2006-09

WBAの採点基準を本当に理解しているファンはどれ位いるのか?

WBAの採点基準を本当に理解しているファンはどれ位いるのか?


     誰か、WBAルール(最新版)を全文和訳してくれ!

 『ボクシングマガジン』10月号には、ガッカリさせられた。
 表紙に大きく「徹底検証 8.2判定」という見出しが踊っていたので、WBAの採点基準(それも最新版)の和訳が掲載されていると期待したのに、そうではなかったからだ。
 それどころか、11ページには、金平会長の不可解な発言が掲載されている。その中の、WBAの採点基準に言及している部分を引用してみよう。

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 採点基準はあるんです。第一に有効な攻撃を伴った前進。第二にクリーンヒット。第三にリング・ジェネラルシップ。
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 私はこれを読んで、「それは違うでしょ?」と思わずツッコミを入れてしまった。
 世界戦において、アグレッシブをクリーンヒットよりも上位に評価するという採点の仕方は、韓国人ジャッジに見受けられる誤った(世界標準から外れた)採点傾向であると私は認識している。そして、それが日本のボクシングファンの共通した見解だろうと思っている。
 しかし、私はWBAルールの和訳文をちゃんと読んだことがない。
 果たして、『ボクシングマガジン』10月号で金平会長が述べているWBAの採点基準は、誤りなのか、それとも実は正しいのだろうか?

 WBAのホームページには日本語のページがない。あるレベルに達したボクシングファンなら誰でもそうするように、私も翻訳サイトにコピペを繰り返してチマチマと読解を試みたが、「ポイント差は最大でも10-7」という部分を見つけたところで、やる気を失ってしまった(2004年5月8日、ママルケス兄の持つWBA・IBF世界フェザー級タイトルにパッキャオが挑戦した試合において、10-6をつけたジャッジが2人いたが、WBAはそのスコアを訂正させなかった)。
 翻訳ソフトを使えばPDFファイルを丸ごと和訳することも可能なようだが、この為だけに1万円近いソフトを購入する気にはなれない。WBAのホームページに掲載されている情報が最新版だとは限らないと思うと、尚更である。

 WBCの採点基準に関しては、かなり明らかになっている。WBC審判委員長トム・カズマレック氏の著書『あなたもジャッジだ』が、ジョー小泉氏によって2003年(訳者あとがきの日付は2001年9月)に日本でも紹介されているからだ。
 しかし、これがWBAの採点基準となると、そうではない。少なくとも私は、WBAルールの訳文一式や、解説書を目にしたことがない。

   知っている範囲でWBAとWBCの採点基準を比較する

 ボクシングファンがボクシングの採点基準を説明するとき、用いているのは(本人にその気がなくても)多くの場合JBCの採点基準である。また、WOWOW『エキサイトマッチ』の採点基準の説明も、これとほぼ同様の内容になっている。
 西日本ボクシング協会のホームページ(http://j-boxwest.com/)より、その部分を引用しよう。

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第78条 試合の得点はつぎの4項目を基準として評価、採点される。
 1 クリーン・エフェクティブ・ヒット(正しいナックル・パートによる的確にして有効なる加撃。有効であるかないかは、主として相手に与えたダメージに基づいて判定される)
 2 アグレッシブ(攻撃的であること。ただし加撃をともわない単なる乱暴な突進は攻撃とは認められない)
 3 ディフェンス(巧みに相手の攻撃を無効ならしめるような防御。ただし攻撃と結びつかない単なる防御のための防御は採点されない)
 4 リング・ゼネラルシップ(試合態度が堂々としてかつスポーツマンライクであり、戦術、戦法的に相手に優れ、巧みな試合運びによって相手を自己のペースにもっていくこと)

第79条 採点は『10点法』による。その分類は、試合内容によって次の4段階とする。
  1 10=10(互角の場合)
  2 10=9(若干の勝ちの場合)
  3 10=8(ノック・ダウンまたはこれに近い状態をともなう明らかな勝ちの場合)
  4 10=7(相手が全くグロッギーでノック・アウト寸前の圧倒的な勝ちの場合)
  [備考] 10=6はつけず、この場合は当然TKOである。
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 このJBCルールを読んで気付くことは、まず「つぎの4項目を基準として評価、採点される」と書かれているだけで、4項目の優先順位や重み付けに関しては何も記述がないということである。
 もう一点は、「リング・ゼネラルシップ」の記述が、「ディフェンス」よりも後になっていることだ。しかし、前述したように、この記述の順番が判定における優先順位であるとは書かれていない。

 そしてこのJBCルールは、WBAルールとほぼ同じであるようだ。『世界のボクシング・トピックス』(ジョー小泉氏著)の258ページから、WBAの採点基準に関する記述を引用してみよう。(このページの記事の日付は2001年7月9日)

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 WBAの基準は、①有効なクリーンヒット、②攻勢(手数)、③防御、④リングジェネラルシップ(試合運びの巧さ)である。
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 ここでも基準として4項目が挙げられているが、その優先順位や重み付けに関しては記述がない。これを見ると、JBCルールがWBAルールを元にしたものであることは、ほぼ間違いないだろう。
 同書では、これに続いてWBCの採点基準についても触れているので、これも引用しておこう。

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 参考までに、WBCの基準は、①有効な攻勢(パンチのパワー、手数、正確さの順で判断)が7割、②リングジェネラルシップ2割、③純然たる攻勢(勝ちにいく姿勢)1割と、各項目に重み付けをしている。
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 WBCの採点基準は、各項目に優先順位と重み付けが設定されていることが明記されている。『世界のボクシング・トピックス』の258ページを読む限り、「WBCの採点基準は、WBAとは異なり、各項目に優先順位と重み付けが設定されている」という印象を受ける。
 また、最後の1割に「勝ちにいく姿勢」を割り振っているのも、WBAには見られない表現だ。WOWOW『エキサイトマッチ』で最近放送された、バレラVSフアレスの第2戦(WBC世界Sフェザー級タイトルマッチ)において、ジョーさんがこの「勝ちにいく姿勢」を根拠にして微妙なラウンドをフアレスに振り分けたのは、記憶に新しいところである。

 『あなたもジャッジだ』からも、WBCの採点基準を引用しておこう。

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 ジャッジが各ラウンド、ひいては試合を採点するにあたり、3つの基本的項目がある。
1.クリーンヒット、有効な攻勢
2.リング・ジェネラルシップ
3.防御
(以上は、7ページから)

 動く方向が前であろうが後であろうが、主導権を握り、数(手数)と質(パワー)両面においてクリーンヒットをきめた選手がそのラウンドを取る。
(以上は、8ページから)

よい選手はクリーンヒット、効果的攻勢、リング・ジェネラルシップを兼備している。もしこの3つの基準でラウンドの勝者を決められぬ場合、どちらが防御がよかったかで差をつける。
(以上は、12ページから)
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 『あなたもジャッジだ』を読んで、WBCの採点基準に関してまとめると、以下のようになる。
(1)採点基準に3または4項目を挙げているのはWBAと同じ。
(2)防御の評価よりも、残りの3項目の方を優先的に評価する。
(3)クリーンヒットと有効な攻勢は、一まとめにして語られる傾向がある。

              自分なりに整理してまとめると…

 『世界のボクシング・トピックス』の記述と併せると、WBCの採点は、4項目を以下の優先順位で評価することになるというのが、私の結論だ。

1.クリーンヒット(有効打)と攻勢(手数)
2.リング・ジェネラルシップ
3.防御
4.勝つ姿勢

 「クリーンヒット(有効打)と攻勢(手数)」で優勢だと判断された選手が、それ以外の項目で劣勢であるとは考えにくい。
 また、仮に「クリーンヒット(有効打)と攻勢(手数)」で優勢だと判断された選手が、それ以外の項目で劣勢であったとしても、例えば「70点のうち60%を取ったので42点(やや優勢だった)」&「残り30点のうち30%を取ったので9点(明らかに劣勢だった)」の場合、総合的には「51対49」で優勢となる。
 私の「4項目の優先順位に従って採点し、より優先順位の高い項目で差がついたら、その下の項目に関しては原則として考慮しなくても良い」という考えは、分かりやすくて整合性があると思うが、どうだろうか。

 最後に、WBAの採点基準に立ち戻ってみよう。
 ボクシングが格闘競技である以上、防御が攻撃よりも高く評価されることは有り得ないというのが、私の考えである。この個人的な見解を含め、とりあえず現時点では、私はWBAの採点基準を以下のように解釈することにした。

1.クリーンヒット(有効打)
2.攻勢(手数)
3.リング・ジェネラルシップ
4.防御

 WBC同様、4項目は上から並んでいる順に優先的に評価されるものとする。
 クリーンヒットと手数を明確に分けている点と、最後の最後に「勝つ姿勢」という項目を持ち出さない点が、WBCとの違いとなる。
 

 ボクシングの採点基準に関しては、まだまだ言いたいことがあるのだが、今回はこの辺で。

※おまけ

 サンスポのニュース記事 によると、WBA総会で、ルイス・パボン審判委員長が「8月の亀田戦をビデオで見たが、私の採点では亀田が3ポイント負けていた」と発言したとのこと。
 ちなみに我らがジョーさんは、「ジョー小泉のひとりごと」の中の8月17日付けの記事「私の中の亀田騒動整理」で、114-113で亀田勝利の採点をしている。うーむ。
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11月13日、日本武道館で長谷川穂積とイーグル京和がダブルタイトルマッチ!

11月13日、日本武道館で長谷川穂積と
             イーグル京和がダブルタイトルマッチ!

 7月15日、後楽園ホールで予定されていた長谷川穂積の防衛戦の「指定A席」チケットを、私は購入していた。この試合は長谷川の胸部骨折のため中止となり、「聖地で行われるWBC世界バンタム級タイトルマッチ」は幻と消えた。
 長谷川の試合が後楽園で組まれたこと自体、イレギュラーな事態であったし、もともと彼は関西の選手である。怪我が癒えたら、世界戦は関西の会場で行われるに違いない…私はそう思い込んでいた。

 ハロプロのファンクラブに入ったこともあり、このところは、ハロプロのイベントのスケジュール調整で頭が一杯。ボクシングに関しては、年内にリナレス試合をあと一回後楽園で観戦したいなと思いつつも、ずっとチェックを怠ってきた。

 今朝、久し振りにボクシングのチケット発売状況をチェックしたら、何と長谷川の防衛戦のチケットが既に発売されているではないか! しかも、イーグル京和も同じ興行で防衛戦を行う、ダブルタイトルマッチである。
 場所は日本武道館。関東圏在住のボクシングファンとしては、もう行くしかあるまい。アリーナ席のチケットが、まだ残っていた。もう既に良席は売れてしまっているだろうが、ダブルタイトルマッチで、アリーナ席に空席が目立つようなことがあってはいけない。私は、自らの体でアリーナ席の一つを埋めることにした。

 長谷川穂積の防衛戦は、ランキング1位の相手を迎え撃つ指名試合。
 イーグル京和に関しては、後楽園ホールで観戦したマヨール戦が、まだ記憶に新しい。会場は変わるが、同じボクサーの防衛戦を2回続けて生観戦することになるわけだ。

 試合当日まで、既に2ヶ月を切っている。
 そして試合前日、私は後藤真希のコンサートに行くことになっている。
 我ながら凄いスケジュールを組んだものだ。
 でも、組んじゃったものは仕方ないんだってば、もう。

モー娘。に関して思うこと

モー娘。に関して思うこと


           初めて「モー娘。」目当てでライブに行きたくなった

 私はモー娘。のファンだった。
 そして今でも一応モー娘。のファンである。
 「一応」という但し書きを付けるのは、かおりんこと飯田圭織が卒業後、メンバーのソロ写真集以外のモー娘。関連商品を買っていないからだ。今でも『ハロモニ。』は毎週欠かさず観ているが、モー娘。単体のコンサートに行った経験はない。

 私はモー娘。のファンと言うよりも、かおりんのファンだったのかも知れない。
 今年の1月、ハロプロを二つに分けて行なわれたイベントに関しても、かおりんのいる『エルダークラブ』は観に行ったが、もう一方の『ワンダフルハーツ』には食指が動かなかった。来年1月に予定されている同イベントに関しても、最初はそうだった。

 しかし、ファンクラブ先行予約の申込締切が迫るにつれ、『ワンダフルハーツ』も観に行きたくなってきた。それが何故かは、暫く自分でも分からなかった。最近、小春のファンになり、Berryz工房 と ℃-uteのDVDも買って、ハロプロキッズ世代のメンバーにも関心を持つようになったことは確かだが、それが主たる理由になっているとは自分でも思えない。
 俺はいったい何を見たがっているのだろう?
 そこで、ふと気付いた。自分は、「8人になったモー娘。」を観たがっているのだと。8期が加わり、9人以上になる前のモー娘。を、ライブで一目観ておきたいのだと。

                   私が観たかったモー娘。

 私がモー娘。のファンになった時期は、福田明日香の脱退が決定した後である。歌番組でモー娘。を初めて観たとき、司会者が福田に対し「もうすぐ辞めちゃうんですよね」みたいな話を振っていたことをハッキリと覚えている。多分、1999年の2月か3月だと思う。
 この時のモー娘。は8人編成だった。1997年9月に結成されてから2000年4月に4期が加入するまでの2年7ヶ月の間、モー娘。はずっと8人以下で編成されていたのだ。

 私は、この「8人以下」という人数に拘りがある。
 私は部活でバスケットボールをやった経験があるので、5人というチーム編成に愛着がある。また、純粋にダンスのフォーメーションを考えても、5人というのは「円」を表現するのに必要な最少人数(4人だと「四角」までしか表現できない)であり、最も効率の良い(一人当たりの表現密度が最も高い)編成だと考えている。10人は、その2倍であり、どう考えても多すぎる。
 歌におけるソロパートや、PVや歌番組におけるソロショットの割り振りのバランスを考えても、最大で8人までとするべきなのだ。実際、ハロプロ内でもモー娘。以外に8人を超える編成のグループ(メジャーデビューしている実働グループ)は存在しない。モー娘。の妹分といえるBerryz工房 と ℃-uteも、8人以下の編成となっている。
 また、モー娘。が8人以下の編成であった期間は、どちらかと言えばアダルトなイメージのグループだった時期でもある。ごっちんが加入するまでは中学生のメンバーはいなかったし、楽曲もアダルトな感じのものが多かった。

 私が本当に好きだったモー娘。、私がコンサート会場に足を運んでまで観たいと思っていたモー娘。は、この「8人以下編成」時代のモー娘。だった。この期間と、私がモー娘。を観始めた時期を重ね合わせると、1999年の2月か3月から2000年4月までだから、1年ちょっとしかない。
 この僅か1年ちょっとで、私が本当に好きだったモー娘。の形は、失われてしまった。
 4期のメンバー自体は粒揃いで当時から好感を持っていたが(チャーミーに至っては、現在推しメンになっている)、4期が加わった『ハピサマ』が歌番組で披露されたとき、「これは自分が見たいと思っているモー娘。ではない」ことを強く意識した。

 4期の加入により、モー娘。はそれまでのアダルトなイメージから、低年齢層向けのイメージに明確にシフトした。(ごっちんの加入と『ラブマ』は、まだニュートラルな状態だったと思う)
 そして、その傾向は加速していった。
 明らかにアダルトなユニットだったタンポポまでが、4期メンの加入によって方向性を変えたことは、かおりんファンの私にとっては二重の落胆をもたらした。モー娘。のコンサートに行く気が完全に失せてしまったのは、多分このときである。

               「失われた6年」が過ぎて、再び

 2000年4月から始まった10人以上編成と低年齢化の両路線は、編成面において一時的に中断した時期もあったが、基本的には今年の4月にこんこんと麻琴の卒業が発表されるまで、ずっと継続されてきた。そして8期の募集が行なわれている以上、現在も継続されていると考えるべきだろう。今の状況は、以前裕ちゃんが卒業した直後のように、「たまたまそうなっているだけ」なのだ。
 それでも、2000年1月から2006年4月までの「失われた6年」の後に訪れた、「8人編成で中学生は1名のみ」という偶然の一致を、私の無意識は見逃さなかった。

 中澤、石黒、飯田、安倍、保田、矢口、市井、後藤
 吉澤、藤本、高橋、新垣、亀井、道重、田中、久住

 本当に好きだった頃を思わせる編成が、今のモー娘。にある。
 もちろん、かおりんも彩っぺもいない、あの時とは文字通り全く「別人」のモー娘。である。
 この二つのモー娘。を、重ね合わせることなど出来はしない。
 現在のモー娘。からは過去のモー娘。の幻影すら見出せないし、そうしたいとも思わない。
 ただ事実だけを見れば良いのだ。高橋愛は既に二十歳になっている。よっすぃー、ミキスケと合わせて、8人中3人が成人である。そして、ガキさんと絵里は、来年1月の『ワンダフルハーツ』の時点では18歳になっている。けっこう、「オトナ」なグループではないか。

                    罪悪感からの離脱

 4期の加入により、モー娘。にとって中学生メンバーが「例外的存在」でなくなったとき、私はモー娘。のコンサートに行く「言い訳」を失った。モー娘。が中年サラリーマン層もターゲットにしたアイドルグループだとは思えなくなったのだ。
 自分は、モー娘。の対象年齢の中には入っていない。だから、かおりんをライブで観たいのは山々だが、モー娘。のコンサートには行かない。客席からかおりんに声援を送るのは、かおりんが娘。を卒業してソロコンサートを開くまで待つことにしよう。

 既に述べたが、私は4期メン自体は好きだ。5期メン以降のメンバーも全員好きだし、1999年3月以降、モー娘。のファンを辞めたことは1日たりともないと自覚している。
 こんこんが卒業するときは、コンサートに足を運ぼうかとも思った。しかし、私はかおりん在籍中にモー娘。のコンサートには一切行っていない(かおりんの卒業コン含む)。かおりんのいないモー娘。のコンサートに行くことは、かおりんに対する裏切り行為のように思えてしまう。
 そう思って、モー娘。のコンサートには足を運ばず、今日に至っている。

 私はいつの間にか、理由と結果を逆転させてしまっていたのだ。
 モー娘。のコンサートに行くことを自分の中で封印したのは、モー娘。の低年齢層化戦略に自分が乗れなかったからである。かおりんのいるモー娘。を、会場では一度も観ずに終わったのは、それが理由だった。この結果から、「かおりんのいないモー娘。のコンサートには行けない」という理由を導き出すのは、本末転倒以外の何物でもない。
 
 来年1月の『ワンダフルハーツ』の時点では、舞台に立てるモー娘。は、まだ8人のままだろう。その時、その8人の平均年齢は、18歳を越えている。
 偶然が生んだほんの一時的なものであるにしろ、条件は整うのだ。

                   モー娘。の現状と未来

 今、私がグループとして一番推しているのは、メロン記念日である。メロン単独のコンサートは、極力行くようにしている。今日まで一度もモー娘。単独のコンサートに足を運んでいない私は、この事実だけをとると、モー娘。からメロンに流れたハロプロファンと言えるかも知れない。
 しかし、私は今でも「一応」モー娘。のファンだし、モー娘。目当てで来年の『ワンダフルハーツ』を観に行くつもりにもなっている。ファン歴足掛け8年目にして漸く、モー娘。目当てでのコンサート参加が実現しそうなのだ。

 だが、それも最初で最後となる可能性が高い。
 モー娘。ファンとしての私は、一瞬浮上して、また水面下へ潜っていくことになるだろう。8期が加入し、モー娘。が9人以上の編成として本格的に活動を始めることで、一時的に揃っていた条件が霧消するのだから。
 でも、それでいいのだ。それが私にとって自然な有り方なのだから。そしておそらく、モー娘。にとっても。

 モー娘。の現状は厳しい。このところシングルCDの累計売り上げが5万枚(これは結成当時、メジャーデビューの条件となった手売り枚数である)を割り込むなど、ずっと低迷が続いている。これを「シングル4万枚台で安定」と受け止める人は少ないだろう。メンバーの卒業によっては、3万、2万の台に落ちることも充分に考えられるからだ。

 今のモー娘。に残されているのは、もはや知名度だけと言っても良いかも知れない。
 それも、現在の知名度ではない。かつての最盛期の知名度が、今のモー娘。に遺産として引き継がれているだけなのだ。今、一般層にモー娘。のメンバーを尋ねたところで、ナッチ・ゴマキ・辻加護…その辺りの名前しか出てこないだろう。

 モー娘。の未来がどうなるのかは、誰にも分からない。
 ある日突然、現在のモー娘。メンバーが全員卒業となり、ベリ工 か ℃-uteのどちらかが「モーニング娘。」の名前を「襲名」するということもあるかも知れない。
 もちろん、8期の加入や小春の人気上昇によって、シングルの売り上げが10万枚の大台を回復する可能性もないわけではない。
 とりあえず私は、「モーニング娘。」という名前のアイドルグループが存在する限り、その姿を見つめ続けるだろう。アイドル史上において、エポックメイキングとして語られるべきグループであることだけは間違いないのだから。

Berryz工房 と ℃-uteを解体せよ!

Berryz工房 と ℃-uteを解体せよ!

     ~ ハロー!プロジェクト・キッズ+α メジャー化計画~


 ハロプロの本隊とも言えるモー娘。は、このところシングルCDの累計売り上げが5万枚(これは結成当時、メジャーデビューの条件となった手売り枚数である)を割り込むなど、ずっと低迷が続いている。
 名実共にその妹分と言えるBerryz工房は、デビューして2年8ヶ月が経過しているにもかかわらず、一般に対しては無名に等しい。
 もう一つのキッズ系ユニットである℃-uteが、先ごろDVD(PV集)でメジャーデビューを果たしたが、このままではベリ工(Berryz工房)の二の舞を演じることは確実である。

 何が問題なのか、それは明確である。(ヲタまたはそれに近いファンならば誰でも気付いているだろう)
 モー娘。とベリ工と℃-uteが、互いに喰い合っているのが問題なのだ。
 以前から存在しているハロプロ系のファンを互いに奪い合っているだけで、新規のファンを開拓していない。これでは、大きな成長など出来る筈がない。

 モー娘。から、ベリ工や℃-uteに流れている「以前から存在しているハロプロ系のファン」は、あと5年もすれば半減し、10年もすればほぼ消滅する。
 ハロー!プロジェクト・キッズの“定年”が、せいぜい19歳までというのが当初からの設定ならば、今のままの流れでもあるいは正解なのかも知れない。
 しかしそれは、モー娘。もベリ工も℃-uteも、解散までの数年間は縮小再生産を毎年続けるということであり、余り美しいとは言えない。また、ベリ工も℃-uteも、そうなるには惜しい人材を抱えていると思う。

 では、どうすれば良いのか?
 当然ながら、全く新規のファンを獲得すれば良い。即ち、現時点でハロプロメンバーのファンになっていない層(ここでは便宜的に一般層と呼ぶ)から、新規にファンを獲得するということだ。
 問題は、「どうやって一般層から新規にファンを獲得するのかと」いうことになる。
 最近、“生涯アイドルウォッチャー”を自覚しつつある私から、ここに一つの提案をしたい。
 ベリ工と℃-uteの解体である。
 それも、2007年の春までに、だ。
 ベリ工と℃-uteを解体してどうするか?
「一般層にも通用する」ような、特化したグループに再編成するのである。それをこれから説明しよう。


【A】スター性&歌唱性特化グループ(アイドル王道系)

  久住小春(1992年7月15日生まれ)※小春は2006年の年末にモー娘。を卒業させる
  夏焼雅(1992年8月25日生まれ)
  村上愛(1992年6月6日生まれ)
  嗣永桃子(1992年3月6日生まれ)
  鈴木愛理(1994年4月12日生まれ)

 キッズの中で、パッと見で一般層の注目を集めることが出来るのは、雅しかいない。
 しかし、雅ひとりでは、一般向けのグループとしてはスター性が不足する。そこで、小春をモー娘。から卒業させて、こちらへ入れる。
 雅&小春で、ビジュアル面でのダブルセンターとする。この二人のビジュアルなら、少年誌の表紙を普通に飾ることも充分に可能である。小春を根っからの「陽」とするならば、雅はどこかに「陰」を含んだキャラクターだ。二人を並べることで、より互いを引き立たせることが出来ると確信している。

 歌に関しては、桃子と愛理の二人がメインボーカルを務める。歌の面での中心はこちらである。いわゆる“耳に残る声”の二人を集めれば、一般層にもアピールする筈だ。
 めーぐるは、ビジュアルコンビとボーカルコンビを繋ぐ役割を果たす。例えば、「2-1―2」というフォーメーションを組む際、めーぐるは「1」の位置に来るというイメージだ。

 このグループは、アイドルというコンセプトにおけるキッズ世代の最強メンバーを揃えた、少数精鋭部隊である。ファンクラブ限定イベントなどといった姑息なやり方は全面排除し、TV出演をメインにした活動で、真正面から新規ファン獲得に乗り出すのだ(その分、コンサート活動は最小限に留めて学業に支障が出ないようにする)。


【B】スタイル特化グループ(モデル系、ダンス系)

  矢島舞美(1992年2月7日生まれ)
  須藤茉麻(1992年7月3日生まれ)
  梅田えりか(1991年5月24日生まれ)
  熊井友理奈(1993年8月3日生まれ)

 えりかと友理奈は、スマートで手脚が長くモデル並みのスタイルを誇るが、背が高いゆえに現状のグループ内では浮いた存在になっている。この二人を同じグループに入れ、モデル体型コンビとしてキャラを立たせる。
 モデル体型に加えて二人とも美人である。しかも、えりかが洋風の顔立ち、友理奈が和風の顔立ち。よって、引いた絵ではシンメトリー、寄った絵ではコントラストが効いて素晴らしく絵になる。

 ただし、この二人だけでは(現時点の体型だと)線が細すぎて、ボリューム感に欠ける。
 ここに、やはりスマートではあるが日本人離れはしていない(ゆえに馴染みやすい)舞美と、ややふっくらしたプロポーションの茉麻を加え、グループ全体のボリュームバランスを整える。
 表向きのメインは、万人受けするルックスと高い身体能力を兼ね備えた舞美が務めるが、裏のメインはツインタワーのえりか&友理奈である。グループ内で唯一人スタイルの異なる茉麻は、セクシー&コミカル担当で、美味しいところを持っていく役所。

 この4人がビシバシ踊れれば、もの凄く見栄えがする。このグループは、歌唱力よりもダンスのスキルを追及するのだ。歌はそこそこであっても、そのビジュアルのクオリティだけで充分に一般層に通用するだろう。
 衣装もアイドル系のものではなく、ファッションモデル系のデザインのものを着用する。コンセプトは「歌って踊れるファッションモデル」である。流行の先端を取り入れ、女性の目を強く意識することで、従来の男性向けアイドルにはないカラーを演出する。

 メンバー全員が年齢よりも大人びているため、2007年の春の時点なら、男性誌(青年誌)のグラビアを飾ることも不可能ではない。メンバーの成長と共に、かつてない「洗練されたモデル系のセクシーユニット」という新しいジャンルを開拓していくのだ。
 「モデル系」というコンセプトから、女性に対する人気も期待できるのが、このグループの強みである。スマートな3人はもちろん、セクシー&コミカル担当の茉麻も、サバサバしていて男性に媚びないタイプのように思えるので、同性から支持を得られるのではないか。


【C】低年齢層向け特化グループ(ミニモニ。系)

  清水佐紀(1991年11月22日生まれ)
  菅谷梨沙子(1994年4月4日生まれ)
  岡井千聖(1994年6月21日生まれ)
  中島早貴(1994年2月5日生まれ)
  萩原舞(1996年2月7日生まれ)

 ズバリ、「ミニモニ。の再来」をコンセプトとする。
 ただし、身長制限などの枠組は最初から設定しない。尚且つ、モー娘。のように、メンバーの定期的な入れ替えを前提にする。
 年齢が上がったり外見が変化することで、低年齢層向けに特化した当グループに相応しくなくなってきたメンバーは、グループを卒業する(いわゆる「ハロプロ内人事異動」)。欠員は、原則としてエッグなどのハロプロ最若年人材の中から選んで補填する。

 ハッキリ言って、現在のベリ工や℃-uteの楽曲を、小学生に歌わせるのは無理がある。もちろんダンスも同様で、腰をガンガン振るような大人びたダンスを小学生が踊っている姿は、微笑ましいと言うよりは痛々しい。
 いかにアイドルであっても、年相応と言うことは考慮しなければならない。小学生アイドルに相応しいのは、やはり初期のミニモニ。の楽曲であり、ダンスである。

 低年齢層をターゲットにする利点としては、コンサートにその保護者が同行するという点が挙げられる。中高生以上をターゲットにした場合と比較すると、同じ人気でも動員数は単純に2倍になる。
 また、ミニモニ。がそうであったように、低年齢層向け商品として、いわゆる「なりきりグッズ」や「キャラクターグッズ」を売り出すこともできる。マーチャンダイジングという観点からは、中高生向けのアイドルより、低年齢層向けのアイドルの方がむしろ有利なのではないか。

 適材適所ということで、このグループの初代リーダーは佐紀にやってもらう。キッズ全体の中でもお姉さん格である佐紀にとっては、小学生以下の低年齢層をターゲットにした仕事は面白くないかも知れない。しかし、かつて矢口がこうしたポジションをこなしたからこそ、ミニモニ。の成功があったのだ。


 ベリ工ヲタや℃-uteヲタからは、第二次ハロマゲドンとか言われそうな気もするが、このくらいのことをやらずして、キッズ世代にメジャーな人気が出るとは到底思えない。
 18歳になった雅がライブのステージに立っているとき、観客席にいるのは三十路を過ぎたオッサンばかりなんて状況は、想像するだけでも寒くなる。
 しかし、現状のままでは、高い確率でそうなるだろう。
 アップフロント・スタッフの想像力に期待する。

Berryz工房 と ℃-uteのDVDを観た感想

Berryz工房 と ℃-uteのDVDを観た感想


                      不公平の解消

 久住小春のシングルVを買ってしまって以来、ファン心理の端っこに、夏焼雅に対する罪悪感がずっと引っ掛かっていた。
 いきなりハロプロ本隊のモー娘。にエース候補として加入して表舞台に立った小春と、まだ小学生の頃からハロー!プロジェクト・キッズで地道に活動を続けてきた雅(もっとも、私が注目し始めたのは、“セクシーオトナジャン”以降)。二人は同学年・同い年であり、私の意識するアイドルの中では、最若年層の2大エースという位置付けだ。
 私の中では、モー娘。の小春とベリ工(Berryz工房)の雅は、セットなのだ。しかし、私は過去、ベリ工のCDやDVDを一枚も買っていなかった。
 小春に対してだけシングルVを買い、雅に対してはそうしないというのは、自分の中では「不公平な振る舞い」となる。不公平は解消しなければならない。そこで、雅のいるベリ工のDVDも買うことにした。

 折りしも、℃-uteがDVD(PV集)でメジャーデビューを果たすという。
 今までの私にとって、キッズ系で注目している(顔と名前が一致する)のは、夏焼雅と矢島舞美の2名だけだった。舞美は℃-uteのリーダーで、小春や雅と同じ1992年生まれ(学年は一つ上)。だが、私の舞美に対する注目は、℃-uteというグループとは全く無関係であった。
 ヲタ未満のファンには比較的多いケースだと思うが、私が舞美の顔と名前を覚えたのは、スポーツフェスタにおける活躍によってである。ハッキリ言って、歌手というよりも「ハロプロ内のスポーツ美少女」という認識だった。それでも「かおりんの中学生時代は、こんな感じだったのではないか」と妄想、いや想像させるスラリとしたスタイルは目を引いたし、くせのない素直そうなキャラクターは好印象として記憶に残った。

 小春に続き、ベリ工のDVDを買うというときに、℃-uteのメジャーデビューDVDをパスするというのは、どうにも片手落ちの感を免れない。このため、℃-uteのDVDも一緒に買うことにした。

              最もダンスが上手いのは℃-uteか?

 DVDを3枚(ベリ工2枚、℃-ute1枚)立て続けに観て、まず思ったことは、キッズのメンバーのレベルが全体的に高いことだ。一度に15人も採用した(最大規模時のモー娘。を全員一気に採用することに等しい)わりには、粒が揃っている。さすがに、モー娘。のCD売り上げが現在の約10倍もあった時期に集められただけのことはある。

 ℃-uteは、言ってしまえば「キッズの残りもの」なのであるが、その分ベリ工と比べるとレッスンに時間を割くことが出来たのではないか。と言うのも、ベリ工よりも℃-uteの方がダンスにおいて若干ではあるが優っているように感じられたからだ。
 ただし、この3枚だと、撮影時期の点においてベリ工と℃-uteは同条件ではない。そこで急遽、ベリ工の最新シングルVも取り寄せた。しかし、それを観ても印象は変わらなかった。
 小学生の頃から組織的に練習してきているだけあって、ベリ工も℃-uteも、現在のモー娘。よりも踊りが上手い(個人レベルでもそうだし、グループ全体で見ても、踊りが揃っている)。更に、ベリ工と℃-uteを比較すると、少差ではあるが、℃-uteの方がレベルが高い。本当に、少しの差ではあるが。

                 素人と「訓練した人」の違い

 ℃-uteは全体的に「体幹の動きが比較的しっかりしている」ように見える。
 素人とプロ、あるいは素人と「訓練した人」の違いは、体幹と下半身の動きにある。学生時代にスポーツに打ち込んだ経験のある人間なら、この辺のことは感覚的に理解できるだろう。
 例えば、素人がグローブなどの装備一式を完璧に身に付けてスパーリングをしても、やはり素人にしか見えない。パンチは見るからに「手打ち」で、下半身の動きとはバラバラ(もちろん、フットワーク自体もバタバタ)なのだ。俗に言う「素人パンチ」である。
 これに対し、優れたボクサーの場合は、足腰で発生させた運動エネルギーが体幹を駆け上り、無駄なく腕の先端にある拳へと伝わっていく。

 ダンスも基本的には同じだ。
 例えば、ドルフィンとは「下半身を安定させた状態で、背骨が波打つように、滑らかに上半身を操作する」いう動きである。これを素人がオタ芸(OAD:オーバーアクションドルフィン)と称してやってみたところで、全身の流れるような美しさなど微塵もなく、ただ上半身をチャカチャカ動かしているだけにしか見えない。パンチで言えば、バタバタ打っているだけの「素人パンチ」である。
 自分の「手(腕)」を操るのは、比較的簡単である。しかし、自分の「体幹」を操るのは簡単ではない。全身の調和した動きの要は、脚と腕という末端同士を繋ぐ体幹の動きなのだ。

           彼女達に「誰が見てもプロ」を求めるのは間違いか?

 先に挙げたドルフィンで思い出すのは、最近解散してしまったSweetSである。メンバーの一人がPVの中で何気に見せたドルフィン(横ではなく縦の動きなので呼び方は間違っているかも知れない)は、明らかに「プロの動き」であった。
 ℃-uteが「体幹の動きが比較的しっかりしている」ように見えるとは言っても、SweetSと比較すれば格段に劣る。℃-uteのダンスをやや高く評価するのは、飽くまでも「ハロプロ基準」での話である。
 モー娘。ファンの中には「歌唱力やダンスのスキルを求める人は、モー娘。以外の歌手のファンになるべき」という考えがあるようだ。確かに、元々素人集団がコンセプトであるモー娘。に、プロとしての高いスキルを要求するのは筋違いなのかも知れない。
 しかし、キッズは小学生のときから(現時点でも小学生のメンバーもいる)、一応プロとしての活動を行なってきている。メジャー化を目指しているなら、一般人から見て「小学生からプロ活動をしていて、この程度か」と思われないレベルの実力、すなわち「明確にプロフェッショナルを感じさせる」歌唱力やダンスのスキルを身に付け、披露する必要があると思う。

                   ベリ工と℃-uteの問題点

 粒揃いのキッズメンバーの中から選ばれたベリ工は、最初は文字通り身長まで揃えられている感じだった。しかし、月日が経つにつれて、メンバー間の身長差がドンドン大きくなっていく。
 私がベリ工と℃-uteに関して問題視しているのは、グループ内において、年齢差から来る外見の差が大きくなっていることである。体格差が大きすぎて、ダンスのフォーメーションに制約が発生していることも想像されるが、それよりも深刻なのは、ビジュアル的にグループとしてのまとまりを喪失しているということなのだ。

 パッと見の印象は、非常に重要である。「セクシー系」・「ボーイイッシュ系」・「ディジタル系」・「バンド系」などのように、パッと見で明確かつ肯定的なイメージを植え付けることで、見た人の記憶に痕跡を残すのだ。それが出来ないアイドルは、一般人の記憶には残らない。
 現時点のベリ工と℃-uteのパッと見の印象は、「統一性がなく、バラバラ」という否定的なもの。ある程度可愛いというのは、アイドルとしては当然である。そこからの上積み、+αの個性がなければ、メジャーにはなれない。(モー娘。が解散して、そのニッチが空くというのならばまた話は別だが)

 この「不統一性」は、メジャー化に向けた売り出し戦略にも支障をきたす。
 例えば、メンバーに小学生が含まれているアイドルグループが、男性誌(青年誌)のグラビアに登場することはまず有り得ない。また、例え小学生でなくても、幼児性(小倉優子のような計算された幼児性ではなく、純然たる幼児性)の強いルックスのメンバーがいるアイドルグループは、やはり男性誌のグラビアを飾ることは出来ないだろう。
 普通、中高生は、自分と同世代以上のアイドルのファンになる。中学生が小学生アイドルのファンになったり、高校生が中学生アイドルのファンになったりすることはほとんど無い。中学生アイドルのファンになるのは、一般的には小学生である。
 しかし現在、ベリ工や℃-uteのファンの中心を成しているのは、小学生ではないだろう。もちろん、中高生でもない。となると、残る年齢層はほぼ20代以降となる。彼らの殆どはキッズ結成以前から存在していたハロプロの固定ファンであり、他のグループやメンバーのファンからの転向組であったり掛け持ちであったりするのではないか。

 かく言う私も(一応、ベリ工や℃-uteのファンを自称するとして)、そういった「掛け持ち派」の一人である。しかし、私はこの現状を良しとはしない。
 では、具体的にはどういう考えを持っているのかという件に関しては稿を変えて語るとして(記事は こちら )、この記事はベリ工と℃-uteのメンバーに短くコメントすることで終わりとしたい。


清水佐紀
 グループ最年長であることは、DVDを見終えても気付かなかった。むしろ、最年少かと思っていた。矢口と2ショットの映像を見て、佐紀の方が美形であることを確認。キッズのレベルの高さの一端を見た思いがした。

嗣永桃子
 歌声に関してはキッズのエース。イメージ的には、ナッチの若い頃に似ている。今では信じられないが、ナッチも初期は桃子のような「小動物系」アイドルだったのだ。桃子を初めて見たときは、座敷童子(ざしきわらし)かと思った。今は、着ぐるみのように思える。桃子の中には、白い猫が4匹入っていて、その猫が内側から桃子を動かしているのではないか。きっとそうだ、そうに違いない。

徳永千奈美
 何故この子がキッズに選ばれたのか良く分からない。アイドルを辞めた後、いわゆる性格俳優として長く芸能界で活躍するような気もする。

須藤茉麻
 メイキングを見る限り、ギャグ担当。作品の中では、かなり大人っぽく見える。ギャグ&セクシー路線で行けば大化けしそう。

夏焼雅
 日本人離れした美人で、ビジュアル的には間違いなくキッズのエース。エマ・ワトソンに似ている(なかなか胸が大きくならないところまで似ている)。ガンガン身長が伸びると思っていたら、そうでもない。現時点の下半身の充実ぶりを見ると、このまま日本人体型で固まる模様。金髪時代を全く知らなかったので、DVDを観てビックリした。

熊井友理奈
 本人曰く、身長は現在「172cmぐらい」。いったいどこまで伸びるのか。ヒールの高い靴を履いたら、ほとんどの男性ファンよりも背が高くなる。雅が「派手系の美人」なら、友理奈は「地味系の美人」。実は、よく見ると、総合的には雅よりも美形である。背は高いが、和服も似合いそう。アイドルを辞めても、間違いなくモデルで食っていける。

菅谷梨沙子
 成長すると顔貌が変わるタイプか? 体型があいぼん化しないように注意して欲しい。

梅田えりか
 雅とはまた違ったタイプの、エキゾチックな美人。髪型を間違えるとオバサンっぽくなるので、注意して欲しい。順調に行けば、香椎由宇タイプのクールビューティなルックスになるだろう。ダンスの際の腕の動きは滑らかで良い。しかし、体幹は弱そう。鍛えれば、スタイルの良さと相まって「ダンスで銭の取れるアイドル」になれる可能性有り。あと、「即 抱きしめて」を「そくだき(即抱)」と略して言っては駄目です(風俗用語を連想させる)。

矢島舞美
 あっさりした美人。メイキングを見る限り、性格もサバサバして男っぽいようだ。若い頃の水野美紀は、こんな感じだったのかも。かおりん同様、プロのカメラマンにカメラを向けられると表情が固くなってしまう欠点がある。DVDで見せた一番良い表情は、千聖にカメラを向けられたときのものだった。撮影のリハーサル時、ちゃんと声を出して歌いながら踊っているところが映っていた。こんなところからも、彼女の生真面目さと身体能力の高さが窺える。

村上愛
 体型はまだまだ幼児体型だが、潜在能力的にはキッズのセクシー担当。ハロプロは全体的にセクシー担当が不足しているので、めーぐるの成長に期待したい。体幹に関しては、強さと柔軟性を兼ね備えているようで、この点でも期待できそう。

中島早貴
 初めて見たとき、『仮面ライダーカブト』に登場する少女“ゴン”と同一人物かと思った。顔の作りが、ハロプロではあまり見られないタイプ。

鈴木愛理
 総合的な歌唱力では、キッズ内ナンバーワンだろう。ただし、自己紹介のときに「踊りだけ」と口を滑らせたことから、舞美のように踊りながら歌うということはまだ出来ないようだ。この点を、体力をつけることで克服して欲しい。

岡井千聖
 自己紹介映像を見る限り、年齢の割にはしっかりしている。年齢比では、キッズの中で一番しっかりしているのではないか。舞美とは対照的に、プロにカメラを向けられても常に笑顔が自然。腕相撲で、道重(非力とはいえ、体格では千聖より二周り大きい)を軽く下していることから、のの同様、パワーに秀でているようだ。(雰囲気的にも、ののに似ている)

萩原舞
 まだ10才と幼いながら、かなりの美形。将来が楽しみ。何故サングラスをかけさせられているのか、意図が不明。

有原栞菜
 欠員のない℃-uteに、何故この子が追加されたのかが分からない。タイプ的には、確かにハロプロでは見られないタイプではある。

『エスパイ』

『エスパイ』
  2006年(4月29日~)のDVDまたはビデオで観た映画:3本目
  映画を観た日:2006年8月12日(土)


 『仮面ライダー』のDVDを観ているうちに、藤岡弘の主演している別の作品が観たくなってきた。それで、昔からずっと気になっていたものの未見のままだった『エスパイ』を急遽購入した。

 しかし、意外なほどに凡作だった。
 藤岡弘が、ケレン味たっぷりのエスパーアクションで大活躍するヒーロー作品を期待していた私は、完全に肩透かしを食らった格好だ。
 渋い大人向けの作品と言えないこともないのだが、物語の展開(特に後半)が有りがちで、ハラハラドキドキする活劇としての盛り上がりに欠けていた。
 エスパー同士のバトルも地味というより、創意工夫がない。本来この映画の目玉であるべきエスパー同士の超能力合戦は、当時のTVドラマでも普通に見ることが出来たであろうレベルの映像であり、何の驚きも感じられなかった。

 ハッキリ言って、由美かおるの美乳が露になるシーン以外、評価すべきところが見つからない。
 中古DVD屋に売るしかなさそうだ。

2005年の世界柔道を漸く見終えました

2005年の世界柔道を漸く見終えました


 今年の柔道ワールドカップを見る前に、HDR(Hard Disk Recorder)に録画して未見のままになっていた去年の世界柔道を見ておかなければ…。そんなわけで、このところ個人的には「1年遅れの世界柔道週間」であった。
 結果的にはギリギリで間に合い(厳密に言うと、柔道ワールドカップを見るのを半日遅らせた)、個人的なベストシーンを編集してDVDに保存録画を行ったところである。ちなみに、去年の世界柔道で行われた国別団体戦は、残念ながらほぼ録画に失敗している(何故か3分間しか録画されていなかったり…まず間違いなく自分の設定ミスだと思うが)ので、見たのは個人戦のみである。

 泉浩とイリアディスの「脅威の二枚腰」対決とか、地獄を見た柔道家・薪谷翠の涙の金メダルとか、一般的な見所もDVDに保存したが、ここでは私ならでは?の注目店を挙げておこう。

 私は寝業師が好きである。ただし、ブラジリアン柔術のような「最初から寝技ありきの寝技」は嫌い。何故なら、実戦(路上での暴力沙汰)では、そんな戦いはまず有り得ないからである。
 だから私が好きなのは、立技でダメージを与えて寝技でトドメを刺す(投技から寝技への連絡)といった流れや、飽くまでも立技で勝負しようとする相手を巧みに寝技に引き込んで勝負に持ち込むといった戦法であり、そういった戦い方を得意とする寝業師なのだ。

 日本を代表する寝業師としては、コムロックこと小室宏二や、総合格闘家への転向が一時噂になっていた矢嵜雄大、現役の強化指定A選手の斎藤制剛らが挙げられるが、彼らは2005年の世界柔道の日本代表には選ばれていない。この大会は、アテネオリンピック以上に寝技を長くやらせる傾向があったので「寝業師が活躍できたのに」と思うと、残念である。

 2005年の世界柔道に出場した日本人選手絡みの寝技で、印象に残ったのは以下の3件

(1)草刈の復興?
 内柴正人が草刈から寝技へ移行する場面があった。以前は、草刈で倒しても上から攻めようとした時点で「待て」がかかっていたそうだから、大きな変化である。これからは草刈などの「一発で上下を入れ替えることが出来る返し」の技術が見直されることになるのではないか。

(2)教科書のような亀返し
 江種辰明が、亀になったところをモロに引っくり返されてガッチリ抑込まれ、そのまま1本負け。あんなにきれいに亀が返されるのを見たのは初めてなので驚いた。ちなみに、これで勝ったファロン(イギリス)は、そのまま勝ち進んで優勝した。

(3)寝技地獄からの脱出
 薪谷翠が決勝戦で、送襟絞から抑込への連絡という寝技地獄から脱出に成功。あと10秒仰向けになるのが遅かったら落とされていただろう。本当にギリギリのタイミングだった。


 日本人が絡んでいない3件も加えておこう。スカパーは、外国人選手同士の試合も放送してくれるから、ありがたい。

(4)袖車絞が登場
 男子73kg級の準決勝戦で、ブルイエレ(イタリア)が、準決勝で袖車絞を使った。相手の両脚を自分の両脚で完全に固定(俗に言う「4の字クラッチ」)して、横から入る袖車絞。今まさに袖車絞に入るという瞬間、審判が「待て」。ブルイエレが両手を広げて「そりゃないよ」とアピールしていたことから、本気で極めにいっていたことが窺えた。
 ブルイエレは決勝戦でも相手の両脚を自分の両脚で4の字クラッチすることを試みており、これは彼の寝技の得意パターンのようだ。(4の字クラッチ袖車絞→縦四方への連絡狙いか?)

(5)浮固で抑込のカウントが入った
 男子73kg級の決勝戦で、ブラウン(ハンガリー)が、ブルイエレ(イタリア)を浮固で抑え込み、3秒ほどその状態をキープ。その後すぐ十字固に連絡してしまったため、浮固でポイントが入るということはなかった。しかし、世界柔道の決勝で浮固で抑込のカウントが入ったということ自体が、ちょっと驚きだった。

(6)寝業師同士の勝負は、投技のポイントで決する?
 男子60kg級の決勝戦は、ファロン(イギリス)とペイシャー(オーストリア)の対戦となった。もうヨーロッパ柔道炸裂!といった感じで、互に潜りまくって引き込みまくる展開に。
投げが潰れた状態から寝技に移行しようとする場面も何度かあったが、互に守りが堅い(ペイシャーは寝技で勝負する気が無かったようにも見える)うえに主審の「待て」が比較的早かったため、寝技によるポイントは入らず。勝敗を決めたのは、ファロンの投技だった。


 スカパーの、柔道ワールドカップの放送は1週間遅れとなる。ちなみに、地上波も1日遅れ。
 世界柔道同様に地上波は流して見て、スカパーの方をきっちり録画してジックリ観るつもりである。

山本昌、41歳でノーヒットノーラン達成!

山本昌、41歳でノーヒットノーラン達成!

 このところ、地元(故郷)のプロ野球チームであるドラゴンズのマジックナンバーが気になって、毎朝インターネットのスポーツニュース記事を読んでいる。今朝もスポーツ欄をクリックしたら、
  41歳山本昌、最年長ノーヒットノーラン達成 阪神戦
という見出しが飛び込んできて、ビックリ!
 打たせて取るタイプの「自称・速球派投手」が、まさかノーヒットノーランを達成するとは本当に驚きである。しかも、四死球はゼロ、エラーでランナーが一人出ただけという事実上の完全試合。天晴れと言うしかない。

 山本昌は、同世代の男たちから「中年の星」と呼ばれている。私とは同世代どころか、同い年で学年も同じである。
 快挙を成し遂げた試合を見ることはできなかったが、その事実に感激した。41歳でもやれば出来るということを、山本昌は証明してくれた。
 もちろん山本昌は、その辺のサラリーマンとは比較にならない才能・素質の持ち主である。しかし、プロ野球という世界は、そういったスポーツエリートが集まっている場所なのである。そのことを考えれば、プロ野球の投手で41歳というのは、普通のサラリーマンの41歳よりも遥に厳しい状況だと言えるだろう。

 私も自分の年齢を言い訳にせず、日々の努力を怠らないようにしていかなければという思いを新たにした。
 山本昌投手、ノーヒットノーラン達成おめでとう! そして、感激と元気を与えてくれたことに感謝!

飯田圭織にやって欲しい10のこと

飯田圭織にやって欲しい10のこと

 私は、“かおりん”こと飯田圭織のファンである。
 かおりん本人が、今のまま歌手メインで活動していきたいと思っているであろうことは、充分承知している。しかし敢えてそれをアッチに置いといて、ここでは私個人の願望を書き連ねてみることにする。


【その1 TVで、仮面ライダー役(もちろん変身前)を演じる】

 いわゆるイケメン路線が続いている、TVの平成ライダーシリーズ。最近の3作の視聴率は8%程度と決して高くはないが、そんなに低くもない。
 かおりんには、この番組に「仮面ライダーに変身する役」で出演して欲しい。
 最近の平成ライダーシリーズは、「主役だけでなく、他に何人もの登場人物が仮面ライダーに変身する」というパターンが当り前になっている。かおりんもそのうちの1人を演じるわけだが、1クールのみの登場とかでは駄目だ。飽くまでも、「全体(約1年間)を通しての準主役」というポジションのライダー役を演じるのだ。

 別の記事 でも書いているが、かおりんと仮面ライダーは相性が良い。
 まず、何と言ってもマスコミ受けする。もしも、かおりんが仮面ライダー役のレギュラーキャラに決定したら、スポーツ紙が
「元モーニング娘のリーダー、仮面ライダーに変身!」
と、デカデカと報道すること間違いなし。
 一般層に対するアピール度は、『響鬼』に細川茂樹さんが主演したときとは比較にならないほど大きいだろう。製作発表に集まる報道陣の数の新記録達成も間違いない。東映&バンダイとすれば、この宣伝効果は有り難い筈だ。
 かおりん側にもメリットはある。視聴率8%程度とは言え、この数字は『ハロモニ。』と比べれば遥かに高いし、放送局の数も多い。夏には劇場版(全国公開)も製作される。メディアに対する露出は大幅にアップするのだ。

 また、歌手であるかおりんが、TVまたは映画のイメージソングを歌うことになる可能性は高い。俳優としてだけではなく、歌手としても、全く新しい客層を開拓する絶好のチャンスとなる。
 それに、番組のCMには、シャンプーなど女性(子供と一緒に番組を観ている母親等)をターゲットにしたものもある。オロナミンCのCMに番組の主役が採用されていることから、母親向け商品のCMに、かおりんが採用される可能性も有るだろう。

 デメリットは拘束期間が長いことだが、それでも1年間まるまる拘束されるワケではない。ディナーショーを行なったり、ソロとして各イベントにスポット参加することは充分可能だ。メリットとデメリットを天秤にかければ、どう考えてもメリットの方が大きい。

 かおりんは、仮面ライダー役を演ずることで、言うなれば“オダギリジョーの女性版”になるのだ。
 かおりんは、劇団シニアグラフィティ『時の流れに身をまかせ』において、「自分とよく似たキャラクター」を無難に演じていた。
 これからは、「自分とは全く異なる人間」を演じる時期だ。そうすることで、飯田圭織という芸能人(およびその周囲の見方)に飛躍的な進歩が起こり、いわゆる「大化けする」と確信している。


【その2 樋口監督の映画のヒロインを演じる】
【その3 金子監督の映画のヒロインを演じる】

 とにかく、かおりんには歌手としての活動を縮小して、女優メインで仕事をして欲しい。
 樋口監督も金子監督も、女性を美しく撮ることには苦労を厭わない素晴らしい監督である。是非ともこの二人の監督に撮ってもらって、今まで観たことのない飯田圭織を披露してもらいたい。そして、役者として一回り大きく成長して欲しい。


【その4 栗山千明と共演する】
【その5 香椎由宇と共演する】
 
 いつまでも相田翔子さんとのセットや、ハローのメンバーとの組み合わせでは進歩がない。
 かおりんと似て非なるタイプの美人である、栗山千明さん。
 かおりんとは全く異なるタイプの美人である、香椎由宇さん。
 この二人の美人女優と、TVドラマでも映画でもいいから共演して、かおりん独自の美しさを磨いて欲しい。
 栗山千明さんとは異母姉妹という設定で、ドロドロ系の芝居。香椎由宇さんとは恋のライバルという設定でバチバチ系の芝居に取り組みめば、名実共に日本を代表する美人女優の一人というポジションを獲得することが出来るだろう。


【その6 タランティーノ監督の映画のヒロインを演じる】
【その7 『007』のボンドガールを演じる】

 日本を代表する美人女優となったカオリン、いよいよハリウッド映画に進出だ。
 栗山千明さん繋がりで、タランティーノ監督の映画のヒロインとなる。
 その次は、『007』。若林映子さん&浜美枝さん以来、実に40年以上も経って、再び日本人女性がボンドガールを演じるのだ。
 かおりんの168cmという身長と、日本人離れしたプロポーションが、ここで生きる。
 アメリカでにおける芸能活動の成功ということに関して、かおりんは自分の尊敬する松田聖子さんを越えることになるのだ。


【その8 NHK朝ドラの主人公を演じる】
【その9 NHK紅白歌合戦にソロ歌手として出場】

 ハリウッド女優となった“カオリーン”は、かおりんに戻って今度はNHKで活躍する。
 「NHK朝ドラの主人公(ヒロイン)→NHK紅白歌合戦にソロ歌手として出場」という黄金連係の実現だ。


【その10 日本人監督によるハリウッド映画に、主役クラスで出演】

 紅白にソロで出場した後も、かおりんには女優メインで活動して欲しい。
 原作は日本の作品、監督も日本人、それでいてハリウッド映画という、和魂洋才の国際映画はどうだろう。
 ヒロインという枠には拘らず、主役またはそれに準じた重要な人物を演じる。日本人監督の元、日本人女優にしか出せない美しさ、日本人女優にしか出来ない演技で、世界中の映画ファンを魅了するのだ。
 かおりんの、女優としてのタイプは、ジョディ・フォスターに近いか?
 世界に輝くスターとなれ、飯田かおりん!


【おまけ X星人のコスプレをする】

 絶対似合う。って言うか、現時点では“ハマリ度”で群を抜いており、かおりん以外、考えられない。

~昭和歌謡シアター『時の流れに身をまかせ』~

劇団「シニアグラフィティ」第2回公演
   ~昭和歌謡シアター『時の流れに身をまかせ』~
                劇を観た日:2006年9月9日(土)


 今回は、カオリンこと飯田圭織を見るために劇場へ足を運んだが、小劇場系の芝居を観るのはこれが初めてではない。今回で4回目である。
 過去3回は、出演者目当てではなく、純粋に劇そのものを観る目的で足を運んだ。ストリップ観劇を続けていた当時、ふと普通の芝居の舞台を観たくなったのだ。半年ほどの間に3回観劇し、ある種の満足感を得て、それっきりになっていた。

 だから、かおりん目当てで芝居を観に行くことに対し「邪道だな」という一種の負い目があった。
 しかし、公演内容に対して客が否定的な先入観を持っても仕方のないことだ。そう思って、新宿【スペース107】の階段を降りて行った。
 相田翔子さん宛ての花輪が、他の出演者のそれを圧倒していることに驚く。
「相田翔子さんって、そんなに大物だったっけ?」
「Wink時代には、たった2人でモー娘。並みのヒットを飛ばしていたのかな?」
「単に主役だから沢山お祝いが来てるのかな?」
などと思っているうちにテケツに着く。同じような規模の小屋でも、テケツの雰囲気からしてストリップ劇場とは違うな…と感じる。

 テケツを抜けると、グッズ売り場になっていた。
 パンフレットの販売案内があったが、
「かおりんは脇役だろうから、せいぜい2ページぐらいしか載っていないだろう」
と思うと、1300円払ってまで買う気にならない。ここら辺が、かおヲタとの違いだと自覚する。ここで「せいぜい2ページ」に1300円を出さないということが、かおファン止まりである証拠なのだ。

 芝居が始まると、思った通り、かおりんは脇役だった。
 役柄の所為もあると思うが、ののの方が生き生きして見えたのが、かおファンとしてはちょっと残念だ。

 役柄以外にも、かおりんがののに負けていた理由がある。
 第一に、ののは、体型が舞台映えする。約6頭身で、比較的顔が大きい。(ちなみに今回、ののは明らかにオーバーウェイトで腰周りに余計なお肉がついていたが、それでもなお普通にクビレていたことに驚かされた。モー娘。時代に太ったときは、普通にドラム缶体型だったのに)
 これに対し、かおりんは9頭身に近く、その分顔が小さく見える。体格差から考えて、ののとかおりんの顔の大きさに大差はないと思うが、舞台の上の印象では、かおりんの方が明らかに小さく(要するに目立たないと)感じられた。

 もう一つは、衣装の差。
 ののは四肢が完全に露出し、上半身と下半身にメリハリが付いた衣装を着ていた。全身のバランスが非常に良かった。
 これに対し、かおりんの衣装は単色のロングドレスであり、脚がほとんど見えない。
 かおりんは衣装によって胸から下が一体化してしまい、平面的な印象を受けた。同時にロングドレスによって下半身にボリューム感が出てしまうため、小さい顔が余計小さく見える。これは、舞台演劇ではマイナスでしかない。

 かおりんは、モー娘。時代、舞台ではパンツをはいている事が多かったように思う。あれが、脚の長いかおりんを、最も舞台映えさせるパターンなのだ。特に、白地に赤のラインが上下に入ったパンツをはいていたときは、腰のくびれと相まって、日本人離れした美しさを強烈に放射していた。
 もちろん、プリプリピンクのような、超ミニスカートでも良い。細身で顔も小さいのだから、脚の長さを強調し、全身のシルエット、即ち“ボリューム”ではなく“切れ”で勝負すれば良いのだ。
 今回でハッキリしたことは、スラッとした女性がスラッとした普通のドレスを着ても、舞台では基本的に見栄えがしないということ。かおりんは胸を寄せて少し谷間を作っていたようだが、あの程度のボリュームでは、せいぜい前から5列目までしかアピールしない。

 今回、かおりんのビジュアルで良かった点は、背中の露出だろう。色が白い上、適度な筋肉が着いているので、照明の当たり具合によってキレイな陰影が浮かび上がり、目を引いた。やはり、かおりんは生きている芸術品である。

 演技に関しては、今回は特に言うべきことはない。久し振りの舞台だったし、慣らし運転といったところだろう。

 問題は、歌である。
 アッちゃんと比較すると、歌手としてのレベルの差は、残酷なまでに歴然としていた。
 第二部で歌った『Papillon』は、それなりに歌い込んでいることは伝わってきたが、逆にその分、かおりんの歌手としての基本性能の限界が見えてしまった。
 ののは、真剣に歌に取り組めば、アッちゃんのレベルには達することができるように思う。しかし、かおりんには、歌手としての伸びしろがほとんど見出せなかった。

 今回の主役を務めた相田翔子さんは、歌手としてはかおりんと同レベルかそれ以下だ。だから、かおりんがこれからも主に歌手として活動していくことも、出来なくはないだろう。
 かおりんが「歌が大好きで、歌っているときが一番幸せ」なのは分かる。
 しかし、それでは宝の持ち腐れとなる可能性が大きい。
 周囲の人のアドバイスと、本人の英断に期待したい。

 最後に、会場内のハロプロファンに関して。
 会場入りする前から、観客のある程度を占めるであろうハロプロメンバーのファンが、芝居小屋という場所に相応しくない服装や振る舞いをしなかということが気掛かりだった。そして、嫌な予感は的中した。

 芝居が始まる数分前、私の前のブロックにいる観客が、自分の席でTシャツを着替えた。要するにその馬鹿は、観客席で一時的に上半身裸になったのである。観客席は既にほぼ全席埋まっている。雛壇になっている後方の席からは丸見えだし、照明等のスタッフの席からも見えただろう。
 幾らアップフロントが製作しているとは言え、この場はハロプロのコンサート会場ではないのだ(ハロプロのコンサート会場であっても、TPOをわきまえるべき行為である)。自分の隣の席の客がそんなことをやり始めたら、私は絶対に注意してやめさせていたと思う。

 ガッタスのレプリカユニフォームを着ていた辻ファンにも、嫌な気分にさせられた。真っ黄っ黄で目立つその服は、客のマナーから外れるものだったと思う。
 何故なら、この公演の主役は相田翔子さんであって、ハローのメンバーではない。準主役の父親役を演じている役者も、もちろんハローのメンバーではない。この公演の芝居においては、ののを含むハロプロのメンバーは全員脇役なのだ。見る側も、それをわきまえるべきだと私は思う。
(以前、サッカーの試合会場でガッタスが前座試合を務めた際、コンサート用の特攻服を着て客席に陣取った非常識なファンがいたそうだ。他人に直接迷惑をかけているわけではないし、もしかしたら主催者側の許可を取っているのかもしれないが、本来自粛すべき行為である)

 逆に、ちょっと小粋に思えたのは、「辻希美」と書かれた提灯を持ち込んでいた辻ファンである。会場内にはセットとして多数の提灯が取り付けられていたので、その場の雰囲気と調和しており、客席からの一種の演出のようにも感じられた。色も地味というか普通で、目障りではない。ただ、サイズが大きいので、端の席で扱わないと周囲の客の迷惑になるだろう。その辺がどうだったのかは、ちょっと覚えていない。

 客席全体としての雰囲気は良く、舞台は第一部(芝居)、第二部(ミニコンサート)ともに滞りなく進行し、良い公演だった。
 ただし、たった3度とはいえ、似たような空間で純粋な芝居を観た経験のある者としては、アイドル系の歌手が役者に混じって舞台に立ったり、芝居の後にミニコンサートがあることに対しては複雑な思いを抱かざるを得なかった。芝居の内容が「小さくとも純粋な劇団の頑張り」を描いていたものだっただけに、尚更である。

「映画鑑賞」って、「映画館で観る」ってことだよね?

「映画鑑賞」って、「映画館で観る」ってことだよね?

 日本の文化をハイカルチャーとか大衆文化なんて区分をしている人は、脳ミソに士農工商の時代の味噌でも詰まっているんじゃないかと思う。日本が再び士農工商の時代に逆戻りでもしない限り、日本の文化は「古い文化」と「新しい文化」そして「その中間」の3つにでも区分けすれば充分である。

 ただし、
「趣味は映画鑑賞です」
と聞けば、「それって映画館で観るってことだよね」と思うし
「趣味は読書です」
と聞けば、「それって漫画は含まれないよね」と思う。
 これは別に、お茶の間で映画を観る行為や、漫画というジャンルを1段低く見ているわけではない。

 映画を映画館で観ることが少ない映画ファンは、
「趣味は、DVDで映画を観ることです」と言うべきだと思うし、
 漫画以外の本を読むことが少ない漫画ファンは、
「趣味は漫画を読むことです」と言うべきだと思う。
 貴賎の問題ではなく、純粋に区分するする必要があると思うのだ。限定表現できる部分は、出来るだけそうしていかないと、一つ一つの言葉の意味が薄くなる。言葉は浸透させても良いが、拡散させるべきではない。

 区別するということは、両者に違いがあるということだ。
 「読書」に関しては、実際に「漫画を読む」作業と「小説を読む」作業とでは、やっていることが違うのだから一緒くたにすることには無理がある。「漫画を読む」という作業は、読書よりもむしろ映画を観る作業に近い。通常の洋画でも、吹き替えでない場合は常に
「映像を見ながら字幕を読んでいる」のだ。漫画も
「絵を見ながらフキダシを読む」のである。
 漫画の本(書籍)という物理的な体裁と、それに収められている情報を人間が認識処理する際のスタイルの不一致を上手く補完する言葉は、今のところ存在しないようだ。「読」の代わりに、「言見(言偏に見)」という文字を用いる等すれば良いと思うのだが。「言見」+「む」で“よむ”と発音し、「言見」+「画」で“けんが”(「読」+「書」の代わり)と発音するという具合である。

 次に、「映画鑑賞」について。
 映画は、劇場のスクリーンで観ることを絶対条件として作られている部分があり、お茶の間のTVではその部分を観ることが出来ない。私がそのことを最初に知ったのは、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』のプロデューサーのインタビュー記事を読んだときである。
「スクリーンで見ると、遠くの戦艦も砲塔や艦橋まで細かく描き込んであるのが分かるでしょう。これをTVで見たって、(映像が潰れてしまって)ただの豆粒にしか見えませんよ」
 当時中学生だった私はこれを読んで「ああ、映画は劇場で観なければ、本当に観たことにはならない」と思い知らされた。「映画鑑賞」という従来は劇場限定であった行為と、TVで映画を観る行為とは分ける必要があるという考えは、こうした物理的な現象(事実)に基づいている。

 ただし、
「それなら“音楽鑑賞”は? 家でCDを聴くことを“音楽鑑賞”と称すことの是非は?」
と聞かれると、返答に窮する。自宅の安物のCDラジカセによるものであっても、ちゃんと椅子に座り、落ち着いてじっくりと音楽に耳を傾けていれば、音楽鑑賞と呼んでも良いように思える。しかし、これは映画鑑賞の定義と矛盾する。困ったものだ。
 少なくとも自分の行為に関しては、家でCDを聴くことを「音楽鑑賞」と言わないようにしよう。

 終わりに、人類の文化全体について。
 中学生の頃、私は既に人類の文化が本質的に2種類に分かれていることを知っていた。そして、その「分かれかた」(あえて分類方法とは言わない。何故なら、分類しなくても、本質的に分かれているからだ)を理解できない人が多数いるであろうことも認識できた。その「分かれかた」とは
「SF以外とSF」
である。もう少し噛み砕いて言えば
「人間性に帰結する感動であるか、必ずしもそれを必要としない感動であるか」
となる。
 SFファン以外には理解不能だとは思うが、私の文化に対する認識の根幹・大前提である。

『スーパーマン リターンズ』

『スーパーマン リターンズ』
  2006年の映画館で観た映画:25本目
  映画を観た日:2006年9月9日(土)


 『帰ってきたウルトラマン』ならぬ『帰ってきたスーパーマン』。
 略すと、どちらも『帰りマン』。
 そんなどうでも良いこと行きの電車の中で考えたりもしたが、一番気になっていたことは「あのダサいスーツのデザインをどう処理するのか?」であった。何しろ、青いレオタードの上に赤いパンツ(ブルマ)をはいているうえ、顔は丸出し。70年前ならともかく、20年でも充分ダサい。今なら、見ているこっちが恥ずかしくなるくらいダサい。
 バットマンも昔はパンツをはいているデザインだったが、今は違う。パンツキャラではないが、スパイダーマンもデザインが変わってきている。どちらも、現代風のカッコ良さを出すようにアレンジされているのだ。

 しかし、帰ってきたスーパーマンのスーツデザインには、大きな変更点はなかった。正直、やはりダサかった。それでも何とかギリギリで許容できる範囲に収まっていたのは、
(1)パンツの色がドギツイ赤ではなく、渋い赤茶色系の色になっている。
(2)パンツの面積を小さくして目立つことを抑えている(“親父ブリーフ”というよりは競泳水着のイメージに近い)
というマイナーチェンジが施されていたからだ。
 これ以外に気になった点は、ブーツのヒールが高かったこと。これは、役者の脚の長さがチョット不足していたので、ブーツのヒールで補ったということだろう。

 ストーリーは、オーソドックスなスーパーマン話で、まるで『水戸黄門』を見ているような安心感があった。クリプトナイトは“逆・葵の印籠”である。
 役者はスーパーマンらしいし、空を飛んでいるシーンもカッコ良い。スーパーマン映画として、充分に合格点を付けられる作品になっていた。
 スーツに関しては、既に述べたようにデザインはギリギリ許容範囲。不自然な皺が全く出来ず、安っぽさは微塵も感じられない仕上がりになっている。この仕上がりに関しては見事と言うしかない。

 日本のウルトラマンが、この映画のスーパーマン並みの仕上がりのスーツで、この映画のスーパーマン並みにカッコ良く飛んでくれるのは、一体いつの日になることやら…。
 この映画では、スーパーマンがマント無しでも飛べることを映像でハッキリと描いている。同じスタッフで、『ウルトラマン』も映画化してくれないかなぁ。

『仮面ライダーカブト』&『ボウケンジャー』のDVD購入予定メモ その2

『仮面ライダーカブト』&『ボウケンジャー』のDVD購入予定メモ その2


 忘れないうちにメモっておかねばなるまい。 
 『ボウケンジャー』の28話が入っているDVDは買う。

 この回に限って言えば、『ボウケンジャー』はスーパーロボットアニメの正統な後継者である。小学校2年生のときに『マジンガーZ』を観て以来、リアルタイムでスーパーロボットアニメの黄金期を観てきた私が言うのだから間違いない。
 『マジンガーZ』を王道視している私は、いわゆる2号ロボはもちろん、安易なパワーアップを含めた大規模な玩具販売拡大路線を嫌っている。しかし、『ボウケンジャー』第28話の展開は、アルティメットダイボウケンという現時点での最高位のスーパーロボット(商品)を一時的とは言え排除し(ゴーゴージェットを排除しているので、3号ロボも同時に排除していることになる)、その状況下で何ができるのかを追求した創意工夫溢れる内容となっており、素晴らしい。

 ただひたすら
「あれも買え、これも買え、ゴーゴージェットも買え」
と言い続けるのではなく
「ゴーゴージェットがなくても、こんな遊び方も、あんな遊び方も出来る」
と提示しているのだ。
 もちろん、商品は元々そういう仕様で展開されているわけだが、あえて最新商品・最グレード商品をオミットするというスタイルでそれを表現したところに、『ボウケンジャー』という作品の懐の深さを見た思いがする。

 『仮面ライダーカブト』の32話が入っているDVDは購入する。

 三輪ひとみさんの魅力が登場以来じわじわエスカレートしていて、この回で完全に“ダークヒロイン”のステイタスを確立した。全ライダーシリーズを通して見ても、かつてこれほどの“ダークヒロイン”は存在しなかったのではないか。
 三輪ひとみさんと里中唯さんの顔の造形が同タイプであることも、ビジュアルの隠し味になっているように思う。(見た目に関して言えば、ひとみさんの実妹である明日美さんよりも、里中唯さんの方が同系統キャラである)
 以前から期待していたガタックの「射撃の必要からプットオンする」が見られた点でもポイント高し。
 予告ではバッタをモチーフにした?新ライダーが登場するようだし、3クールも半ばを過ぎて『カブト』はますます目が離せなくなってきた。

なぜ日本で「アポロ捏造説」がTV放送されたのか

なぜ日本で「アポロ捏造説」がTV放送されたのか

               ~愚か者は陰謀説を好む~


 何年か前、「アポロ計画による有人月面着陸は嘘だった」をテーマにした話がテレビ朝日で大々的に取り上げられたことがあった。その番組は、お笑いタレントを起用した所詮バラエティ番組であり、番組内で挙げられた「有人月面着陸の疑わしい点」は専門家に聞けば即解決する(素人でも分かるものもあった)にもかかわらず、それを避けることで話を盛り上げるという幼稚な内容であった。
 ところが、この番組の「アポロ捏造説」を本気で信じてしまった人もいたようだ。当時の私は、
・大衆は基本的に「捏造説」を好み、受け入れるものなのだろうか?
・今後も、TV番組のネタとして、様々な「捏造説」が垂れ流されるのだろうか?
と思った。

 「捏造説」は大抵の場合、「陰謀説」とセットになっており、確かに与太話としては膨らませやすい。これからは、「陰謀説」モノがバラエティ番組のトレンドになるのか? そう思ったが、実際には「アポロ捏造説」の1発ネタで終わってしまい、それに続く展開は無かったようだ。
 暫くして、「ケネディ大統領暗殺事件」を陰謀説で再検証するといった番組が単発で放送されたが、「アポロ捏造説」との繋がりはなかったと思う。

 ここで気付くのは、「陰謀説」モノは全て海外から持ってきた輸入品、あるいはパクリであるということだ。「アポロ捏造説」よりも遥か以前に放送された『第3の選択』というTV番組も、そうだった。
 なぜ日本のTV局(特に「アポロ捏造説」を放送したテレビ朝日)は、日本オリジナルの「捏造説」や「陰謀説」を作らないのだろうか?
 ネタなら、ある。例えば…


【1】「日本でニュートリノを検出したというのは嘘だった!」という捏造説

 「人類が月に降り立った事実」と「人類がニュートリノを検出した事実」は、大衆によって直接検証されていないという点において共通している。
 「飛行機が空を飛んでいる事実」とは異なり、「人類が月に降り立った事実」も「人類がニュートリノを検出した事実」も、大衆はそれが本当に事実かどうか、自分自身の経験として確認していない。ましてや、ニュートリノそのものは目には見えないものであり、ニュートリノを使って物体を動かしたり通信を行ったりする実験も行われていない。
 「アポロ計画による有人月面着陸は捏造だった!」という流れから、「日本でニュートリノを検出したというのも捏造だった!」という流れに持っていくTV番組が、日本でゴールデンタイム枠に放送することを予告宣伝すれば、番組はかなりの視聴率を得ることが出来るだろう。なぜテレビ朝日はそれを実行しないのか?


【2】「恐竜は存在しなかった!」という捏造説

 「恐竜の化石は捏造されたものであり、恐竜が存在していたという説は産学共謀の巨大な嘘である」という捏造説は、恐竜発見の黎明期はともかく、長らく話題になっていないと思われる。
 むしろ「ネス湖の恐竜ネッシー」のように、存在しなかったどころか「恐竜は今でも存在する」という話題の方がはるかに根強く、一般的である。
 生きている恐竜の映像を観た人は誰一人としていないのに、大衆は「現在の動物とはかけ離れた恐竜が、数千万年前という途方もない過去に存在したという事実」を信じている。その一方で、1969年に「人類が月に降り立ったことを撮影した映像」を世界中の人が実際に見ているにもかかわらず、今になってそれを疑う話がTVで取り上げられている。
 この差はどこから生まれているのか?


【3】「戦艦大和は建造されなかった!」という捏造説

 「人類は月に降り立っていない」と共通点を列挙してみる。
(1)何十年前に実現していたことを、今になって疑うというパターン
(2)大和は海底、月着陸船は月面にあって、現物の存在事実および仕様の確認が困難。
(3)大和は日本一国、アポロはアメリカ一国で、国家指導の元で建造された大型プロジェクトである。
(4)巨大戦艦、月着陸船というハードウェアは現在建造されていない。
 
 「昔、戦艦大和が本当に建造されていたのなら、現在の自衛隊やアメリカ軍が戦艦大和のような巨大戦艦を多数建造しているはずだ。しかし、現在の戦艦大和のような巨大戦艦は全く建造されていない。これは、大和のような巨大戦艦を建造することが今なお技術的に困難であることの証明である。
 大砲の弾は、ミサイルのような電波誘導が全く効かない。そんなものを航行しながら波で揺れる船の上から発射し、風が吹く洋上を隔て、何十km先の動く標的に命中させることは、現代のコンピュータ制御を使っても困難なのだ。よって、50年以上前の日本の技術で戦艦大和を建造することなど不可能だった」
 これを論破するのは容易であるが、「人類は月に降り立っていない」という捏造説の根拠を論破することも同じくらいに容易である。
 「アポロ捏造説」と「戦艦大和捏造説」をセットにした番組をテレビ朝日がゴールデンタイム枠に放送した場合、視聴者は「アポロ捏造説」と同じくらい「戦艦大和捏造説」を信じるのだろうか?


【4】「日本が真珠湾を攻撃したというのは米国の捏造だった!(真珠湾攻撃捏造説)」
【5】「広島・長崎に投下された爆弾は実は原爆ではなかった!(原爆投下捏造説)」
【6】「実は、日本は第二次大戦で負けていなかった!(日本敗戦捏造説)」
【7】「1964年のオリンピックは東京では行なわれていなかった!(東京オリンピック捏造説)」

 【4】~【7】に関しては、説明を省略。
 【4】の「真珠湾攻撃捏造説」は、「アポロ捏造説」のノリでテレビ朝日がゴールデンタイム枠で放送すれば、信じる視聴者は結構いそうで怖い。(と言うより、最近の若い人は「真珠湾攻撃」自体を知らないかも)
 ちなみに【6】の「日本敗戦捏造説」は、実際に信じている人々がかつて存在していたらしい。(これに関する書籍を古本屋で入手したので、近いうちに読む予定)

 【1】から【7】まで並べてみると、
(ア)関係者から訴えられる危険性がある点
(イ)TV番組として商売的に成立する=スポンサーがつくかという点
で問題があるものがほとんどである。

 最も実現性があるのは【2】の「恐竜捏造説」だろうか。しかし、「恐竜」はTV局にとってはコンテンツとなりうるキャラクターであるので、そういうキャラクターに対してネガティヴキャンペーンを張るような番組を作ることには二の足を踏むだろう。また、「恐竜捏造説」をテーマにした番組にスポンサーがつくかどうかという点でも疑問が残る。
 しかし、裏を返せば「アポロ捏造説」に対しては、TV局にとってアポロ計画がまっとうな方法ではコンテンツと成り得ない(一時的ではあれ)と判断されたということだし、「アポロ捏造説」をテーマにした番組にスポンサーがついたということも事実なのだ。(一体どこの馬鹿がスポンサーになったのだろう?)

 日本のTV局が流す「陰謀説」が専ら海外ネタのパクリである理由、テレビ朝日が「アポロ捏造説」の放送に踏み切った最大のポイントは「既に海外で放送されており、その際に裁判沙汰にならなかった」という事実にあるのだろう。
 テレビ朝日のプロデューサーは、「アメリカで放送されたものと同程度のデタラメ番組を日本で放送しても、NASAは訴えてこない」とタカを括ってパクリ番組を放送したというわけだ。
 だから、テレビ朝日が

【8】「日本の人工衛星打ち上げ成功は捏造だった!(日本の宇宙開発捏造説)」

というネタで番組を放送することはない。例え高視聴率が期待できても、訴えられるのが怖くて出来ないのである。(『カプリコン1』のように、完全に「この作品はフィクションです」というスタイルだったら、可能性はゼロではないが)

 愚か者は、何か疑問を感じると、ろくに調べもしないで「陰謀説」を持ち出す。
 例えば、月面に立てられた星条旗が風になびいているように見える写真を見ると、ろくに調べもせずに「アポロ捏造説」→「NASAの陰謀説」を唱えるという具合だ。
 「この世に陰謀など存在しない」などと言うつもりはないが、手持ちの知識で説明のつかない事柄に出くわすと、短絡的に陰謀説を持ち出すのは思考停止以外の何物でもない。

 愚か者は、何故ろくに調べもしないで「陰謀説」を持ち出すのか?
 それは、調べずに思考を途中停止させることで「有人月面着陸はNASAの捏造だ。巨大な陰謀によって、人々は騙されている」という陰謀説を唱えることが簡単であり、その簡単なことで「この陰謀に気付いた私は賢い」という気分になれるからだろう。
 努力しないで満足感を得る。まさに愚か者のやり方である。

 陰謀説と呼ぶにはスケールが小さいが、「亀田VSランダエタの再戦は、あらかじめ日本のTV局によって仕組まれていた」とか「韓国のジャッジは買収されていた」とか平気でブログに書く人を見ると、「愚か者は陰謀説を好む」という思いを強くする。
 彼らは、無知から来る思考停止を「自分は物事の裏まで見通した」と錯覚することで、己の「発言意欲」を掻き立て、その愚かな姿を自ら他人に晒しているのだ。

 ボクシングファンの間では、韓国のジャッジが「手数は少なくても前に出るファイター」を支持する傾向が極端に強いことなど常識である。
 認定団体は「タイトルマッチにおける直接再戦の禁止」を建前にしてはいるものの、きわどい判定やレフェリングで勝敗が決した場合、タイトルマッチであっても直接再戦が行なわれることは決して珍しくない。
 そして、各認定団体のランキングにおいて、その団体の本部のある国の選手が優遇されているのも、ボクシングファンには周知の事実である(そもそも、WBAが分裂したのはその辺が原因なのだ)。
 また、王座決定戦でタイトルを得たチャンピオンは、原則として90日以内に指名試合(防衛戦)を行なうことが義務付けられている。
 これらのことを併せて考えれば、亀田VSランダエタの再戦が決定したことは、別に不思議なことではない。

「真実は、愚か者しか傷つけない」
 カール・ゴッチの言葉である。
 事実を調べて積み重ね、それを元にして考えるという当り前の努力をしない者は、いつまでたっても愚か者のままで、自らが真実によって傷つけられていることに気付くことさえ出来ないだろう。
 そしてそんな愚か者こそ、テレビ朝日のようなTV放送局にとっては、カモとなる視聴者なのだ。

2005年の世界柔道を今頃見ています

2005年の世界柔道を今頃見ています


 もうすぐ柔道ワールドカップが開催されるというのに、まだ去年の9月に録画した世界柔道の番組がHDR(Hard Disk Recorder)の中に溜まっている。
 「録画の賞味期限(削除猶予期間)は1年間」という自分で決めたルールに照らし合わせると、もう本当にギリギリである。慌てて、大会第1日目を見終えたところだ。

 地上波の番組も録画してあるが、主に観ているのは、スカパーのフジテレビで放映された番組の方である。地上波だと、例え金メダルを賭けた決勝戦であっても、外国人同士の試合だと放送されない場合がある。スカパーのフジテレビの場合は、そんなことはない(と思う)。もちろん、CMが無いのも快適だ。

 それに加え、三四六さんの解説が良い!
 元強化選手だけあって、技術解説するとき、実に生き生きとしている。稀に「場外注意」など、自身の現役時代のルールと現在のルールが変更になっている部分に関して誤ったコメントをすることもあるが、ご愛嬌といったところだ。
 大会第1日目のコメントでも、

「技が決まらなくて体勢を戻したとき、両足が揃ってしまった」
「相手が腕を伸ばして組み手を切った瞬間、その伸ばした腕をすかさず一本背負で…」
「組み手を切ろうとして、下半身の注意がおろそかになった瞬間、一気に踏み込まれた」

といった「なぜ、その技が決まったのか」というポイントを的確に解説してくれて、とても分かりやすかった。

 私は純粋に格闘競技としての柔道、競技者としての柔道選手を観たい。「勝った/負けた」という試合結果も重要だが、それと同様に重要なのは「なぜ勝ったのか/負けたのか」という試合内容の技術的・精神的分析だ。
 世界柔道は柔道世界一を決める大会であり、「日本選手が勝てばそれで良し」といった偏った舞台ではない。もちろん、お涙頂戴のメロドラマでもない。
 だから、スカパーの放送をじっくり観た後、地上波を「数倍速で一応チェック」するという方式を取っている。スカパーの放送があるおかげで「くだらない演出要素を切り捨てて」純粋に柔道の試合を楽しむことが出来る。本当に大助かりだ。


 さて、大会第2日目を見ようっと。

『あしたのボクシングNo.2』、『格闘技通信』に長谷川穂積選手の記事

『あしたのボクシングNo.2』、
    『格闘技通信』に長谷川穂積選手の記事

 『あしたのボクシングNo.2』の16ページを読んで驚いた。
 私は以前、このブログで ボクシング採点の集計方法の考察 という記事を書き、その中で「3者統合採点」という集計方法を自分のアイディアとして公開したが、実はこの考え方は1990年代末にアメリカで「10ポイント・マジョリティ・システム」として提唱されていたそうなのだ。
 自分が最初に思い付いたのではないということがチョッピリ残念な反面、自分と同じ考えの人がボクシングの本場アメリカにいたということが嬉しい。
 しかし、そんなことよりも気に留めるべきは、数年が経過した今でもこの集計方法が正式採用されていないという事実。1999年に試行された「中間採点公表制度」同様、関係者の支持を得られなかったということなのだろう。(ちなみに「中間採点公表制度」に関しては、私は否定的な立場を取っている)
 「10ポイント・マジョリティ・システム」は何故支持されなかったのだろう? 「各ラウンドは独立した1回戦」とするボクシングのコンセプトとしては、明らかにこちらがあるべき姿だと思うのだが。

 また、『あしたのボクシングNo.2』の長谷川選手のインタビュー記事(88ページ~)が、『格闘技通信』の同様の記事(67ページ~)と繋がっている感じで面白い。
 WBO、IBF王者との試合に関しても「ノンタイトル戦でもいい」として前向きに語っているのが頼もしい。ボクシングファンの妄想を掻き立てる発言だ。ノンタイトル戦の場合、契約体重を1ポンドでも上げておけば敗者が王座を剥奪されることはない。アメリカで行なわれるビッグマッチの前座としてなら、実現の可能性があるのではないか。

 ジョー小泉氏をして「世界的に見ても稀有なテクニックを持つ」と言わしめる長谷川選手の実力は、日本のボクシングファンなら誰でも承知している。しかし、世間一般的にはその知名度は低い。長谷川選手に限らず、最近の日本人ボクサーは世界チャンピオンであっても知名度が低いことが当り前になっている。
 ただ、ぶっちゃけて言うと、タイソンは知っていてもロイ・ジョーンズもオスカー・デ・ラ・ホーヤも知らないという人は、長谷川穂積を知らなくても当然だよなと思う。長谷川選手が試合相応のファイトマネーと、関係者やファンからの評価さえ得ていれば、一般大衆に対する知名度なんか、あってもなくてもどっちでも良い気がする。極端な話、地上波で試合が放送されなくても、スカパーがWOWOWで放映されるのなら、私は金を払って視聴する(または会場で観戦する)だけのことである。

 長谷川選手には、アメリカに進出して、本人の言う「イチロー選手のように、海外でも認められる存在」になって欲しい。
 マニー・パッキャオに続いて、ボクシングの本場でその名を轟かせる選手となれ!

自分は「対象年齢から外れている」のに、何故ファンになるのか

自分は「対象年齢から外れている」のに、何故ファンになるのか

                   「おたく」と「ロリコン」

 「オタク」という言葉が、まだひらがな表記だった頃、「おたく」と「ロリコン」はセットという認識が主流だった。
 ロリコンとは、成人男性が幼女や少女を恋愛対象とすることである。本来その人が恋愛対象として選ぶべきではない年齢層に夢中になる、即ち「自分の対象年齢から外れた年齢層を好きになる」ことが、異常視されるわけだ。
 現時点でも「特撮オタク」という言葉に対しては、これと一脈通じる意味合いが含まれている。
 日本の特撮作品は、子供向けのものが主だ。本来子供向けの作品に大人が夢中になる、これは「自分の対象年齢から外れた作品を好きになる」ことであり、やはり異常視されるわけだ。

 もちろん、日本製の特撮作品にも大人向けのものは存在する。また、ハリウッド映画のアメコミ系ヒーロー作品は日本でいう特撮ヒーローと基本的には同ジャンルであるが、少なくとも日本公開時には子供向けとは認識されていない。
 しかし、現在毎週TVで見ることの出来る「ライダー、戦隊、ウルトラマン」といった特撮ヒーローは明らかに子供向け番組として提供されているし、一般にもそう認識されている。特撮ファンではない人が「特撮オタク(特撮ヲタ)」という言葉を使うとき、そこには「大人になっても子供向け番組(特撮)を見ている異常な人」というニュアンスが込められていると思ってほぼ間違いないだろう。

                    こども≠オタク ?

 ちなみに世間一般では、子供がいくら特撮に夢中になっても「特撮オタク」とは呼ばないのが、私には不自然で仕方がない。幼稚園児であっても天才は天才(児)と呼ばれるように、幼稚園児であっても特撮ファンは特撮ファンだし、その中で一定の基準を満たしている者がいれば、その幼稚園児は特撮オタクである。
 私の世代は怪獣ブーム直撃世代だ。子供の頃、怪獣の絵ばかり描いていて、家庭訪問のときに学校の先生から「お宅の○○くんは怪獣キチガイです」と言われた奴も結構いたと思う。
 今は「特撮オタク」という言葉がある。幼稚園の先生方は、「お宅の○○くんは、戦隊やライダーがもう大好きで大好きで…」等ではなく、遠慮なく「お宅の○○くんは特撮オタクです」と言ってあげて欲しいものだ。

                 世間一般の言う「特撮オタク」

 さて、自分自身の 「オタクまたはマニア」の定義 に拠ると、私は生まれてこのかた一度も特撮ヲタになったことがない(「ロボットアニメおたく」だったことはある)。だから、私は特撮ファンについては自信を持って語れるが、特撮ヲタに関してはそうではない。以後、言葉の綾で「特撮ヲタ」を語っているように読める部分があったとしても、飽くまでも世間一般が言っているそれについてであって、真の意味でのそれについて語っているのではないことをご了承いただきたい。

 大人は何故、子供向けの特撮を見るのだろうか。(本人は目的もなく、単に子供に付き合って見ている、あるいは単に玩具のチェックをしているケースは、ここでは「見る」うちに含まない)
 全体として圧倒的に多いのは、役者目当てで見ているケースだろう。戦隊シリーズでは古くから、子供向けのお色気キャラが「お父さん対策」を兼ねていたし、『BLACK』以降のいわゆるイケメン路線は、結果的に「お母さん対策」になっていると言える。
 ただし、イケメン路線は女親にはそれなりに効果がある(視聴目的に成り得る)と思うが、男親にとってお色気路線は「おっぱいポロリ」ぐらいやってくれないと目的として機能しない筈だ。父親がそれなりに子供向け特撮を楽しんでいるとしたら、それは主に昔自分が見ていた同系統の作品と比較してどう変わっているのか/変わっていないのかという、懐かしさに拠る部分が一番大きいのではないかと思う。

 母親が「子供と一緒に見てます。結構かっこいい俳優が出演していて…」
 父親が「子供と一緒に見てます。私が子供の頃やっていたものと比べると随分変わったなぁと…」
といった程度のことを世間話の流れの中で出したとしても、それだけで直ちにその大人が「特撮ヲタ」だと見なされることはないだろう。
 「大人のクセに、子供と一緒になって子供番組を楽しんでいる変人」と思われるには、単に俳優に夢中になったり「昔の方が良かった」と懐かしがっているだけでは不十分である。
 これに対して、作品自体の感想をまともに語ったり、ブログにでも書こうものなら、世間一般的の目には明らかに「特撮ヲタ」と映る。かく言う私もたまに感想記事をupしているが、なぜ子供向け番組に関して、そんなことをするのだろうか?

                    ある「特撮ファン」の現状

 私の場合、最大の理由は「他に選択肢がないから」である。
 日本のTV特撮は、子供向けに特化したジャンルとして発展してきた歴史がある。大人向けのTV特撮は皆無ではないが、極めて少ないのが実情だ。TVで新作の特撮番組を毎週見ようと思ったら、子供向け番組を選択するしかないというのが、日本の特撮ファンの置かれた基本的状況である。

 お腹を減らしてレストランに入ったとき、入り口で「お子様ランチしかありませんが、どうなさいますか」と言われたら、どうするか。「いくら腹が減っていても、大人がお子様ランチを食べるなんて出来ない」とレストランを去るか、「空腹を満たしてくれるのなら、お子様ランチでも構いません」と席に着くか。私は、基本的には後者である。

 ではもしも、『スーパーヒーロータイム』の裏番組として、『大人向けスーパーヒーロータイム』が放映されていたとしたら? より多くの予算を掛けて特撮のクオリティを上げ、子供向け番組の制約を取っ払った自由度の大きい特撮ヒーロー番組を観ることで、特撮ファンとしての欲求を充足させることが出来るのなら、私自身は子供向け特撮番組をほとんど観なくなると思う。
 子供向け特撮番組を見ていると「あ~、この辺が子供番組ならではの処理だな、大人向けならこのクオリティは許されないな」と思う部分があるし、そう思いつつ見続けている自分に違和感を覚えてしまう。大の大人がお子様ランチを食べながら「このプリンは甘すぎる」と文句を言っているような、情けない気分になるのだ。
 そんな気分を味わうより、『大人向けスーパーヒーロータイム』にチャンネルを合わせ、何の気兼ねもなくガンガン突っ込みを入れつつ楽しむことを私は選ぶ。

 ただ、それでも全く子供向け特撮番組を観なくなるかと言えば、そうではない。
 私にとって「ライダー、戦隊、ウルトラマン」といった特撮ヒーローは、子供の頃に強烈に刷り込まれたヒーローである。マスコミが未だに長嶋茂雄というかつてスター選手であった人物をチェックしなければ気が済まないのと同じように、私もこれらのヒーローの新作が作られるとチェックしなければ気が済まないのだ。
 『大人向けスーパーヒーロータイム』を視聴することで特撮ファンとしての欲求を満たすことが出来たとしても、『子供向けスーパーヒーロータイム』の第1話だけは、まず間違いなくチェックすると思う。

 それに、「他に選択肢がないから」という事情だけでなく、「子供向け番組であっても、大人にも楽しめる部分があるから」という積極的な理由も存在する。
 「空腹を満たしてくれるのなら、お子様ランチでも構わない」というのが私の基本スタンスではあるが、それは「空腹を満たしてくれるのなら、泥でも食べる」という意味ではない。
 「お子様ランチ」であっても、ある程度おいしいことが条件となる。一口二口食べて、「うん、結構うまい」と思ったらそのまま食べ続けるし、「これは駄目だ」と思ったらそこで止めるということだ。

 「子供の鑑賞に耐える」ということは、「大人の観賞に耐えない」とイコールではない。
 『スターウォーズ』や『ハリー・ポッター』、宮崎アニメといった作品は、「子供から大人まで楽しめる作品」として世間一般にも認知されている。子供がこれらの作品を見て眼を輝かせることが異常だとは見なされないし、子供を持たない成人の男女がこれらの作品のファンであったとしても、それだけで「オタク」のレッテルを貼られることはない。
 ここで議論の対象にしている特撮作品は映画ではなくTV番組であり、かつ子供向け前提で製作されているため、そもそも「子供から大人まで楽しめる作品」というレベルに達する必要がないし、実際に達していない。それでも決して「全面的に大人の観賞に耐えない」というわけではない。「変身して戦う」という特殊な形式であることに対する先入観を捨てて見れば、大人が楽しめる要素もそれなりに含んでいると思う。

                    「大きなお友達」

 私が社会人になってから、ほぼ全話視聴した(または視聴する予定の)子供向け特撮番組は、以下の通り。

・戦隊シリーズ…『タイムレンジャー』、『ボウケンジャー』
・ウルトラマンシリーズ…『ティガ』、『ガイア』、『マックス』
・超星神シリーズ…『セイザーX』
・ライダーシリーズ…『555』を除く全ての作品。

 作品ごとに、面白さや楽しめたポイントには違いはあるが、私にとってはどれも好きな作品である。
 残念ながら、日本には「変身して戦うヒーロー」に対する大人のニーズは存在しない(参考記事は こちら )。「変身して戦うヒーロー」を毎週TVで見たいと思う人間は、大人の社会ではマイノリティなのだ。
 子供の社会では、それが逆転している。
 だから、大人の特撮ファンの一部は、子供の社会に「お邪魔」する。
 自分は「対象年齢から外れている」のに、仲間に入れてもらうのである。
 「大きなお友達」・「お髭の生えたお友達」というのは、言い得て妙だと思う。

 「変身しないで戦うヒーロー」は、大人向けのTVドラマを探せばいるだろうし、プロスポーツ全般に関してもそう言えるかも知れない。
 私の場合、格闘技は特撮番組以上に夢中になって見ているが、「変身しないで戦うヒーロー」が登場する大人向けのTVドラマには、ほとんどの場合興味が持てない。
 結局、自分でも何故だか良く分からないのだけれども、「変身して戦うヒーローのドラマ」が見たいのだ。そしてそれは、子供番組の中にしか存在しない。

 なぜ自分は「対象年齢から外れている」のに、子供向けTV特撮番組を見るのだろうか?
 答え。
「そこに、変身して戦うヒーローと、そのドラマがあるからだ」
 本質は、そこにある。

趣味、そしてファン・マニア・オタクという呼称について

趣味、そしてファン・マニア・オタクという呼称について

 「趣味」とは、どの程度のことを指すのだろう? 例えば、物理的に正当な理由も無しに、月に1度(1通り)もやっていないことを、趣味と称して良いのだろうか?
 私は駄目だと思う。
 例えば、「趣味は読書です」と言うからには、少なくとも月に1冊は本を読破していなければならないし、「趣味は柔道です」と言うからには、少なくとも月に1度は一通りの練習または試合をこなしていなければならない。

 そして「ファン」というのは、「それを趣味にしている人」を表す言葉だと私は考えている。
 例えば、私はプロ野球球団の中では中日ドラゴンズが好きだが、シーズン中であってもドラゴンズの試合を月に1試合以上観戦(TV観戦を含む)することはないし、しようとも思わない。だから、私はドラゴンズのファンではない。ファンという言葉は、他と比較した際に最も好きであるとか、ただ何となく好きであるといった場合に使うべきべきではないのだ。

 「ファン=愛好者」という日本語を「相対値としての嗜好」を表す言葉ではなく、ある定量化された基準に達した「絶対値としての愛好」を表す言葉として使うべきだと私は考える。(ファンがfanatic【熱狂的な、あるいは狂信者】の略語であるということは、この際別とする)
 単なる「好き/嫌い」のレベルを超え、一定の条件を満たした域で「趣味」として楽しんでいる人を、「ファン」と呼びたいし、呼ばれたい。だからファンには、「ファンのマナー」とか「ファンのモラル」といった、そのファンとしての倫理観が求められるし、それを守れない者は「ファン失格」の烙印を押されるのだ。

 ファンの中でも、特に熱心な人を指す言葉に、「マニア」とか「オタク」がある。
 では、両者の違いは何だろう?
 私は、何も違わないと思う。メインカルチャーに対する熱心なファンが「マニア」、サブカルチャーに対する熱心なファンが「オタク」と使い分けるなど馬鹿げている。メインかサブかなど、所詮多数派か少数派かといった数における相対的な問題でしかなく、文化の本質とは基本的には関係ないからだ。
 「少数派=オタク」という図式であるなら、日本におけるカーリングの熱心なファンは「オタク」と呼ぶことになる。もし日本でカーリングがメジャーになったら、ファンとしての有り方が全く変わっていなくても、彼らの呼び方を「オタク」から「マニア」へと変えるのか? 本質が全く変わっていないのに呼び方を変えるなど、全くナンセンスである。

 最近は何でもかんでも「○○オタ(ヲタ)」と呼ばれるようになり、野球ヲタ、サッカーヲタという呼び方も一部で見られるようになってきた。このまま「マニア」が全て「オタク(ヲタ)」に置換されるのなら、それはそれで良いと思う。「マニア」という呼称にも肯定的な意味合い(尊称または自負)と否定的な意味合い(蔑称または自嘲)の両面があったので、用法としての問題はない。

 では、「ファン」と「オタクまたはマニア」の違いはどこにあるのだろうか?
 私は、「(意識か、無意識かを問わず)完璧を追及することを自分に課しているか否か」で、「ファン」と「オタクまたはマニア」の間に線引きをするべきだと思う。
 「実際に達成できているか否か」は、重要であるが絶対ではない(それを絶対視したら、貧乏人は「オタクまたはマニア」になることができなくなってしまったり、金持ちが簡単に「オタクまたはマニア」になれてしまうことになる)。決め手になるのは、経済力に依存する部分ではなく、飽くまでも精神力に依存する部分である。
 当然のことだが、人は金を積んで「オタクまたはマニア」になるのではない。良い意味でも悪い意味でも、人は自身の情熱・狂気・執着心で「オタクまたはマニア」になるのだ。

 この「どこで一線を引くか」という件に関して「我が意を得たり」と思えたのは、テツナリ氏のHP「モーヲタ初心者講座(さぁ!モーヲタになろう)」 の第2章と第3章である。
 以下の A.と B.の項目は、それを参考にして書いたものである。


 A.「ファン」と「ファン未満」の違い

 以下の項目を全て満たしていれば「ファン」、一つでも欠けていたら「ファン」とは呼べない。
(1) 対象の中に、好きなキャラクター、グループ、作品、ジャンル等を1つ以上特定できる。
   例…ザンキとトドロキが好き→『響鬼』ファン
(2) 対象の番組、作品を「見たい」と意識して見る。
   例…ドラゴンズの試合を見たいので、TV欄でチェックして見る→ドラゴンズファン
(3) 対象に、お金を使う(身銭を切る)、または親等に金を使わせる。(プロまたは商業作品にとって、金を払ってくれない相手は、それ以外でいくら応援してくれてもファンとは呼べない。ファンとは、「実質的に支える役目を果たす存在」でなければならない。ただし対象がプロまたは商業作品ではない場合は、この限りではない)
   例…『恋カナ』のDVDを買う→久住小春ファン


 B.「ファン」と「オタクまたはマニア」の違い

 「ファン」であることに加え、以下の(2)、(3)に関して「完璧に実行すること」を自分に課している(意識的にそうしているか、無意識にそうしているかは問わない)。そして、実際に自分の出来る範囲で極力実行している(安易な妥協は絶対にしない)。
(2) 対象の番組、作品を「見たい」と意識して見る。
(3) 対象に、お金を使う(身銭を切る)。

更にそれに加え、以下の二項目を実行する。
(4) 場合によっては、同じ商品を複数購入する。
    例…同一のコンサートツアーに関して、チケットを2枚買う。
      同じ映画を2回観に行く。
      同じ写真集を2冊購入する(1冊は保存用にしたり、他人にプレゼントする)。
(5) 対象に関して、他の人に語る。(身の回りの人に語る、BBSへ書き込む、ブログに書く。ROMでは駄目。飽くまでも自分で語る・書くことが条件)


 栗山千明は、ある番組中で「(私は)オタクを卒業してマニアになろうかなと思っている」と語っていた。彼女は、「フォローしている範囲が(作品限定であるなど)狭いのがオタク。それだけではなくジャンル全般に渡って広くフォローしているのがマニア」だと認識しているようだった。
 野球で例えれば、ドラゴンズだけに熱中してそれ以外には関心が薄いのが「ドラゴンズおたく」、ドラゴンズに熱中しつつも他のセパ全球団やメジャーリーグ、高校野球まで広くフォローしているのが「野球マニア」といったところなのだろう。
 この考え方も、分かる気はする。しかし、この場合はオタクとマニアの線引きが曖昧になる場合が多いと思う。例えば映画オタクと映画マニアをどう分けるのか? 毎年新作をジャンル全般で100本観ているけれど、自分が物心つく前に作られた名作は一切観たことがないという映画ファンはマニアなのか、オタク止まりなのか?

 私自身の基準で私自身を判定すると、かおりんこと飯田圭織に関しては「かおファン」以上「かおヲタ」以下といったところである。かおりん以外に関しては、マニアまたはヲタの域に足を踏み込んでいる対象はない。(以前は他にもあったが)

 コレクターとしての習性が弱い私が言うのも何だが、国内で適価にて販売されているDVDや写真集(ムック)といた代表的商品をコンプリートしていない人には、マニアまたはヲタを自称する資格はないということを強調しておきたい。
 中古で買おうが恋人に貢がせようが構わないが、揃えようという意思さえあれば揃えられるものをコンプリートしていない人が、「○○ヲタです」とか抜け抜けと自称しているのは、明らかに間違っている。そういう場合は「○○ファンです」というのだ。
 一時、「一億総中流階級」という国民意識が問題視されていた時期があった。私は今、「一億総オタク」という意識が生まれ始めていることを憂いている。「3σの内側は中流」という状況は有り得る話かもしれないが、「オタクまたはマニア」は、まず「3σの外側」にしか存在し得ないのである。

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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。