『ガンダム00』の、ここがダメだからこう変えろ(その2)
『ガンダム00』の、ここがダメだからこう変えろ
(その2)
この記事は、 『ガンダム00』の、ここがダメだからこう変えろ の続きである。
前回に引き続き、『ガンダム00』のどこがダメで、そのダメな点をどう変えておくべきだったのかを書き連ねてみる。
私が変えるべきだと考えるのは、不自然であったり、リアリティがない部分である。
ダメな点(3)…『ガンダム00』は、トレミーの人員が少な過ぎるからダメ。
こう変える(3)…トレミーには、イアン・バスティが率いるエンジニア達が12名(内訳は、ガンダム整備担当8名、砲手を兼ねたトレミー整備担当4名)おり、折に触れてその仕事ぶりが描かれる。
また、それ以外にも、食料担当や医療担当や補給を含めた雑務担当(兼務あり)がいて、トレミーの活動を支えていることが描かれる。
『ガンダム00』の何が一番嘘っぽいかと言えば、まぁ美形ばっかりで不自然だというのもあるけれど、それ以前にトレミーに人が少な過ぎるのが嘘っぽいということが挙げられる。
名前のあるメインキャラの後ろで、その何倍もの名も無きサブキャラが動いていることが感じられて、初めてその空間に存在感が生まれる。そういう描写を見ることで、視聴者は臨場感を得るのだ。トレミーには、そういう演出が決定的に欠けている。
例えば、ガンダムの整備を、イアンとハロだけでやっているように思える描写があったが、全然説得力がなかった。
そういう設定だとしても、それに説得力が感じられるか?
そういう設定が実際に映像になったとき、作品のテーマと一致するか?
答えは否である。
ハロは、マスコットとして描かれるから自然なのだし、情報端末として描かれる程度までなら説得力がある。しかし、ハロが寄って集ってガンダムの修理や整備をしている映像に、リアリティや説得力があるか? ギャグマンガじゃあるまいし、馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。
整備をサポートするロボットがいても良いが、それは自ずとハロとは異なる形になるはずだ。
整備という実務作業は、愛らしさとは無関係な、無骨で汚れを伴う作業なのだ。
それがリアリティというものである。
戦争で大切なものを失った人間達が、戦争を根絶するために共に行動を起こす。
戦争を根絶するための兵器、それがガンダム。
ガンダムに乗り込む者達が、戦争で大切なものを失った人間であるならば…
ガンダムを整備する者達もまた、戦争で大切なものを失った人間でなければならない。
それが、テーマというものである。
逆に言えば、ガンダムを操縦する“ガンダムマイスター”が全員ハロであるならば、ガンダムの整備もハロがメインで行うことが相応しい。これはある意味、作品における文法のようなものなのかも知れない。
“苺の載ったショートケーキ”で例えるなら、マイスターなどのメインキャラは苺に相当する。
苺がそこにいられるのは、その下にクリームやスポンジ、更には敷き紙や皿があるからである。
ところが『ガンダム00』は、苺ばかりでクリームやスポンジといったケーキの本体が無い。
それは当然、ケーキとは呼べない。ただの苺の寄せ集め(苺の皿盛り)である。
それをウマイウマイと言って食べている人は、ショートケーキの美味しさを知らない人なのだろう。
もちろん、“苺の皿盛り”も悪くはない。
しかし、それが『ガンダム』を名乗ることは間違っている。
『ガンダム』を名乗るからには、“苺の皿盛り”ではなく、“苺の載ったショートケーキ”でなければならないのだ。
とりあえず、今日はここまで。
(その2)
この記事は、 『ガンダム00』の、ここがダメだからこう変えろ の続きである。
前回に引き続き、『ガンダム00』のどこがダメで、そのダメな点をどう変えておくべきだったのかを書き連ねてみる。
私が変えるべきだと考えるのは、不自然であったり、リアリティがない部分である。
ダメな点(3)…『ガンダム00』は、トレミーの人員が少な過ぎるからダメ。
こう変える(3)…トレミーには、イアン・バスティが率いるエンジニア達が12名(内訳は、ガンダム整備担当8名、砲手を兼ねたトレミー整備担当4名)おり、折に触れてその仕事ぶりが描かれる。
また、それ以外にも、食料担当や医療担当や補給を含めた雑務担当(兼務あり)がいて、トレミーの活動を支えていることが描かれる。
『ガンダム00』の何が一番嘘っぽいかと言えば、まぁ美形ばっかりで不自然だというのもあるけれど、それ以前にトレミーに人が少な過ぎるのが嘘っぽいということが挙げられる。
名前のあるメインキャラの後ろで、その何倍もの名も無きサブキャラが動いていることが感じられて、初めてその空間に存在感が生まれる。そういう描写を見ることで、視聴者は臨場感を得るのだ。トレミーには、そういう演出が決定的に欠けている。
例えば、ガンダムの整備を、イアンとハロだけでやっているように思える描写があったが、全然説得力がなかった。
そういう設定だとしても、それに説得力が感じられるか?
そういう設定が実際に映像になったとき、作品のテーマと一致するか?
答えは否である。
ハロは、マスコットとして描かれるから自然なのだし、情報端末として描かれる程度までなら説得力がある。しかし、ハロが寄って集ってガンダムの修理や整備をしている映像に、リアリティや説得力があるか? ギャグマンガじゃあるまいし、馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。
整備をサポートするロボットがいても良いが、それは自ずとハロとは異なる形になるはずだ。
整備という実務作業は、愛らしさとは無関係な、無骨で汚れを伴う作業なのだ。
それがリアリティというものである。
戦争で大切なものを失った人間達が、戦争を根絶するために共に行動を起こす。
戦争を根絶するための兵器、それがガンダム。
ガンダムに乗り込む者達が、戦争で大切なものを失った人間であるならば…
ガンダムを整備する者達もまた、戦争で大切なものを失った人間でなければならない。
それが、テーマというものである。
逆に言えば、ガンダムを操縦する“ガンダムマイスター”が全員ハロであるならば、ガンダムの整備もハロがメインで行うことが相応しい。これはある意味、作品における文法のようなものなのかも知れない。
“苺の載ったショートケーキ”で例えるなら、マイスターなどのメインキャラは苺に相当する。
苺がそこにいられるのは、その下にクリームやスポンジ、更には敷き紙や皿があるからである。
ところが『ガンダム00』は、苺ばかりでクリームやスポンジといったケーキの本体が無い。
それは当然、ケーキとは呼べない。ただの苺の寄せ集め(苺の皿盛り)である。
それをウマイウマイと言って食べている人は、ショートケーキの美味しさを知らない人なのだろう。
もちろん、“苺の皿盛り”も悪くはない。
しかし、それが『ガンダム』を名乗ることは間違っている。
『ガンダム』を名乗るからには、“苺の皿盛り”ではなく、“苺の載ったショートケーキ”でなければならないのだ。
とりあえず、今日はここまで。

