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2009-07

アニメキャラのコスプレに関するコンセプト

アニメキャラのコスプレに関するコンセプト


 実写キャラのコスプレは、“本物”という絶対基準が存在するので、いかにそれに似せるか・近づけるかということに収斂する。(デフォルメや、あえて陳腐化表現を狙うなどのコンセプトは飽く迄も例外)

 しかし、アニメキャラのコスプレの場合は、事情が違ってくる。
 少なくとも私は、アニメキャラのコスプレに関して、アニメキャラを“本物”という絶対基準に据えていない。アニメキャラは、言うなればコスプレに際しての“原作”という位置付けである。アニメキャラのコスプレの場合は、この“原作”をいかに自分流にアレンジするかを先ず考えることになる。

 つまり、私にとってアニメキャラのコスプレは、最初にアレンジありきなのだ。
 むしろ「アニメキャラをコスプレすること自体が、一種のアレンジ」だと言ったほうが良い。
 これがコスプレの異端だとは思わない。
 歴とした正統派スタイルであり、「アニメキャラのコスにおける2大基本コンセプト」のうち一つであると認識している。
 それは即ち、
「アニメが実写化された場合を想定したコスプレ」
というコンセプトである。

 コスプレではないが、最近完成した「お台場の実物大ガンダム」が、その良い例だ。
 あのガンダムは、アニメのガンダムを忠実に再現したものではない。
 細かい「間違い探し」をしたら、それこそ100箇所ぐらい出るのではないか?
 しかし、あの実物大ガンダムを「アニメとはディティールが違う」という観点から酷評する人は、ファーストガンダム世代にもほとんどおるまい。何を隠そうファーストガンダム世代である私が言うのだから、間違いない。

 アニメキャラは、3次元化された際の整合性よりも、絵としての描き易さが優先されていることも多い。ガンダムの場合、股関節がまさにそれだ。
 また、込み入ったディティールが、描き易さを考慮して省略化されることも普通にある。例えば、『ガンダム00』2期のソレスタルビーイング制服の手袋は、ディティール皆無の茶色一色だったりする。あの手袋は「縫い目もディティールも一切ないゴム手袋」という設定なのか? 否、単に線が省略されているだけと考えるのが自然である。

 だから、私はイアンの2期制服のコスをした際、茶色ベースの作業用手袋を用いた。(『ワークマン』で購入した実用品)
 その方が、茶色一色のアニメの手袋よりもリアリティがあり、より“本物”に近いからだ。アニメキャラのコスの場合、アニメキャラは“原作”であって“本物”ではない。
「アニメが実写化された場合、こうなって欲しい理想の姿」
こそ、そのコスプレイヤーにとっての“本物”なのだ。
 私がこう考えている一方で、

「あらゆる手段を駆使して、アニメキャラを出来る限り忠実に3次元化する」
「自分自身を、出来る限り2次元キャラに近づける」
というコンセプトでコスプレしているレイヤーもいる筈だ。
 この考え方も、コスプレにおける2大基本コンセプトのうち1つである。

 「原理主義コス」
 「実写化想定コス」

 そのどちらか一方が正しくて、どちらか一方が間違っているということはない。
 ただし、どちらがより自然であるかと言えば、それは当然「実写化を想定したコスプレ」である。その理由は言わずもがな、コスプレイヤーは3次元かつ生身の存在であるからだ。3次元を2次元に無理やり押し込めようとする姿より、2次元を無理なく3次元に展開する姿の方が自然であるに決まっている。

 所詮3次元の存在であるコスプレイヤーが、2次元キャラを完全に再現することは理論的に不可能である。しかし、角度を限定し瞬間を固定した2次元の「コスプレ画像」ならば、それが可能な場合も有り得る。私は端からやる気がしないけれど、そういうことに挑戦するレイヤーを否定するつもりは毛頭ない。

 いずれにせよ、私自身はアニメキャラに関しては
「実写化された場合を想定したコスプレ」
というコンセプトで臨む。
「自分自身を、出来る限り2次元キャラに近づける」
というコンセプトは、どこか病的な感じがして、性に合わないのだ。
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震電

震電

 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。