『20世紀少年(第一章)』
『20世紀少年(第一章)』
2008年の映画館で観た映画:26本目
映画を観た日:2008年9月27日(土)
現在43才の私は、子供の頃、実際に秘密基地を作った経験がある。
それも1つではなく、少なくとも2つ作った記憶がある。
どうやって作ったかと言えば、工事現場から廃材(と思われるもの)を(黙って)持ち出し、山(林)の中に運び込む。そしてその廃材を、山に生えている生木に釘で打ち付け、簡易な壁と屋根をこしらえたのだ。この映画に登場する秘密基地よりも、やや本格的なものだった。確か、『テレビマガジン』などを持ち込んでいたと思う。
アポロの月面着陸のとき、私はまだ4才だったのでほとんど記憶に残っていない。だから、この映画の主人公達とは完全に同世代ではなく、3年ほど後輩である。自分の3年後輩、6年後輩のことを思うと、あるいは私の世代は“最後の秘密基地世代”に含まれるのかも知れない。
そんなことを思いながら映画を観て、世代的な共感を感じられたことは楽しかった。しかし、作品的には、むしろ不満を抱くことの方が多いかった。
まず、同窓会のシーンで藤井フミヤを出したことにはガックリきた。いくら主人公達の役者と同世代とは言え、アレはいただけない。あのシーンは、主人公達が「普通の人たち」=「無名の人たち」の集まりであることを印象付けなれればならないところなのに、藤井フミヤがいたことで“芸能人の同窓会のシーン”になってしまった。友情出演だか何だか知らないが、ああいう下らないことはやるべきではない。
また、主人公のケンヂが指名手配を受けてからの生活の描写が甘すぎる。コンビニの店長をやっていたときの生活描写はそれなりにリアリティがあったのに、地下に潜ってからはリアリティが薄い。コンビニ店長時の描写の方が生活苦が感じられるというのは、明らかに不自然である。
テンポの良さは買うが、詰め込み過ぎの印象が拭えない。もう少しエピソードを整理する必要があったと思う。
VFXはクオリティが高く、コストパフォーマンスとしては世界最高レベルだろう。
しかし、全体的に散漫な印象のまま終わってしまっている。第一章を観終えた時点では、正直言って第二章を観ようという気にはならなかった。
第二章の前売券を買った理由は、第二章で主人公を演じている(らしい)女優のルックスが気に入ったからである。“ともだち”の正体とか、そういう作品的関心からではない。もちろん、第二章を観に行く以上は、作品的な面白さも期待しているのだが。
2008年の映画館で観た映画:26本目
映画を観た日:2008年9月27日(土)
現在43才の私は、子供の頃、実際に秘密基地を作った経験がある。
それも1つではなく、少なくとも2つ作った記憶がある。
どうやって作ったかと言えば、工事現場から廃材(と思われるもの)を(黙って)持ち出し、山(林)の中に運び込む。そしてその廃材を、山に生えている生木に釘で打ち付け、簡易な壁と屋根をこしらえたのだ。この映画に登場する秘密基地よりも、やや本格的なものだった。確か、『テレビマガジン』などを持ち込んでいたと思う。
アポロの月面着陸のとき、私はまだ4才だったのでほとんど記憶に残っていない。だから、この映画の主人公達とは完全に同世代ではなく、3年ほど後輩である。自分の3年後輩、6年後輩のことを思うと、あるいは私の世代は“最後の秘密基地世代”に含まれるのかも知れない。
そんなことを思いながら映画を観て、世代的な共感を感じられたことは楽しかった。しかし、作品的には、むしろ不満を抱くことの方が多いかった。
まず、同窓会のシーンで藤井フミヤを出したことにはガックリきた。いくら主人公達の役者と同世代とは言え、アレはいただけない。あのシーンは、主人公達が「普通の人たち」=「無名の人たち」の集まりであることを印象付けなれればならないところなのに、藤井フミヤがいたことで“芸能人の同窓会のシーン”になってしまった。友情出演だか何だか知らないが、ああいう下らないことはやるべきではない。
また、主人公のケンヂが指名手配を受けてからの生活の描写が甘すぎる。コンビニの店長をやっていたときの生活描写はそれなりにリアリティがあったのに、地下に潜ってからはリアリティが薄い。コンビニ店長時の描写の方が生活苦が感じられるというのは、明らかに不自然である。
テンポの良さは買うが、詰め込み過ぎの印象が拭えない。もう少しエピソードを整理する必要があったと思う。
VFXはクオリティが高く、コストパフォーマンスとしては世界最高レベルだろう。
しかし、全体的に散漫な印象のまま終わってしまっている。第一章を観終えた時点では、正直言って第二章を観ようという気にはならなかった。
第二章の前売券を買った理由は、第二章で主人公を演じている(らしい)女優のルックスが気に入ったからである。“ともだち”の正体とか、そういう作品的関心からではない。もちろん、第二章を観に行く以上は、作品的な面白さも期待しているのだが。
『私がクマにキレた理由(わけ)』
『私がクマにキレた理由(わけ)』
2008年の映画館で観た映画:27本目
映画を観た日:2008年10月11日(土)
気が付けば今年に入って27本目。既にノルマの24本を越え、手元の前売券を無駄にしなければ、年内30本到達は確実となった。その分、感想文は溜まっているのだけど、とりあえず新しいものから先に書いていくことにする。
この映画の前売券を買った理由は2つ。劇場で予告フィルムを観たとき、主役のスカーレット・ヨハンソンに対して「何かで見たことある女優だけど、何で見たか思い出せない」と引っ掛かる思いを抱いたことがまず1点。もう1つは、日本語タイトルの秀逸さ。これが原題直訳の『子守日記』だったら、前売券を買ったかどうか分からない。
『私がクマにキレた理由(わけ)』と銘打たれたら、「その理由(わけ)は?」と知りたくなるのが人情である。単純であるが、強力な動機付けだ。
この作品は、SFやファンタジーとは無縁な単なる日常生活を描いており、その意味ではわざわざ映画にしなくてもTVドラマの2時間枠でも十分な題材である。しかし、その視点の置き方や映像表現は映画的であり、映画館で観るに値する作品に仕上がっていた。この辺の見せ方が、洋画は上手い。
邦画だと、日常を描くと飽く迄もドップリと日常に浸った造りになってしまい、“映画”という非日常的な視点や切り口を取り込めない場合が多いと思う。まるで、「日常を描く際に、非日常的な視点を持ち込んではいけない」と思い込んでいるかのようだ。もちろん、実相寺監督のように「非日常的な視点こそ、日常の本質を暴き出すことが出来る」と考えていた監督はいたし、今もいるとは思うのだが。
アニーをナニー(子守)として雇った婦人を“ミセスX”として記号化して表現し、以降“ミスターX”、“X家”と記号化表現が一貫して続いたのも、本来特定されるべき一個の日常を普遍化させる映画的な処理として面白かった。その一方で、アニーが感情移入していくグレイヤー(X家の一人息子)には、“X”ではない、“二人だけの秘密の名前”が与えられるのも好対照である。
日本にはナニー(子守)という職業には馴染みがないけれど、保育園や幼稚園は私が子供の頃から存在している。私も、1年だけだが幼稚園に通った。
「アメリカの金持ちが、自分の子供を自分で育てない」という姿は日本人には奇異に映るが、「日本の中流層が、3歳の子供を7時から19時まで保育所に預けている」という姿は、外国人の目にはどう映るのだろうか。いつのころからか、「0歳保育」というのもあるらしいし。
私の感覚からすると、「0歳保育」はグロテスクなのだ。養鶏所が「ブロイラー生産工場」であるという感覚と同様、0歳保育は「乳幼児生産工場」と思える。実際の「日本の0歳保育」の現場を描いた映画も、観てみたいものである。
2008年の映画館で観た映画:27本目
映画を観た日:2008年10月11日(土)
気が付けば今年に入って27本目。既にノルマの24本を越え、手元の前売券を無駄にしなければ、年内30本到達は確実となった。その分、感想文は溜まっているのだけど、とりあえず新しいものから先に書いていくことにする。
この映画の前売券を買った理由は2つ。劇場で予告フィルムを観たとき、主役のスカーレット・ヨハンソンに対して「何かで見たことある女優だけど、何で見たか思い出せない」と引っ掛かる思いを抱いたことがまず1点。もう1つは、日本語タイトルの秀逸さ。これが原題直訳の『子守日記』だったら、前売券を買ったかどうか分からない。
『私がクマにキレた理由(わけ)』と銘打たれたら、「その理由(わけ)は?」と知りたくなるのが人情である。単純であるが、強力な動機付けだ。
この作品は、SFやファンタジーとは無縁な単なる日常生活を描いており、その意味ではわざわざ映画にしなくてもTVドラマの2時間枠でも十分な題材である。しかし、その視点の置き方や映像表現は映画的であり、映画館で観るに値する作品に仕上がっていた。この辺の見せ方が、洋画は上手い。
邦画だと、日常を描くと飽く迄もドップリと日常に浸った造りになってしまい、“映画”という非日常的な視点や切り口を取り込めない場合が多いと思う。まるで、「日常を描く際に、非日常的な視点を持ち込んではいけない」と思い込んでいるかのようだ。もちろん、実相寺監督のように「非日常的な視点こそ、日常の本質を暴き出すことが出来る」と考えていた監督はいたし、今もいるとは思うのだが。
アニーをナニー(子守)として雇った婦人を“ミセスX”として記号化して表現し、以降“ミスターX”、“X家”と記号化表現が一貫して続いたのも、本来特定されるべき一個の日常を普遍化させる映画的な処理として面白かった。その一方で、アニーが感情移入していくグレイヤー(X家の一人息子)には、“X”ではない、“二人だけの秘密の名前”が与えられるのも好対照である。
日本にはナニー(子守)という職業には馴染みがないけれど、保育園や幼稚園は私が子供の頃から存在している。私も、1年だけだが幼稚園に通った。
「アメリカの金持ちが、自分の子供を自分で育てない」という姿は日本人には奇異に映るが、「日本の中流層が、3歳の子供を7時から19時まで保育所に預けている」という姿は、外国人の目にはどう映るのだろうか。いつのころからか、「0歳保育」というのもあるらしいし。
私の感覚からすると、「0歳保育」はグロテスクなのだ。養鶏所が「ブロイラー生産工場」であるという感覚と同様、0歳保育は「乳幼児生産工場」と思える。実際の「日本の0歳保育」の現場を描いた映画も、観てみたいものである。

