2008-07

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コンサート、ライブにおけるマナーに関して(その9)

コンサート、ライブにおけるマナーに関して(その9)


「周囲の人々に迷惑をかけてもいいから、私を応援しろ!」と言ったのか?

 そして、これもまた当然のことであるが、
 「例え、アーティストが喜ぶこと(アーティストに対する応援)であっても、他の客に迷惑がかかることは行わない」
 しょこたん(中川翔子)もどこかで言っていたが、「それが大人のマナー」だ。
「しょこたんが喜ぶこと(しょこたんに対する応援)なら、他の客に迷惑をかけても許される」
などという思い込みは大間違いである。

 第一、しょこたんが、
「周囲のお客さんに迷惑をかけても構わないから、派手な応援をして欲しい」
などと、本気で望んでいるとは到底思えない。


 一見そう取れるような発言をしょこたんがするのは、しょこたんが「派手な応援行為は、他のお客さんに迷惑をかけるおそれがある」という点に気付いていないからであろう。

 そもそも、コンサートは基本的に「アーティストが客に対してサービスを提供する」場であって、「客がアーティストに対してサービスを提供する」場ではない。もしコンサートが「客がアーティストに対してサービスを提供する(客がアーティストを喜ばせる)」ことを基本とするものであるならば、コンサート主催者は会場に来た客に対して金を支払うべきだろう。

 (一般の)コンサートにおいて、
「アーティストを喜ばせよう(応援しよう)」とすることで「アーティストの“パフォーマンス”が全ての客に行き届かなくなる」
などといったことは、絶対にあってはならない。


そんなことが許されるのは、「ファンの有志が自費でアーティストを招いた、プライベートなイベント」の場だけである。

 繰り返すが、アーティストがコンサートにおいて最優先で行うべきことは、「会場に来ている全ての客に、自分のパフォーマンスを届けること」である。
 
 まずは、自分のパフォーマンスだけで、観客を満足させ、会場を盛り上げる。それがアーティストに課せられた使命であり、自らのプライドにかけて成し遂げるべきことであろう。
 それを自ら放棄し、最初からファンの力に頼ってライブを盛り上げようとするアーティストがいるとしたら、その人は真のプロとは呼べないし、自分の歌を愛していない。

 観客が、他の観客の権利を侵害してはならない。
 ましてや、アーティストや主催者側が観客の権利を侵害してはならないし、権利の侵害を助長する指示をすることがあってはならない。

 一部の客がより盛り上がることで、それ以外の客が犠牲になることなど、あってはならないのだ。

 アーティストが「観客から喜びを与えてもらう」のは、アーティストが「全ての観客に喜びを与えた」後の話である。
 あるいは、アーティストにとって「全ての観客に喜びを与えている」ときこそ、「観客と喜びを共有している(お互いに喜びを授受している)」時間なのかも知れない。
 そういう時間が生み出せるよう、客も協力する。それが即ち、マナーを守るということなのだ。
 私には、これが難しいことだとは思えない。

                                   《 終わり 》
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コンサート、ライブにおけるマナーに関して(その8)

コンサート、ライブにおけるマナーに関して(その8)


         「金を払ったら何をしても許される」わけがない

 「周りの客に迷惑が掛からない範囲で何かをする」
 そんな当たり前のことが、難しいわけがない。
 例えば、私がしょこたん(中川翔子)のコンサート(5月)で行った、「聴く・観る」以外の行為は以下の通りである。

(1)適切な範囲における拍手、手拍子(バラードでは手拍子しない)
(2)サイリウムを自分の胸の高さ(喉の高さ以下)で振る(横幅および前後幅は自分の席の幅)
(3)自分の座席の幅範囲において、身体でリズムを取ったり、踊ったりする
(4)『We can do it !』の「Happy smile! Lucy smile! …」の部分で声を出す(音源に入って
  いる音声に自分の声を被せるだけで、しょこたんの歌声には被せない)
(5)『みつばちのささやき』で「しょうこー!」と叫ぶ、いわゆる合いの手(しょこたんの歌声には被
  せない)
(6)『ロマンティックあげるよ』で、“男子担当部”の歌唱
(7)特に好きな歌に関して、客席でクチパク(適時にブレスケアを服用)

 なお、PPPHに関しては、手拍子以外は行っていない(ジャンプや「ヒュー」の発声はしていない)
 上記の中で周囲に迷惑をかけた可能性があるのは、(5)だけだと思う。今回は周囲からネガティブな反応がなかったので行ったが、今後そういう反応があったらすぐに止める。注意されるに至った場合は、すぐに止めるのはもちろん、その場で謝る。

 ちなみに(5)は、ファーストコンサートにおいて、「それが不快ではなく、むしろ、歌っているしょこたんのアイドルっぽい雰囲気を増幅させる効果がある」ことを第三者として客観的に確認したので、5月のコンサートでは自分もやってみた。
 『みつばちのささやき』は言うなればアイドル歌謡であり、楽曲の雰囲気的にも曲中のタイミング的にも、合いの手(「しょうこー!」)を入れることが不自然にならないと思う。『みつばちのささやき』という楽曲が、音楽的に合いの手を許容する構造になっている(合いの手が曲調を乱さない)という判断である。もちろん、「しょこたんの歌声に被らないこと」が、大前提として存在する。

 しかし既に書いた通り、この行為を、他の観客に不愉快な思いをさせてまで行うつもりは毛頭ない。例えしょこたんの歌声に被せていないコールでも、他の観客に不快感を与えればそれは即ち迷惑行為である。「しょこたんの歌声に被せなければ、何をしても許されるというわけではない」のは当然である。

 例えば、MIXと呼ばれる行為は曲の前奏または間奏に行われるが、端的に言って「数人の客が発する、ただうるさいだけの、単なる騒音(妨害音声発生行為)」であり、周囲の客にとっては迷惑以外の何物でもない。前奏や間奏は楽曲の一部なのだ。そこに、楽曲とは全く関係ない怒鳴り声を被せる行為は、音楽を無視した行為、音楽に対する破壊行為であり、少なくともしょこたんのコンサートで許される行為ではない。

 これに対し、ベリーズ(Berryz工房)のコンサートにおいて、『スッペシャル ジェネレ~ション』の前奏で客が「ス! ペ! スッペッシャッル ジェネレ~ショ~ン!」と叫ぶことは、許容されると思う。この「ス! ペ! スッペッシャッル…」は曲に元々入っているコーラス(音源に入っている音声)であり、客はそれに合わせて叫んでいるからである。
 このように、ある意味「客がコーラスに参加する」と言える場合は、一定の範囲において許されるのではないかと思う(ステージ上で歌手が生でコーラスを行っている場合は、この許容範囲が最小レベルまで狭まる)。

 ただし、その場合でも客は乱暴に「大声を張り上げる(怒鳴り声を上げる)」のではなく、ほどほどの音量に留めるべきだ。そして、出来るだけキレイな声を出すように努力するべきである。私も「しょうこー!」とコールする場合はそうしているし、自分の声が濁っている(荒れている)と感じたときは、すぐにコールを止めるようにしている。
 例えタイミングとしてはOKでも、声そのものが耳障りであったら、やはり他人にとってそれは不愉快であり、迷惑なのである。

                                《 続く 》

コンサート、ライブにおけるマナーに関して(その7)

コンサート、ライブにおけるマナーに関して(その7)


                   コンサートの定義

 異なる集団同士に共通の認識基盤が存在しないのであれば、両者にまたがるマナーなど幻想である。ここで、もう一度、理性の観点に戻ってみよう。コンサートを定義し、その「定義の違い」を認識するところから始めるのだ。

 欲求はコントロール出来なくても、定義はコントロールできる。欲求そのものはコントロール出来なくても、定義という枠に入れることでコントロールが可能になるのだ。

 例えば、食欲そのものはコントロール出来ない場合でも、それを摂取カロリーという定義に収めれば、コントロールが可能になったりする。
 コンサートもそれと同じで、定義することがコントロールへの可能性を開く。
 あるいはそれは、自分自身を定義することの一部なのかも知れない。


             コンサートの定義から導かれるマナー

 金を払ってチケットを買い、コンサートに脚を運ぶ。
 私がそうする理由は、プロのアーティストから、“ステージ上のパフォーマンス”(以下、“パフォーマンス”と記す)というサービスを受けるためである。“パフォーマンス”とは、生歌だったりダンスだったり、あるいは笑顔だったりする。

 私が定義する「プロのコンサート」とは、

「アーティストが全ての観客に対し、“パフォーマンス”というサービスを提供する催し」
(あるいは
「観客が支払ったチケット代金の対価として、アーティストが芸を披露する催し」)

という、ごく一般的なものである。
 観客は、チケットを買ってコンサートに来た以上、アーティストから“パフォーマンス”というサービスを受ける権利がある。観客は、「そういった権利を買っている」とも言える。
 そういう観客全てに対し、アーティストは“パフォーマンス”というサービスを提供する義務がある。アーティストは、チケットを買った観客と、「そういった契約を交わしている」とも言える。

 当たり前のことであるが、
「アーティストの歌声を聞く(演奏される楽器の音を聴く)、アーティストの姿(動き)を見る」
ことは、チケットを買ってコンサートに来た観客の全員に保障された権利であり、何人たりともこの権利を侵害してはならないのだ。

 “声を出し続けるPPPH”などの、「歌手の歌声を聴くことの妨げとなる行為」は、当然ながら「歌手の歌声を聴く権利」を侵害するものである。一般的なコンサートでは、マナー違反となり、禁止行為と定義されるのが当然である。

 例外的に“声を出し続けるPPPH”が許されるコンサートがあるとしたら、それは次のようなコンサートだろう。

(1)歌手がコンサートで生歌を歌っておらず、機械的に再生された音源に合わせてクチパクを行っていることが、チケット購入時に公式に明示されている場合
(2)歌手は生歌を歌っているものの、下手くそであり、圧倒的多数の客にとって聴くに値しないことが明らかな場合
(3)コンサートにおいて“声を出し続けるPPPH”が許されることが、チケット購入時に公式に明示されている場合

 うちわ・サイリウムの束・スケッチブックを高く掲げるなどの、「歌手の姿を見ることの妨げとなる行為」についても、同様である。

 コンサートでは、「アーティストの“パフォーマンス”が全ての客に行き届くこと」を、何よりも優先させなければならない。
 それが達成され、維持されている状態で、初めて次のステップに進むことが出来る。
客が「ライブを盛り上げよう」とか、「アーティストを喜ばせよう」とか考えるのは、二の次なのである。

 「ライブを盛り上げよう」として、「アーティストの“パフォーマンス”が全ての客に行き届かなくなる」などといったことは、絶対にあってはならない。

 そしてこれは、全然難しいことではないのだ。

                            《 続く 》

コンサート、ライブにおけるマナーに関して(その6)

コンサート、ライブにおけるマナーに関して(その6)


     “ハイ”になるスイッチを入れる手段としてのコンサート

 今度はもう一度、(比較2)について触れてみよう。
 
(比較2)自分が客席で身体を動かすことと、ステージ上のアーティストの姿を見ることの、どちらが重要なのか

  (A2)ステージ上のアーティストの姿を見ることの方が重要
  (B2)自分が客席で身体を動かすことの方が重要
  (C2)そのどちらでもなく、自分がアーティストからレスをもらう
      ことの方が重要


 さて、コンサート中、観客が客席でジャンプすることがある。
 ジャンプを行う観客は、(B2)であると言えるのだろうか。
 それは、その観客の状態で決まる。

 夢中になってピョンピョン飛び跳ねている観客は、(B2)。
 もう少し詳しく言うと、我を忘れるほど興奮し、連続してジャンプして、それで我に返らない観客は(B2)。
 こういう観客は
「ステージ上のアーティストの姿を見ている楽しみ」
よりも、
「自分が飛び跳ねていることの楽しみ」
が上回っている状態にある。自分では意識していない場合も多いだろうが、この状態では既に
「ステージ上のアーティストの存在」
は重要ではなく、
「自分がジャンプしていることの快感」
を貪っているにすぎない。言うなれば“ジャンピング・ハイ”の状態である。

 コンサート中、我を忘れて興奮するという経験は、多くの人が有しているだろう。しかし、その興奮には2種類あるのだ。即ち、

(興奮1)…「アーティストを観ている快感による興奮」
(興奮2)…「(興奮1)で“スイッチ”が入った結果、別の興奮状態に推移し、それが(興奮1)に取って代わる」

である。
 (B2)である観客のジャンプ行為の場合、最初は「アーティストを観ていることによる興奮」によってジャンプを始めるが、興奮が一定のレベルを超えて「スイッチが入った」状態(ジャンピング・ハイ)になると、もう「ジャンプしていること自体が快感」となり、「アーティストが見えているかどうか」は問題ではなくなるのだ。

 つまり、一度このスイッチが入ると、アーティストの存在は重要ではなくなるので、その観客はアーティストを無視した行動を取るようになる。しかし、この状態は「アーティストを観ていることによる興奮」から導入されているので、自分ではアーティストを無視した行動を取っているという自覚が出にくい。

 そして問題となるのは、この「スイッチ」の入り易さである。
 多くの場合、この「スイッチ」は、だんだん入り易くなると思われる。
 コンサートの(あるいは楽曲の)早い段階でこの「スイッチ」が入るようになればなるほど、アーティストの存在する必要性が低くなる。つまり、アーティストを無視した行動が、徐々にエスカレートしていく。

 こうして、「アーティストのパフォーマンスを鑑賞する」ためではなく、「自分が騒ぐ」ためにコンサート会場に来る客が発生する。
 ちなみに、こうした客はボクシングの会場にも存在する。ボクサーのタイプ、戦術、技術的あるいは精神的な攻防、試合内容の優劣といったものを全て無視し、ただ人間が殴り合っている様子を見て騒ぎただけの輩が。

 では、(A2)タイプの客が、我を忘れて興奮すると、どうなるのか?
 いわゆる「縦ノリ」とか「縦揺れ」と呼ばれる状態となるのだ。
 つまり、身体を小刻みに上下させるが、ジャンプには至らない動きである。
 私の経験では、 → こんな状態 だった。
 決して、ピョンピョン跳ね続けたりはしない。そんなことをしたら、視界が大きく上下に揺れて、ステージ上のアーティストの姿が観辛くなってしまうからだ。(ボンブラのライブでPV撮影があった際、演出に協力する意味で連続ジャンプをした経験があるので分かる)

                                   《 続く 》

コンサート、ライブにおけるマナーに関して(その5)

コンサート、ライブにおけるマナーに関して(その5)


         何を楽しみにコンサート会場に来ているのか

 ここでもう一度、“常に声を出し続けるPPPH”を例にしてみよう。
 (A)タイプは、楽曲をきいたとき、先ず歌詞やメロディの良し悪しを考えたり感じたりして楽しむ。そして、何度か聴いているうちに「この曲はコンサート向きの曲(コンサートで盛り上り易い曲)だな」と思ったりする。

 しかし、(B)タイプはそうではない。楽曲を聴いたとき、先ず最初に
「ここからここまで、PPPHを入れることが出来る」
「ここに○○というコールを入れることが出来る」
ということを想像し、それを楽しみとするのだ。

 逆に言えば、PPPHやコールを入れることが出来ない楽曲は、基本的には楽しめないということになる。楽曲の価値は、
「どれだけ気持ちよくPPPHを入れられるか否か」
「どれだけ気持ちよくコールを入れられるタイミング(構造)が有るか否か」
にかかってくるのだ。
 この時点で既に、本人には自覚はなくても、楽曲を「PPPHやコールを入れるための素材」と見做しているのである。

 だから(B)タイプは、コンサートに行っても「楽曲を聴くこと自体が楽しい」のではなく、「歌にPPPHを入れたりコールを入れたりする、自分の行為自体が楽しい」のだ。
 これが進行すると、コンサート全体が「自分が騒ぐための手段」となる。
 このように、「騒ぐことを楽しみにしてコンサート会場に来ている」のが(B)タイプである。
 だから、騒ぐことが禁止されたら、(B)タイプはコンサート会場には来なくなるだろう。

 「レスを貰うことを楽しみににしてコンサート会場に来ている」のが(C)タイプである。
 「レスを貰うことは禁止」ということは有り得ない。何故なら、「レスを貰うこと」は、基本的には個人の内部で自己完結する認識行為であるからだ。
 よって、騒ぐことが禁止されても、そこにアイドルが存在して「レスが貰える」限り、(C)タイプにとってコンサート会場に行く価値は不動である。

 (A)タイプは、「騒ぐことでもなく、レスを貰うことでもなく、アーティストのパフォーマンスを鑑賞すること自体を楽しみにしてコンサート会場に来ている」。だから、騒ぐことが禁止されても、コンサート会場に来る。クラシックコンサートでは、最初からそれが当然である。

 このように、「何を重要視しているのか」という理性は、「何を楽しみにしているのか」という欲望の投影でもある。
 最終的にマナーの問題というのは、観客が「何を楽しみにコンサート会場に来ているのか」という根源的欲求の違いに行き着く。(A)、(B)、(C)タイプの観客のいずれも、マナーとはこの自分の欲求を満たすためのガイドラインであると考えるのである。

 欲求の立脚点の異なる者同士が、それに基づくガイドラインを共有することは難しい。
 更に突き詰めると、自分の欲求の立脚点が何処なのかを正確に自覚していない者は、ガイドラインという概念、即ちマナー意識を持つことすら困難である。何故なら、「自覚、即ち自分を意識できないものが、他人の意識を認識できるわけがない」からである。

                                   《 続く 》

コンサート、ライブにおけるマナーに関して(その4)

コンサート、ライブにおけるマナーに関して(その4)


 「何を重要視するのか」にはもう1つ別のタイプがある。
 「レスを貰うことを重要視する」タイプだ。

 「レスを貰う」とは、「ステージ上のアーティストが、大勢いる観客の1人に過ぎない自分を特定して注目し、何らかの反応を示してくれる」状態を指す。例えば、「ステージ上のアーティストに対し、自分が客席から手を振ったら、アーティストが自分だけに注目して手を振ってくれた」と思える状態が発生した場合、「レスを貰えた」ことになる。
 このタイプを、先ほどの比較の中に追加してみよう。

(比較1)自分が大声を出すことと、歌手の歌を聴くことの、どちらが重要なのか

  (A1)歌手の歌声を聴くことの方が重要
  (B1)自分が大声を出すことの方が重要
   (C1)そのどちらでもなく、自分がアーティストからレスをもらう
      ことの方が重要



(比較2)自分が客席で身体を動かすことと、ステージ上のアーティストの姿を見ることの、どちらが重要なのか

  (A2)ステージ上のアーティストの姿を見ることの方が重要
  (B2)自分が客席で身体を動かすことの方が重要
  (C2)そのどちらでもなく、自分がアーティストからレスをもらう
      ことの方が重要


 (C)タイプの客が大声を出し続けてPPPHしていようが、激しく踊っていようが、それはPPPHが楽しいからでもなければ踊りが楽しいからでもない。どちらも、「レスを貰う」ための手段に過ぎないのだ。
 客席で騒ぐのが楽しいから騒いでいるのではなく、飽くまでも、レスを貰いたいがために騒いでいるのである。もし、「直立不動で歌を聴いているとレスを貰える」ことが分かれば、直ちに騒ぐのを止めて直立不動になることを選ぶのが(C)タイプなのだ。

 これに対し、(B)タイプは、単純に「騒ぐのが楽しいから騒いでいる」のであり、突き詰めればステージ上にいるアーティストの存在は、「自分が騒ぐための方便(都合の良い手段)」に過ぎない。
 (B)タイプは程度の差こそあれ、そういうゴールに向かうレールの上の乗ったトロッコのようなものだ。自分でも気付かないうちに、「ステージ上のアーティストこそが主役」という立場から、「ステージ上のアーティストは、自分が楽しく騒ぐための舞台演出装置の一部」という立場へと移行していく。

                                   《 続く 》

コンサート、ライブにおけるマナーに関して(その3)

コンサート、ライブにおけるマナーに関して(その3)


      結局、マナーとは「何を重要視するのか」ということ


(比較1)自分が大声を出すことと、歌手の歌を聴くことの、どちらが重要なのか

  (A1)歌手の歌声を聴くことの方が重要
  (B1)自分が大声を出すことの方が重要


(比較2)自分が客席で身体を動かすことと、ステージ上のアーティストの姿を見ることの、どちらが重要なのか

  (A2)ステージ上のアーティストの姿を見ることの方が重要
  (B2)自分が客席で身体を動かすことの方が重要


 (A1)と(B1)がハッキリと分けられることは、誰もが納得するだろう。
 例えば、しょこたんが歌を歌っているときに、自分自身が大声で
「しょーこたん、ヲイ!(オイ!)」
を連呼すれば、しょこたんの歌声がちゃんと聴こえるわけがない。しょこたんの歌を聴くことよりも、自分が大声を出すことを重要視している証拠である。

 こういう行動を取る観客とって、歌手の歌とは「自分が大声を出す部分」がメインであり、それ以外のパートは「自分が大声を出すまでの待機時間」なのだ。
 自分が大声を出せない間は、歌手の歌を鑑賞しているというよりも、「次に自分が大声を出せるタイミングを、今か今かと待っている」のである。(B1)タイプにとっては、そちらの方が重要なことなのだ。

 ここで問題になるのは、大声を出している本人だけでなく、その隣にいる客も、この大声によってしょこたんの歌声が聴こえなくなる(聴き取りにくくなる)ということである。
 (A)タイプの客にとっては、歌手の歌声を聞くことの方が重要であるため、ずっと声を出し続けるPPPH」のように、歌手の歌声に客が大声を被せる行為は、迷惑行為以外の何物でもない。

 このように、マナーの問題というのは、結局は観客本人が「何を重要視するのか」の違いに帰結するのである。

 一方、(A2)と(B2)に関しては、明確に分離することには無理があると考える向きもあるかもしれない。しかし、それは錯覚である。両者は明確に分けられる。

 まず、
「前列の客が背が高いため、客席で自分が体を動かさないと、ステージ上のアーティストの姿を見ることが出来ない」
という場合は、当然ながら(A2)タイプである。

 次に、
「ステージ上のアーティストの姿を見ることが重要と考えているが、客席で自分の体を動かしている」
という場合は、ほとんどが(A2)ダイプである。これは、
「ステージ上のアーティストの姿を見ることに支障が出ない範囲で、客席で自分の体を動かしている」
という意味である。これに対して、
「ステージ上のアーティストの姿を見ることに支障が出る動きを行っている」
いる観客は、全て(B2)タイプである。

 本人にその自覚が無い場合も多いと思われるが、そういう行動を取っている以上、無意識のうちに
「ステージ上のアーティストの姿を見ることよりも、客席で自分の体を動かすことの方が重要」
という優先順位を設定しているのだ。
 このように、(B2)タイプには、
「自分が客席で動くことにより、自分自身がステージ上のアーティストの姿を見ることに支障をきたしている」
こと自体を自覚していない場合が多い。この点に関しては、後でもう一度触れる。

                                   《 続く 》

コンサート、ライブにおけるマナーに関して(その2)

コンサート、ライブにおけるマナーに関して(その2)

        本末転倒(主客転倒)すれば、マナーも転倒する


 普通に考えれば、

(B1)自分が大声を出したことで、歌手本人の歌声が聴き取り難くなってしまう。

というのは、本末転倒である。同様に、

(B2)自分が激しく上体を動かす(ジャンプ含む)ことで、ステージ上のアーティストの姿を見ること
    が困難になる。

ということも、やはり本末転倒であり、文字通りの主客転倒だと言える。
 だから、普通は、原則として

(A1)自分が大声を出す場合は、歌手本人の声に被らないように(邪魔しないように)する。

(A2)自分が身体を動かす場合は、ステージ上のアーティストの姿を見ることに支障が生じない
   程度に抑える。

となるように行動するのである。

 しかし、(B1)や(B2)の行動を取る観客も、一部のコンサート会場では実在している。
 (B1)の代表例は、“常に声を出し続けるPPPH”である。

 本来、PPPHというのは「パン(P)、パパン(PP)」と手拍子を打ち、「ヒュー(H)」でジャンプをするという行為である(「ヒュー」以外では、全く声を出さない)。私は18年ぐらい前、のりピーこと酒井法子のコンサートで実際にこれを見ている。
 そして現在でも、しょこたんのコンサートでのPPPHはこれが主流である。(「ヒュー」の発声は無い場合が多い)

 これに対し、“常に声を出し続けるPPPH”とは、PPPHの間ずっと「しょーこたん、ヲイ!(オイ!)」等と大声で連呼し続けるというもの。(「ヒュー」のタイミングで「ヲイ!」と叫ぶ)
 ちなみに、しょこたんこと中川翔子のコンサートでこれを行っている客は非常に少なく、全体の1%から5%といったところだと思う。(それ故、やっている客は全体の中で浮いた存在となる)

 一方、ハロプロのコンサートでは、アーティストやセットリストによって程度の差が生じるだろうが、“常に声を出し続けるPPPH”は珍しい存在ではない。もちろん客の全てが行うわけではなく、多くても半数といったところではないかと思う。

 (B2)は、一般的には「PPPH以外でジャンプする行為」が最も多いケースだと思われる。
 こういった客の振る舞いを「行動と認識」に分けて改めて比較すると、以下のようになる。

(比較1)自分が大声を出すことと、歌手の歌を聴くことの、どちらが重要なのか

  (A1)歌手の歌声を聴くことの方が重要
  (B1)自分が大声を出すことの方が重要



(比較2)自分が客席で身体を動かすことと、ステージ上のアーティストの姿を見ることの、どちらが重要なのか

  (A2)ステージ上のアーティストの姿を見ることの方が重要
  (B2)自分が客席で身体を動かすことの方が重要


 もちろん、「0対100で(B2)である」という極端な人はいないだろう。
 しかし、「完全に50.0 対 50.0なので、どちらにも振り分けられない」という人もまた、いない筈である。
 「49.9 対 50.1でもいいから、自分がどちらのタイプなのか選べ」と言われたら…

 さて、あなたはどちらのタイプだろうか?
                                   《 続く 》

コンサート、ライブにおけるマナーに関して(その1)

コンサート、ライブにおけるマナーに関して(その1)


             マナーの比較から見えてくること

 コンサートやライブにおけるマナーと、映画館におけるマナーには共通する部分がある。
 携帯電話が普及する過程で、一時期、映画館における鑑賞マナーが低下したことがあった。

(1)映画の上映中であるにもかかわらず、携帯電話で通話を行う。

 ほとんどが、上映中にかかってきた電話に出て喋り始めるというパターンだと思われる。本人は小声で喋っているつもりだろうが、周囲には丸聞こえであり、鬱陶しくてもう大迷惑である。

(2)映画の上映中であるにもかかわらず、携帯電話の画面操作を行う。

 ほとんどが、上映中に入った着信の確認をしていると思われる。本人は音を出していないので問題ないと思っているようだが、携帯の画面の発光は想像以上に強力なのだ。左右や後ろ(かなり後方までを含む)の席の客には画面の発光が見えてしまい、広い範囲の客にとって目障り・迷惑となる。

 このような鑑賞マナーの低下に対し、映画館側(または映画会社)は対応を行った。作品の上映に先立って流される“鑑賞マナー周知フィルム”の中で、「上映前に携帯電話の電源を切っておく」ように訴えたのだ。
 その結果、今日では(1)や(2)のようなマナー違反者をほとんど見かけなくなった。映画館における鑑賞マナーは、ほぼ回復したと言って良いと思う。

 もし、映画館側がマナー低下を放置し、回復のための対応を取らなかったら、どうなっていただろうか?
「上映中に、他の客が携帯電話で通話をするのが嫌だというヤツは、映画館には来るな。家でDVDを観ていろ」
とか、
「上映中に、他の客が使う携帯電話の画面の発光が気になるような神経質なヤツは、映画館には来るな。家でDVDを観ていろ」
とか言い出す輩が徐々に増えていたかも知れない。
 万一そうなってしまったら、それを元に戻すのは困難であろう。

 実際、一部のコンサートやライブにおいては、最近でも
「公演中に他の客が○○するのが嫌だというヤツは、コンサート会場に来るな。家でCDを聴いていろ(DVDを観ていろ)」
という意識を持っているとしか思えない客が、それなりにいる。
 この差は、どこから生じたのだろうか?
 既に述べた主催者側の対応以外にも、もう1つ理由がある。それは、客の目的意識の違いだ。

 映画館に来る客は、映画を鑑賞することを最大の目的としている者が圧倒的多数を占めている。中には「とにかく座って時間を潰す」とか「座席で眠る」とか「暗闇で恋人と隣同士になる」ことを最大の目的にしている客もいるだろうが、少なくとも「上映中に携帯電話(またはそれ以外の何らかのアイテム)を使うこと」を最大の目的にしている客は皆無だろう。「上映中に騒ぐこと」を目的にしている客も、まずいないと思って間違いない。

 ところが、一部のコンサートやライブにおいては、必ずしもこのような捉え方が出来ない。
 普通に考えれば、映画同様、
「コンサートやライブに来る客は、アーティスト(歌手・ダンサー・演奏者)のパフォーマンスを鑑賞、即ち観たり聴いたりすることを最大の目的としている」
ということになる。
 しかし、そうではなく
「会場で、自分が騒ぐ(大声を出したりジャンプするなど)ことを最大の目的とし、そのためにはアーティストのパフォーマンスの鑑賞に障害が出ても構わない」
と考えている客が、消費税率以上の割合で存在し、無視できないことがあるのだ。

                                   《 続く 》

ボンブラのライブの際、俺はどの客位置へ向かえばいいんだろう?

ボンブラのライブの際、俺はどの客位置へ向かえばいいんだろう?


 ボンブラ(BON-BON BLANCO)のアンナ(SANTOS ANNA)が、ソロとしてAnna名義で出す2枚目のシングル『kissの行方』について何か新しい情報でもないかなと思ってちょっと検索をしたら、1枚目のシングル『ラッキーチューン』に関する記事が見つかった。

 産経ニュースのエンタメのコーナー
“アニメキャラになりきったよ!Annaが5・28ソロデビュー”

 要チェックなのが、「このニュースの写真」として掲載されている写真である。これが、1枚目を除いて全てボンブラの写真なのだ。私にとって初めて見る写真が何枚もあるので、これは有り難い。画質は余り良くないが、拡大バージョンを見ることも出来る。
 特に4枚目の写真は、ボンブラのメンバーがFolder5(5人編成の女性歌手グループで、既に解散している)が着ていたのと良く似た衣装を着ているので、Folder5のファンだった私としては感慨深いと言うか何と言うか…

 これらの写真を見ると、現在のメンバーのイメージカラーは、必ずしも過去から一貫されてきたものではないことが分かる。逆の見方をすれば、イズミ(IZUMI)が紫で、ルリ(RURI)が青という組み合わせは固定されてきたのかも知れない。

 イズミは紫固定なのか…やっぱりイズミはゲキバイオレットだったんだなぁ(その意味は → こちら

 私は、ここで、ふと気が付いた。
 私はボンブラの中ではコンガ担当のイズミをイチ推しにしており、ライブやイベントのときは極力イズミの前、即ち向かって左側の客位置を取るようにしていた。
 しかし、イズミはボンブラを脱退した。残っているメンバーの中で、新しくイチ推ししようと意識しているメンバーは、今のところいない。

 今度ボンブラのライブやイベントに行くときは、私はどのメンバーの前に行けば良いのだろうか?
 最も自然なのは、もともとボンゴを担当しており、イズミ脱退後はコンガを兼任することになったルリの前に行くことだとは思う。しかし、メンバー最年少で未だ10代のルリの前に行くのは、正直ちょっと恥ずかしい。
 アンナの前に行くということは、客位置のセンターに立つということになり、ライブではリスクを伴う。
 そうすると、残るは“ルリじゃないほうのサイド”ということになる。
 つまり、マコ(MAKO)の前か、トモヨ(TOMOYO)の前、あるいはその中間か。

 新しいコンガ担当、例えば元美勇伝のみーよ(三好絵梨香)が加入したら、その前を定位置にするんだけどなぁ。やっぱりボンブラは5人編成で、コンガ担当(専任)がいないとね…。

 私以外にも、イズミをイチ推しにしていたボンブラファンはいた筈である。彼らは、このことに関して、どういう答を出しているのだろうか…?

理想のアイドル、理想の歌手

理想のアイドル、理想の歌手


 しょこたん(中川翔子)は、特撮ファンにとって、“理想のアイドル(理想の歌手)”としての要素を有している。しょこたんは戦隊モノ以外の特撮に関しては大して詳しくないが、逆に言えば戦隊モノに関しての拘りはシッカリしているのだ。
「『オーレンジャー』は、ロボを出し過ぎだから嫌い」
であるとか、
「昭和の戦隊が好き」という理由が「レッドが、“頼れるレッド”だから」
のようであるところも、共感が持てる。

 ある戦隊に関しては、しょこたんは変身ポーズをも体得している。
「ビデオをコマ送りにして何度も真似して覚えた」
とのことで、一般の特撮ファンと、やっていることが同じである。
 最近は、昔買えなかった戦隊玩具を、いわゆる“大人買い”しているようだ。イケメン目当てで特撮番組を観ているような女性とは、全く次元が違っている。

 しょこたんは、本物である。
 しょこたんは、本物の戦隊ファンであり、広い意味での特撮ファンなのだ。

 私がしょこたんのファンになった理由は、それとは別にあるのだけれども(それに関する記事は → こちら)、好きな歌手が戦隊ファンであるということは非常に嬉しい。
 しかし、それでも私は、しょこたんが女性であることに一抹の寂しさを禁じえないのだ。

 それは、5月のコンサートツアーで、しょこたんがアニソンメドレーを歌ったときのこと。当然と言えば当然であるが、メドレーに入っているアニソンは、主に女性向けアニメのものだった。
 私はある時期までアニメ全般のファンだったので、そのメドレーに入っていた作品も1つを除いて全て知っており、歌もカラオケで普通に歌えるほどだったのだが…
 やはりそこは“女性の世界”。
 アニソンメドレーが始まった瞬間、コンサート会場は、観客の約半数を占める女性ファン達の黄色い歓声によって、完全に占拠されたのである。

 自分が男性であるゆえの疎外感。
 …と言うよりむしろ、しょこたんが女性であるがゆえの限界を感じ取ってしまった。

 仮に、しょこたんが『マジンガーZ』や『ゲッターロボ』といったスーパーロボットのアニソンメドレーを歌ってくれたとしても、男性ファンはあんな風には熱狂できない。何故なら、しょこたんは女性であり、『マジンガーZ』や『ゲッターロボ』といったスーパーロボットの主題歌を、オリジナル歌手のように歌うことは出来ないからだ。
 『ゲッターロボ』の主題歌は、男の歌であり、男の世界なのだ。如何にしょこたんが『ゲッターロボ』の主題歌を熱唱したとしても、私の胸のエンジンに火がつくことはない。

 これは、ほとんどの特撮作品に関しても同様である。
「俺たち男さ~」
と言った歌詞をしょこたんが歌っても、違和感しか残らない。しょこたんがプロの歌手として特撮ソングを歌うことは、基本的には不可能なのだ。(女性歌手が特撮ソングを歌っている例はあるが、余りにも少ない)

 だから私は思った。
「しょこたんの男性版みたいな若い歌手が、いてくれたらなぁ」

 しょこたんと共に、新しいアニソン(特撮ソング)四天王の一角を成す、そんな若い男性歌手。
 単に特撮ソングを歌うだけではなく、子供の頃からほとんど“卒業”することなく特撮作品を観続けている、本物かつ現役バリバリの特撮ファン。
 この際、平成生まれの若手でどうだ。しょこたんを姉貴分として慕う、平成生まれの若きアニソン(特撮ソング)王子。
 当然、イケメンでスタイルが良く、身長も高い。185cmは欲しいところ。しょこたん同様、コスプレイヤーでもある…

 実はこれ、最近の私の“お気に入りの空想”である。
 この空想は、単にキャラ設定だけではなく「どんなコンサートをするのか」といった具合に、どんどん膨らんでゆくのだ…

『隠し砦の三悪人』

『隠し砦の三悪人』
                  2008年の映画館で観た映画:14本目
                  映画を観た日:2008年6月1日(日)


 1月に観た『椿三十郎』は面白かった。それと同様の黒沢映画のリメイクだし、監督は樋口真嗣だし、これは期待できると思って劇場に脚を運んだのだが、裏切られてしまった。
 まるで、ハリウッド映画の廉価版を観させられたような印象。邦画としては金がかかっている方だと思うのだが、とにかく安っぽくてリアリティがない。

 黒沢映画の『隠し砦の三悪人』を未見だったので、DVDを買って観てみた。
 確かに、『椿三十郎』ほど面白くはない。しかし、リメイク版が期待ハズレな出来となった理由は、それではない。

 『隠し砦の三悪人』のリメイク版が面白くない理由は、『戦国自衛隊』のリメイク版が面白くない理由と基本的には同じである。
 スケールを広げすぎるからリアリティがなくなり、あれもこれもと取り入れ過ぎるから面白くなくなるのだ。

 これは樋口監督の真意だったのかどうかは分からないが、“たけぞう”に二枚目俳優をキャスティングして、雪姫とのラブストーリーを仕立て上げたのは大失敗だったと思う。
 とんねるずのような凸凹コンビ型のお笑い芸人コンビを使って、黒沢版に近い“二悪人”にするべきだったのだ。

 悪い意味で大衆に迎合した、レベルの低い娯楽映画である。
 松本潤ファンおよび、『戦国自衛隊』のリメイク版が内容的に面白かったという人以外にはお勧めできない。
 長澤まさみも、全然パッとしなかったなぁ。

『NEXT』

『NEXT』
          2008年の映画館で観た映画:13本目
          映画を観た日:2008年5月17日(土)


 SF映画の原作を数多く提供しているにも関わらず、日本ではいつまでたってもポスターにその名前が載らない、フィリップ・K・ディック。

 もちろん、日本でもSFファンにはお馴染みなのだが、一般に対しては

『ブレードランナー』の原作者
『トータル・リコール』の原作者

というように、「○○の原作者」という紹介のされ方が続いている。本作に関しても、そう。
 もういい加減、“フィリップ・K・ディック”あるいは“P・K・ディック”という名前で紹介されても良いと思うのだが。

 そのディックの短編『ゴールデン・マン』が、この映画の原作である。実は私は未読なのだが、随分以前に発売された短編集のタイトルになってる。
 映画化されたディックの作品は、代表作ではないものも多い。また短編が映画化されれば、原作に忠実な内容にはなりにくい。たまにディックらしい短編(『変種第2号』)が忠実に映画化されると『スクリーマーズ』みたいなマイナー映画になったりする(『ロボコップ』のピーター・ウェーラー主演だったのになぁ)。
 そういう中では、『NEXT』 は“ディック原作”映画として比較的まともな方だと言えるのではないか。

 最近、ディックを読んでいない。
 読まんといかんな、SFファンとして。

『少林少女』

『少林少女』
              2008年の映画館で観た映画:12本目
              映画を観た日:2008年5月6日(火)


 映画としては完全に失敗作だが、個人的には楽しめた。DVDが発売されたら買うつもりである。

 失敗しているというのは、作品の中で描かれている二つのストーリー(ドラマ)がほとんど交わっておらず、それぞれが別々に進行していった挙句、そのうち一方が物語の途中で明確に終わってしまったからである。こんな酷い作りの作品は、他には『クライシス2050』(映画)やテコ入れ前の『仮面ライダー響鬼』(TVドラマ)くらいしか思い浮かばない。

 作品の中で二つの話が同時進行しており、そのうち一方が作品の途中で事実上終わってしまうということ自体は、珍しくない。例えば『ダイ・ハード』の1作目も、犯人グループが金庫破りに成功した時点で、実は話の1つが終わっている。『エアフォース・ワン』などは、それがもっと顕著である。
 しかし、これらの場合、1つの話が終わった瞬間、残ったもう1つの話がその瞬間の状況ごと物語の全てを引き継ぐので、「作品が途中で途切れた」という印象を与えない。作り手として、1本の映画をそういう構造にするのは当然だろう。

 ところが、『少林少女』はそうなっていない。もともとリンクしていない話の片方が、物語の途中で明らかに終わってしまうものだから、「映画の流れが半分になった」という実態をまざまざと見せ付けてしまうのだ。

映画開始 話1 →→→→→→→→→→→→→→→→→→→→(終) 映画終
       話2 →→→→→→→→→→(終)

という感じである。

 それでも私がこの映画を気に入ったのは、端的に言って女優の魅力にある。
 『日本沈没』や『どろろ』では全く機能していなかった柴咲コウの魅力が、この映画には溢れている。アクションシーンも良いし、腰を落として構える姿も非常に美しい。

 脇を固める女優陣も、特撮ファンには嬉しい布陣となっている。
 『ボウケンジャー』の山崎真美、『響鬼』の蒲生麻由、『セーラームーン』の沢井美優、『キバ』の柳沢ナナ、『ウルトラマンマックス』の満島ひかり。なんとも豪華である。
 この中でも、体格に優る山崎真美は見栄えがした。彼女が主演の、メジャーなアクション映画を観てみたいものだ。
 おっと、忘れてはいけない、キティ・チャンも美人だった。

 そんなわけで、もうストーリーなんかどうでもいいから、女優のビジュアルとアクションをもう一度観たくなる。この映画は、そーゆー映画なのだ。

『紀元前1万年』

『紀元前1万年』
  2008年の映画館で観た映画:11本目
  映画を観た日:2008年5月6日(火)


 「占い師の予言」とか「部族に伝わる伝説」などの舞台背景は、典型的な英雄物語のそれである。にも関わらず、周囲から英雄として祭り上げられる主人公は、英雄らしからぬ普通の若者。
 このように、状況設定とキャラクター設定をわざとズラしているパターンは、日本の漫画やアニメではよく見かける手法だが、ハリウッド映画では今でも珍しい部類に入るのではないか。

 念のために書くが、『スーパーマン』のように、「世を忍ぶ仮の姿は冴えない男性、しかしその本当の姿は…」というパターンではない。本当に実力的には普通の青年で、マンモスを倒したのも単なる偶然という、陰日向のないキャラクターなのだ。
 そんな青年が、いつしか大勢の仲間に支えられて、本物の英雄になっていく。

 紀元前1万年を舞台にしているだけあって、作品にキリスト教的な宗教観がない(むしろ今日的なキリスト教を否定しているようにも感じられる)ので、日本人として違和感なく観ることができた。
 傑作というわけではないが、映像的なスケールの大きさもあり、観て損はない作品である。

『スピード レーサー』

『スピード レーサー』
                     2008年の映画館で観た映画:16本目
                     映画を観た日:2008年7月12日(土)


 今年観た映画の中で、現時点のナンバーワン。映画館を出た後、「もう一度、映画館で観たい」と思ったのは久し振りである。正直、こんなに素晴らしい出来だとは予想していなかった。もっと早く、封切初日にでも観に行っておけば良かった。

 『マッハGoGoGo』に少しでも思い入れのある人なら、絶対に観に行くべきだ。
 そして、『マッハGoGoGo』を全く知らなくても、レーシングカーが好きな人は、極力観に行くべきだ。

 そして、ミニ四駆に夢中になった経験を持つ人は、無条件で観に行くべきだ。
 最初のミニ四駆ブームの担い手たちは既に30代になり、第二次ブームの世代も20代になっていると思われるが、この映画を観て一番熱くなれるのは彼らなのではないか? 何故なら、レースの映像が、良い意味で非常に“ミニ四駆”っぽいのだ。

 子供の頃に再放送で『マッハGoGoGo』を観た世代として、自信を持って語れるのは、マッハ号のデザイン、効果音、そして音楽の素晴らしさだ。
 効果音と音楽は、原作のイメージに忠実である。オートジャッキが作動するときの「ピキュンピュンピュン…」という効果音は、ほとんど原作通りで嬉しい限り。てっきり「バシュッ」「ガシャンッ」といった低音系の機械作動音に差し替えられると思っていたのだが、流石ウォシャウスキー兄弟である。

 主題歌『Go Speed Racer Go』は、曲はオリジナルと同じで、歌詞は英語だがノリは日本語と同じ。曲の終わりの部分
「Go Speed Racer(ゴゥスピレッサ)Go Speed Racer(ゴゥスピレッサ)Go Speed Racer Go(ゴゥスピレッサーゴゥオー)」
は、思わず口遊んでしまいたくなるノリの良さ。
 BGMにもこの部分のメロディラインが随所で生かされており、心地良い。作品に凄く馴染んでいる。

 マッハ号は、この映画に基本的には3種類のデザインで登場するが、その登場のさせ方が絶妙である。
 最初に登場するタイプは、外見が原作に最も近い。逆に言えば、最も非現実的で、やや玩具っぽい。ただし、ギミックはオートジャッキのみ(この機能はマッハ号以外のマシンも有しており、この映画の中では標準装備的なもの)となっている。
 ここでは、主人公の兄が駆る“赤いマッハ号”も登場する。これが、かなりカッコイイのだ。

 次に登場するマッハ号は、ボディ先端の三叉の切れ込みが浅くなっており、より現実的な外見になっている。その代わり、機能は原作と同レベルのフル装備。原作通りの機能もあれば、映画独自の機能、原作からより強化された機能もあって面白い。

 最後に登場するマッハ号は、最もF1マシン的な外見になっており、ギミックはオートジャッキのみである。ある意味一番リアルであり、原作からは最もかけ離れている。それでも、マッハ号としてのイメージは健在だ。ボディ先端の三叉のデザイン処理が秀逸で、そこに「マッハ号としての記号的デザイン」が「M」のマークとともに文字通り刻み込まれているからだ。

 このように、マッハ号の外見と機能を、物語の進行に合わせて上手く変化させており、最後に完全な「映画版のマッハ号」を登場させている。
 原作通りでは「工夫がない(あるいは古臭い)」、原作から大きく変えると「原作のイメージを損なっている」、中間を取れば「中途半端」と非難されてしまうのが常なのだが、3種類のデザインを適切な順序で登場させることにより、原作ファンもそうでない者も満足させることに成功していると思う。(私は、3種類とも気に入っている)

 ストーリーは、主にレース一家の家族愛を描いた、心温まるもの。物語の面からは、明らかにファミリームービーであり、普遍的な作りになっている。
 特筆すべきは、場面転換の滑らかさである。まるで、手品のようにいつの間にか場面が切り替わってしまう。ここまで滑らかな切り替えは、今まで観た記憶がない。ウォシャウスキー兄弟は、斬新な手法を編み出したと言っても良いのではないか。
 最初のレースで、過去と現在がシンクロする描写は、斬新ではないが見事だった。物語の前半に1つのピークを作ることに成功していた。

 映画のクライマックスも素晴らしかった。
 もうただ車が疾走しているだけなのに、感動してしまうのだ。
 全ての邪念から解き放たれ、ひたすらゴールを目指して舞うように駆け抜けるマッハ号、そしてそれを操る純粋なドライバーの姿に、目頭が熱くなった。

 劇場で鑑賞して、本当に良かった。
 正直、予告編がイマイチ、いや今二つだったので、迷っていたのだ(主人公が貧乏揺すりしている映像を、日本人向けの予告編として使うなんて、宣伝部の人間は馬鹿か?)。
 ウォシャウスキー兄弟を信じて良かった。またこういう映画を頼むぞ、ウォシャウスキー兄弟。DVDは一番高価なもの(ただし上限2万円ね)を買うことを約束するぞ!(ちなみに、『Go Speed Racer Go』と映画のサントラのCDは発注済みである)
 劇場で販売されていたグッズに関しては、リストバンドをペアで購入。しょこたんのコンサートに行くとき、はめて行きます。

Berryz工房&℃-ute 仲良しバトルコンサートツアー2008春 ~Berryz仮面 vs キューティーレンジャー~ のDVD、もし『~with ℃-ute tracks』と『~with Berryz工房 tracks』が同時日発売だったら、公正取引委員会に直訴モンだよ!

Berryz工房&℃-ute 仲良しバトルコンサートツアー2008春 ~Berryz仮面 vs キューティーレンジャー~ のDVD、もし『~with ℃-ute tracks』と『~with Berryz工房 tracks』が同日発売だったら、公正取引委員会に直訴モンだよ!

  ヲタからは幾ら搾り取っても構わないが、一般人を欺くような
  真似だけはするな!!

 このジャケット写真(表)で、

実際の商品内容とは食い違っていると言わざるを得ないジャケ写

『Berryz工房&℃-ute 仲良しバトルコンサートツアー2008春 ~Berryz仮面 vs キューティーレンジャー~ with ℃-ute tracks』という商品名になっていれば、一般的には

「このDVDの主たる内容は、℃-ute(表ジャケ写の9割方を占めている7人)に大きく偏ったものになっている」と思う

人が過半数を越えるのではないだろうか。しかし、

実際の商品は
「ベリキュー14人がほぼ平等に映った本編ディスク(約97分)に、℃-uteバージョンの特典ディスク(約19分)が付属」


という内容であった。
 おいおい、ジャケ写のイメージとは、時間の配分が全く逆ではないか。

 このDVDを再生した後、あたしゃ慌てて『~with Berryz工房 tracks』の注文(予約)をキャンセルしましたよ。商品の主たる部分である本編ディスクは『~with ℃-ute tracks』と丸っきり同じモノであろうことが予想できたからだ(その後、メーカーのホームページにてこの予想が当たっていたことを確認)。
 たかだか19分の特典ディスク(しかも、基本的には本編ディスクの別アングルに過ぎない)に、三千ナンボも払えますかってーの。

 これはね~、ちょっと酷い。
 結果的に『~with Berryz工房 tracks』を買わずに済み、物理的な被害は受けなかったからいいようなものの、もし長期出張で家を空けていたらと思うとゾッとする。出張から帰ってきて、『~with ℃-ute tracks』と『~with Berryz工房 tracks』を開封し、基本的には同じ商品だと分かった日にゃあ、私は公正取引委員会に直訴しますよ!
 …まぁ、直訴と言っても電話とかメールとかですけどね。

 そんなわけで、公正取引委員会には相談していないけど、言わせてもらおう。
 内容的には8割以上同じ商品である『~with ℃-ute tracks』と『~with Berryz工房 tracks』を、あたかも大きく異なる商品であるように見せかけていることは、問題である。(映画のDVDの場合、通常版とディレクターカット版では、基本的には同じ商品であることがハッキリと分かるようになっているではないか!)
 何故、本編ディスクと同じような印象を与えるジャケ写(ベリキューが平等に写っているもの)を用い、「℃-uteバージョンの特典ディスク付属版」あるいは「Berryz工房バージョンの特典ディスク付属版」とハッキリ分かるように表示しなかったのか?

 これでは、「客に商品の内容を勘違いさせて、(2種類とも)買わせることを狙っている」と非難されても仕方がない。

 もっとも、今回のような場合は、そもそも商品を2種類に分けたりせず、普通に1種類の商品として発売するのが筋だと思う。ディスクの容量が不足するというなら話は別だが、今回は両バージョンの特典映像を合わせて収録しても2枚目のディスクはスッカスカなのだから。
 ℃-ute版とベリーズ版に分けることで、人気を比較したかったとも思えない。そんなことは、それぞれの単独コンサートDVDの売れ行きを比較すれば済むことだ。

 細かいことに言及すると、どうして『~with ℃-ute Disc』ではなく『~with ℃-ute tracks』にしたのかも気になる。
 『~with ℃-ute Disc(with ℃-ute’s Disc)』だったら、英語に疎い私でも「℃-uteのディスクが一緒」すなわち「オマケとして℃-uteバージョンの特典ディスクが付いている」という風に読み取ることが出来る。普通なら、tracksという単語よりDiscという単語を使いそうに思えるのだが、何故かそうなっていない。
 このため、私はtrackという単語から「tracking」を連想して、「基本的には℃-uteだけ(あるいはベリーズだけ)をtrackingした映像になっている」のだと思ってしまった。(ちなみに、「on the track of ℃-ute」だと「℃-uteを追跡する」という意味になる)
 
 昔の話になるが、ハロプロの運動会を「赤組サイド」「白組サイド」だったか、カメラを完全に別々にして撮影したものがスカパーで放送されたことがあったのだ。PPVだったが、私は両方とも購入視聴した。この記憶があったから、今回の『~with ℃-ute tracks』のDVDも、そういう仕様だと思ってしまったというわけだ。
 また、ハロプロFCでは、会員限定でソロアングルDVDが発売されてきた実績があるということも、この一種の先入観に拍車をかけた。

 そんなわけで、私が“with ℃-ute tracks”という紛らわしい表示に、まんまと引っ掛けられてしまったという側面もあることは事実である。“on the track of ℃-ute”と表示されていたわけではないので、「看板に偽り有り」とは言えないのだ。
 でも、期待が大きかっただけに、今回の一件は本当にガッカリしたということもまた事実なのだ。
 それに、今後『~with ℃-ute tracks』のパッケージを見た一般人(あるいはライトな℃-uteファン)が、その内容を「ほぼ全編℃-uteバージョン」だと思って(思わされて)買ってしまうというケースは十分に考えられると思う。

 今後は、注文する前にメーカーのホームページで仕様を確認し、少しでも疑問を感じたら予約はしないでおこう。
 しっかし、普通に市販されているDVDを買うのに、いちいちメーカーのホームページで仕様を確認しなきゃ怖くて買えないなんて、そんなの他では考えられないぞ。

 これは冗談だが、今後は「トレーディングDVD」とかいって、「ハロプロのメンバーうち、誰か1名にスポットを当てた映像が約20分間収録されています」と謳った商品が、1枚1500円で発売されたりするかも知れない。
 こういう商品なら、どんどん売り出して欲しいですわ。
 「買ってみないと中身が分からない」ということが買う前から分かっていれば、私はそれを買いませんから。

 裏を返せば、今回の『~with ℃-ute tracks』のようなケースは、冗談抜きで困るんだってば!
 ヲタからは幾ら搾り取っても構わないが、普通のファンを欺くような真似だけはするな!!

キバのZepp Tokyo のイベントのチケット決済完了…行きたいけれど、行けなくなりたい!

キバのZepp Tokyo のイベントのチケット決済完了…行きたいけれど、行けなくなりたい!


 より正確な日本語にすると、
「8月7日(木)、Zepp Tokyoで開催される『仮面ライダーキバ』のイベント(LIVE&SHOW)のチケットを購入(当選)したものの、今となっては自分がこのイベントに行くことが出来なくなることを希望している」
といったところか。

 何故なら、もっと大切なイベントが、そのすぐ後に開催されることが決まったから。
 当然、応募した。
 当選したら、絶対にこちらを優先させる。
 つまり、体力(気力)温存、そして万が一のリスクを避けるため、Zepp Tokyoで開催される『仮面ライダーキバ』のイベントへは行かない。

 もしも、キバのZepp Tokyoの方が後に開催されるのだったら、多分両方とも行くことが出来るだろう。しかし、残念ながら、順序が逆なのだ。
 大本命を目前にしたとき、万が一のリスクを考えると、他のイベントは回避せざるを得ない。実際に6月は、℃-uteのイベントに参加した翌日に、突然熱を出して寝込んでしまった。あの二の舞を演じるわけにはいかないのだ。

 キバのZepp Tokyoは「絶対外れる」と思いつつ、特撮ファンとしてのご祝儀(祝いの儀式)のつもりで応募した。だから、第2希望の「1F立見」だったとは言え、当選したことは本当に嬉しかった。
 「特撮番組初の試み」的なイベントに参加したいという特撮ファン心理、柳沢さんを筆頭とする女性陣を生で見たいというミーハーな気持ち、ライブ(音楽)の出来栄えへの期待、それらがごちゃ混ぜになって渦巻いていた。もちろん、瀬戸くんもカッコイイと思うよ(瀬戸くんなら、小春との交際を許可する!)。

 しかし、当選した後になって、状況が変わってしまった。
 大本命のイベントに当選したら、そちらを優先させる以外の選択肢は有り得ないのだ。

 だから、「俺は俺に罰を与える」。
 大本命のイベントに当選したら、キバのZepp Tokyoのチケット(1F立見)は、希望者(買いたくても落選したために買えなかった方、転売しない方)に無料で差し上げます。
 郵送代も私が持ちます。罰だから。(出来ることなら8月2日か3日に代々木第一の近辺で手渡ししたい。相手の個人情報を知ることなく確実に渡せるので)

 「俺は俺に罰を与えたい」。
 それが今の偽らざる気持ち。

 もっとも、キバのZepp Tokyoのイベントのチケットを入手できなかった人がいたとしても、その人がこの記事を見つける確率がどれ程あるかという大問題が横たわっているわけだが。

 あるいは、キバのZepp Tokyoのイベントはチケットが売れ残ってしまって、引き取り手がいないというケースも無きにしも非ずか? いかに瀬戸くんの人気が高いとは言え、平日、しかも木曜日のZepp Tokyoだからなぁ…
 そうなれば、私がチケットを1枚無駄にしても、他人に残念な思いをさせない(チケットが売り切れたため入手できなかったという人がいない)わけだから、私が罰を受ける必要は無くなる。

 でも、キバのZepp Tokyoのイベントは大盛況であって欲しいし…
 やっぱり、「俺は俺に罰を与えたい」かな?

空中ネックレス

空中ネックレス


 雨上がりの朝、小道を歩いていたら、ちょうど自分の目の高さの空中に、綺麗なネックレスが浮かんでいた。写真を撮りたかったけれども、カメラを携帯しておらず、出勤途中で時間も無かったので、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。

 もう一度、同じ場所で“空中ネックレス”を見つけたときには絶対に写真を撮りたいと思ったので、そのためだけに携帯タイプのデジカメを購入した。ズボンのベルトにぶら下げたホルダーにそのデジカメを差し込むと、特別な瞬間を採取する探索者になったような気がした。

 そして、ある日再び“空中ネックレス”と遭遇。ただし、最初に観たものと比べると、少々不恰好ではある。
空中ネックレス

 さて、この空中ネックレスを作ったのは、言うまでもなく蜘蛛。
 最近、その蜘蛛が巣を作っているところに出くわしたので、しばらく観察および撮影させてもらった。 本で読んだ知識で、
「蜘蛛の巣は、横糸はネバネバしているが縦糸はそうではない。蜘蛛は縦糸の上しか歩かないので、自分の巣に絡まることはない」
ということは知っていたが、実際に蜘蛛が巣を作っている現場に立会い、そのことをハッキリと確認したのは今回が初めてである。
縦糸を足場にしてます

 ピンボケ画像ではあるが、目を凝らせば、蜘蛛が縦糸を足場にしている様子が分かるだろう。もっとも、この写真は縦糸と縦糸の間に横糸を張っている作業を写したものなので、蜘蛛の足元にはまだ横糸が存在しない。
 でもこれ、どう見ても縦糸の間隔が大き過ぎるよなぁ? この位置で、既に思いっきり手繰り寄せている状態だから、ここから外側に行けば行くほど更に苦しくなる筈。後から縦糸を追加するのか、それとも横糸にもネバ付かないタイプのものが一定間隔で混ざっているのか?
 謎は深まるばかりだ。

筋トレのローテーション(2008.7.9~9.30までの予定)

筋トレのローテーション (2008.7.9~9.30までの予定)


 痛タタタタ~。やっぱり、背中の翌日に胸をやるのは無理がある。私の場合、ベンチプレスでも背中に結構負担をかけてしまっているからねぇ(そうしないと胸に効かない)。「背中→胸→休み(柔軟)」のパターンでは、腰の故障を予防出来そうにないわ。いつかドカンと来そう。

 かと言って、背中の翌日を肩の日にしても、肩の翌日に胸をやるのはダメ(三角筋オーバーワーク)だし。もちろん、背中の翌日に脚をやるのは腰痛持ちには無理。

 うーん、ここは潔く1週間単位を捨てて、8日間単位にするしかないか? これが一番無理が無いように思える。
 土日の両方が「トレーニング日」になったり、平日が「完全休みの日」になったりするけど、とにかく一度試してみよう。

 最大の目的は、「胸&腕を中3日で回行う」こと。
 そして、「中3日」を使って、他の部位をそれなりに鍛える。肩と背中は、胸の日にも一部使っているから、「8日間で約2回」鍛えていると思いたい。

 脚(大腿筋と大臀筋)は、どう考えても「8日間で1回」しか鍛えていないことになるけど…いいや、もう。「7日間で1回」と「8日間で1回」の間に、そんなに大きな違いなどないだろう。カーフのとき、少しは刺激が入っているような気もするし。

 とにかく、故障することなく、3ヶ月を乗り切りたい。これは「43才の身体に関する実験」なのだっ。3ヶ月間で、胸と腕の筋量が少しでも増えるのか、自分の身体で答えを出したい。

****************************************

筋トレのローテーション(2008.7.9~9.30までの予定)

・胸・腕・カーフを中3日で回行う。
・肩は1日にまとめてやる。脚も1日にまとめてやる。背中も1日にまとめてやる。
・寝る直前にクランチかネックレイズを行う。
・8日間のうち、1日は完全休み、2日はほぼ休み、残りの5日間はトレーニング。


(NO.1)昼:カーフレイズ、腹筋(サイドベント)
      夜:ベンチプレス、ダンベルフライ
      (引き続き)アームカール、スタンディング・ハンマーカール、三頭筋プッシュアップ
      寝る直前:ネックレイズ

(NO.2)昼:リストカールとリバース・リストカールのスーパーセット
      夜:柔軟体操
      寝る直前:腹筋(クランチ)

(NO.3)昼:アーノルドプレス、フロントレイズ
      夜:フロントプレス(座り背もたれ有り)、サイドレイズ、リアレイズ
      寝る直前:ネックレイズ

(NO.4)昼:フロントランジ、バックランジ、サイドランジ(全て自重のみ)
      夜:スクワット、レッグカール
      寝る直前:腹筋(クランチ)

(NO.5)昼:カーフレイズ、腹筋(サイドベント)
      夜:ベンチプレス、ダンベルフライ
      (引き続き)インクライン・ハンマーカール、アームカール、スタンディング・ハンマーカール、三頭筋ディップス
      寝る直前:ネックレイズ

(NO.6)昼:ストレッチのみ(筋トレ休み)
      夜:柔軟体操のみ(筋トレ休み)

(NO.7)昼:腹筋(アブフレックスまたはクランチ)
      夜:ローイング、ドリアン式ローイング、シュラッグ、順手の懸垂、ドリアン式懸垂
      寝る直前:腹筋(クランチ)

(NO.8)昼:ストレッチのみ(筋トレ休み)
      夜:ジョギング30分、(入浴)、柔軟体操(筋トレ休み)

筋トレのローテーション(2008.7.7~9.30までの予定)

筋トレのローテーション(2008.7.7~9.30までの予定)

 6月は前半2週間はイイ感じでトレーニング出来たのに、後半に入って早々に酷い風邪をひいてしまい、まともに昼夜やれたのは何とたったの1日だけだった。(まぁ、それでもBoAと美勇伝のコンサートにはシッカリ行っているのだが)

 この損失を補う意味も含め、筋トレのローテーションを変更する(実際には、既に6月30日から試験的に運用している)。ポイントは二つ。
 一つは、胸(と腕)のメニューを月曜と金曜の週2回行うということ。これは、以前からやろうと思っていたのだが、このところずっとWOWOWの『エキサイトマッチ』を優先していたので出来なかった。しかし、夏を迎えた今、暫くは筋トレを優先させる。

 もう一つは、「寝る直前」に腹または首のメニューをやるということ。これは、なっきぃ(℃-uteの中島早貴)が「寝る前に腹筋をやっている(ときどきサボっている)」という、私の中学生時代を思い出させる発言をしたので、29年振りにやってみようという気になったもの。
 ただし、43才にもなると腹筋と言えど毎日やっては回復が追いつかない惧れがあるので、クランチとネックレイズを1日おきにやることにした。

 あと、サイドベントは、教科書通りのフォームに変更した(以前は、片手を腹斜筋に当てて収縮を確認していた)。10kg×15回(左右各1セットのみ)でもバーンを感じないので、次回からは12.5kgに上げてみる。今の感じからすると多分12.5kgでもバーンしないと思うけれど、腰に不安があるので、更に重くするとしても15kgを上限とする。飽くまでも、“腰痛再発予防のためのサイドベント”なのだから。

 サイドベントは、鏡の前でやる(上半身裸)と、フォームや筋肉の収縮具合が確認できて良いのだが、その姿が結構見栄えする(ハンマーカールほどではないが)ので、つい欲が出る。怪我をしては何にもならないので、少なくとも今シーズンは「サイドベント上限15kg」を徹底する。

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筋トレのローテーション(2008.7.7~9.30までの予定)

    ・胸と腕とカーフを週2回行う。
    ・肩は1日にまとめてやる。背中も1日にまとめてやる。
    ・寝る直前にクランチかネックレイズを行う。

(月)昼:カーフレイズ、腹筋(サイドベント)
   夜:ベンチプレス、ダンベルフライ
   (引き続き)アームカール、スタンディング・ハンマーカール、三頭筋プッシュアップ
   寝る直前:ネックレイズ

(火)昼:リストカールとリバース・リストカールのスーパーセット
   夜:柔軟体操
   寝る直前:腹筋(クランチ)

(水)昼:アーノルドプレス、フロントレイズ
   夜:フロントプレス(座り背もたれ有り)、サイドレイズ、リアレイズ
   寝る直前:ネックレイズ

(木)昼:フロントランジ、バックランジ、サイドランジ(全て自重のみ)
   夜:スクワット、レッグカール
   寝る直前:腹筋(クランチ)

(金)昼:カーフレイズ、腹筋(サイドベント)
   夜:ベンチプレス、ダンベルフライ
   (引き続き)インクライン・ハンマーカール、アームカール、スタンディング・ハンマーカール、三頭筋ディップス
   寝る直前:ネックレイズ

(土)昼:ストレッチのみ(筋トレ休み)
   夜:柔軟体操のみ(筋トレ休み)

(日)昼:ローイング、ドリアン式ローイング、腹筋(クランチ)
   夜:ショルダーシュラッグ、順手の懸垂、ドリアン式懸垂
   寝る直前:腹筋(クランチ)

みーよ(三好絵梨香)に、『女祭』のDVDを送ったぞい!

みーよ(三好絵梨香)に、『女祭』のDVDを送ったぞい!


 今日、郵便局が閉まるギリギリのタイミングで、みーよ(三好絵梨香)宛にゆうパックを送ることが出来た。中身は、『女祭』のDVDと、それに関する説明書(ゆうパックに手紙を同梱することは禁止されているらしいので、飽くまでも“DVDに関する説明書”ね)である。

 みーよが、『女祭』のDVDを観て、ボンブラ(BON-BON BLANCO)に加入する気になってくれますよーに!

 もちろん同時に、つんく♂氏にも手紙を出しておいた。内容は、既にこのブログに書いた『ボンブラのコンガ“新”担当は、美勇伝の三好絵梨香が適任である!』 『やはり三好絵梨香はボンブラに加入するしかない!』と似たようなものである。

 TeamB3の方には、電子メールを送った。ボンブラのメンバーは、美勇伝のことを多分知っているだろうから、美勇伝のDVDを送る必要は無いと判断した。

 ファンとして、出来ることはやった。
 「万に一つの可能性」だとは思うが、ゼロではない。
 外れるのが怖くて、宝くじを買えるかよぅ!

 ボンブラの新メンバー、コンガ担当のエリカ(ERIKA)こと三好絵梨香。
 マコ(MAKO)とエリカの、「ダブルマラカス」ダンスっていうのも観てみたいなぁ~。
 迫力満点で歌うアンナ(SANTOS ANNA)を挟んで、美しきマラカスダンサーが踊り狂う!
 3人とも身長がほぼ同じくらいだから、バランスの取れた“絵”になるだろう。
 こいつは凄いぜ!!

やはり三好絵梨香はボンブラに加入するしかない! ~ 三好絵梨香の美しさは、ボンブラのマコに匹敵する ~

やはり三好絵梨香はボンブラに加入するしかない!
   ~ 三好絵梨香の美しさは、ボンブラのマコに匹敵する ~


 6月28日(土)、美勇伝のコンサートを鑑賞中、ずっとボンブラ(BON-BON BLANCO)のこと、そして三好絵梨香のことを考えていた。
 三好絵梨香は、「あと3年は戦える」素材である。
 レンタル移籍でも何でも良い。
 やはり、三好絵梨香はボンブラに加入するしかない。

 ボンブラファンが、あの日美勇伝のステージを観たならば、誰もがそう思うに違いない。
 何故なら、三好絵梨香の美しさは、ボンブラのマコ(MAKO)に匹敵するからだ。
 つまり、「三好絵梨香がボンブラに加入する」ということは、「ボンブラにマコが2人存在する」ことと同義なのだ。

 つい先日、この眼で見たから間違いない。
 美勇伝の衣装、特に三好絵梨香の衣装の露出の高さは、ボンブラと同レベルだった。
 即ち、単なるヘソ出しの「腹部露出型」の衣装ではなく、肋骨の部分もかなり見せている「胸部露出型」の衣装なのだ。もちろん、腹筋部分はほぼ全域が露出している。

 その状態で確認できた。
 三好絵梨香の腹筋の輪郭のシャープで滑らかな美しさ、素肌に浮かび上がった肋骨の陰影のラインの美しさは、芸術の域に達している。
 マコと比較しても、甲乙付け難い。

 嘘だと思ったら、ドラえもんにでも頼んで、6月28日(1日で体形が変わるはずないので29日でも可)の美勇伝のコンサートを観に行くことだ。
 ちなみに、少し前の写真集等の映像は参考にならないと思う。私が持っている写真集では、三好絵梨香の身体は今とは比較にならない位ぽっちゃりしている。

 これは、裏を返せば現在の三好絵梨香の身体の美しさは、努力によって作り上げられたものであるということだ。デビュー当時の身体を絞り込み、今の美しい輪郭を手に入れたのだ。身体だけではなく、顔の輪郭もシャープになったと思う。
 それでいて腕や脚は細すぎず、適度な太さ(筋肉)を有している。アスリート的、ダンサー的な体形であり、健康的な美しさだと言える。今の体形を維持するには日々の節制が必要だろうが、筋肉もシッカリ付いているので、そう簡単にリバウンドはしない筈だ。

 三好絵梨香は、「今まで3年間戦ってきた」。そして、その戦いに勝ち続けている。
 三好絵梨香は、「あと3年は戦える」というのは、そういう意味である。

 身体のことばかり説明してきたが、ダンスに関してもボンブラのメンバーと比較して十分に高い。身体能力を含めた総合面では何ともいえないが、ダンスの技術面に限定すれば、ボンブラのメンバーの誰よりも上だろう。
 
 そんな三好絵梨香が今後、舞台で脇役を演じ続けるなど、馬鹿げている。
 どう考えても、ボンブラの新メンバー、コンガ担当のエリカ(ERIKA)として活動した方が、三好絵梨香は光り輝く。
 ボンブラのライブには、ソロコーナーだってあるのだ。コンガの演奏だけではなく、ソロで歌を歌う機会もあるのだ。
 ソロコーナー以外でボーカルを担当出来ないことに関しては、みーよ(三好絵梨香)も納得するだろう。何しろ、ボーカル担当のアンナ(SANTOS ANNA)の歌唱力は本物である。美勇伝のメンバーとは、ちょっと比較にならないレベルだ。

 だから、みーよ、ボンブラに入ってコンガを叩いてくれ!
 みーよのルックスの美しさ、ダンスの素晴らしさを、ボンブラファンにも見せてくれ!
「新メンバー、コンガ担当のエリカです!」
 ボンブラの衣装に身を包んだ三好絵梨香が、コンガを叩き、踊る姿を、絶対に見たい。
 よーし、メールを出すぞ! 「万に一つ」はゼロじゃないのだ!

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震電

震電

 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。

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