2008-10

11月3日はゴジラの日 ~『ゴジラ』第1作目を想う~

11月3日はゴジラの日   ~ 『ゴジラ』第1作目を想う ~


 『ゴジラ』第1作目が公開されたのは、1954年11月3日。もう少しで、54年が経過することになります。
 ということで、まだ日はあるのですが、忘れないうちに記事にしておきます。
 まずは、だいぶ前に撮影した、日比谷のゴジラ像の写真。
日比谷ゴジラ像1
 背びれは初ゴジ、顔と上半身はビオゴジというかVSシリーズのゴジラを思わせます。尻尾が短いのは、スペースの制約があるからでしょうか。それでも、体全体のバランスは取れており、なかなかイイ感じです。

 脚は割と細めで、指は4本。この角度からだと、ゴジラの頭部が“キノコ雲”っぽく見えます。
日比谷ゴジラ像2

 これが、私の一番お気に入りのカメラアングル。怪獣は横面が命ですし、ゴジラは見上げてナンボです。
日比谷ゴジラ像3

 私自身は“チャンピオン祭り”世代なので、一番思い入れのある造形は総進撃ゴジだし、ヒーロー怪獣としてのゴジラも大好き。しかし、やはり第1作目は別格です。

 『ゴジラ』第1作目の続編は何度も作られていますが、第1作目のリメイクはまだ一度も作られていません。
 今日、第1作目のリメイクというのは難しいでしょう。一般的に“核”よりも“地球温暖化”の方が、人類共通の潜在的な問題として遥かに高い関心を集めています。また、特定の組織による“自爆テロ”といった具体的な恐怖の方が、“全面核戦争”といった抽象的な恐怖よりも現実的となっています。

 今、社会に蔓延している不安は暗喩的なものではなく、もっと具体的で即物的なものなのです。だから、社会的恐怖のメタファーとしてゴジラが出現するということには、説得力もなければ必然性もない。

 『ゴジラ対ヘドラ』がゴジラ映画のデフォルトである私にとって、ゴジラは“大自然の怒りの象徴”です。公害が社会問題となっていた当時は、人間側に「自分達は自然の破壊者であり、いつかは自然から恐ろしい報復を受ける」という不安というか覚悟のようなものがあったように思います。
 今日も人間は環境破壊を続けていますが、「地球温暖化という現象で、現時点で既に罰を受けている」という認識を持ち、その問題解決意識が「地球に優しく」なのです。このイメージからは、ゴジラという強烈なメタファーは生まれにくいでしょう。

 ただ、自然災害のメタファーとしてのゴジラであれば、有り得ると思います(私の案は → こちら )。
 いつの日か、ゴジラの新作が作られるとしたら「ゴジラが初めて出現した世界を描く」という意味で、『ゴジラ』第1作目のリメイクにして欲しいです。

 第1作目のゴジラは、“大自然の怒りの象徴”というよりは、“核や戦災のメタファー”でした。
 ケロイド状に焼けただれたような皮膚と、表皮が焼け落ちて骨が剥き出しになったような背びれを背負ったその姿は、核実験の被害者であることを物語っています。
 そして、視点の定まっていない目、目的不明の行動。第1作目のゴジラからは「生死の境をさまよいつつ、人の住む世界をさまよっている」といった、ある種の“境界の姿”を描いた作品であるような印象を受けるのです。

 「常に死にかけているが、絶対に死なない」という、生と死の境界。
 なぜ生きているのか分からないし、なぜ死なないのかも分からない。
 そんなゴジラを分析しようとする人間と、ゴジラを抹殺しようとする人間、そしてその境界に立つ人間。
 ゴジラが、海と陸との境界を行ったり来たりするのも、ゴジラが“境界の存在”だということを意味しているように思えます。

 また、ゴジラの進入を防ぐために、東京湾に沿って鉄塔を建て、高圧送電線を張り巡らすという作戦が遂行されますが、これはまさにゴジラがいる側と人間がいる側に境界を設ける作業に他なりません。「帝都の周囲に結界を張り巡らせ、“もののけ”が入り込むことを防ぐ」というわけです。
 ゴジラはこの高圧送電線を易々と突破しますが、その姿はまるで巨大な亡霊が結界を破るようでもありました。

 物語冒頭で語られた「ゴジラが現れたら、生贄を海に出す」という伝説は、物語の最後でゴジラが科学兵器によって葬られる現実を暗喩するものでした。芹沢博士は、自ら生贄となって海に出て、ゴジラを鎮めたのです。あるいは、オキシジェン・デストロイヤーという形を借りた“お札”によって、ゴジラを黄泉の世界に封印したのです。
 それは、「伝説と現実の境界」が、「科学と現実の境界」と重なった瞬間だったのかも知れません。

 ゴジラに関わる二人の科学者も、常に人間社会における“境界の存在”でした。いや、人間が生み出した科学そのものが“境界の存在”です。正しく使えば人々に幸せを、悪用すれば破滅をもたらすのですから。
 芹沢博士は密かに発明したオキシジェン・デストロイヤーを人の世に出すことにより、「ゴジラを斃して自分がゴジラになる」のか、「自分自身もゴジラと一緒に消滅してしまう」のか、その境界に立たされました。結果的に芹沢博士は後者を選びましたが、『ゴジラ』第1作目のリメイクとして、芹沢博士が前者を選ぶ物語を描くというのも興味深いのではないでしょうか。

 ゴジラを葬った芹沢博士が人間のエゴによって追い詰められ、ついには第二のゴジラと化す姿を描いた、“人間としてのゴジラ”の物語。
 人間がいる限り、ゴジラは現れる。そんな“人としての業”を描いたようなゴジラ映画も観てみたいと思うのです。
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転売屋を潰す方法を教えます(その3) ~ 目には目を…これで万事解決? ~

転売屋を潰す方法を教えます(その3)
                     ~ 目には目を…これで万事解決? ~


 この記事は、『転売屋を潰す方法を教えます(その2)~ ハロプロのチケット料金を席種によって変えたらどうなる? ~』の続きである。

 実は、ハロプロに限定せずとも、転売屋をチケット販売の場から、ほぼ完全に駆逐できる方法がある。
 目には目を、オークションにはオークションを。
 そう、全てのチケットを最初からネットオークションで販売すれば良いのである。
 私はネットオークションを一度も使ったことがないので、ハロプロが全興行の全席を出品することにどれだけのコストを要するのか(そもそも、オークション側がその負荷に耐えられるのか)は分からない。ここでは、その点はクリアできるという前提で話を進める。

 ここで勘違いして欲しくないのは、ここで提唱する「全チケットのネットオークション化」は、飽く迄も転売屋対策だということである。

(1)転売屋が利益を出し難くすること。
(2)アップフロントが利益を確保すること。

 この2つを両立させることが目的であり、「お客様に無条件にチケットの価格を設定してもう」ことを目的としているわけではない。
 であるからして、オークションに出品する時点でのチケットの価格設定は、現在と同一である。最前列であろうが、2階の一番後ろの席であろうが、6000円といった統一価格でスタートする。そこから値上がりすることはあっても値下がりすることはない。後で述べるが、ここは結構重要なポイントである。

 さて、転売屋は現状では、ヲタ同士を「価格競争をさせる側」にあり、「価格競争をする側」にはいない。それが、最初からヲタと同じ立場、すなわち「全てのチケットに関して、価格競争をする側」に置かれたら、転売屋の作業効率は今とは比較にならないほど低下する。

 何しろ、まず自分がオークションで競り勝たないことには、チケットは1枚も手に入らない。
 そして、最初のオークションで勝つということは、今まで自分がカモにしていたバカヲタに勝つということなのだ。これだけでも、結構な労力となるだろう。
 
 そして転売屋がバカヲタに競り勝ったとしても、その勝ち取ったチケットをオークションに出し直し、更なる高額でバカヲタに買い取らせるというのは、普通に考えると有り得ない。それだったら、最初のオークションでバカヲタは転売屋に競り勝っている筈である。(バカヲタは普通のファンとは違い、非常識な値段も平気で付けるから)

 当然ながら、転売屋とバカヲタを最初から同じ条件で競り合わせれば、どちらが勝っても高額のチケット代は丸々アップフロントの収入になる。アップフロントにとっては悪い話ではない。

 オークション開始は公演の1ヶ月前とし、オークション締め切り(落札決定)を2週間前、チケット発送準備をその直後から始めて入金確認と同時に発送するようにする。こうすれば、転売屋の時間的余裕は少なくなる。
 また、昨日オークションで落札したチケットを、翌日にオークションに出品すれば、周囲からはどう思われるだろうか?
 寸前のところで落札に失敗した普通のファンは、そのときの価格がリアルに記憶に残っているだろうし、「転売屋憎し」の感情も働くに違いない。転売屋が落札したチケットをオークションに出し直したとしても、価格を大きく吊り上げることは難しくなるだろう。売れ残った席(2階席後方とか)のオークションが再開されれば、大方のファンは潔くそちらを選ぶのではないか。

 もし、2階の後ろの方の席が全部売れ残ったとしても、おそらく問題とはならないだろう。
 1階の前の方の席は、軒並み“定価”の6000円よりも高額になっている筈だ。それが、売れ残った席の存在を補ってくれる。
 これはまさに、現時点で転売屋が成り立っている理屈と同じである。
 オークションで売れ残った席は、当日券を出して現場売りすることも出来るので、転売屋よりもより効率的だと言える。

 こうなれば、チケット販売の分野に関しては、転売屋はほぼ全滅するだろう。
 転売屋を廃業し、「代理でオークションに参加してチケットを競り落とし、手数料を受け取る」という“代理屋”に転業するものも出てくるかも知れない。

 なお、「6000円といった統一価格でスタートし、そこから値上がりすることはあっても値下がりすることはない」としたのは、二つの理由がある。

(1)ファン以外がチケットを購入することを防ぐため。
 例えば、2階席後方の席が極端に安く売られていると、ファン以外の人間が集団で購入するリスクを生む。つまり、“ただ騒ぎたいだけの連中”がそこに集まってくる危険性がある。コンサートの品質を保つためには、2階席後方であっても一定の価格を保つ必要がある。
 3000円以上なら大丈夫かと思うが、ここでは確実を期すため6000円に設定した。
 
(2)転売屋に付け入る隙を与えないため。
 何らかのイレギュラーな要因により、FCによるオークション終了後にチケットのニーズが増し、2階席後方であっても転売出来るような状況になるかも知れない。その際、転売時の利益が少しでも少なくなるように、2階席後方であっても6000円に初期設定しておく。


 この「全チケットのネットオークション化」の問題点は、一般客や善良なファンにとって、現状と比べると二つのデメリットが生じるということだ。

(1)最前列付近のチケットは高騰し、1階の前の方の席も軒並み値上がりする。
(2)オークションに競り勝つ最後の瞬間まで気が抜けないので、今までよりもチケット入手に労力を要する。

 私個人の感覚だと、(1)は「貧乏人も金持ちも同じファン、そのファン全員で決めた価格なのだから仕方がない」と諦めが付く。この場合、チケットを高値で買えばそれだけアップフロントは潤うのだし、基本的には問題ない。
 もちろん、最前列付近のチケットが数万円台まで高騰した場合、普通の小中学生が落札することははほとんど無理となるだろう。これでは夢がないし、若年層ファンが育たずにファンの高齢化が進む恐れがある。「全チケットのネットオークション化」は、「小中学生半額制度」とペアで運用するべきだと思えるのだが、転売屋がここに付け入るリスクもあるので、難しいところだ。

 (2)は正直イヤである。私のような単純な人間は、「応募だけして、あとは抽選に任せる」方が、遥かに気楽で心安らかなのだ。他のファンを競り合いで蹴落としてチケットを入手するというのは、どうにも性に合わない。

 もちろん、アップフロントが「この方法で転売屋を排除しますので、宜しく…」という方針を打ち出せば、協力は惜しまない。
 目には目を、歯には歯を。
 転売屋を潰すためにオークション参加が必要なら、私はそれをやるだけだ。
 転売屋などは、消えて然るべきである。

転売屋を潰す方法を教えます(その2) ~ ハロプロのチケット料金を席種によって変えたらどうなる? ~

転売屋を潰す方法を教えます(その2)
~ ハロプロのチケット料金を席種によって変えたらどうなる? ~


 この記事は、『転売屋を潰す方法を教えます ~ ハロプロに限定すれば、転売屋をほぼ駆逐できる方法がある ~』の続きである。

 これもハロプロに限定した話となるが、チケットの料金を演劇のように席種によって変えてしまえば、転売屋をほぼ締め出すことができる。
 何故なら、転売屋は「ファンクラブから6000円で買った最前列付近のチケットを、50000円でバカヲタに転売することで利益を上げている」からだ。最前列付近のチケットが、最初から50000円でファンクラブから売り出されていたら、この構造は崩れる。

 百聞は一見に如かず、私が考えた「新チケット料金設定座席表」を見て頂こう。
 現在のハロプロの興行で「最前列だろうが2階の一番後ろの席であろうが、全席どこでも同じ6000円」となっている料金設定を、このように変えるのだ。

ハロプロ新チケット料金設定座席表

 50000円の席…「S席」としてFC先行予約販売される。(FC先行で売り切れた場合、一般発売
           はされない。以下、「F席」まで同様)
 30000円の席…「A席」としてFC先行予約販売される。
 20000円の席…「B席」としてFC先行予約販売される。
 15000円の席…「C席」としてFC先行予約販売される。
 10000円の席…「D席」としてFC先行予約販売される。
  9000円の席…「E席」としてFC先行予約販売される。
  8000円の席…「F席」としてFC先行予約販売される。
  6000円の席…「一般席」としてFC先行予約販売される。FC枠以外の販売も一部有り。
           なお、1階席22列目以降および2階席も「一般席」となる。
           また、ファミリー席は今まで通り存続し、料金は「一般席」と同じ。

 さあ、これで何がどう変わるのか?

(1)バカヲタは、最初から「S席」狙いでFC先行に申し込む。これで狙い通りに当選できれば転売
  屋からチケットを購入する必要がなくなり、“バカヲタ”を返上できる。

(2)転売屋が、ファンクラブから最前列付近の席を入手できたとしても、営利転売が困難になる。
  1) 今までカモにしてきたバカヲタも、FC先行発売で最前列付近の席を入手できている可能
   性が飛躍的に高まる。つまり、買い手の数が減る。
  2) 「仕入れ値」が上昇した分をそのまま「売値」に転嫁するわけにはいかないので、利益
   が減る。(今まで「6000円で買って50000円で売れていたチケット」が、「50000円で買って
   94000円で売れるチケット」となる可能性は低い)。また、値崩れしたり売れ残った場合の損
   害も大きくなる。

(3)今まで、バカヲタにとって転売屋は「最前列のチケットを確保してくれる便利な相手」だったの
  だが、これが「自分がFCから最前列のチケットを入手することを邪魔する直接の競合相手」と思えるように変化する。バカヲタと転売屋が裏でどう繋がっているのかは知らないが、善良なファンの視点で見た場合、事態が好転することが期待できる。
 逆に、ここに至ってもバカヲタが転売屋に依存または結託するようであれば、本当に救いようのないバカとしか言いようがない。

(4)転売屋が、14列目以降が確定している一般席を大量に買い占める可能性は低い(高値での
  転売が期待できず、売れ残りが出るとトータルで赤字になるリスクが高い。その赤字を最前列チケットを売った利益で補填することも、(2)で書いたように困難となる)。
 よって、最初から一般席狙いで申し込むFC会員の当選率が上がる可能性が高い。


 一方、一般客や善良なファンにとっては、「貧乏人は良席でコンサートを観ることができない」という状況になってしまうことがデメリットとなる(もちろん金銭的に裕福な人は別だし、精神的に豊かな人も別)。
 ただ、FC先行予約で2階の最後列のチケットが来てしまったとしても、「S席どころかF席ですらない、単なる一般席を申し込んだのだから、仕方ない」と納得できる(すんなりと諦められる)という側面もある。

 自分で書いておいて何ですが、これはちょっと夢のない状況だと思いませんか?
 ちなみに私だったら、基本的には一般席狙いで応募して、年に1回だけS席にエントリーするかな?
 いや、半分は一般席狙い、もう半分はF席狙いの方にするかな…? 

 いずれにせよ、℃-uteやベリーズのチケットを買うたびに、こういう戦略というか金勘定をするというのはイヤだわ。何か、現実的過ぎて夢がないもんな。アイドルのステージを観に行くという純粋な気持ちが、汚れてしまうような気がするよ…

 ただ、一つ気付いて欲しいことがある。
 この例のように最前列を50000円で売り出した場合、最前列38席中の僅か5席が売れるだけで、アップフロントは目標とする売上を得られるということ。

 6000円×38席=228000円 なのだから、228000円÷50000円=4.56 でしょ。

 でも、やっぱりこういう考え方は夢がないよね。「最前列は8割売れ残っても採算が取れる」とか。
 だからアップフロントもあえてやらないんじゃないかなと私は思う。
 転売屋を潰す方法としては有りなんだけど、夢も一緒に潰しかねないからね。
 …あなたはどう思う?

転売屋を潰す方法を教えます ~ ハロプロに限定すれば、転売屋をほぼ駆逐できる方法がある ~

転売屋を潰す方法を教えます 
 ハロプロに限定すれば、転売屋をほぼ駆逐できる方法がある


 公演前のチケットに関して「定価を越えてのネットオークション」が違法化され、違反者を簡単に逮捕できるようになるのが一番良い。しかし、それ以外にも、ハロプロに限定すれば、転売屋をほぼ駆逐できる方法がある。
 そのためには現状より少しコストアップが生じるが、十分許容できる範囲だと思う。
 その方法は、極めて簡単。


(1)前売りされたチケットには、座席番号が印刷されていない。その代わり、単なる通し番号
   (2000席の会場なら、0001番から2000番まで)が印刷してある。

(2)コンサートの当日、現場にて、当日券が手渡される。当日券には、通し番号と座席番号が
  併記されている(例えば、0001番=2階7列19番)。手渡される手順は、以下の通り。

  1) 前売りされたチケットの、もぎりが行われる。
  2) もぎられたチケットと当日券を、通し番号で引き当てる。
  3) 2)が行われている間に、手荷物検査が並行して行われる。
  4) 手荷物検査終了のタイミングで、当日券が手渡される。


 基本的には、映画館の窓口で前売り券を当日券と交換する流れと同じである。
 当日券は、取り出しやすいように予め準備(2000席の会場なら、100スリット×20列の“チケット立て”に挿してあるとか)してあっても良いし、映画館同様(レシートみたいに)その場で発行されても良い。
 別に、普通のパソコンとプリンターを使って当日券を印刷しても構わない。興行主が「通し番号の引き当て表」を持っていれば、当日券の偽造は無意味なのだ。前売り券の“表”に、「当日券の偽造をした人は警察に引き渡します」と書いておけば、バカヲタに対する十分な抑止力になるだろう。
 たったこれだけのことである。

 要するに、事前にチケットを購入しても、会場に行って当日券を手渡されるまでは、どの席なのか分からないようにすれば、ハロプロの興行から転売屋をほぼ締め出すことが出来る。
 ハロプロの興行の場合、オークションで定価より高額で転売できるチケットは、前の方の席に限られている。だから、当日前に売り出されているチケットに関して、どの座席なのか分からないようにしておけば、チケットに高値が付くことはない。こうなると、転売屋はオークションで利益を出すことが困難となり、ハロプロに関しては手を引くことになる。

 こうなったことで、転売屋が商売の場を、ネットオークションから当日の現場に移すとは考え難い。それではダフ屋になってしまい、条例で取り締まりの対象になってしまうからだ。また、どの辺りの通し番号が前の方の席なのかを現場で確認する手間も生じるので、作業効率も悪い。

 一方、一般客や善良なファンにとっては、特に支障は出ない。
 支障が出ないどころか、大きなメリットがある。
 転売屋がいなくなれば、全体的にチケットの競争率が下がるので、本当の客の当選率が上がる。
 そして、今までオークションで高値で取り引きされていた最前列やその付近の席が、自分の席になる可能性が出てくるのだ。


 まぁ、これが、本来あるべき状況なんですけどね。
 アップフロントは、夢を売る商売だから、チケットを平等に売っている。
 だからチケットを買う方も、夢を以って平等に買いましょうよ。
 夢を壊す奴は、夢を夢と感じることが出来ない、虚しい奴なんだろうなぁ…

ネットオークションでチケットを買う人は、転売屋がのさばっても良いと思っているんだろうか?

ネットオークションでチケットを買う人は、転売屋がのさばっても良いと思っているんだろうか?


「 SMAP演劇チケット転売 無職女逮捕 」 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/183903/

という記事を読んだ。ネットオークションにハロプロのチケットを大量に出品し、最前列付近の席を高値で売り捌いている輩も(最初から転売目的で買っているんだから)同罪でバンバン逮捕して欲しいものである。

 「仕事の都合で行けなくなった」ので、正規のチケットショップ(許可証を見せてもらい、古物営業法に違反していない業者であることを確認せねばなるまい)へ定価またはそれ以下転売するなら、会則に抵触しないと思う。
 しかし、大量のチケットをネットオークションに出品し、一部を高額で売ることによって全体で利益を上げている者は、最初から営利転売目的でチケットを購入している、いわゆる転売屋である可能性が極めて高い。

 本来ならFC会員が定価で買えるはずの最前列のチケット(FC先行分)が、定価よりも遥かに高額な値段でオークションに出されているのだ。真っ当なFC会員からすれば、どう考えても許されない行為である。
 そういうチケットを購入する一部のバカで愚かなヲタ(バカヲタ・愚ヲタ)が、転売屋を支えているのは誰でも分かる。
 しかし、定価またはそれ以下の値段であっても、ネットオークションでチケットを購入している人もまた、転売屋を支えている可能性がある。「定価以下で買えば、転売屋の損失になる」などと考えている人がいたとしたら、余りにも浅はかである。
 極端な例として、「転売屋が定価5000円で買ったチケットを2枚だけ出品し、そのうち1枚が9500円で売れた」とする。残り1枚が売れ残れば転売屋は損をする。しかし、あなたが残りの1枚を1000円で買ったとしたら、どうなる?

 実際には、1枚目が倍値の10000円で売れていようが定価の5000円で売れていようが、同じことである。当日までに売れなければ、チケットはただの紙切れと化す。転売屋からすれば、そうなる前に例え1000円でも500円でも売って換金したいのだ。
 転売屋に損失を与える唯一確実な方法は、ネットオークションではチケットを一切買わないというということである。

 ただし、あなたが「この出品者は、転売屋ではない」と100%確認できるのであれば話は別だ。
 もしも、あなたが「一般の出品者を装った転売屋を、100%見破る方法」を知っているのなら、是非とも教えて欲しいものである。(ただし、あなた自身が「一般の出品者を装った転売屋」であるというオチは除く)

ハロプロのファンクラブは3つ(モー娘。FC、ベリーズFC、℃-ute FC)に分割するべきだ

ハロプロのファンクラブは3つ(モー娘。FC、ベリーズFC、℃-ute FC)に分割するべきだ
~ 会員間での「FC先行チケット枠のやりとり」を困難にせよ! ~


 今後の展開としては、可及的速やかに、ハロプロのファンクラブが分割されるべきだと考える。つまり、

 モー娘。FC
 ベリーズFC
 ℃-ute FC

が、それぞれ経済的にもサービス的にも独立したファンクラブとして設立されるということである。

 当然ながら、会費、会員証、会報は3つのFCで別々となる。(℃-ute FCの会報は、℃-uteの記事のみで構成されるといったように、内容も完全に別物)
 「チケット先行予約のお知らせ」は、3つのFCの分をまとめて記載した共通版を使用するが、モー娘。FCのみに加入している会員は、ベリーズFCや℃-ute FCのチケット予約にエントリーすることが出来ない。
 同様に、ベリキュー合同イベントは、ベリーズFCまたは℃-ute FCの会員が先行予約をすることが出来、モー娘。FCのみに加入している会員は出来ない。だから、現状のようにハロプロの全てのイベントに関してFCの先行予約を利用したい人は、3つのFCに全て加入する(現状のほぼ3倍の会費を支払う)ことになる。

 こうするべきだと考える理由は二つあるが、ここでは一つだけ述べる。

 現状のFCでは、チケットの先行予約において「推しの異なる会員同士が、枠の貸し借りを行う」ということが比較的容易である。これは不正行為だと思うが、現状では大した罪悪感も無しに行われているのではないか。例えば…

 モー娘。推しで℃-uteには関心がない会員「A」と、その逆の会員「B」が連絡を取り合っているとする。
 「A」は自分でモー娘。のFC先行枠を上限まで使って申し込むと同時に、「B」に依頼して、モー娘。のFC先行枠を上限まで使って申し込んでもらう。「B」が申し込んで当選したチケットは、全て「A」が買い取る。
 「A」は、自分が当選したチケットと、「B」から買い取ったチケットのうち、自分が必要なものだけを手元に残し、残りは全てオークションに出品する。

 こういうことが行われると、どうなるか?
 当たり前だが、会員が自分の枠しか使わない場合と比べて、FC先行チケットの競争率が高くなる。
 つまり、自分の枠だけで申し込んでいる会員は、FC先行チケットに落選する確率が高くなる。 結果として、
「FC会員である自分は全て落選したにもかかわらず、オークションにはそのFC先行チケットが大量に出回っている」
という事態が起こり得る。

 私は、これを非常に大きな問題だと考えている。
 何故なら、会員同士が非公式に徒党を組めば組むほど、それ以外の会員がFC先行チケットに落選する確率が高くなってしまうからだ。これは不平等である。公式FC内で供されるサービスは、全ての会員に対して平等に作用すべきであり、非公式に徒党を組んだ会員が有利になるようなシステムであってはならない。

 また、「FCに加入しなくても、オークションでFC先行チケットが簡単に買える」のであれば、FC先行チケットを買うために会費を払ってFCに入ろうとする人は、確実に減る。そういう傾向が強くなれば、ファンクラブは会費という収入と会員に対するサービスという支出のバランスが崩れ、経済的に運営が困難になっていくだろう。

 私は、自分がコンサートに行ってまで観たいと思っているアーティストに対して「オークションだろうが何だろうが、とにかくチケットが手に入りさえすればいいや」などとは決して思わない。然るべきルート、即ちアーティストのFCや所属事務所が認めた正規の方法でチケットを入手し、正々堂々と会場入りしたい。
 そして、ファンとして一番誇らしいのは、公式FCに入会し、会則を遵守し、経済的な面も含めてアーティストを応援することだと思っている。公式FCは絶対に有ったほうが良いし、潰れて欲しくない。

 会員間での「FC先行チケット枠のやりとり」を禁止し、それを有効たらしめるには、冒頭に述べたように、ハロプロのFCを3分割するのが効果的である。
 
 モー娘。推しで℃-uteには関心がない会員「A」が、℃-uteのFCに自主的に入る可能性はほぼゼロである。℃-ute。推しでモー娘。には関心がない会員「B」が、モー娘。FCに自主的に入る可能性もほぼゼロである。
 「A」と「B」が連絡を取り合って、互いが本来入る必要の無いアーティストのFCに加入するとなれば、それは明らかな名義貸しである。これをやってしまったら、いわゆる“転売屋”と同じになってしまう。普通の人間なら罪悪感を感じるはずであり、それが抑止力となる。

 また、モラルの低い会員同士が互いに名義貸しを行ったとしても、別のFCへの加入が必須となるため、FCへの会費の支払いは行われる。過去同様、FC先行チケットがオークションに流れることになるとしても、会費の収入に関しては向上することになる。

 いずれにせよ、事態は現状より改善する。
 既存の転売屋の対策にはならないが、一般の会員に対しては、一定の効果があると思う。

 アーティストのFCに入り、FC会員として特別のサービスを享受するためには、相応の対価を支払わなければならない。
 そしてFC会員たるもの、会員として享受したサービスの価値を貶めるような行為をしてはならない。
 そういう意識をファンに少しでも芽生えさせるためにも、ハロプロのファンクラブは3つ(モー娘。FC、ベリーズFC、℃-ute FC)に分割するべきなのだ。

エルダークラブがハロプロを卒業することに関して

エルダークラブがハロプロを卒業することに関して


 ごく自然な流れであり、「ああ、やっぱり」と思える。
 「エルダークラブ全員が事務所から解雇された」のなら、けっこう大胆なリストラだと驚きもするが、単に「ハロプロを卒業」では、何を今更という感じである。
 個人的には「そう言えばエルダークラブって、まだハロプロだったんだ」という認識だし、一般人に至っては「エルダークラブって何?」といったところだろう。

 最近は、ハロコンが基本的にはエルダー抜きとなり、エルダーとしての組織的な活動も行われていない。エルダークラブという枠組み自体が既に有名無実化していたと言える。
 ごっちんが去り、残った有名どころ(あやや、なっち)も既にアイドルという歳ではなくなっているのだから、今回の件は当然の成り行きである。

 今後は、「モーニング娘。卒業=ハロプロ卒業」ということになるだろう。
 そして、「ハロプロ卒業=アイドル路線の卒業」を意味することになる。

 これも自然で良い。
 今までは、「モーニング娘。を卒業するがハロプロには残る」というパターンだったため、卒業というイベントが茶番じみて見えて嫌だった。これからは、「モーニング娘。卒業=業務の質的変更を伴う正式な人事異動」ということになり、「涙のお別れ」も茶番には映らなくなることが期待できる。

 今回の件で一番喜んでいるのは、ワンダーに所属する中学生以下のメンバーの親御さんではなかろうか。エルダークラブのメンバーが“できちゃった婚”をやらかす度に「ハロープロジェクトの…」という枕詞で報道されていては、内心穏やかであろう筈がない。現在は℃-uteイチ推しになっている私も、この点に関しては正直ホッとしているのだ。

ワールドプレミアム世界ダブルタイトルマッチ The REAL 長谷川穂積 vs アレハンドロ・バルデス オスカー・ラリオス vs 粟生隆寛

ワールドプレミアム世界ダブルタイトルマッチ The REAL
    長谷川穂積 vs アレハンドロ・バルデス
    オスカー・ラリオス vs 粟生隆寛


                                 2008年の会場で観た試合:4回目
                                 観戦日:2008年10月16日(木)
代々木第一でボクシングを観戦するのは初めて

看板イイわねぇ、テンション上がるわねぇ
 過去、コンサート鑑賞でしか来たことのない代々木第一体育館に、とうとうボクシング観戦のために足を運んだ。日本武道館と両国国技館、そしてJCBホールでは既にボクシングを観戦済み、後楽園ホールは言わずもがな。これで一応東京の主だった会場で観戦したような気がする。

国旗もイイわねぇ、テンション上がるわねぇ

 今回も南側の3列目という良席(ただし、1列目の前には通路、A~C列、通路、プレス席が3列あるので、実際には10列目辺りか)で観戦した。ちなみに、南側のA列にはジョー小泉さんが座っておられた。

ジョーさん何故プレス席の外に?

 ノートパソコンを開いている方がジョーさん。殿堂入りメンバーなのだから、柵の内側に鎮座しておられるべきなのでは? あるいは、リング誌特派員としてプレス席で仕事をされるという形でも良いと思うが…。個人的に、凄く違和感を感じた。


WBA世界フェザー級タイトルマッチ
      オスカー・ラリオス vs 粟生隆寛


 粟生は惜しい試合を落とした。逆に言えば、ラリオスは上手く勝ちを拾った。
 私にとって「粟生の敗北」という結果以外は、全く予想外の試合となった。
 試合前の予想は、3対7で粟生が不利、どちらが勝つにしろKO決着というものだった。
 ラリオスが勝つとしたら、暫定王者決定戦や初防衛戦のように攻めに攻め、最後は強烈なクリーンヒットを決めて試合を終わらせると思った。粟生が勝つとしたら、最終回を迎える前に、カウンターで倒し切ってしまうしかないと思った。

 それが、12ラウンド戦い抜いてのスプリット・デシジョンなのだから、意外だった。
 ラリオスの粘りと試合運びの上手さを褒めるべきか?
 歴戦の兵(つわもの)からダウンを奪い、反撃のボディブローに耐え抜いた粟生を褒めるべきか?
 もちろん、現場で観戦していたときは、私を含めて多くの観客が粟生の手数の少なさを叱咤していた。私自身、
「手数、手数!」
「打て! 先に打て!」
「手を出せ!」
と、何度叫んだことか。

 ちなみに、私の“南側3列目”採点では、114対112で粟生は負けている。
 パンチの質では粟生が優っているラウンドでも、その手数が少なすぎるのだ。ガードの上を叩くだけの見せ掛けのパンチを何発か当てておけば粟生のものになるラウンドが2つはあったと思うが、それをやらないからラリオスの攻勢に持っていかれてしまう(所謂“勢い”に流される)。
 本来、チョンチョンと当たるだけのジャブ(アマチュアでもポイントを貰えない)など評価するべきではないと思うが、極力どちらかに振り分けるという現在の採点傾向においては、そんなパンチでも「振り分けるとしたら…」という口実をジャッジに与えてしまう。

 本当にもったいなかった。
 でも、本当に良く頑張った。

 粟生に関しては、その2つに尽きる。
 ラリオスのボディブローを再三貰っても戦い続けることが出来た点は立派である。以前マルコ・アントニオ・バレラとスパーリングをした際には「(ボディブローで)何度倒されたことか」と言っていたが、そういう練習が生きたのだと思う。
 そして、あえてもう1つ付け加えるとしたら…
「4ラウンドのバッティングで、出血していたのが粟生の方だったら、粟生の10-7だった」
 実際には、ラリオスが出血したため粟生の9-8。ダウンがあったにも関わらず、1ポイント差になってしまった。これがもし、10-7という3ポイント差が付く“ビッグラウンド”になっていたら、ラリオスがアウトボクシングをする余裕など生まれなかった筈だ。
 
 いや、単純に10-8でも同じことだろう。
 やはり、スレイマン・ルールは悪法である。

会場内モニター

WBA世界バンタム級タイトルマッチ
      長谷川穂積 vs アレハンドロ・バルデス


 上手いマッチメイクである。次回の防衛戦の予行演習としては、まずまずの結果だと思う。
 次回の防衛戦の相手となるブシ・マリンガは、今回の挑戦者だったアレハンドロ・バルデスと同じサウスポーではあるが、実力は遥に上だと思われるからだ。何しろ6月の試合(挑戦者決定戦)で、当時1位にランキングされていたウィラポンを、一方的な内容で4回TKOに屠っている。
「左ストレート、フック、アッパー」を自在に繰り出すサウスポーで、長谷川より長身でリーチが長い。これではまるで、長谷川穂積を体格的に大きくしたボクサーではないか。

 ブシ・マリンガは、チャンピオン長谷川にとって、これまでで最強の挑戦者となるだろう。
 今度ばかりは、長谷川も危ない。スピード差は、距離の差で相殺される可能性があるからだ。
 サウスポー対策を、現状からどれだけ上積み出来るかが勝負の分かれ目となるだろう。けれども、国内に“仮想マリンガ”を務められるボクサーがいるだろうか…?

 あ、そうそう、私の2列後の席でオッサン達が「止めるのが早い」と文句を言っていたが、最近の国際的基準から言えば、適切なタイミングで止めており、何ら問題はない。10回以降だったら、最初のダウンで止められていた可能性も結構高いと思う。

力こぶ作ったときの上腕周り35cm(身長175cm×0.2)を目標に頑張るぞ!

力こぶ作ったときの上腕周り35cm
        (身長175cm×0.2)を目標に頑張るぞ!

 現在33cmなり!
20081015ピーク
 上腕周りを、腹囲メジャーを使って測定しております。

 ちなみに、普通に伸ばした状態では28cm。
20081015ナチュラル
 右腕の写真を、ポケットデジカメ(OLYMPUS μ830)を使って左手で撮るのはムズいわ~。

 上腕の鍛え方に関しては、この6年間で、ちょびっとずつだが進歩している。大まかなイメージで書くと、以下の通り。

最初の1年間…
 漠然と、アームカール(ダンベル)とプッシュアップ。
 ただし、それぞれ上腕二頭筋と三頭筋に効かせるフォームを意識し、ストリクトにやっていた。アームカールとプッシュアップをスーパーセットでやるなどの変化もつけてみた。ただし、二頭筋の長頭とか短頭とかは、全然意識していなかった(知らなかった)。
 それでも最初の一年間は、バルクアップがあり、少し腕が太くなったと思う。

2年目から3年目頃まで…
 メニューにハンマーカールを加えた。
 アームカールにツイスト(スピネイト)を入れるようにした。
 ところが、アームカール(ダンベル)の負荷を重くしていく過程で、背中を痛めてしまった(うつむき加減で収縮をフィニッシュさせていたため)。回復後、軽めのメニューを週2回やるも、バルクアップせず、やる気が薄れる。

4年目…「腕はもうこれ以上太くならない」と諦め気分になり、腕のトレーニングが疎かになる。

5年目…二頭筋に長頭と短頭があることを知り、腕のメニューを長頭用と短頭用に分ける。
 ◆長頭用:インクライン・ハンマーカール
 ◆短頭用:スライドカール(ダンベル)
 これだと確かに長頭と短頭を意識できる。
 バルクアップは起こらなかったが、どこかに問題解決の方法があるように思えてモチベーションはむしろ上がった。

6年目(現在)…
 胸と腕のトレーニングを同日に行うようになった(胸終了後、即腕)。
 背中と腕のトレーニングを同日に行うようになった(背中終了後、即腕)。
 つまり、週2回、追い込んだ内容で行う。
 現在の腕のメニューは、以下の通り。

A:胸の日に行う
 ◆インクライン・ハンマーカール(長頭)
 ◆狭いグリップでのバーベル・アームカール(短頭の外側)
 ◆ハンマーカール(上腕筋)
 ◆ベンチを使ったディップス(三頭筋)

B:背中の日に行う
 ◆二頭筋で上げる懸垂(良く分からないが、二頭筋全体がバーンする感じが得られる)
 ◆ベンチを使ったディップス(三頭筋)

 個人的に新しい発見だったのは、狭いグリップでのバーベル・アームカールと、二頭筋で上げる懸垂。
 アームカールは5年以上、ずっとダンベルでやっていたので、グリップの幅を完全に固定して行えるバーベルカールからは「短頭の外側がバーンする」という新しい感覚が得られた。
 背中で上げる懸垂の後に、二頭筋で上げる懸垂をやると、1回も上がらないという事実にもビックリした。背中で上げる懸垂であっても、二頭筋が相当疲労している証拠である。この場合、ネガティブオンリーでやるしかない。「二頭筋で上げる懸垂」ならぬ「二頭筋で下がる懸垂」なわけだが、それでも二頭筋全体がパンパンになる感覚が得られる。
 確かに約61kgの体重の大部分がかかるわけだから、ウェイトプレートを使ったカール類(最大でも片腕で10kg)よりも負荷は遥かに大きい。しかも、背中は既に十分温まっているので、背中を痛めるリスクが小さい。

 とりあえず、力こぶ作ったときの上腕周りが35cm(身長175cm×0.2)になることを目指す。
 果たして、2cm増やすのにどれ程の年月がかかるのだろうか?
 …。それは、神様にも分からない。

筋トレのローテーション(2008年内)

筋トレのローテーション(2008年内)


 前の記事(『ハードゲイナーである俺の上腕二頭筋や三頭筋も、48時間で回復しているかも?』)で書いた通り、腕を中1日で鍛えるローテーションを考えてみた。(ローテーションをイメージしやすくするため、3週間分を表示)
理想のローテーション?

 自分としては、腕に限らず全体的にかなり理想的なローテーションになっていると思う。しかし、いきなりこのローテーションを実行することは無理なので、現時点で実現可能な妥協点を探ってみた。それが、これ。
当面のローテーション

 理想と比較すると緩い感じは否めないが、怪我のリスクを考慮すると、これが現時点での最善策だと思う。正直言って、これでも今の自分にとっては、かなり厳しい。金曜日に胸と首のメニューをこなして、土曜日にコンサートや映画に行ったりしたら、日曜日は完全に休まないと疲労が蓄積してしまうだろう。
 年内は、とにかく「腕を週2回」・「胸を週2回」最優先させ、実行したい。

ハードゲイナーである俺の上腕二頭筋や三頭筋も、48時間で回復しているかも?

ハードゲイナーである俺の上腕二頭筋や三頭筋も、48時間で回復しているかも?


 ネットで調べると、「上腕二頭筋や三頭筋は48時間で回復する」とか書いてある。私はそういう記述を見るたびに、
「それは、ノーマルゲイナーやイージーゲイナーの話だよね。私みたいなハードゲイナーにとっては、中1日のトレーニングで筋肥大が起きるなんて、夢のまた夢なのよね…」
と“遠くを見る眼”になっていた。

 ちなみに、ハードゲイナーとは「トレーニングをしてもなかなか筋肉が付かない体質の人」のことである。ノーマルゲイナーは普通の人、イージーゲイナーは「トレーニングをすると見る見る筋肉が付く体質の人」である。
(ハードゲイナーとイージーゲイナーの差はどこから生じるのか? 端的に言えば、「食物の消化吸収能力」の差、および「筋肉の合成回復能力」の差だ)

 私は以前、上腕二頭筋と三頭筋に関しては週2回トレーニングしていたのだが、全くと言って良いほど筋肥大が起きなかった。そのため、週2回はオーバーワークであると思い、週1回に変更した。それでも、筋肥大は起きなかった。
 中2日または中3日ではダメ。中6日でもダメ…
 それでもう最近は、上腕二頭筋と三頭筋に関しては「現状維持でイイや」と思うようになり、バルクアップに関してはほぼ諦めかけていた。

 そんなある日のこと。

 背中のトレーニングの日に、最後のメニューである「ドリアン式懸垂(勝手に命名。逆手で行うが、上腕二頭筋ではなく広背筋に効かせる懸垂のこと。ドリアン式ローイングの懸垂版)」を行った後、何となく「上腕二頭筋で上げる懸垂」をやってみたら…
 いっ、1回も上がんない?!
 そんな筈は?!と頑張ったが、マジで上がんない!
 いくら私が非力とはいえ、フレッシュな状態でやったら、5回は上がる(若い頃はギリギリ10回出来た)と思うんだけど…

 「ドリアン式懸垂」では、確かに体を背中で引き上げている感覚が(バーンに近い感覚も)ある。でも、その後で「二頭筋懸垂」が1回も出来ないということは、「ドリアン式懸垂」を終えた時点で二頭筋も相当疲労させているということに他ならない。
 “背中の日”は、出来るだけ上腕二頭筋と三頭筋を使わないようにしていたつもりだが、二頭筋に関しては使ってしまっているワケだ。そこで私は、二頭筋がどの程度疲労しているかを確認するため、ネガティブオンリーで「二頭筋懸垂」を行ってみた。しかし、ストラップを既に外していたため握力が先にヘバってしまい、7回で終了。疲れもあったので、わざわざストラップを再装着する気にはならず「ま、いいか」と、その日のトレーニングを終わらせた。

 その翌日。

 何か、イイ感じで上腕二頭筋に疲労感があるではないか。
 上腕二頭筋にこんな感覚があるのは、久し振りである(って言うか、以前はいつこういう感覚があったのか覚えていない)。
 前回上腕二頭筋をトレーニングしたのは3日前。即ち、昨日は中2日で上腕二頭筋を刺激したわけである。
 今回の「中2日」は、イイかも?!
 以前、上腕二頭筋と三頭筋を週2回トレーニングしても筋肥大しなかったときとは、明らかに感覚が違う。そう言えば、あのときとは腕のトレーニングメニューも違う。今回の方が、よりハードな内容の中2日である。私がタブーとして避けてきた、「追い込んだ内容での中2日」なのだ。
 ここで私は、ふと思った。もしかしたら…

 中1日でもイケるんじゃないのか?
 ハードゲイナーの私でも、腕という特定の部位に関しては、人並みの回復能力があるかもよ?
 そう思ったのも、今使っているトレーニングローテーションをマイナーチェンジさせると、腕を中2日ではなく中1日で鍛えることが多くなるからだ。
 これは、試してみる価値がありそうだ。

『大決戦! 超ウルトラ8兄弟』

『大決戦! 超ウルトラ8兄弟』
  2008年の映画館で観た映画:25本目
  映画を観た日:2008年9月21日(日)


 新宿ピカデリーで観たんだけど、現時点でもう上映が終わっちゃってるねぇ。同じ日(9月21日)に観た『パンダフルライフ』は、明日も上映があるのに。あんまり客が入らなかったのかなぁ、良い映画だったのに…。

 だから、今更になってしまうのだけど、この映画は映画館で観る価値があった。
 以前、『ウルトラマンティガ THE FINAL ODEYSSEY』を劇場で観て失望し、それ以降ウルトラ映画を一切観ていなかった私が言うのだから、間違いない。
 『大決戦! 超ウルトラ8兄弟』と『ウルトラマンティガ THE FINAL ODEYSSEY』との最大の違いは、戦闘の舞台が都市(横浜)であること。そして、ウルトラマンの戦う相手が怪獣・星人であること。この基本線が押さえられていることを、先ず挙げたい。

 そしてもう一つ、久し振りにウルトラ映画を観る決断を私にさせたのは、雑誌『シネマスクエア vol.20』(下の写真の左端)に掲載された、長野博のインタビュー記事である。そこで長野博が語っていたことは、私が彼に抱いていたイメージを一変させるものだった。
映画パンフ及び関係本を買ったのだ

******** 『シネマスクエア vol.20』の8ページから一部引用 ******** 

 (ダイゴの変身に関して)そこに説得力がない限り、今回の映画は成立しないと思ったので、脚本に関しては何度となく打ち合わせに参加させてもらいました。
 “ダイゴがダイゴとして動けているか”、これは僕にしか分からないことなので、「この流れではダイゴは変身できません」とか、脚本を読ませていただいて感じたことを素直に言って、それを脚本に投影していただきました。世界が違うから何でもできちゃう、ってことじゃないんですよ。

**************** 引用終わり ****************
  

 長野博が、そこまでダイゴというキャラクターを大切にしているとは思っていなかった。
 彼がそこまで言うのなら、彼を信じて、その映画を観てみようという気になったのだ。
 そして、長野博は期待を裏切らなかった。この映画のダイゴは、確かに私が12年前にTVで観たダイゴであった。ダイゴのいる世界はTVシリーズの世界とは全く別の世界であったが、ダイゴは確かにダイゴだったのだ。

 そしてウルトラマンティガも、12年前にTVで観たティガそのままであった。
 私が12年前、「歴代ウルトラマンの中でも最も美しいのではないか」と思ったティガは、今回もやはり美しかった。


 ※これ以降、ネタばれ有り※



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『20世紀少年(第一章)』

『20世紀少年(第一章)』
  2008年の映画館で観た映画:26本目
  映画を観た日:2008年9月27日(土)


 現在43才の私は、子供の頃、実際に秘密基地を作った経験がある。
 それも1つではなく、少なくとも2つ作った記憶がある。
 どうやって作ったかと言えば、工事現場から廃材(と思われるもの)を(黙って)持ち出し、山(林)の中に運び込む。そしてその廃材を、山に生えている生木に釘で打ち付け、簡易な壁と屋根をこしらえたのだ。この映画に登場する秘密基地よりも、やや本格的なものだった。確か、『テレビマガジン』などを持ち込んでいたと思う。

 アポロの月面着陸のとき、私はまだ4才だったのでほとんど記憶に残っていない。だから、この映画の主人公達とは完全に同世代ではなく、3年ほど後輩である。自分の3年後輩、6年後輩のことを思うと、あるいは私の世代は“最後の秘密基地世代”に含まれるのかも知れない。

 そんなことを思いながら映画を観て、世代的な共感を感じられたことは楽しかった。しかし、作品的には、むしろ不満を抱くことの方が多いかった。
 まず、同窓会のシーンで藤井フミヤを出したことにはガックリきた。いくら主人公達の役者と同世代とは言え、アレはいただけない。あのシーンは、主人公達が「普通の人たち」=「無名の人たち」の集まりであることを印象付けなれればならないところなのに、藤井フミヤがいたことで“芸能人の同窓会のシーン”になってしまった。友情出演だか何だか知らないが、ああいう下らないことはやるべきではない。

 また、主人公のケンヂが指名手配を受けてからの生活の描写が甘すぎる。コンビニの店長をやっていたときの生活描写はそれなりにリアリティがあったのに、地下に潜ってからはリアリティが薄い。コンビニ店長時の描写の方が生活苦が感じられるというのは、明らかに不自然である。
 テンポの良さは買うが、詰め込み過ぎの印象が拭えない。もう少しエピソードを整理する必要があったと思う。

 VFXはクオリティが高く、コストパフォーマンスとしては世界最高レベルだろう。
 しかし、全体的に散漫な印象のまま終わってしまっている。第一章を観終えた時点では、正直言って第二章を観ようという気にはならなかった。
 第二章の前売券を買った理由は、第二章で主人公を演じている(らしい)女優のルックスが気に入ったからである。“ともだち”の正体とか、そういう作品的関心からではない。もちろん、第二章を観に行く以上は、作品的な面白さも期待しているのだが。

『私がクマにキレた理由(わけ)』

『私がクマにキレた理由(わけ)』
  2008年の映画館で観た映画:27本目
  映画を観た日:2008年10月11日(土)


 気が付けば今年に入って27本目。既にノルマの24本を越え、手元の前売券を無駄にしなければ、年内30本到達は確実となった。その分、感想文は溜まっているのだけど、とりあえず新しいものから先に書いていくことにする。

 この映画の前売券を買った理由は2つ。劇場で予告フィルムを観たとき、主役のスカーレット・ヨハンソンに対して「何かで見たことある女優だけど、何で見たか思い出せない」と引っ掛かる思いを抱いたことがまず1点。もう1つは、日本語タイトルの秀逸さ。これが原題直訳の『子守日記』だったら、前売券を買ったかどうか分からない。
 『私がクマにキレた理由(わけ)』と銘打たれたら、「その理由(わけ)は?」と知りたくなるのが人情である。単純であるが、強力な動機付けだ。

 この作品は、SFやファンタジーとは無縁な単なる日常生活を描いており、その意味ではわざわざ映画にしなくてもTVドラマの2時間枠でも十分な題材である。しかし、その視点の置き方や映像表現は映画的であり、映画館で観るに値する作品に仕上がっていた。この辺の見せ方が、洋画は上手い。
 邦画だと、日常を描くと飽く迄もドップリと日常に浸った造りになってしまい、“映画”という非日常的な視点や切り口を取り込めない場合が多いと思う。まるで、「日常を描く際に、非日常的な視点を持ち込んではいけない」と思い込んでいるかのようだ。もちろん、実相寺監督のように「非日常的な視点こそ、日常の本質を暴き出すことが出来る」と考えていた監督はいたし、今もいるとは思うのだが。

 アニーをナニー(子守)として雇った婦人を“ミセスX”として記号化して表現し、以降“ミスターX”、“X家”と記号化表現が一貫して続いたのも、本来特定されるべき一個の日常を普遍化させる映画的な処理として面白かった。その一方で、アニーが感情移入していくグレイヤー(X家の一人息子)には、“X”ではない、“二人だけの秘密の名前”が与えられるのも好対照である。

 日本にはナニー(子守)という職業には馴染みがないけれど、保育園や幼稚園は私が子供の頃から存在している。私も、1年だけだが幼稚園に通った。
 「アメリカの金持ちが、自分の子供を自分で育てない」という姿は日本人には奇異に映るが、「日本の中流層が、3歳の子供を7時から19時まで保育所に預けている」という姿は、外国人の目にはどう映るのだろうか。いつのころからか、「0歳保育」というのもあるらしいし。

 私の感覚からすると、「0歳保育」はグロテスクなのだ。養鶏所が「ブロイラー生産工場」であるという感覚と同様、0歳保育は「乳幼児生産工場」と思える。実際の「日本の0歳保育」の現場を描いた映画も、観てみたいものである。

『レスキューフォース』主題歌『STORY』オリジナルバージョンをTVバージョン気分で歌うために歌詞を考えてみた

『レスキューフォース』主題歌『STORY』オリジナルバージョンをTVバージョン気分で歌うために歌詞を考えてみた


 『レスキューフォース』の主題歌が、昨日から新しくなった。ネタばれ嫌いの私は、全く予備知識なく番組を視聴しているので、ちょっとビックリ。(そういや、『仮面ライダーキバ』の方はまだ新オープニングになっていないなぁ)

 新曲の『The Life』もなかなかカッコイイが、私は旧オープニングテーマになってしまった『STORY』が大のお気に入り。ただし、それはTVバージョンの方。オリジナルの歌詞も嫌いではないが、やはり『レスキューフォース』の歌になっていないと気分が盛り上らない。
 そこで、『STORY』のカラオケをTVバージョン気分で歌うために、オリジナルの歌詞をちょっとだけ変えてみることにした。赤字の部分が、変更部分である(TVバージョンの歌詞をそのまま流用した部分は赤字にしていない)。

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 『STORY』 作詞:HAYATO・TAKA   一部変更:震電


 光る空を見上げ 駆け抜ける雲 追いかけていた
 流れる時間(とき)の中で 恐れる心 信じていた

 心に抱いてた 生きてきた証
 尊い命を救え 今
 繰り返される時代に
 いま 確かな真実を
 「爆裂的に鎮圧せよ!」
 運命のSTORY

 繋がれたこの世界に
 遥かなる優しさを
 限りない夢と希望は
 「レスキューフォース!」生きることさ
 ずっと 未来に Take you

 遠く瞳に映る 胸をつく影に怯えていた
 引き返せない過去に 未来の希望 願っていた

 心に刻んだ 生きてきた証
 助けを求める声がする 今

 繰り返される悲しみ
 いま 確かな真実を
 「緊急的に出場せよ!」
 情熱
のSTORY

 笑顔を失くした時代に
 遥かなる優しさを
 果てしない夢と勇気
 「レスキューフォース!」挑むことさ
 もっと この手に Shining

 心に抱いてた 生きてきた証
 尊い命を救え 今

 繰り返される過ち
 いま 確かな真実を
 「瞬間的に着装せよ!」
 償い
のSTORY

 繰り返される時代に
 いま 確かな真実を
 「爆裂的に鎮圧せよ!」
 「レスキューフォース!」進むだけさ
 ずっと 未来に Take you

K-1 WORLD MAXが面白くなくなってしまった(UFCは相変わらず面白いのに)

K-1 WORLD MAXが面白くなくなってしまった(UFCは相変わらず面白いのに)


 昨日、K-1 WORLD MAX 2008を途中から(魔裟斗VS佐藤の2ラウンド開始から決勝戦終了まで)TV観戦したが、パンチ主体の試合ばかりで面白くなかった。
 以前、ブアカーオが決勝戦で魔裟斗を延長戦の末破った試合は面白かったのに…。

 魔裟斗が勝ったから面白くないなどと言うつもりは毛頭ない。
 K-1 WORLD MAXがパンチ偏重になってしまったから面白くないのだ。一時期と比べると、新興打撃格闘競技として悪い方向へ変わってしまったと思う。

 WOWOWで『エキサイトマッチ』を毎週観ている私の目には、K-1 WORLD MAXでのパンチの攻防は雑に見える。基本が3回戦という縛りの為だと思うが、真正面から正直に打ち合っての「当たったモン勝ち」という印象だ。世界戦レベルのボクシングにおける距離や角度(ポジショニング)の奪い合い、タイミングの取り合い外し合い、ブロックのみならずボディワークを使ったパンチの効果の殺し合いといった緻密な技術的攻防を見慣れた者には、いささか物足りない。

 『エキサイトマッチ』で浜田氏が、サミュエル・ピーターのボクシングを、むしろ良い意味で「30年前のヘビー級ボクシング」と言っていたのだが、昨日観たK-1 WORLD MAXは、悪い意味で「30年前のジュニアミドル級ボクシング」なのではないかと思ってしまった。
(私は30年前のジュニアミドル級の試合を観たことはない。飽く迄も浜田氏の発言を受けての“言葉の連想”である。実際には30年前であっても、ジュニアミドル級のボクシングにはヘビー級にはない技術戦の要素があったと思う)

 いつだったか、ブアカーオが決勝戦で魔裟斗を破った試合。
 あれは、キッカーがパンチャーを破った試合だった。
 キックとパンチの技術的・戦術的な攻防が見られた好試合であった。

 パンチ主体の魔裟斗は、(ファイタータイプのボクサーほどではないものの)前脚に重心を置いたクラウチングスタイル。当然ながら強いパンチを打ち易いが、ローキックのカットはやり難い。

 対するブアカーオの戦術(攻防の選択肢)は、こうだった。
 ・魔裟斗がパンチを打とうと前脚に重心をかけたとき、その前脚にカウンター気味のローキックを当てる。
 ・そのローキックを警戒して魔裟斗が一旦間合いを取った場合、その間合いから前蹴りをボディと顔面に蹴り分けてヒットさせ、体勢を立て直す余裕を与えない。
 ・魔裟斗が強引に距離を詰めて来たら、首相撲からの膝蹴りで対抗する。

 確か、このときは両腕を使った首相撲からの膝蹴りが、1発のみ許されていたように思う。
 例え単発でも、両腕で首相撲を仕掛けることが出来れば、アッパーやボディブローの初動体勢を崩してその攻撃を無効化することが出来る。つまり、両腕を使った首相撲からの膝蹴りは、アッパーやボディブローといったショートレンジのパンチに対して攻防一体の効果を発揮するのだ。

 これがあると、パンチャーは接近してアッパーやボディブローを打つことのリスクが高まり、なかなかそれを仕掛けることが出来なくなる。
 そうなれば、キッカーは中間距離でロー、ミドル、ハイキックを狙う機会が増えるので、攻撃のバリエーションが広がる。

 これは、裏を返せば、

 両腕を使った首相撲からの膝蹴りが禁止されている場合、パンチャーは接近してアッパーやボディブローを打つ際でも、基本的には相手のパンチを警戒するだけで良い。(首相撲に先導されない膝蹴りは、格段に脅威が小さくなる)
 そうなれば、キッカーはショートレンジでのパンチの打ち合いに持ち込まれる時間が増えるので、中間距離でロー、ミドル、ハイキックを狙う機会が減る。攻撃のバリエーションが狭まる。

と言うことだ。
 つまり、K-1で両腕を使った首相撲からの膝蹴りが禁止されると(肘打ちは最初から禁止)、接近戦ではほとんどボクシングになってしまう。ボクシングを観るなら、生粋のボクシングの方が遥かに面白いのは当然である。

 1試合目の場合、3回戦ではローキックの効果が出にくいという要素も大きい。この点に関しては、むしろトーナメント方式による弊害と言うべきか。

 採点基準も「ダメージ重視」というものの、「顔面へのパンチ重視」となっているように思う。
 これはボクシングでも言えることだが、パンチが頭部にクリーンヒットしようが、ボディにクリーンヒットしようが、それによるダメージが直ちに表われなかった場合、それは同じ価値を持つ有効打として平等に「1打」とカウントされるべきだ。2つのパンチによるダメージに優劣を付けられない以上、その評価は同等とするしかあるまい。

 K-1にありがちな例を挙げよう。

 ・ローキックが太腿にクリーンヒットしたが、それで直ちにグラつくということはなかった。
 ・アッパーが顎にクリーンヒットして顔が上を向いたが、それで直ちにグラつくということはなかった。

 K-1の採点基準が「第一にダメージの大きさ」ならば、上記の二つは等価に採点されなければならない。
 何故なら、ダメージとは「1回のダウン=減点2」を基準にしているからだ。顎へのアッパーでダウンしても「減点2」であるし、太腿へのローキックでダウンしても同じく「減点2」であることを忘れてはならない。

 要するに「ダメージの大きさ」とは、「ダウンの有無」または「ダウンしそうな状態の有無」で判断される。
 「アッパーが顎に命中して顔が上を向いたが、グラつくことなく普通に立っていた」という状態と、「ローキックが太腿に命中したが、グラつくことなく普通に立っていた」という状態は、その意味において差がないのだから、等価に評価すべきなのだ。
 重心の乗った脚にローキックが命中しても、「脚が跳ね上げられる」ことなどまず有り得ないのだから、単純に「アッパーで顎が上がった」というだけで「ダメージが大きい」と判定するのは根本的に間違っている。それは、表面的な「見栄え」を評価しているに過ぎない。
 「クリーンヒットであったか」、「ダウンの有無」または「ダウンしそうな状態の有無」に関して差がなければ、見栄えのするアッパーだろうが地味なローキックだろうが、評価は同じでなければおかしい。

 ムエタイ選手にとって不利になるようにルールや採点基準を設定した結果、K-1対策を積んでいない典型的なムエタイ選手がアッサリ優勝してしまうという心配は、ほとんど無くなったと言って良いだろう。しかしその反面、競技の多様性や技術的な部分を大きく削ぎ落としてしまったこともまた事実である。
 多様性を保ったまま競技としての整備が進んだUFCと比較すると、実に対照的ではないか。
 ちょっと残念な気がする。

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震電

 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。