2006-10

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『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』

『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』
  2006年の映画館で観た映画:28本目
  映画を観た日:2006年10月18日(水)


 松浦亜弥は、特撮やアクションものに向いていると、ずっと思っていた。何故なら、彼女は高い所でもヘッチャラで、ワイヤーで高所に吊られることも楽しめてしまう性分であることを、最初のPV集のメイキングで自ら語っていたからだ。
 デビューして暫くすると、華奢だった体型も健康的な太さを得て、バランスの取れたものになった。ケレン味たっぷりの楽曲を堂々と歌うあややに、「女性ヒーロー」を求めてしまうのは特撮ファンの性(さが)である。
 『あずみ』が映画化されたときは、松浦亜弥ではなく上戸彩がキャスティングされたことに落胆した。“あや”違いも甚だしい。上戸も決して悪くはないが、フトモモを露にして活躍するヒロインという点では、明らかに松浦に軍配が上がる。

 『あずみ』から何年経ったのだろう?(3年ほど)
 漸く、松浦亜弥がアクション映画にやって来た。
 『スケバン刑事』ということで、年齢的にセーラー服はどうなんだろうと少し心配したが、特に問題はなかったと思う。流石は長期に渡って一人勝ち状態を続けていたアイドルだけのことはある。
 でも、もっとスゴイのはマサオこと大谷雅恵だった。あややよりも遥かに年上なのに、制服姿が結構普通に見えたことには驚かされた。

 マサオは導入部に登場する説明用のキャラで、いわゆる「出た見た死んだ」のパターンだったが、非常に上手く機能していた。この導入部を見て、私は「現時点の“麻宮サキ”が爆死した!」と思い、かなりの衝撃を受けた。
 実際には、ヨーヨーは特命刑事なら誰でも所持する標準装備に過ぎず、爆死したのは“麻宮サキ”ではなく、「特命刑事のうち1人」でしかなかった。“麻宮サキ”というコードネームは、特命刑事の中でも唯一無二的な存在の者だけ与えられる、特別なコードネームなのだ…
 ここまでの、「特命刑事・“麻宮サキ”」を説明する流れが、この映画で一番優れた点と言っても良いだろう。この流れで、観客は「“麻宮サキ”のいる世界」に入ることが出来るのだ。

 この映画の予算は、Vシネマと同程度だろう。
 しかし、「“麻宮サキ”のいる世界」に観客を誘う導入シーケンスと、「片目だけが赤い」という記号的な処理を施された美少女キャラクターの映像が、この作品をVシネマでなく映画にしている。この作品は、映画の文法に則って創られているのだ。
 薄暗い世界で、松浦が赤い方の目から赤い涙を流すシーンも非常に映画的である。日本の映画では珍しい、バランスの取れた映画的な絵だった。

 この絵は映像的な美しさを狙った「一発芸」ではない。組織に属そうとしない「野獣」が血涙を流すことによって赤目を白目に戻し、組織に属する「麻宮サキ」に成るという表現描写の一環でもある。「白目と赤目」で左右非対称というのは、バランスの崩れた「壊れた人間」であることや、組織に属さない「規格外品」であることの象徴である。母親を想う心が涙となって、そういった「壊れた部分」を体の外へと洗い流していく。その結果、「非対称な野獣」から「左右対称の人間」に戻った少女は、「麻宮サキ」となって戦うのだ。

 特撮部分は、ヨーヨーのCGのクオリティが十分なレベルにある一方、爆発の映像処理は甘かった。
 アクションは、全体としての統一感に欠ける。戦士としての麻宮サキの強さ(弱さ)が、ビシッとした形で伝わってこないのだ。麻宮サキの最後の技に「必殺技」感・「決め技(切り札)」感が乏しかったのも残念である。
 しかし、「戦士としての麻宮サキ」を描くことには不成功に終わっていたと思うが、最終決戦の最後の最後に敵の命を救おうとしていたことで「女としての麻宮サキ」を描き切っていたとも思う。
 また、「特命刑事vs特命刑事」の戦いとなったセミファイナルのバトルシーンは、燃える展開だった。石川梨華のハードボイルドキャラも素晴らしい。この女性は、こういう役(悪役であるか否かに関わらず)を演らせると本当にハマる。かなり以前の写真集でも、銃を携えた女スパイか狙撃手かといったコスチュームをしていたものが非常に似合っていた。今回は銃はなかったが、ハードボイルドなキャラで動いているチャーミーを見ることが出来たので、かなり嬉しかった。

 松浦亜弥主演のアクション映画第1弾は、低予算作品であった。それでも、作品全体としては成功していたと言える。もう「スケバン」は無理かも知れないが、松浦亜弥主演のアクション映画第2弾を期待している。日本に、これほどケレンの似合う女優は、そうそういないのだから。
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WBC世界ライトフライ級暫定タイトルマッチ ワンディ・シンワンチャー VS 嘉陽宗嗣

WBC世界ライトフライ級暫定タイトルマッチ
          ワンディ・シンワンチャー VS 嘉陽宗嗣


 この試合、地上波での放送はあったのだろうか。スカパーのフジテレビ721では生放送されており、それを録画したものを私は観た。
 私のボクシング観戦はWOWOW中心であり、標準である。WOWOWで放送される試合は、4大統括団体の世界タイトル戦またはその王者クラスの選手同士の試合がメインで、それ以外はその団体の地域タイトルのかかった試合というパターンがほとんどである。
 たまに私が後楽園ホールで生観戦する日本国内のタイトル戦や東洋のタイトル戦は、当然と言えば当然なのだが、WOWOWで観る世界戦と比較すると明らかに内容的に見劣りする。だから、私はそういった試合には関心がない。私にとって日本国内のタイトル戦や東洋のタイトル戦は、世界戦やリナレスの試合の前座という以上の意味を持たない。

 日本人選手の試合を観る機会は、地上波で放送される世界戦のみ。しかも、それが深夜枠で放送された場合は見逃すことも多い。今年に入ってから後楽園ホールに脚を運ぶようになった私だが、日本人選手の試合に対する関心は、一般人と大差ない。
 TV番組で、具志堅会長が誰かに「亀田興毅と同じクラスに、強い日本人選手はいるんですか」と問われ、「ウチにいいのがいるんですよ」と応えていたのを見たことはあった。しかし、嘉陽宗嗣という名前は、この試合を観るまで知らなかった。当然、彼の試合を観るのも初めてであり、OPBFの前チャンピオンでWBA8位・WBC9位にランキングされているという肩書きを除けば、彼がどんなボクサーなのかという予備知識は一切ない。
 そういう前提で、この試合を観た。

 試合開始前、ワンディが計量時に1.2kgのウェイトオーバーで王座を剥奪されており、当日計量では嘉陽より1.5kg重かったことが伝えられる。計量時に1.2kgもオーバーしていて、当日の体重差が1.5kgしかないというのは、ちょっと不自然な数字である。1.5kgという数字は、確かに軽量級における1階級差に相当するが、計量時に1.3kgの差があったボクサー同士の当日の体重差としては小さ過ぎると思えるのだ。後日、ネットで検索したところ、ワンディは「体調が悪いので、体重を増やさないようにした(増やせなかった)」という記事を見かけた。

 リングに上がった二人のボクサーを見比べると、1.5kgという当日の体重差以前に、骨格の太さが1階級違うという感じがした。もちろん、ワンディが上という意味でだ。

 1ラウンド、嘉陽のワンツーが浅くヒットするものの、スピードが感じられない。ボディへの4連打もガードに阻まれなかったのは1発のみで、打ち終わりをワンディに狙われる。ポイントを取ったのは嘉陽だが、パワーで明らかに劣っている嘉陽が、スピードでワンディを上回れないことが気になるラウンドとなった。

 2ラウンド開始早々、ワンディが相打ちを覚悟しているタイミングでいきなりの右を振るう。まるで、嘉陽のパンチを全く恐れていないようだ。その後に嘉陽がワンツーを二度繰り出すが、ワンディは受け流すブロッキングでこれを全て捌く。パンチがある上に、ガードも丁寧だ。
 嘉陽もローブロー気味のボディブローを連打したり、肘を使って相手をプッシュしたり、臆することなく向かっていく。
嘉陽の右が軽くカウンターでヒットするが、顎を引いているワンディには全くと言って良いほど効果がない。このラウンドも嘉陽が取ったが、ワンディも嘉陽のパンチのリズムを掴んできている。

 3ラウンドを1分経過しようとしたところで、ワンディのいきなりの右フックが嘉陽の左側頭部を襲う。完全にオープンパンチであったが、それでも重さが伝わってくる。もしナックルが返っていたらと思うと、ゾッとするようなパンチだ。
 その後も、軽くではあるが何度もワンディの右がクリーンヒットする。ワンディも、ちゃんとパンチの強弱を使い分けている。このラウンドは、明らかにワンディのラウンドだ。

 4ラウンド開始30秒、ワンディのノーモーションのいきなりの右ストレートが嘉陽の額を直撃、嘉陽の顔が大きく上を向く。ストレートパンチが額に当たっているのに、まるで顎を撥ね上げられたかのような印象だ。
 ワンディは頭ばかり狙っているかと思えば、嘉陽のボディへ連打をヒットさせる。この辺りは2階級制覇は伊達じゃないと思わせる。
 前のラウンドから減ってきていた嘉陽の手数が、このラウンドでは明らかに少なくなる。パンチのスピードも目に見えて遅くなった。迷いながらパンチを打っているためか、それともボディが効いているのか? ポイントは、10-9でワンディ。

 5ラウンドは嘉陽が足を使ってワンディの周りを回る展開が多かった。その意味では主導権は嘉陽にあったかもしれないが、有効打の数ではワンディが上。ラウンド終了間際、ワンディが放った右フック(ボディ)→左フック(ボディ)→左フック(顔面)というコンビネーションは、左のダブルは空振りに終わったものの、鮮やかな攻撃だった。ポイントは、10-9でワンディ。

 6ラウンドが始まるとき、それまでロープ越しに嘉陽のトランクスを引っ張って楽にしてあげているだけだった具志堅会長が、フックの身振りを交えてアドバイスを飛ばす。セコンドも、試合の流れが相手に傾いていることを感じているのだろう。
 しかし、試合は嘉陽が足を使うと言うよりも、相手のプレッシャーを受けて退がる展開になる。嘉陽のパンチはほとんどがワンディのブロッキングに阻まれ、逆にワンディの上下に打ち分けるパンチが嘉陽に決まる。特に、ロングレンジでワンディの右ストレートが伸びて嘉陽の顔面を捕らえる場面は、距離を取っている嘉陽が劣勢に立たされている印象を強くする。
 このラウンドも、ワンディが取った。

 7ラウンド開始30秒、互にボディの打ち合いとなったと思いきや、ワンディが放った左フック(ボディ)→左フック(顔面)という左のダブルが、衝撃的なダウンシーンを生んだ。
 左のダブルではあったが、嘉陽の右顎に入った左フックはインパクトの瞬間にナックルが捻り込むように返されており、掌が完全にワンディ自身の方を向いていた。打ち始めはフックだったが、顎を捉えた瞬間からは完全にアッパーのフォームになっていたのだ。しかも、偶然ではあるが、嘉陽の左フックに対するカウンターになっていた。
 薙ぎ倒されるようにリングに倒れこんだ嘉陽が、カウントアウト寸前のタイミングで立ち上がったとき、打たれた彼の右顎は既に腫れ上がっていた。
 試合再開後のワンディのラッシュは、試合がラスベガスで行われていたのなら、明らかにTKOが宣せられる流れを含んでいた。しかし、日本でこの試合を裁いていたメキシコ人レフェリーは、その流れが訪れても止めに入らなかった。
 嘉陽は明らかに効いているのだが前に出続け、しかもクリンチすることなくパンチを繰り出す。果たして、嘉陽は意識がハッキリしている上で敢えてクリンチをしないで打ち合うという戦法を選択しているのか、それとも朦朧とした意識の中で手を出し続けているのか?
 打ち疲れの出たワンディは、この嘉陽の驚異的な粘りに根負けするような形でラウンド終了のゴングを聞くことになった。しかし、当然ながらポイントは10-8でワンディである。

 無残に変形した顔でコーナーに戻る嘉陽の姿を見たとき、私はあるいは8ラウンド目はないのではないかと思った。
 しかし、試合は続行。しかも、前のラウンドで強烈なダウンを喫している嘉陽が、積極的に攻め立てて試合の主導権を掴む。ワンディが打ち疲れからこのラウンドを流しているということもあるが、嘉陽のこの反撃振りは尋常ではない。心身ともに、驚異的な回復力である。ポイントは10-9で嘉陽。

 9ラウンド目も、嘉陽の攻勢が続く。嘉陽が自分の距離で、自分のペースでボクシングをしている。右に左にサークリングしたり、打っては退がるという動きで自分の位置を変え続け、ワンディに攻撃する機会を与えない。
 ワンディは7ラウンドの打ち疲れから、まだ回復しないのか? 調整ミスによるスタミナ不足は、これ程までに深刻なのか?
 この調子なら、あるいは嘉陽の逆転勝ちの可能性もある。少なくとも、7ラウンドのダウンは、8、9の2ラウンドで取り返した。

 しかし10ラウンドに入ると、前の2ラウンドで体力温存を図っていたワンディが“反撃”を始める。
 右、左のストレートを単発でクリーンヒットさせた後、左フック(ボディ)→右ストレート(顔面)→左フック(顔面)というコンビネーションで攻め立てると、嘉陽は腰を落としかける。
 嘉陽の動きが悪くなり、8、9ラウンドのような出入りが出来なくなる。ポジション取りで優位に立てなくなった嘉陽に、ワンディが的確にクリーンヒットを入れていく。
 嘉陽は左目の下をカット、口の中にも血が溢れている様子が窺える。顔の腫れ、特に右顎の腫れは見る見る酷くなっていく。口の中の出血と腫れ方からして、顎の骨が折れているのではないか?
 このラウンドは、明らかにワンディの10-9。

 11ラウンドは、互にクリーンヒットの少ないラウンドとなった。手数は嘉陽の方が多いのだが、空振りが多く、コネクトしたパンチもほとんど急所にヒットしていない。手数は少ないが、その中で確実にクリーンヒットを当てているワンディへポイントを割り振るべきだろう。

 最終ラウンド、嘉陽のワンツーは軽く浅くヒットするのだが、ワンディもブロッキングしつつ急所を外して受けている。だから、嘉陽のワンツーが突破口にならない。
 ポイントで明らかに負けているとき、相手を倒せるパンチを持っていないボクサーは、一体どうしたら良いのか。一発逆転を狙うとしたら、カウンターしかない。しかし、相手もそれが分かっていて、ワンツーで攻め込まれても、無理に打ち返そうとしなかったら…。
 このラウンドのワンディは、まさにそれだった。自分からは攻めるし、五分五分の状態なら打ち合う。しかし、相手の攻めの形に入ったときは、防御に徹して打ち合わない。ワンツーだけで相手の攻撃を終わらせて、そこで流れをリセットしてしまう。

 嘉陽は、頑張ったと思う。一度は終わったかと思った試合を最後まで戦い抜き、最終ラウンドでも前王者を攻め立てた。
 しかし、12ラウンドを通しての私の採点は、115-112でワンディの勝利。
 ジャッジの採点も、114-113が一人、116-111が二人のユナニマス・ディシジョンでワンディの勝利を支持した。

 ワンディはフライ級へ上がり、嘉陽はLフライ級に留まることになるだろう。今後、両者が同じ階級に属する期間は、ほとんど訪れないような気がする。
 果たしてこの試合は、1階級違うボクサー同士を戦わせたミス・マッチだったのだろうか。
 それとも、例え軽量級であってもパンチの決定力が試合を決めるという、現代ボクシングの典型的な試合だったのだろうか。

 試合後の報道によると、敗れた嘉陽は大きくランキングを落とさずに済む可能性が高いらしい。元チャンピオンが大きくウェイトオーバーしていたことと、嘉陽がダウン後もアグレッシブに戦って判定に持ち込んだことが評価されるようだ。
 顎も打撲のみで、骨折はしていなかったとのこと。
 嘉陽の再起に期待している。
 川嶋に勝ってSフライ級の暫定王者となったミハレスのように、パンチ力がなくても「手数」と「正確さ」でチャンピオンになれるボクサーは存在するのだから。

後藤真希 LIVE TOUR 2006

後藤真希 LIVE TOUR 2006
        会場: 市川市文化会館
        公演日:2006年10月14(土) 開演:15:00~


 ごっちんのコンサートに行くのは、今回が初めてである。
 会場入りして感じたのは、今まで私が体験したハロプロのコンサートよりも、女性客の比率が多いこと。もっとも、今までは1.5%だったのが3%に“倍増”したという感じであり、女性客が圧倒的に少数派であることに変わりはない。

 また、今回はコンサートとしては久し振りに1階席での鑑賞となった。その昔、遊佐未森のコンサートに行ったとき以来(いや、浜田麻里の方が後だったか?)の1階席であり、ハロプロのコンサートとしては初めてだ。
 そのせいかも知れないが、楽曲時のスピーカーの音が割れて聞こえたのには参った。コンサート開始直後は、本当に音調ミスかスピーカーが壊れているかと思ったくらいだ。激しい楽曲が終わった後には、耳がキーンとなってしまう。私がそういう状態のとき、右手二つ隣の席の客も「耳がおかしい」と連れ合いの方(私の右手三つ隣の客)にボヤいていた。

 そういうわけで音的にはかなり不満なコンサートではあったが、総体としては悪くはなかった。
 それも、私が双眼鏡を持参したからこそ言えることかも知れない。1階席とは言え、私の席は13列目。実際、裸眼だけではキツイ距離であった。
 そんな私を救ってくれたのが、OLYMPUS の『10×21DPC I』である。今日味わった楽しさの半分は、コイツのお陰である。何しろ、本当に綺麗な「アップのごっちん」を見ることが出来たのだ。やっぱり10倍は凄い。大袈裟に言うと「双眼鏡を当てた瞬間、最前列にいる」だもん。

 私は『日本野鳥の会』の会員であり、その流れで双眼鏡はずっとNicon を使用していたのだが、最近諸般の事情から、OLYMPUS製のものを2個購入していた。1つが『10×21DPC I』、もう1つは『8-16×25 ZOOM PC I』である。私はズームをいじりたがる人なので、次回は『8-16×25 ZOOM PC I』を持って行くことになると思う。

 その双眼鏡でハッキリ確認出来たのが、ごっちんのコンディションの良さ。8日放送の『ハロモニ。』では、また体重が落ちてきているように見えて不安だったのだが、この日ステージに立ったごっちんはベストシェイプに近かった。ただし欲を言えば、もっと腹筋を鍛えて欲しい。特に、腹斜筋。

 今回ごっちんは、いわゆる「エロかっこいい」路線を明確に打ち出したわけだが、どうしても「倖田來未の二番煎じ」という印象が付きまとう。もちろん、「エロかっこいい」路線は倖田來未のオリジナルではなく、海外の「それ系」のアーティストのパクリなのだが、日本では「先にやったモン勝ち」であることもまた事実である。
 コンサートの最中もそのことが頭を過り、
「ああ、『キューティーハニー』のオファーが、ごっちんの方に回ってきていればなぁ」
という想いを催さずにはいられなかった。

 いずれにせよ、今回ごっちんは“身内”を排除し、自身と4人のバックダンサーのみでコンサートを構成することとなった。これが自ら選んだことか、他から課せられたことなのかは分からないが、ごっちんがアイドルという枠組みから踏み出し、アーティスト路線を歩み始めたことは確かなようだ。
 ごっちんが、所詮ハロプロ内アーティストで終わるのか、それともこのまま普通にアーティストとなり、いずれは「ハロプロ上がりのアーティスト」と呼ばれる日が来るのか。
 とりあえず、バックダンサーと比べて明らかに見劣りするレベルのダンスを向上させることは、必要だろう。

 ごっちんには、“本物”になって欲しい。
 正直な話、倖田來未には当面人気では勝てなくても、実力では勝って欲しい。
 そのために、体作りから始めて欲しい。
 どうせやるのなら、本格的にやって欲しい。
 例えそれが、結婚するまでの数年間で終わるとしても。

 ごっちんは、体が小さい。これは、ライブではかなり不利に作用する。
 格闘技において、技術が同じならば体格(体力)で上回るものが勝つように、ライブパフォーマンスでも技術が同じならば体格(体力)で上回るものが勝つ。
 今回、バックダンサーの面々は、ごっちんの体格に合わせて選ばれたように思えた。
 そしてそれは、現時点では正解であるとも思えた。
 自分より一回り大きいバックダンサーを圧倒するようなステージパフォーマンスを発揮するごっちん、アーティストとしてのオーラ溢れるごっちんを、ライブで観てみたいものだ。

 あ、そうそう。
 椅子から浮くというマジック演出、あれは自転車のサドル程度の小さな椅子に座って上に上げられているようですね。見えている椅子の背の部分に、スリットが入っていましたし。
ごっちんの穿いていたズボンのお尻の部分は黒色になっていましたが、あれで目立たなくしていたわけです。双眼鏡で見ていたら、そんな感じに見えました。

 大事なことを書き忘れていた。
 ある曲で、アカペラというか、歌の途中で音がごっちんの歌声だけになる部分があった。それを聴いて、ごっちんはそれなりに歌が上手いし、上手い下手を抜きにしても「聴かせる」ものがあると感じた。以前CDを聴いて平凡な歌声という印象を持っていたし、今でも歌声そのものには個性は乏しいと思う。しかし、歌い方には「聴かせる」ものがあのだ。
 なお、今回のコンサートでは、ごっちんはワイヤレスイヤホン型のモニターを耳にセットしており、寝転んで歌っている曲を除けば、生歌だったと思う。

「アイドルの損益分岐点」とか、ちょっと気にしてみる

「アイドルの損益分岐点」とか、ちょっと気にしてみる


 モー娘。のCD売り上げは、ドン底だ。
 ベリ工(Berryz工房)は、そのドン底のモー娘。にさえ及ばない。
 ベリ工は勿論、モー娘。も(知名度を別にして)、現時点での「人気アイドル」とは呼べないのではないか。

 そういう見方がある一方で、
「モー娘。もベリ工も、最初からこの程度の売り上げを目標にしているのではないか。だとすれば、現在はその目標値をクリアしており、順調な状態にある」
という見方も出来る。
 モー娘。が一時期ミリオンを叩き出していたのは全くの想定外であり、何かの間違い。今のモー娘。こそが、「当初計画していた、本来あるべき姿」なのかも知れない。

 商売なのだから、黒字になれば良い。大きく儲けようとすれば赤字のリスクも大きくなるが、小さく儲けようとすればリスクも小さくて済む。会社を大きく成長させることを目標とせず、10年後も20年後も現状を維持できるよう、手堅い商売を継続するというのも経営方針としては当然有りである。
 ここで断っておくが、私はエンジニアであり、いわゆる事務系の仕事は苦手だ。そんな私が「アイドルの損益分岐点」という響きの良さにまかせて、数字をひねくりまわすのは僭越である。とんちんかんなことも確信犯的にやってしまうだろう。この記事は、飽くまでも「ど素人が電卓を叩いてみました」程度のものである。

 では早速、数値が比較的安定しているベリ工を例にとってみよう。ベリ工の場合、次のような売り上げ目標値が設定されているとしたら、「現状で、ほぼ目標を達成しており、順調」ということになるのではないか。
(1)シングルCD … 2万枚(単価1000円)を年4回
(2)シングルV … 1万枚(単価1000円)を年4回
(3)アルバム … 1万枚(単価3000円)を年1回
(4)シングルV以外のDVD … 1万枚(単価3000円)を年2回

 売上額は、次のようになる。
(1)シングルCD … 8000万円/年
(2)シングルV … 4000万円/年
(3)アルバム … 3000万円/年
(4)シングルV以外のDVD … 6000万円/年
※合計 2億1000万円/年 (15万枚/年)

 売り上げ枚数が1万枚から2万枚で安定していると、「こんなものか」と思える数字になる。一人当たりにすると3000万円/年。自動車のセールスマンの売り上げと比較すると、どうなんだろう? もちろん、ベリ工はレコード(ディスク媒体の意。以下省略)以外でも売り上げがあるのだが。

 ダウンタウンの松ちゃんが、ナッチが盗作問題で謹慎していることに関して「歩合制ではなく月給制だろうから、経済的には全然困らないのではないか」と雑誌に書いていたことから、ベリ工も月給制であると仮定する。月給100万円で賞与はないとすると(アイドルがサラリーマンみたく夏冬にボーナスを貰うのって想像できない)、1200万円×7人=8400万円。
 ベリ工の給料を出しているのはアップフロントエージェンシーなのだろうが、「ベリ工という“商品”の損益分岐点」を論じようとすると、アップフロントグループが統括しているグループ会社全体で考えなければならない。
 レコードの売上高から差し引かれるものとしては、以下のものが挙げられる。

・販売店関連費(流通・保管コスト含む)…30%
・レコードプレス他(ケース、ジャケット含む)製造費…10%
・宣伝費…10%
・著作権印税(作詞)…2%
・著作権印税(作曲)…2%
・著作権印税(音楽出版社)…2% →ただし、これはグループ内の収益となる
・原盤印税…10% →ただし、これはグループ内の収益となる
・歌唱印税…2% →これも多分グループ内の収益となる

 ベリ工のレコードは、原盤権をグループ会社が所有しているので、原盤印税等はそこに入ってくる。グループ会社全体で考えた場合、ベリ工のレコード年間売上額2億1000万円のうち、約半分は「利益」として入ってくると考えて良いのではないか。
 レコード売上高の数字からして、有効桁数などあってないようなものだが、一応ここに出した数字をそのまま代入して計算すると、
              2億1000万円×0.46=9660万円
がグループ会社全体の手元に入ることになる。(ちなみに、作詞作曲を担当しているつんく♂は、2億1000万円×0.04=840万円 を得ることになるのか?)

 ただし、ここではベリ工が月給制であると仮定しているので、レコードの製造費には、ベリ工のギャラは含まれていない(衣装等の製造費は含まれている)ものとする。つまり、9660万円から「純然たるベリ工の経費」を差し引いた金額が、会社の利益となる。
 ベリ工の経費としては、ベリ工のみの人件費が8400万円。ベリ工が抱えているマネージャー1名が年収1200万円として、これを加えると9600万円。
 レコードという「科目」だけを考えると、ベリ工という「商品品目」の利益額と経費は
              利益額:9660万円、経費:9600万円
と、ほぼ同額となる。
 ベリ工とは、CDやDVDをリリースするたびに1万枚~2万枚コンスタントに売れていれば、それだけでほぼ採算が取れる「品目」なのである。

 これを、「レコードという科目における損益分岐点」という形で表現しようとすると、「レコードという科目における変動費」を出しておく必要がある。ここでは便宜的に固定費をゼロと見なす。
       利益=売上高-変動費-固定費
     ∴ 変動費=売上高-利益-固定費
          =2億1000万円-9660万円-0万円
          =1億1340万円

 これで数字が揃ったので、改めてベリ工の「レコードという科目における損益分岐点」を計算してみよう。
・ベリ工の固定費…9600万円
・ベリ工の変動費…1億1340万円
・ベリ工の売上高…2億1000万円

       損益分岐点=固定費/限界利益率
            =固定費/(1-変動費率)
            =固定費/(1-(変動費/売上高))
            =9600/(1-(11340/21000))
            =9600/(1-0.54)
            =9600/0.46
            =20870
 有効桁数を2桁とすると、
 ・ベリ工の「レコードという科目における損益分岐点」…2億1000万円
となる。
 仮定の段階で変動費率を0.54としているので、これは表現を文章から数式に変えたようなものである。ただ、現時点のベリ工のレコード売上がちょうど損益分岐点上にあり、これから売り上げが上乗せされれば、その分が丸々利益となっていくという実感は掴めると思う。

 前述したように、ベリ工の売上はレコード以外にも存在する。言うまでもないが、チケット売上とグッズ売上がそれだ。
 中野サンプラザで5000円のチケットが完売(2222枚)すると、1111万円のチケット収入が得られる。施設の使用料は意外に安くて、付帯設備をあわせても150万円程度程度である。他の経費を合わせても、1000万円以上になるとは考えにくい。1回のコンサートで、チケットだけでも数百万円の利益を上げていると考えるのが自然だ。
 また、コンサートではグッズの販売も行なわれている。2000人が、一人平均2000円のグッズを購入して、その80%が純利益となるのなら、その金額は320万円となる。

 1回のコンサートでチケットから得られる利益が500万円、グッズで320万円、計820万円だと仮定しよう。それが年8回行われると、6560万円/年の利益が出ることになる。これは、レコード売上から得られる利益額の約70%に相当する。二つを合計すると、
      利益額:1億6220万円、経費:9600万円、差額:6620万円の黒字
ということになる。
 ここでも先程と同じやり方で、ベリ工の「コンサート&グッズにおける損益分岐点」を計算しておこう。なお、通販でのグッズ売上高はエイヤでも決められない(想像がつかない)ので、除外した。

・ベリ工の利益…6560万円
・ベリ工の売上高…8000万円+3200万円=1億1200万円
 (チケット=5000円×2000枚×8回、コンサート会場グッズ=2000円×2000人×8回)

       変動費=売上高-利益-固定費
          =1億1200万円-6560万円-0万円
          =4640万円

       損益分岐点=固定費/(1-(変動費/売上高))
            =9600/(1-(4640/11200))
            =9600/(1-0.41)
            =16271

 有効桁数を2桁とすると、
 ・ベリ工の「コンサート&グッズにおける損益分岐点」…1億6000万円
となる。
 ベリ工の固定費を全額配賦して計算しているため、現在は損益分岐点以下、即ち「コンサート&グッズの売り上げだけでは、ベリ工は赤字」という結果になった。しかし、損益分岐点が手を伸ばせば届くところにあるのは、ちょっと驚きである。
 数値は、一定の範囲では開催回数に比例するだろう。8回/年を12回/年にすれば、1.5倍。売上高は、1億1200万円×1.5=1億6800万円 となり、ほぼ損益分岐点に乗る。
 2倍の16回/年にすれば、2億2400万円-1億6000万円=6400万円 の黒字になるのだ。

 レコードから得られる利益と、コンサート&グッズから得られる利益を合わせると、
      利益額:1億6220万円、経費:9600万円、差額:6620万円の黒字
となる書いたが、この「6620万円の黒字」で、ベリ工やベリ工のマネージャーを除くアップフロントの社員の人件費を払ったり、会社に借金があるのならその利子を払っていくことになるわけだ。年収500万円の社員の人件費は1500万円であるとも聞く。だとすると、現在のベリ工が4人程度のスタッフ(営業とか経理とかも含む)で支えられているならば、会社にとって採算が取れているということになる。
 ベリ工という「商品品目」の固定費には、こうしたスタッフの人件費を配賦するべきなのだろう。

 相当大雑把ではあるが、この記事では、一応こう結論しておく。
(1)ベリ工は現状でもギリギリではあるが採算が取れている。(ちょうど損益分岐点上にある)
(2)よって、現状から売上が伸びれば、それがそのまま黒字となる。



 ℃-uteはメンバーが1人多いので、その分ベリ工よりも固定費が多く、損益分岐点が高くなっている可能性がある。
 モー娘。も現状で1人多く、更に増やそうとしている。しかし、これは裏を返せば、モー娘。の現状の売上が、1人や2人の固定費増には耐えられるレベルにあるということなのではないだろうか。今回のベリ工に関する私の計算は、一応そのことを裏付けていると思う。8人が10人になっても、マネージャーが1人増えるわけではないし。

 モー娘。が10人から8人になったことで固定費は減るが、グッズの売上もほぼ確実に減るだろう。こんこんのグッズを買っていたファンが、その予算をそのまま残存メンバーのグッズ購入に振り向ける可能性は決して高くないからだ。
 もちろん新メンバーを加入させても基本的には同様のことが言えるのだが、「減ったメンバー分の売上を取り戻す」可能性としては、残存メンバーよりも新メンバーの方が高いだろう。私の場合、大きなタイムラグがある特殊な例と言えると思うが、「こんこんの卒業が決まってから、小春の商品を買うようになった」のだ。もし小春が加入していなかったら、私の「こんこんの分の予算」は、完全に宙に浮いていた筈だ。

 最後に、アイドルが月給制であることについて。
 アイドルが月給制だと、ファンの側にもメリットがあると思う。歩合制だったら、中野サンプラザで行なわれる『エルダー』とか『ワンハー』は、ギャラが嵩んで会社側の利益が小さくなってしまう。そういうイベントを、会社はやろうとしないだろう。
 あるいは、チケット代が人数に比例して高くなり(現状でもその傾向がない訳ではないが)、ファンは購入に二の足を踏むだろう。例えば、『ワンハー』のチケット代が15000円だったら、私は買わない。
 意外なところで、ファンと経営者の利害が一致しているようで、ちょっと面白い。

『X-MEN ファイナルディシジョン』

『X-MEN ファイナルディシジョン』
  2006年の映画館で観た映画:27本目
  映画を観た日:2006年10月8日(日)


 『X-MEN』は、いわゆる善悪二元論に基づく勧善懲悪ものではない。
 日本の漫画・特撮・アニメのヒーロー作品の多くがそうであるように、
「善と悪が、基本的には同じ属性を持っている」
というパターンを有しているのだ。(関連記事は→ こちら

 『X-MEN』のパターンは、科学者をリーダー持つ超人グループ同士の団体戦という側面では『サイボーグ009』を思わせるし、人類とは異なる種の生命体が2派(人類を滅ぼそうとする側と守ろうとする側)に分かれて争うという面では、『デビルマン』的である。
 前作でパイロが敵側に寝返ってしまったことに続き、今作では死んだと思われていたジーンがフェニックスという別人格になって敵側に付く。「善と悪は紙一重」という人間の属性が、そのままミュータントの属性でもあることを明確に描いている。

 劇中、マグニートーが、暴走したジーンに殺されてしまったプロフェッサーXに関して「彼とは敵味方に分かれてしまったが、かつては旧友であり仲間だったのだ」という胸中を露にしたシーンは、『マジンガーZ』の一場面を思い出させた。
 ドクター・ヘルが、自分の宿敵マジンガーZを製造して死んだかつての同僚・兜十蔵に対し、「兜博士、私は君が羨ましい。素晴らしい後継者(兜甲児のこと)に恵まれた君のことを羨ましく思う」と、その心中を独白している、あの隠れた名場面である。

 ミュータントという属性を消し去る“キュア”というアイテムを設定したことも興味深い。
 白人社会はその昔、白人以外の人種を人間ではなく「人間に似た動物」・「亜人間」と看做していた時期がある。黒人を奴隷として使い、人種差別を行ってきた歴史には、そういった思想が根底に流れていたのだろう。
 白人こそが「人間の標準」であるという考え方と、「ミュータントという属性を消し去って、標準の人間に戻す」という考え方は、どこか似ている。
 パンフレットに掲載されていた記者会見の記事で、ハル・ベリーが“キュア”に対して
「例えば、有色人種である私や、日本の皆さんが「白人のように白くなれる薬があるからどう?」と言われるようなもの」
と語っていたことに、私は共感を覚えた。

 色が黒いことにコンプレックスを抱いている人が、自分の意思で白くなろうとすることは個人の自由だ。
 しかし、色が白くないことで人が差別されたり(偏見も差別のうちだ)、白くなることを他から強制されるようなことは、絶対にあってはならない。

 閑話休題。
 ウルヴァリアンも、すっかりオッサンっぽくなったなぁと思って観ていたら、演じるヒュー・ジャックマンは1968年生まれ。6年間も同じ役をやっていれば、そりゃオッサンぽくもなろうというものだ。しかし、お腹周りは全然ダブついておらず、グッドシェープを維持しているところはさすがである。

 ハル・ベリーやファムケ・ヤンセンは元々「老け顔系の美人」だから、余り変わったという印象は受けなかった。二人ともヒュー・ジャックマンより年上(ファムケ・ヤンセンは私と同い年で1965年生まれ、ハル・ベリーは1つ下の1966年生まれ)にも関わらず、スタイルを維持しているのは素晴らしいの一言。特に、ハル・ベリーは今回アクションもキッチリこなしており、尊敬に値する。

 アンナ・パキンも特に変化なし。『X-MEN』1作目で、『グース』の少女だったと知ったときは、その様変わりした外見に驚いたけれど。

 今回のキャストで、注目は「壁抜け少女」キティ・プライドを演じているエレン・ペイジ。ハリウッドでは珍しい、いわゆる醤油顔の可愛い系。原作コミックでは、キティ・プライドはウルヴァリアンと共に日本で戦っているとのこと。是非、映画化して欲しい!

『ワイルトスピード×3 TOKYO DRIFT』

『ワイルトスピード×3 TOKYO DRIFT』
  2006年の映画館で観た映画:26本目
  映画を観た日:2006年10月8日(日)


 実写版『セーラームーン』でセーラーマーズを演じた北川景子が、ハリウッド映画にデビュー!
 …という記事を何かで読んで、わざわざ前売り券を買った。前売り券に印刷された人物の中では、北川景子は4番目に大きく写っている。
 ところが実際の映画では、北川景子は脇役中の脇役。台詞は短いものが3つくらいあるだけで、ほとんど“背景キャラ”。北川景子目当てでチケットを買った私としては、完全に期待ハズレ、いや騙されたといったところである。

 主人公のショーンが、どう見ても未成年には見えない。25才ぐらいに見えるぞと思っていたら、演じている役者が1982年生まれだった。まるで、昔の日本の熱血青春ドラマのようなキャスティングである。ヒロインのニーラも、25才くらいに見えた。
 この2人が現役の高校生として描かれているのが不自然で、ちょっと笑えた。

 カーアクションには余り興味がないが、車自体は私が小学生の頃に人気があったスーパーカーを思い起こさせるものがあり、懐かしかった。それがカーアクションでボロボロになったり完全にクラッシュしたりするところを見せられると、「あ~あ、もったいない」と思えてガックリきた。

 この映画を観て「日本では一般の道路でレースごっこをしても警察は見て見ぬ振りをする」と勘違いして日本にやって来る「レースごっこ大好き君」がいないことを祈る(笑)。

飯田圭織ディナーショー(広尾ラ・クロシェット)

飯田圭織ディナーショー 
        会場: 広尾ラ・クロシェット
        公演日:2006年10月1(日) 開演:13:00~


             念願の「かおりん・広尾ディナーショー」

 かおりんのディナーショーは、今回が2回目となる。
 昨年のクリスマスディナーショーとは異なり、今回の会場は、広尾ラ・クロシェット。
 そう、遂に念願であった「広尾ラ・クロシェットにおける、かおりんのディナーショー」に参席したのだ。
 自分のポリシーを曲げてまでハロプロFCの会員になったのは、この為だったと言っても過言ではない。クジ運の悪い私は、FC会員にならなければ、このイベントのチケットを入手することは事実上不可能だったのだ。(クジ運以前に、一般発売自体がないケースも多かったと思う)

 この「初めての“広尾ラ・クロシェット”」は、想像していたものとは随分違う結果になった。どんなものだったのか、書き留めておこう。

                    タクシーの運ちゃんに感謝

 私は筋金入りの方向音痴であり、恵比寿駅で下車した経験が一度もない。恵比寿駅「東口」を出て階段を降りたら「西口」があったというだけで、動揺してしまった。
 地図(Googleローカルのプリントアウト)を手にしており、広い道に沿って道なりに10分も歩けば到着することは頭では分かっているのだが、どうしても不安が湧き上がってくる。何しろ、一度道を間違えたら、必ずスタート時点に戻る必要が生じるのだ。そんな私の気持ちを反映したかのような曇天から、パラパラと小雨が降り始め、更に不安の色は濃くなってゆく。
 私の耳元で、天使か悪魔が囁いた(不安になったときはタクシーだよ)。

「近場なんですけど、よろしいですか」と地図を差し出した私に対し、タクシーの運ちゃんは礼儀正しく受け入れてくれた。
 目的地には、3分で着いた。
 料金は660円だったが、1000円札の釣は受け取らずに、そそくさとタクシーを降りた。タクシーの運ちゃんは言葉遣いも丁寧であり、本当に紳士だった。

                  「座席番号6番」の悲劇

 広尾ラ・クロシェットの階段の下で待つ時間を持て余し、何度もメールのプリントアウトを確認する。

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 公演日:2006/10/01(日)
 会場:広尾ラ・クロシェット
 開場/開演:13:00/13:30
 出演者:飯田圭織
 枚数:1枚
 座席番号:6番
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 初参加の人間がこれを見たら、誰だって「最前列」を期待するのではないだろうか。
 しかしこれが、実際には大間違いだったのだ。
 入場チェックの際、【A-6】と書かれた札を渡されたときも、私はまだ最前列に案内されることを信じて疑わなかった。「最前列でも、端っこで壁際とかだったらイヤだなぁ」という不安は抱いていたが、「6番」という数字から、少なくとも一番端っこではない(「1テーブルに4人」である可能性が高い)だろうとも思っていた。

 いよいよ、店員による座席案内が始まった。
 私を店内へと案内する店員が、最前列の席を…通り過ぎた。
(アレッ?)
 店員が、2列目の席を…通り過ぎた。
(あららッ?)
 店員さんは、ステージ付近の席には目もくれず、ずんずん奥へと進んでいく。
(ど、どんだけ奥まで行くんだぁあああ?!)
 これぞ“ヘブン(天国)から地獄”…とまでは言わないが、「期待感がガラガラと音を立てて崩れていく」その音が、私の耳に中に響いていた。
 結局、私の席は奥から2番目のテーブルの通路側だった。座席の列で言うならば、8列目か9列目といったところか。パシイベだったら、最後列に相当する。
 広尾ラ・クロシェットのテーブル番号は、ステージ最前のテーブルからではなく、店の一番奥にあるテーブルから順に割り振られていたのだ。だから、【A-1】は一番奥のテーブル席で、ステージからは最も遠い席(のうち一つ)となる。

 広尾ラ・クロシェットのテーブル配置は、L字型だ。
 【A-1】は一番奥で最もステージから遠く(Lの上端の部分)、【C-x】辺りの席が中央でステージに一番近く(Lの角の部分)、【F-x】辺りは入り口付近で最もステージから遠い(Lの右端の部分)というイメージである。

 このことを事前に知らずに入店した私は、自分の着くテーブルが奥から2番目である現実を目の当たりにして、もうガックリ。「シオシオのパ~」という感じになってしまった。
 2日前のパシイベで、整理番号70番台であったにも関わらず4列目に座れた幸運は、今日この場の不運の埋め合わせだったということか?(その記事は→ こちら
 やはり、人生はそんなに甘くない。甘くないのよ人生は。

                 普通に美味かったフランス料理

 さて、落ち込んでいても腹は減るものだ。
 昨年末のクリスマスディナーショーの料理は、私の口には合わなかった。率直に言わせてもらえば、まずい料理も結構あった。(その記事は→ こちら
 そのとき同席となった方から「これでも、広尾ラ・クロシェットのディナーショーの料理と比べれば少しはマシだよ」と聞かされていたので、今回料理に関しては全然期待していなかった。
 ところが、どうやら客からの不評を受けて改善がなされていたようで、この日の料理は普通にうまかった。

 最初はメニューを見て、たった三品しか書かれていないことに驚いた。料理の名前もいたってシンプルで投げやりに見える。いかにもディナーという感じだったクリスマスディナーショーのメニューと比べてみると、私の第一印象は良くなかった。

 最初にテーブル上に並べられたパンは、典型的なフランスパンで表面が非常に固くて食べにくい(クリスマスディナーショーのパンもフランスパンだったとは思うが、普通に柔らかかった)。
 前菜のスープは、まるで犬の餌皿みたいな皿に入って運ばれてきた。
 正直言って最初は「俺は犬じゃねーぞ」「こんな固いパン食えねーぞ」と思った。
 しかし、スープは口をつければ普通にうまい。表面が固いフランスパンも、一度引き裂いて柔らかい内側から食べれば普通にうまかった。

 ちなみに、お腹一杯になりたい人は、この前菜の時間帯にパンのお代わりをしておくべきである(店員がパン籠を持って巡回してくれる)。食が比較的細い私でも、デザートまで完食して腹7分目といったところ。そこそこ腹は膨れたが、もう一品欲しかった。
 パンをお代わりした際、直ちにその場で食べなきゃならないわけではない。デザートを食べた後、まだ食い足りなかったら、お代わりで貰っておいたパンを食べれば良いのだ。
 デザートを食べた後になってパンをお代わりしたくなっても、この時間帯は店員さんのパン籠巡回がない。頼めば応じてくれるかも知れないが、試してないので分からない。先にお代わりをしておいた方が無難である。

 メインディッシュは「トリモモ肉ソテー」。これは量もそこそこあって、普通にうまい。フォアグラとか余計なものが乗っかってないので、食べやすくていい。
 デザートは、冗談みたいに小さいケーキ。「さあ、一口で食え」ということか? このデザートに関してだけは、クリスマスディナーショーの方が勝っていたと思う。
 頭にきたので、抗議の意味を込めて(あるいは「たこ焼きを4分割して食べる」こんこんに倣って)チマチマと削るようにして食べてやった。
 ただ、食べ終わって思ったのは「凄く甘いので、この2倍のサイズだったら胸焼けするかも」。

             グラスをテーブルの中央に置いてはいけない

 食事が終わり、ショーが始まる。
 かおりんは、何とミニスカート姿で登場! このディナーショーで配布/回収されるアンケートに、ミニスカートのリクエストが多かったので、それに応えたとのこと。
「ミニスカートがいいって思う人は、アンケートにそう書いてくださいね」
と、わざわざアピールするかおりん。モー娘。時代にミニを穿く機会が少なかったことの反動か? 私がアンケート用紙に「これからもミニスカートは定番で」と書いたのは言うまでもない。

 かおりんの生フトモモを拝めるのは良いが、最前席のテーブルに置かれたグラスが邪魔をしている。
 そのグラスのせいで、かおりんの右脚の膝小僧が見えない! 誰か、そのグラスをどけてくれ!
 もし私に念力があったら、間違いなく念力であのグラスをどかしていただろう。
 今後、広尾ラ・クロシェットのディナーショーへ行く人は、ショーが始まる前にテーブルのグラスを中央からどけることを忘れないようにして欲しい(後ろの方のテーブルは構わないが、前の方のテーブルに関しては必須)。

             得意じゃないのはダンス…だけですか?

 かおりんが、『Shall We Dance?』の話をする。
 冗談か本当なのか、かおりんは「自分で自分に30回ぐらい投票した」と言っていた。
 私は、『Shall We Dance?』を観たけれども、かおりんに投票はしなかった(誰にも投票しなかった)。
かおりんのファンであることと、かおりんのダンスを評価することは全く別のハナシである。実力のない人に投票することなど私には出来ない。「ファンの心理は善悪を超越する」という屁理屈は、そのジャンル自体を愛していない人が持ち出す戯言である。私は、かおりんのファンである前に、芸能というジャンルのファンなのだ。
 敢えて言うならば、私はナナに投票しないことで、かおりんを少し援護したということになるのだろう。

 かおりんは言った。
「ダンスが得意でないことは自覚してます」
 私は心の中でかおりんに問い掛けた。
「得意じゃないのはダンス…だけですか?
歌うことが大好き…でも歌うことが得意ではない…ということは、自覚していますか?」

 『Shall We Dance?』で、かおりんは誰に質問されたわけでもないのに「私はダンスの基礎を学ばないままデビューして、勢いだけでやってきた」と吐露していた。「基礎を学んでいない」のは、歌に関しても同じなのではないか?
 かおりんよりも、ゲストのルカさんの方が、歌手としての実力は明らかに上である。
 クリスマスディナーショーの時と比較しても、ルカさんとかおりんの実力差は縮まっていなかった。ルカさんは、近々歌のために留学するとのこと。帰ってきたら、かおりんとの差はますます開いているに違いない。
 そういうことを、かおりんは意識していないのだろうか?
 かおりんも、歌のために留学したい(あるいは国内の音楽学校に入学して基礎からやり直す)とか、思わないのだろうか?

                   歌唱力と、それを超える何か

 私は音楽に関しては素人である。ただ、感じたことをそのまま書こう。
 かおりんは、声域が狭いと思う。ちょっと高い声を出すと、喉を絞ったような発声になってしまう。声が「細い」と言うよりは、「薄い」。高音域は、声量が全く感じられない。
 声量に関しては、かおりんは日本語の歌よりも『LA VIE EN ROSE(バラ色の人生)』のような外国語の歌を歌っているときの方が出ている。これは、たまたま外国語の歌の方がかおりんの声域に合っているということなのかも知れないが、私には、かおりんが無意識のうちに声の出し方を変えているように感じられる。
 日本語で歌っているときのかおりんは、本当の意味では歌っておらず、「喋っている」に近いのではないか。どうも、私には「歌声」と言うより「喋り声」に近い感じに聞こえる。
 これに対し、外国語の歌のときは、かおりんに「言葉」を喋っている意識がないので、「発音」をそのまま「発声」しており、結果的に「喋り声」ではなく「歌声」になっている…という感じだ。

 歌声と喋り声では、普通は発声する際の音量が大きく異なる。これは、発声方法が根本的に異なるからであり、歌唱用の発声を操ることが出来るのがプロの歌手…ということなのではないだろうか?
 あるいは、人間は普段は大声を出さないように、「喋り声」という特殊な発声方法を行なっているのだろうか? 大昔の人類は、敵を威嚇する声、遠くの仲間と意思疎通を図るための声、獲物に近い場所で気付かれないように仲間と意思疎通を図るための声etcをキチンと使い分けられなければ、生きていけなかったように思える。

 かおりんが日本語の歌を歌っているとき、そのほとんどがプロの歌手としての合格ラインには達していない。具体的なイメージを挙げると、NHKの『のど自慢大会』に出場しても、鐘をキンコンカンコンとは鳴らしてもらえない。
 この日の歌で、プロ歌手のレベルに達していたのは『LA VIE EN ROSE(バラ色の人生)』ぐらいではないだろうか(個人的好みとしては、『未来予報』も挙げたいところだが)。初っ端の『パラディノメ』も声量は出ていたものの、歌いこなしがもう一つだった。悪い方の例も挙げておくと、『女神~Mousseな優しさ~』は特に出来が悪かったと思う。

 かおりんの歌は、確かにファンの心には響くだろう。しかし、そうでない一般の人の心には響かない。
 料理に例えれば、ファンは「おいしい」と言って食べてくれるが、そうでない一般の人は一口食べて「この程度では…」と箸を引っ込めてしまう。
 果たしてそれで、真の意味でのプロと呼べるのだろうか?

 ただ、歌が上手いことが、必ずしもプロの歌手の条件であるとは言えない。
 例えば中島美嘉は、純然たる歌の上手さでは、もしかしたらかおりんと大差ないのかも知れない。
 しかし、中島美嘉の歌声には個性がある。中島美嘉の唄う歌には彼女独特の個性が込められており、それが歌の上手い下手を超越した魅力になっている。中島美嘉の魅力は、他者では代替不可能な特別な何かであり、これによって彼女は差別化された存在になっている。
 他の歌手からは得られない「それ」を求めるファンが多数存在するから、彼女はプロの歌手であり、歌姫なのだ。
 かおりんと中島美嘉との差は、歌手としてそういった「特別な何か」が有るか無いかの違いによるものなのではないだろうか。

                       矛盾の空間

 そんなことをずっと考えていたから、ショーが終わったときにはドッと疲れが出た。
 確かに、かおりんは美しい。通路を歩いて私の目の前に着てくれたときは、照明のスポットライトと、仰ぎ見る角度(かおりんは立っており、私は椅子に座っているので自然とそうなる)の二つの視覚的相乗効果もあって、神々しいほどの美しさを放っていた。
 スポットライトに照らされて白く輝くかおりんは、まるで後光を纏った女神であり、生身の芸術品であった。まばゆい光の中にかおりんを観たあの数秒の間、「宗教体験とはこういうものか」と思わせるような、神秘の空間が私を包み込んでいた。

 しかし、歌手としてのかおりんには、そういった魅力はない。
 かおりんは、ファンである私にとってすら、歌姫ではないのだ。
 この矛盾が、私を悩ませ、苦しめる。

 ショーが終わると、私は矛盾に満ちたこの空間から、早く立ち去りたい気持ちになっていた。
 それでもすぐには席を立たず、アンケートの空白欄を、出来るだけ丁寧な文字で埋めていく。こうした行為自体も、この空間に満ちた矛盾の一部だ。

 私のいたテーブルには、かおりんイチ推しの客は私ひとりしかいなかった。
 他の3人は、かおりんを特別推しているわけではないけれども、近くで見ることができるからという理由でここへ来ていた。彼らは、かおりんを選んだというよりも、「広尾ディナーショー」を選んだのだ。
 もちろん、かおりんを嫌いな人が14000円も払ってこの場に来ているはずがない。かおりんを特別に推していなくとも、ハロプロファンとしてここに来ることは、真っ当なファン行動である。
 そんなことさえ、その時の私には矛盾に感じられた。

                     写真写り、大失敗

 アンケートを記入し終えたら、後はかおりんにファンレター(と言っても、少し前に書いた こちらの記事 をプリントアウトしたもの)を渡すこと、ツーショット写真撮影と握手をすることを待つのみとなる。

 家を出る前、私は写真写りのことを考慮して、黒っぽい背広の下に薄い色のシャツを着ておいた。背景が白っぽければ背広を着たままで撮影してもらい、背景が黒っぽければ背広を脱いで撮影してもらうのだ。そうすれば、自分の体が背景に溶け込んでしまうことはない。

 私はストリップ劇場通いをしていた時期があるので、ポラロイド撮影に関しては普通の人より場数を踏んでいる。ストリップ劇場では、「ポラ」は常識。劇場が用意するポラロイドカメラで、観客がダンサーのソロショットを撮ったり、他の客にダンサーと自分のツーショットを撮ってもらったりするのだ(もちろん有料で、1枚500円または1000円)。
 広尾ディナーショーでは、最後に握手だけではなくツーショットポラがあると知ったとき、最初に思い浮かんだのは「何かストリップ劇場みたいだな」ということだった。ちなみに、ストリップ劇場でも、最後に握手タイム(こちらは無料)を設けている劇場もある。

 というわけで、ポラ馴れしている私は「背景が黒っぽかったら背広を脱ぐ」と決めていた。
 それなのに、ああそれなのに! 結果はコレである。

20061001広尾ディナーショー

 背広を脱ぐことを忘れてしまった理由は、疲れていたからである。
 矛盾の空間から、早く脱出したかったからである。
 出口に向かう列に並んで待っていたとき、私はもう「ファンレターを渡して、とっとと帰る」ことしか頭になかった。疲れや苛立ちが、思考を停止させてしまっていたのである。我ながら情けない。

                 かおりんは、小さかった?!

 そんな思考停止状態だった私は、いよいよ自分の番が来て
「では次の方どうぞ」と案内されると、
(まるで病院で医師の問診でも受けるような感じだなぁ)とか思いながら、カーテンで仕切られた空間に一歩踏み込んだ。
 その次の瞬間、小柄な女性が私の横に立っていた。
(誰、この小さい人?)
 その小さい人こそ、かおりんだった。
 とても168cmあるようには見えない。
 私がかおりんよりも1段高いところに立たされていたのか、かおりんがスリッパのようなペッタンコの履物を履いていたのか、あるいはかおりんが膝を曲げて背を低くしていたのかは、確認できなかった。とにかく、かおりんが小さく見えたことにビックリした。
 私は、
(この小さい人、本当に、かおりん?!)
と戸惑いつつ、その戸惑いを隠さなきゃならないことで、もうアップアップの状態。
「写真とります」→「はい握手」
という流れ作業に載せられてしまい、握手の際に「応援しています、頑張って下さい」というのが精一杯だった。

 今になって写真を見ると、身長168cmという数字も、特におかしくはない(私の身長は175cm)と思える。
 思い出されるのは、鶴舞劇場の舞台の外でセレナさん(かおりんとほぼ同じ身長)と遭遇したとき、セレナさんが小さく感じられたこと。あの時は、セレナさんが寒さから身を縮こまらせていたので小さく見えたわけだが、今回のかおりんも、最初に遭遇したときは挨拶がてら腰を低くしていたから小さく見えたのだと思う。

                    俺はもう、割り切った!

 ファンと一般人との間で葛藤しながらショーを観るのは、今回で終わりにしようと思う。
 少なくともライブの最中は、一般人の視点は捨て、ファンの視点だけで楽しむことにする。
 かおりんに、プロの歌手としてのクオリティを求めないと言うわけではない。それは、ライブが終わってから考えることにするのだ。

 現時点では、かおりんの歌声が、「一般人としての私」の心には響かないことは事実である。
 しかし、「ファンとしての私」の心に響くこともまた、事実なのだから。

自分はアイドル歌手のコンサートにいつまで足を運び続けるのか?

自分はアイドル歌手のコンサートにいつまで足を運び続けるのか?


 41才にして、モー娘。目当てで来年1月の『ワンダフルハーツ』に足を運ぶことを決めた。入金は済ませたので、あとはチケットの到着を待つばかりである。
 自分の席が例え最後列であっても、当日少々体調が悪くても、このコンサートは行くつもりだ。モー娘。目当てで行くコンサートは、おそらくこれが最初で最後になると思うからだ(その理由は→ こちらの記事 )。

 それにしても、41才のオッサンが、保護者としてではなく個人の意思のみで『ワンダフルハーツ』に行くというのは、さすがに気恥ずかしいものがある。いかにハロプロのファンとは言え、30歳過ぎたら『エルダークラブ』だけにしておけと、自分でもそう思う。
 ちなみに、私は「かおりん」こと飯田圭織のファン(イチ推し)なので、当然ながら『エルダークラブ』は2年連続参加となる。

 世間一般の眼は、『ワンハー』だろうが『エルダー』だろうが、いい歳したオッサンがアイドルのコンサートに足を運ぶこと自体を異常と見なすに違いない。しかし、私は所構わずヲタ芸を打つような非常識な人間ではない。自分のファン活動で世間の皆様に迷惑をかけたり不愉快な思いをさせたりしていないという確固たる自信があるので、世間一般の眼は気にならない。
 気になるのは飽くまでも、ハロプロファンという“身内”の眼なのだ。
「アナタ、年齢的にそろそろコチラは“卒業”なのではありませんか?」
と言われているように感じてしまう、“コンサート会場にいる他人”の眼である。

 何歳になるまで、コンサートなどのイベント現場に足を運ぶのか?
 「現場に行くファン」には、“定年”があるのか?
 いかにハロプロ系イベントの客の年齢層が高い(私の経験からは、25才~35才までの層が9割以上を占めているように思う)とは言え、会場を見渡したとき40才以上と見受けられる客は明らかに少数派である(かおりんのクリスマスディナーショーでは、必ずしもそうとは言えない微妙な感じだったが)。やはり40才という年齢が、「現場ファン」の中でも一つの区切りにはなっているのではないか。あるいは、ハロプロの歴史からすると、20代後半でファンになった層が、まだ40代に突入していないということなのかも知れない。

 かおりんとアヤカに関しては、彼女達が結婚するか引退するまで、「現場ファン」を続けるつもりである。
 メロン記念日に関しては、彼女達が結婚しようが出産しようが、現在の4人が現在の方向性でメロン記念日を続ける限り、私も「現場ファン」を続けるつもりだ。
 かおりん・アヤカ・メロンに関しては、このように明確な方針を既に持っており、他のアイドルとは完全に一線を画している。要するに、彼女達の「現場ファン」であることに関しては、自分の方から“定年”を持ち出すことはしない。今回の自問自答からは対象外となることを最初に記しておく。

 ごっちんに関しては、推しの上位に入ってはいるものの、まだ単独のコンサートを現場で観ていないので、何とも言えない。10月と11月のソロコンサートを観てから考えることになるだろう。
 チャーミーに関しても、ごっちんと同様である。ただ、美勇伝というグループは結成当初から一貫してセクシーさを前面に出し続けており、その意味ではごっちんよりもメロンよりもオッサンに対する許容度が大きいイメージがあるとは言える。単独のコンサートに行くのは来年になると思うので、その時にまた考えたい。
 いずれにせよ、美勇伝は最初から、ごっちんは最近の路線変更?で、どちらもアダルトな雰囲気のアイドルだと言うことが出来る。これに加え、岡やんを除けば全員成人であることからも、「キャバクラに通うようなものだよ」あるいは「キャバクラに通うよりは健全かつ安上がりだよ」という言い訳も成り立つ。

 私にとってちょっと深刻な問題となっているのは、キッズ世代である。
 既に私は小春のファンになっている。かおりんやメロンのように無条件に推すわけではないが、『恋カナ』に続くソロPVも、『MUSIC ON TV!』などでチェックした後、自分の好みに合っていれば買うつもりである。
 ちなみに、小春のいるモー娘。本隊のPVには食指が動かない。かおりんが抜けた後、ずっとモー娘。のPVを買っておらず、気持ちがまだその延長上にある感じなのだ。

 キッズのエースである雅に関しては、“セクシーオトナジャン”以降、密かに注目していた。雅に注目したことがきっかけで、現在はベリ工の友理奈と茉麻、℃-uteの舞美とえりかにも注目するようになっている。彼女達に対しても小春同様、ソロDVDが出れば買う可能性があるので、ファンになっていると言えるのかも知れない。
 ベリ工や℃-uteというユニット自体のPVも、今後購入する可能性がある。と言うことは、私は既にモー娘。のファンというより、ベリ工や℃-uteのファンなのだろうか? 現在のモー娘。に関しては、どうしても「かおりんが抜けた」「昔の方が良かった」というマイナスイメージを持ってしまうから、そういう流れになってしまうのだろう。

 しかし、どう考えても、現在中2、中3である彼女達目当てで現場に足を運ぶわけには行かない。
 モー娘。目当ての『ワンフー』で、キッズ世代の彼女達も併せて観るというケースは別に構わないと思うが、小春目当てでモー娘。のコンサートに行くとか、増してやベリ工や℃-uteの単独イベントに行くのは、年齢の面において明らかに自分の守備範囲から外れた行動となる。

 逆に言えば、一体いつになったら、小春や雅をライブで観ることが許されるのだろうか。
 端的に言えば、「彼女が18才になったら許される」というのが、私の出す答えである。
 そしてこれが、「自分はアイドル歌手のコンサートにいつまで足を運び続けるのか?」という問いに対する答えにもなるのだ。

 ℃-uteに関しては、舞美とえりかの両名が18才になる2010年2月7日を以ってライブでの観賞(イベント参加)を解禁。これが私にとって、キッズ世代を目当てにした最初のライブ観賞となるだろう。
 次に、小春目当てのライブ観賞を、小春が18才になる2010年7月15日を以って解禁。
 ベリ工に関しては、雅と茉麻の両名が18才になる2010年8月25日を以ってライブ観賞を解禁。
 そして、ベリ工ライブ解禁1年後の2011年8月25日を以って、私は「アイドル歌手の現場ファン」を“卒業”する。このとき、私は46才になっている。
 18才になった小春、雅、茉麻、舞美、えりか、17才になった友理奈をライブで見ることが出来れば、現場系アイドルファンとしては、もう思い残すことはないだろう。
 そのために、そのときが来るまでは、「現場ファン」を続けよう。

 2010年は、メロン記念日が10周年を迎える年でもある。
 願わくは、メロン記念日も、私が推すキッズ世代も、その年まで芸能界にいてくれんことを…

パシフィックヘブン・イベント アヤカ&保田圭

パシフィックヘブン・イベント
                   アヤカ&保田圭
             日時:2006年9月29日(金)18時30分~

 2度目のパシイベである。(前回のパシイベ【村田めぐみ&斉藤瞳】記事は こちら )。
 前回は、最後の握手のときに軽くテンパってしまった。同じ過ちを繰り返さないため、今回は想定問答を考えておき、一応イメージトレーニングしておくことにした。
 まずは、アヤカ。前回、ヒトミンの想定外の返答によって一瞬固まってしまった経験を踏まえ、3パターンを想定してみた。

アヤカ「(今日は来て頂いて…の類の言葉)」
私「ソロのDVDや、ソロ写真集2冊目を、早く出して下さい」
 (想定1)
 アヤカ「出したいです。出たら買って下さい!」
   私「発売されたら、3冊買います!」
 (想定2)
 アヤカ「ゴルフのDVDは出てるんですよ」
   私「私はゴルフは全然やらないんですけど…そのDVDは買いました!」
 (想定3)
 アヤカ「ゴールドレディの写真集を出したことになってはいるんですけど」
   私「ゴールドレディはDVDで拝見しました。是非本当に写真集を出して下さい。3冊買います!」

 次に、圭ちゃん。

圭ちゃん「(今日は来て頂いて…の類の言葉)」
私「楽しかったです。またハロモニに出演して下さい」
圭ちゃん「(ここで、圭ちゃんがどんな返事をしてくれたにせよ)」
私「頑張って下さい、応援しています」

 圭ちゃんを決してないがしろにするわけではないのだが、正直な話、今回の本命はアヤカなのである。二兎追う者は一兎をも得ず。アヤカとの握手だけで一杯一杯になるであろう私が、圭ちゃんに対して臨機応変な行動など取れるだろうか?(イヤ、出来まい)。
 少々不自然でも、社交辞令風に締めることは許されると思う。圭ちゃんだって、目の前でオッサンにテンパられるよりは、ややスルー気味でも順調に流れていってくれた方が遥かにマシだろう。

 さて、今回の私の整理番号は70番台。この時点で最後列確定である。
 まぁ、それでも7または8列目。これをコンサート会場に置き換えれば、更に前列に相当するはずである。そういう席で、ハロプロの中でも私が推すトップ6に入るアヤカを見ることが出来るのだから、最後列とは言え捨てたものではない。
 ちなみにこの日、整理番号70番台の入場チェックが始まっても、まだ10名ほどが来ていない模様であった。それぞれ事情はあるのだろうが、80人しか参加者のいないイベントで10人が欠席というのは、ちょっと欠席者の数が多いと思った。

 チェックを済ませてパシフィックヘブン店内に入ると案の定、空席は後ろの方にしか存在しない…と思ったら、何故か4列目にポツンと一つだけ空席が在った。
「ここ、空いていますか?」
隣の席に座っている方に確認を取ると、私はその空席に腰を降ろした。そしてすぐに、そこから見た正面1列目の席に人がいないことに気付いた。
(あ、原因はコレか)
 私はポンと来た。いや、ピンと来た。今は席を外している正面1列目の席の主が、大柄な人物であると。前の席に大きい人がいると、その後ろの席は敬遠される。直後の席は椅子半分横にずれているので問題なくても、その更に後ろの席は、まともに被ることがある。この席は、恐らくそれが原因で、4列目であるにも関わらず誰も座ろうとしなかったのだ。
 しかし、私は敢えてその席を選ぶことにした。私の身長は175cmと比較的高めである。更に同じ身長の人と比べると、自慢じゃないが座高は私のほうが高い場合が多いのだ。私の後ろの席の人には申し訳ないが(「前列が空席でラッキー」から「座高の高い奴が目の前に」へと暗転)、これも運というもの。この不運は、きっとどこかで取り返すことが出来ると思って諦めてもらうしかない。

 想像した通り、暫くすると私から見た正面1列目には、大柄な方が腰を降ろした。
 しかし、私にとってはラッキーなことに、アヤカの立ち位置は、ちょうど上手い具合にその方のシルエットを避ける位置であった。私が座る4列目からでも、ミニスカート姿のアヤカのフトモモが、ちゃんと拝めたのである。
 前回のパシイベに続く幸運に喜ぶと共に、これで今年のツキは使い果たしたんじゃないかと少し不安になった。(この予感は、2日後に的中することになる…)

 アヤカの生フトモモが拝めたのは良かったが、私の好みからすると、ちょっと細かった。頬のラインもちょっとシャープ過ぎる感じで、この日のアヤカは痩せ過ぎていたと思う。女性は、もうちょっと肉付きが良くないとね。
 でも、美人であることに変わりはない。しかも、ツンツンした美人ではなく、可愛い系の美人。ちょっとした仕草や、体の動かし方が可愛いのである。これは計算してやれることではない。

 この日、アヤカはソロで歌った曲のサビの歌詞を飛ばしたが、練習中に「この曲は何故かサビを飛ばしやすい」と自覚していたとのこと。そんな曲をわざわざ選び、本番のステージでも飛ばしてしまうのだから、これはもう自爆以外の何物でもない。
 みうなのような「宇宙系・不思議ちゃん」キャラとは距離を置いていると思うが、かおりんのような「交信系・天然ボケ」キャラには結構近い。と言うか、普通にボケキャラだと思う。
 それなりに狡猾な一面も持ち合わせている上、英語が喋れるので気付きにくいかも知れないが、アヤカは基本的には「白痴美人」キャラなのだ。TVドラマで「自分では要領が良いと思っているが、実はドジで失敗の多い美人OL」を演じたら、ハマリ役になること間違いなしである。

 圭ちゃんは、歌が上手いことを再確認できた。あっちゃん(稲葉貴子)には及ばないが、それに次ぐ上手さだと思う。プロの歌手として合格ラインに達している。この人の歌唱力自体に、お金を払う値打ちがある。
 逆にアヤカは、(サビを飛ばしたことは別にしても)プロの歌手としての合格ラインには達していない。今月末に25才になるアヤカには、かおりんのような「元モー娘。」といったアドバンテージがなく、芸能人として生活していくには、俳優業しか選択肢がないだろう。
 それにしても、アヤカが漢字に弱いことが仕事の上で本当にネックになっているとは思わなかった。ファンとしては、芸能界を引退する前に一ブレイクして欲しいので、この弱点は克服してもらわないと困る。どうも本人からは、「一生懸命、漢字の勉強をする」という強い意志が感じられなかった。本人は、もうちょっとしたらハワイに戻って…とか考えているのだろうか?

 最後の握手は、いろいろ考えてきた割にはアッケなく終わった。
 最初は圭ちゃんで、
私「楽しかったです。またハロモニに出演して下さい」
圭ちゃん「ありがとうございます」
私(アラッ?それだけ?と思いつつ笑顔で会釈)

 続いて、アヤカ。
私「ソロのDVDや、ソロ写真集2冊目を、早く出して下さい」
アヤカ「ありがとうございますぅ~」
 このときアヤカは、何故か泣き出しそうな感じのクシャクシャな表情を作った。「ああ、嬉しい!」というよりも「ああ、痛いところを突かれた!」といったリアクションだったので、こっちも戸惑ってしまった。

 店を出て、大江戸線に乗るために地下へと潜っていく間、アヤカのリアクションのことが気になって、つらつらと考えていた。
 そう言えば、岡やんはソロの写真集を出した後、ソロのDVDが出たんだっけ?
 『アロハロ』と銘打たれたシリーズのDVDに、ハワイに留学していた自分がエントリーされていないことに対し、アヤカは内心忸怩たる思いを抱えていたのか?

 アヤカは、ハロプロの中でも元々2軍的なポジションだったのだが、最近はキッズ世代の台頭で更に表舞台から遠ざかっている感がある。40過ぎの私が言うのも何だが、若い世代に負けないように頑張ってもらいたい。水着の写真集やDVDも、まだまだイケルぞ!
 今回のようなパシイベの類は、とにかく申し込みしていこう。自分の出来る範囲でアヤカを応援していこう…との思いを新たにした私なのであった。
 でも、アヤカが「ファンクラブイベント担当」みたいになるのは嫌だなぁ。それは、表舞台からドンドン遠ざかる方向であるように思える。ファンの心理も複雑なのだ…

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震電

震電

 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。

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