入してきた猫が割ってしまった。
 あなたにとって、どちらが悲しい出来事だろうか?
 第三者にとって、どちらが悲しい出来事だろうか?
 花瓶という物体が割れただけではなく、あなたの思い出が割れてしまったことを伝えるには、どうしたら良いのだろうか?

 あなたと第三者が同じ悲しみを共有するためには、あなたにとってその花瓶がどれだけ大切なものであったかという思いを、第三者と共有する必要がある。悲しみを伝えるうえで重要なのは花瓶が壊れた一瞬の描写ではなく、その花瓶にどんな思い出が詰まっていたか、その思い出がどんなに大切なものだったかということだ。
 つまり、「割れた花瓶をいかに描くか」ということよりも、「割れる前の花瓶をいかに描くか」。それは、「将来、その花瓶が割れることになるとは思ってもいなかった時間」を描くということでもある。

 アムロとララァの遅すぎた出会いは、悲劇的な別れを招いた。
 しかし、フリットとユリンは、充分に早い段階で出会っている。
 アムロとララァとは真逆とも言えるフリットとユリンの出会いを観て、私は二人の未来を無意識のうちに楽観視していた。ネタばれ無しで視聴していた私は、このミンスリーでの時間が正に「将来、その花瓶が割れることになるとは思ってもいなかった時間」だったのだ。

 第12話の感想は…、やっぱり記事を変えよう、うん。

『機動戦士ガンダムAGE』第11話から第14話の感想の前置き

『機動戦士ガンダムAGE』第11話から第14話の感想の前置き

 『機動戦士ガンダムAGE』ブルーレイ(DVD)ディスクの第4巻に収録されると思われる、第11話から第14話までの感想を書いてみる。
 先日録画したものを再視聴していてふと思ったことは、
『ガンダムAGE』が面白くないと批判している人は、雑誌等で事前にストーリー等を知っている、即ち自らネタばれ情報を仕入れてから視聴している人ではないか?ということだ。

 私は『ガンダムAGE』に関しては、初期を除きネタばれを極力除外して視聴している。最近は雑誌『ガンダムA』を購入しても『ガンダムAGE』を扱っているページは開かないよう細心の注意を払って取り扱っているし、番組の公式ホームページもほとんど閲覧していない。
 だから、ガンダムAGE-2の姿を初めて見たのはゲイジングビルダーのTVCMだったし、第16話(アスノ編の第1話)で新しくなったオープニングを観たときは、ウルフがオッサンになっていることに衝撃を受けた(フリット編唯一?のイケメンキャラなので、コールドスリープによって年を取らずに登場するのではないかと予想していたのだ)。

 アニメに限らず、TVの連続ドラマを視聴する醍醐味の一つは、そのドラマが予想もしていなかった展開を見せたときに受ける“新鮮な驚き”だと確信する。そして、その“初めて観たときに感じた新鮮な驚き”は脳裏に刻み込まれ、後になってその作品を観返した時に蘇ってくるのだ。

 先日、実際に私は『ガンダムAGE』の第11話から第14話を観返して、そういった思いを強くした。最初に観て「ウワッ」となったところは、観返してもやはり「ウワッ」となるのだ。1度観たから知っている筈の展開に「ウワッ」となるのは、最初に観たときの「ウワッ」となった感覚が蘇ってくるからだと思う。

 それに加えて、最初に観たとき「ウワッ」となった部分に関しては、2度目の鑑賞で新たな発見をする(最初は気付かなかったことに気付いたり、新たな想像が湧く)ことが多い。つまり、最初に植えつけられた「ウワッ」がスイッチになって(2回目以降は単なるショックではなく、適切な興奮作用として機能する)思考の回転が高まるのだ。
 それによって、観る度に新しく気付く部分があったり、想像する部分が膨らんだり、自分の経験を重ね合わせる部分がより多くなったりする。俗に言う「何度観ても泣けるシーン」というのも、これに近いパターンで形成されるのではないか。

 これからどんなストーリーになるか、どんなキャラクターが登場するのか、あるいは消えていくのか。そういったことが観る前から(予告編の範囲を超えて)分かってしまっていては、どんな作品でも、“初めて観るときの面白さ(作品から受けるインパクト)”は半減してしまう。「最初が肝心」とはよく言ったもので、ネタばれによって初めて観たときの面白さが半減していた場合は、後になって観返した時の面白さも半減してしまうのだ。

 もちろん、「最初に観たときは面白くなかった作品が、後日観返したら面白く感じた」というパターンもあるが、これは事の本質が異なるケースがほとんどだろう。「最初に観たときは面白くなかった」理由が、「当時の自分には難しくて理解できなかった」というような、当時の自分の知識や理解力の不足に拠るものであれば、「後日観返したら面白く感じた」ということは有り得る。当時の自分の嗜好と乖離があった場合も同様だろう。しかし、「最初に観たときネタばれしていたので面白くなかった作品」に、そういった変化が起きるだろうか。

 例えば中学生以上の年齢で、初めて観たガンダムが『ガンダムSEED』で、しかもそれがネタばれ無しだった場合。そして、その人が『ガンダムSEED』を相当面白いと感じた場合。
 その場合、その人が後日、ファーストガンダムをネタばれ無しで観たとしても、「ファーストガンダムよりも、やっぱり『ガンダムSEED』の方が面白い」と感じるパターンが多いと思う。もちろん、ファーストガンダムが最初のガンダムであることを知った上で観たとしても尚…という意味だ。
 このケースでは、『ガンダムSEED』(ファーストガンダムをベースにして作られている)を先に観てしまった時点で、ファーストガンダムという作品の要所が既にネタばれしてしまっている。しかも、観た本人にとっては「最初にインパクトを受けた作品が元祖」であるといった認識が無意識のうちに植え付けられてしまう(つまり、「自分にとっての元祖はファーストではなく『SEED』」という一種の確信犯的錯覚)。このため、『ガンダムSEED』に対する評価が差し戻されることは起き難いというわけだ。

 ネタばれに関しては、現代の小中学生は不幸であり、常に“無意識の被害者”であると思う。今日、『ガンダムAGE』をネタばれ無しで楽しむには、それなりの妥協と忍耐が必要だからだ。(状況的には、むしろ社会人より困難かも知れない)
 私がファーストガンダムの本放送をリアルタイムで視聴していた当時は、ネタばれの心配なんか全然なかった。それどころか、予告編でズゴックに撃破されていたのがジムではなくガンダムだと勘違いして、1週間悶々と次回の展開を考えていたこともあったくらいだ(1979年当時は、ビデオデッキすら一般家庭には普及していなかったのである。1980年の年末の時点でも、当時の私のクラスメート40人弱の中で家にビデオデッキがあるのは一人だけだったと思う)。今にして思えばあの頃は、不便さと引き換えに、TVを観ることで集中力と想像力が鍛えられていた、ある意味幸せな時代だったのだ。
 何だか前置きが長くなってしまったが(と言うか、ここまで書いた時点で前置きより本文の方が短くなるような気がしてならない)、このようなことを前提にした上での感想であることを理解してもらいたい。

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震電

震電

 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。